気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

自己の再発見(2)

2013-09-29 08:18:10 | 意識の拡大

人はいつ頃から自己が自己であるという自覚をもつのだろうか。

 

それは多分幼児期の頃だろう。2,3歳のころだろうか。あなたはどうだったろうか。

 

その時点で 「わたしがわたしである」 という自覚・・自意識が芽生えるということになる。

 

実のところは、「わたしがわたしである」 という事を・・再び・・思い出すということだ。

 

 

それは、あなたやわたし達は、現世以前にも 「わたしはわたしである」 という自意識を有していたということだ。 

 

それとも、いきなり偶然に・・・今世で「わたし」という自意識が出てきたと思うのだろうか。 

 

常に「今」しかないという・・・経験的事実を既に知っているのであれば、

  

今・・・在る・・という事は、いわゆる過去も未来もあるという事なのだが、 

 

それとも、それは誰かが数式で、あるいは証拠物で説得しなければならないことなのだろうか。

・・・・

 

人間が他の動物と根本的に異なるのは、姿形や頭脳の働き、知的能力の違いということもあるが、根本的違いはこの「自意識」・・・わたしが私である・・という自覚意識の深さである。

 

これを意識的な意識と呼ぶことにしよう。

 

万象顕現の全ての元にあるのは全包容的「意識」であり、その「意識」のある状態、ある内容の表現・顕現が、例えば様々な鉱物であり、植物であり、そして動物である。

 

そしてまた、こういう様々な意識存在形態には、無自覚的な「意識」からより自覚的な意識への連鎖があると観察されるだろう。

 

それを意識の進化と言って良いだろう。

・・・・・

「鉱物に意識があるって?・・そうは思えないよなあ・・・」 というのは、

 

鉱物自体には人間のような意識的意識がなく、人間と同等の自覚的な反応をすることが出来ないからである。

 

また人間ほどの深化された意識的・意識とその表現形態がないせいである。

 

アニメの世界では「やあ、ダイヤモンドさん、元気かい?」といえば、

 

ダイヤモンドは「まあ、そこそこだね」等ということも可能だが、

 

実際にはそういうことはなく、表面的には何の反応もないように見える。

 

しかしながら、人間の意識の内容・想念は鉱物内にも浸透し記憶されるのである。

 

記憶、記録も即ち人間と同じような意識の働きに他ならない。

 

宝石には持ち主の「念」が残ると言われるのはそういう記憶作用があるからである。

 

 

記憶はすなわち情報であり、情報は波動なくして生じ得ない。

 

宇宙は原子分子、クオーク等の元である様々な波動で満ちている。

 

そして様々な波動のなかのベーズバンド、また根源的な波動がここでいう「意識」なのだ。

 

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(鉱物にも秩序を示す結晶構造があるのは、すなわち意識と存在意図の顕れである)

 

よく擬人化された動物が出てくるアニメがあり、そこでは動物も人間のように考えて・話す・わけだが、これは動物や植物が、人間とつながった『意識』を有することの直観的理解から来ているものと考えられる。

 

動物に人間のような意識があったらこういう風だろうかという、面白可笑しきおとぎ話であるが、確かに彼らにも意識があるということなのだ、

 

それはその外観姿や秩序だった内部構造、組織の新陳代謝や化学、光学的な反応などに現れているし、身近な動物に至っては簡単な意思の疎通ができるものもいる。

 

犬や猫等を飼っている方は良くお分かりだろうと思う。

 

人間のより複雑なこころの働きだけを「意識の働き」と言うだけでなく、全ての顕現諸物、鉱物、植物、動物にも「意識」が働いているのである。

 

形に現れているものは、すべからくちょうどそのレベル表現での「意識」と「意図」があるということだ。

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現れている物、全てが・・・・「意識」の表現形態である・・・ということ。

  

根本的に言えば、宇宙顕現の原初の息吹、根源意識の発露、表現意図なくして諸物は現れることもない。

 

背後にある宇宙意識の発露の表現形が宇宙の被造物あるいは存在諸形態であって、

 

それが宇宙という様々な次元、様々な表現形で顕されているのである。

  

 

仏教でいうところの、山川草木 国土悉皆成仏  というのはそういう意味である。

 

 

あらゆる全てのものが、ひとつの意識の表れであり、我々はその無限の多様性を意識的に観察しているということだ。

  

人間はこの世界に生まれ、いつの頃か、あるいはほんの少しで自意識を持つという事は、すなわち宇宙意識のその自己実現性、宇宙創造の意図をすでに蔵しているということでもある。

 

その自意識が過剰になり、自己だけに自己が限定され、全てと切り離された個性であるなどという曲解が、すなわちエゴイズムとなる。

 

エゴが、自己とは・・・全てと切り離された、断片自己だと「考えて」、それを固定してしまえば、その切り離された自己同士は競争や闘争を行なって優劣を競うことにもなるだろう。

 

どこか欧米式の個人主義、競争意識、優越意識、他者からの簒奪などは、その典型である。

 

現代のように、企業や組織が本来の目的から逸脱し、自己だけの生き残りをかけて宣伝、洗脳、本当に見える嘘を垂れ流す有様は、まさにそのエゴの末期症状というべきものである。

 

この先はブラックホール的自己収縮と崩壊が待ち受けているかもしれない。

 

エゴとは自我への集積と局所化であり、当然ながらそのエゴの重さで収縮自壊作用を有することになるのだ。

・・・・・・・

 

意識的な意識を有する人間は、つまり宇宙意識の・・・個別化された魂・意識であるということだ。 

 

個別化されたということは、全体を全体から観ているところの神意識、宇宙意識が、

 

また無数の部分から→全体を観る<自己>を生み出したとも言えるわけであり、

 

多少宗教的な表現ではあるが、

 

これがすなわち神の子たる人間の在り方であると言えるだろう。

  

従って、人間は地に落ちた単なる無知なる・・知的生命等では毛頭なく、

 

本来は自由自在、融通無碍(ゆうづうむげ)の意識的存在なのである。

 

それがそう成っていないように見えるのは、

 

この地球上の平均的な人類想念の偏狭さに起因しており、

 

その偏狭な想念の重さが相当なものであるが故に、またその想念の鎖を、

 

その他大勢に右ならえで自らもかついでいながら

 

何でこうなのかと喘いで(あえいで)いるようなものであったのだ。 

 

自己が無限とつながった存在であり続けながら、他者からの規制を許しつつ自我の殻に閉じ混り、またそういう人々の群れを観ながら、それに憤る・・・愚かさ、

 

神の子たる魂・意識と、創造の絵筆である想念の融通無碍なる自己実現性を無限に蔵しながら、

 

外の世界の眠れる他者ばかりを気にかけて、

 

世間ではあれが良いとか、これが可愛いとか、これは危険だから対策がいるだとか、

  

そういう何かありそうで・・・実は果実も責任も何もない幻想という常識に縛られて、

 

そのマーケットで、

 

一生を消費してしまう消費者になり、様々な虚飾の想念のゴミの中で右往左往しているようなものではないか。

 

 

それは、外側で提示される価値観を全て鵜呑みにしてしまう無責任さからくるものと言って良いだろう。 

 

嗚呼・・・、しかしながら、もうそのような小さく重い人類意識の時代は終わりを告げているのである。

 

自己の自己たる意識、自己の世界の原点たる意識を研ぎすことによって、 

 

また頭だけではなく、こころと行為を純化することを通じて、

 

(宇宙)意識である自己の無限性に気付けるのである。

 

 

今のあなたという、どこか有限な在り方は、

  

実は、あなたが無限でなければ顕せないものなのである。

  

これは単なる気持ちの良い抽象論ではなく、 

 

今この時において、気付かなければならない『霊的事実』なのである。

 

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自己の再発見

2013-09-28 09:07:09 | 意識の拡大

人は何のために生きているのか常に疑問に思っているかもしれない。

 

何のためにこの世界に生まれたのか、

 

そして、そのわたしとは何か・・・・

 

人の根本的な問いかけはこれ以上のものはないだろう。

 

・・・・

知りたいこと、例えば、

 

この先どうなるか、世界の誰それは何ものなのか、政治経済の行方はどうなのか・・・・

 

そういう質問は良いとも悪いとも言えず、恐ろしいとも面白いとも言えない。

 

人によってその価値観はさまざまであるからだ。

 

それらを知りたいといういうような欲求は、言わば楽しいゲーム感覚のようなものであろう。

 

 

 

怖いも、面白いも、嫌なことも、蔑(さげす)むことも、

 

尊崇することも、憎むことも、争う事も、・・・・肉体や思考や感情のゲームのようなものだ。

 

人生という・・・そういうゲームである。

 

そう、人生とはそういうものだとあなたは気付いているだろうか。

 

・・・・・

 

 

ところで、

 

その人間ゲームに身体や思考や感情を駆使して、打ち興じている<あなた>は、

 

いったい誰なのか、

 

あなた自身が知っているだろうか?

 

・・・・・ 

 

そんなに簡単ではないけれども、途中まで1つ1つ観て行くのも良いかもしれない。

 

多分落ち着いた意識の人ならば、どこか理解できるだろう。

 

余計なお世話、また下手な文章なのだが、ゆっくりおつきあい頂ければ、何かに気付かれることだろう。

  

 

 

●あなたは「身体」か?

 

赤子で生まれ、成長し青年となり、大人になり年を経ながら変化してゆくあなたの身体、

 

そのどの時点の「身体」があなたなのだろうか?

 

例えば、体に何か切り傷をしたときに、血が出て痛みを発するのは、あなたの意思なのか、

 

それとも自動的に出てくる反応なのだろうか。

 

 

 

50兆を超える細胞、さらに無限数とも思える分子・原子・・・それをあなた個人で作ったのか?

 

あるいは、頭、手、内臓、骨、血管等・・・そのどれが<あなた>なのだろうか。

 

また、頭脳があなただと尤もらしくいう人もいるだろう。

 

しかしその脳みその・・どこが、どれが、どの働き、機能があなたなのだろう?

 

身体の様々な感覚を持っている、知覚している・・と言えるけれど、

 

身体のどの部分が<あなた>だとは言うことは出来ない。

 

そうではなかろうか。

 

 

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逆に、いやいや、そんな部分的なことではなく、

 

人間全体そのもの、身体そのものが<あなた>だと言うかもしれない。

 

・・・・、なるほど、

 

 

 

しかしながら、それは人間という「1まとめのイメージではないのか?

 

となれば、あなたとは人間という1セットの身体イメージだという事になるのだが。

  

えー?、それでは、あなたは自分で抱くイメージなのか。

 

・・・ 

 

 

そう、普通に突き詰めれば、あなたは体を知覚しているとは言えるものの、

 

あなたが肉体そのものである」・・・とは言えないのだ。

  

 

要は、「あなたは単なる身体だ」というのは、そういう思考、観念が云わせるものであるはずだ。

 

なぜなら、思考がなければ ・・・・は、・・・・・である 等とは言えないからだ。

 

 

 

すなわち、あなたがどうあっても 「私は身体である」 と言って感情的に頑張ったとしても、

 

それは「思考」に過ぎないということである。

 

 

 

わたしは肉体に過ぎない・・・は、

 

そういう定義は、つまり「観念」に過ぎないという事だ。

 

それも大勢の人がそう思っている・・・だろう・・・ところの「思考」であり、

 

その思考は・・・あなたの問いかけで出てきたものではなく、

 

生まれてからこのかた、世間に、あちらこちら、落っこちている漠然とした「思考」を、あなたが拾っているにすぎないのだ。 

 

 

・・・・

 

あなたが、そして多分多くの人が・・「自分は肉体でしかない」・・・という思考を持っているとは言えるものの、

 

あなたや人々が絶対に「肉体でしかない」という 事実はない のだ。

  

・・・・ 

 

●それではあなたは「思考」なのか?

 

そもそも、思考、想念は次から次へと目まぐるしく、あなたの頭?を去来するだろうが、

 

そのどこに<あなた>がいるというのだろうか。

 

それに思考や想念そして感情は、・・・・目に見えないのであるが、

 

どの思考が・・・・あなただろうか?

 

 

 

いやいや、思考の働き全体が、あなたである・・・というかもしれない。 

 

なるほど、自己が肉体であると・・・思考している事実から言って、 

 

思考やそういう想いこそが、あなたであるということ・・・・そういう事なのだろうか?

 

・・・

 

 

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それでは、何も考えていない時、何かに集中しているとき、眠りこけて無意識になっている時、

 

思考が不在の時、空っぽのとき・・・<あなた>は存在しないのだろうか・・・・。

 

 

そんなことはなかろう。 

 

それは事実に反することは頭で考えなくても「わかっている」こと。 

 

思考があってもなくても<わたし>は存在している。 

 

 

あなたやわたし達の人生、その身体のまっとうな寿命が尽きるまで、

 

思考や感情が様々に変化しようとも、

 

・・・・あなたやわたし達は・・今・・・「在る」ではないか。 

 

 

その在るという状態・・・だけが在るとも言えるだろう。

 

そう、最も根本にあるのは、在る・・・・ということだ。 

 

 

身体の寿命が尽きるまでと言っても、

 

わたしは「身体・肉体」そのものではない。

 

また、私が肉体でしかないと仮定し、それを定義する「思考」そのものも、

 

・・・・わたしではない。

 

それでは、一体全体・・・<わたし>とは何だろうか?

 

ーーーーーーーーーーーー

 

 

「 I AM THAT 」わたしは在る ニサルガダッタ・マハラジとの対話・・・・より

 

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探究者とは自分自身を探している人だ

 

 

 

「私は誰か?」以外の全ての質問を放棄しなさい

 

結局、あなたが確信できる唯一の事実とは

 

あなたは在るということだけだ

 

「私は在る」 は確かだ

 

「私はこれだ」 は確かではない

 

真実のあなたとは何なのか

 

それを見出すために努めなさい

 

 

 

あなたが何かを知るために

 

あなたが何でないかを知りなさい

 

あなたではないものすべてを発見しなさい

 

 

 

身体、感情、思考、時間、空間、あれやこれ・・・・

 

具象であれ、抽象であれ

 

あなたに知覚できるものは あなたではない

 

知覚するという行為そのものが

 

あなたの知覚するものが

 

あなたではないことを示している

 

 

 

マインドのレベルにおいては

 

あなたは否定的言語によってしか描写できない

 

ということをより明確にするほど

 

あなたの探究はより早く終焉を迎える

 

そして、あなたが無限の存在であることを悟るのだ。

 

      シュリー・ニサルガダッタ・マハラジ

 

 

 

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地球(ガイア)意識が変化した?

2013-09-22 09:26:45 | 地球の一大変容

●超常現象の増加

世の中にはいわゆる「超常現象」というものがある。

 

要は、通常ではない現象を「超常」・・・常識を超えた現象と言っているのだが、あるいはそれは常識的な観念を逸脱した現象とも言えるだろう。

 

そういう風に言えば、昨今の極端な異常気象も、どこか超常現象と言えなくもないが、通常の気象状態が極端になっているだけであれば、それは有り得ることとして「超常」という範疇にはないと思うかもしれない。

 

昨今とみに増してきた、短時間での集中豪雨や極端な旱魃は、従来と違って地域的、エネルギー的なアンバランスが増大しているとも言えるわけで、

 

また一気に降雨、増水、濁流となる現象は、エネルギー的な局所集中と生起する時間の短縮、あるいはそれらの複合結果であるとも言えることは、以前の記事で示したとおりである。

 

100年に1回の確率で起きる異常現象とか、数百年に1回あるかないかの出来事だとか、そういう表現がなされる事象が世界的に急増しているのは事実であろう。

 

違うだろうか。

 

これは即ち、常識的な理解を超えるような現象、いわゆる超常現象に類する事象が我々を取り巻くフィールド環境で起き始めているという事である。

 

また今までの平均的で常識的な出来事ばかりではなく、超・常識的な出来事が増えているということであり、

 

平均的、確率論的な世界観が破れかけている、あるいは現象の生起するテンポや進捗が早くなっているとも言えるのである。

 

 

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100年かけなければ起きないはずの異常現象が、いとも簡単に頻発するということは現象化率の増大が起きている、また時間が短縮されているとも言えるのである。

 

急変する現象は、時間の短縮であり、またエネルギーの増大でもある。 

 

そう・・・、今・・何らかの「エネルギー」が増大して来ているということだ。

 

・・・・

●人の想念も現象化エネルギーを生み出す 

今の時代の特徴は、そういう「エネルギーの増大」と現象化のテンポ・時間のスピードアップでも特徴づけられるかもしれない。

 

また、そのエネルギーの出どころは、既知なるもの、物理的な量として測られるものと言うよりは、その現象化を促すところの背後にある潜在的なエネルギーという方が適していると考えられるのである。

 

物理的なエネルギーを生み出すところの背後の、あるいは潜在的なエネルギーが増大しているという事もできるかもしれない。

 

これは、ここでよく提示するところの創造のプロセス、

 

◎意識→ 意図(想念)→ エネルギー→ 現象化

 

・・・・における、意識→意図の変化によって生起していると考えられるのだ。 

 

 

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例えば、種明かしのない、まともなスプーン曲げも、人間の意識の現象化にほかならない。
出来るという意識、想いでなければ・・・それが『起きない』のは道理である。

 

●地球の意識の変化

つまり、地球上の大気、地殻等での今までと異なる事象の増加は、

 

すなわちガイアとも呼ばれる地球の「意識」~「意図」なるファクターの変化に起因しているということである。

 

簡単に言えば、地球という惑星生命圏の「意識」の変化に他ならない。 

 

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・・・

 

もちろんその地球上の異変、変化は、調和と循環の地球生態系のなかで、産業革命以来続けてきた人類の行為による、汚染や破壊の地球側の『修復作業』という側面もあるわけだが、

 

また、その修復はさらなる安定点への移行、これ以上の汚染や自然破壊を忌避する予防的な処置を含むものになると思われるのである。

 

当然ながら大自然は、人類が汚れを垂れ流しつづける汚物を、我慢して洗濯して回るような召使いではあり得ないではないか。

 

人類が何も気づかず、今までのまま、あるいはさらに輪をかけたような汚染行為を・・・一切忌避するようなものになるという事である。

 

これはある意味で、人類のこれ以上の汚染や破壊を『禁止』した意図を明確に示しているということだろうか。

 

生活改善だ、ローンの返済だ、経済の活性化だ・・という観念で犯されたままで、人類が遅々として対応の出来ていない自然環境の回復を、

 

地球自身が意図的に行なうことになるということだ。

 

今起きている頻発する異常気象は、人間にとっては極端とも思える自然現象は、その地球の意図の・・・明らかな現象化であると考えられるのだ。 

・・・

●古い信念体系を潔く捨てる時が来た

自然自身の意図によるその回復が有り難いとはいえ、今までのように、人間の欲得や自己都合などを酌量することにはならないわけで、ある意味これは大変に恐ろしいことになるかもしれない。

 

世界各地で起きている魚や鳥やイルカの大量死は、ここにも人為的な影響があるものの、生命への何らかの棄損状況が起きていることを示しているはずである。

 

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動物の生存環境の悪化が人類に無関係なわけがあるはずもないではないか。 

 

相も変わらず、GDPを上げなければならないだとか、多くの人も金満生活がしたいはずだとか、なんとかローン返済までは現状維持が必要だとか、

 

あるいは発展地域では投資と回収がまだまだ可能なはずだとか、・・・

 

そういう思考をもとに今まで通り突き進めば、地球生態系の荒廃どころか、人類までも生存が不可能な星になってしまうのは火を見るより明らかである。

 

大自然を征服し、これを使役して人類だけの物質栄華を享受するような、欧米流の霊的幼児の思考はもうすでに通用しないのである。 

・・・

 

●地球も生きている意識である 

なるほど、地球や太陽系、宇宙が単なる物質、土塊の集合であるならば、

 

近未来をテーマにしたハリウッド映画のような、富豪と貧困層の2極化と、汚染まみれの惑星上で息も絶え絶えに生きる破目になるような物語も起き得るかもしれないが、

 

宇宙の全ては『意識』の顕れでありであり、その表現である生命に満ちている創造世界にあって、自らが分っていながら滅んでゆくという、おバカ極まりない姿態を演じることはどうも出来そうにないということにもう気付くべきであろう。

 

直観的な理解に過ぎないが、過去何十回とあったとされるような核での文明消滅や、環境汚染で息を詰まらせつつ滅亡するようなことは、もうこれ以上は出来ない相談であろう。

 

しかしながら、物質的あるいは想念の汚染を垂れ流しつつ、何もしないで「あーら不思議・・♪♪」という事も不可能であろう。

 

気付いていながら飽食を続け、分っていながら伐採や乱獲を繰り返す、理解していながら更に核汚染を拡大する愚を繰り返す・・・、そんなことがこれ以上続けば、

 

大自然の方から更に明確な意思表示が行われることになるかもしれないということだ。

 

大自然は鷹揚で壮大であるがゆえに、その因果関係等はなかなか理解しずらいのだが、今世界中に起き始めた異常気象、地殻の変動、局部的な豪雨や長い旱魃などはその意思の表れではないかと思えるのだ。

 

これは人類の汚染が故に自然環境が変化しているということも言えるのだが、地球という生存環境、意識の表現フィールドをかように動かしているのは、70億を超える人間の歪んだ想念に他ならないであろう。

 

また大気の動きだけでなく、土(つち)地殻の動き、地殻変動あるいはそれと関連した火山の活性化も起きてきているわけで、一般的に言われる偶発的な地球温暖化やあるいはその逆の寒冷化だけで説明がつくとも思えない。

 

ちなみに、ロシアの学者らは2014年からすぐに『小氷河期』が来ると予測している。

火山の活性化によって地球大気内に微粒子が増大することで、それは温室効果ではなく、逆に太陽の熱を遮断することで、結果大気圏内が寒冷化するとも考えられている。

 

●今後はあり得るカタストロフィー的現象

 

いずれにしても、今はもう、

  

地球を構成する五大要素・・地(ち)、火(ひ)、水(すい)、風(ふう)、空(くう)の要素の様子に、そのすべてに明らかな変化があるということに気付くべきであろう。

  

今までの人類だけの利益追求、物質的繁栄のみの思考で邁進するならば、今までかろうじて繋がっていた地球の生態系との調和、同調意識が、

いつの時点でか「ガタッ」と外れることになり、結果として、気の流れ、水の流れ、火の流れから洗礼を受けることにもなるだろう。

  

地球表面あるいは地殻上でのバランス点が移行したり、あるいは太陽や月との配置などの要因によって、ひょっとして何度かの地軸の移動もあり得るかもしれない。

  

地表一切を短時間に浄化するところの、いわゆる自転軸上のポールシフトも決してあり得ないと断言できるものではない。

  

万にひとつ、もしそうなれば緯度や経度が数日のうちに変わってしまうことになり、あっという間に数百、数千mの土地の上下移動が起きるのである。

  

そうなれば、世界は数日のうちに一大変化、また一大浄化を遂げることになるのだが、そういう時、いったい全体人々はどうするのだろうか。

 

というよりも、どうにもこうにも・・何がどうという事もないのだろうか。

 

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これはネガティブとかポジティブとかの話ではなく、それは『何万年かに1度の確率』のようなものかもしれないが、物理的に実際あり得ることなのだ。

  

自己の周囲の時空は、自己の想念の現象化であるからには、人類の遭遇する出来事は、人類の総合的な想いや思念の影響如何にかかわってくるのである。

   

また今の時期は超常現象が極めて生起しやすくなっている時であり、それはまた想いの集積の解消時期、いわゆるカルマの解消時期でもあるという事だ。

  

そう、今行うべきことは、カルマの噴出の流れに巻き込まれないための、こころの静謐、精神の均衡と、欲得心の意図的減退であり、  

 

そして真正で新しき・・・自我の物欲を極限まで消尽させたところから生じるところの、価値観の創造であろう。

 

・・・・ 

残念とは思えるかもしれないが、これは即ち、今までのような人間だけの利益を追究するような、自己都合的な文明は早々に終焉しなければならないという事である。

  

遅きに失した感があるものの、例え一時の文明生活の不都合があろうとも、GDP信仰、金銀物質崇拝という「宗教」はやめにしなければならないのだ。

  

なんとなれば、

  

宇宙大自然との調和を外しては、どんな生命もその生存がかなわないのは、火や水を見るよりも明らかであるからだ。

 

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思考の矢

2013-09-19 09:45:41 | 心の科学分野

祈りとは何かというと、ある一定の想念を保持し、それが適えられるようにという「意図」の設定のことである。

 

それは、

 

意識 → 意図想念 → エネルギー → 現象化

 

という創造顕現プロセスの「原因」側の因子を設定することに等しい。

 

よくある 「......が、....でありますように・・・・!」 という祈りのパターンは、

 

本来は、明確な「想い」を内面に掲げ、それを一定時間保持することで、現象化のベクトルを生み出すことなのである。 

 

・・・

まるで祈りとは、弓を構え、それに矢をつがえ、目的目標に<放つ>ことに似ているのである。

 

こうあるべきだという「思考イメージ」が矢(アロー)であり、それを意識的に行う行為が祈り、それを放つ意識的行為なのである。

 

しかしながら、大概の場合は的外れか、あるいはかする程度であるかも知れない。

 

それは、こうあるべきだという思考イメージが「おぼろげ」であるか、それは単に思うだけのことだという「ブレーキ思考」自体が邪魔をしているという、実に笑えない自己矛盾によるのである。

 

またその祈りが実際に現実化した時に、その責任を無条件に取れるのか・・という見えない恐れがどこかに内在しているものでもあろう。

 

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・・・・

 

祈りなどの話に関しても、

 

想いを観たり、想いの効果やそれが現象化するという事に気付いていない場合は、

 

単なる効果のない抽象的な願いでしかないと「思う」ものだし、

 

まーそういう美しい希望を持つのは悪くないなあ・・・程度にしか「思って」いないかもしれない。

 

あなたは実際どうだろうか? 

・・・

想いは単なる頭の中のイメージでしかないし、意味のある全ては物理的な物ででしかないとする、どこか唯物論的思考で漠然と終始してはいないだろうか、

 

そういう場合は、どこか理知的でありそうな?唯物論的考え方自体が、また「思考」であること自体に・・・・気付いていないのである。 

 

結局はそれも思考、思想、想いに過ぎないのだが、これが唯一の科学的事実であると「思い込んで」いるというわけである。

 

えーなに?結局・・・全ては思い込みなのかよ」 と言えば、確かにその通りなのである。

 

我々の世界は「事実」で囲まれているということではなく、「思考」とその「現象物」で囲まれているのである。 

 

 

それでは大自然や宇宙はどうかと言えば、確かにあなたやわたし個人が勝手に創り上げているわけではなく、

 

地球や宇宙という壮大なレベルにおける、創造の根源あるいは全包容的意識の、

 

人知では測ることのかなわぬ、いわば雄大で鷹揚たる思考、想いとその現象物で囲まれているのである。

 

現象は目に見える「結果」であり、常にその背後には原因たる「意図」があるのだ。

 

そしての背後には意識があるということである。

 

人間の在り方は人間の意識によって生じ、宇宙の在り方は宇宙の意識によって生じているのである。

 

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全て「思考」、思い込みというものが既成観念になり、より多くの人がそういう既成観念の言動で終始すれば、そういう人々の共通した世界は、そういう共通観念で相互に強化されることになる。

 

あの人が言うならばそうだろうとか、みんなそう考えて、そう言っているならばそれは正しいとか、・・・そういう事は良くあることだと知っていることだろう。

 

皆がそう思い込んでいれば、そういう価値観ばかりであれば、周囲はそういう世界になる・・というのは当たり前のことになるということだ。

 

2489257_2896888519むむ・・皆がそういっているのか・・)


・・・・・

 

意識的な意識を有する人にとっては、すなわち自分という存在を・・・自分で意識できる存在にとっては、

 

人生や経験を通じて、思考定在化して信念となり、

 

信念は容易に言葉で表わされ、当たり前のように行為に移行するのは、

 

もう既に観察済みのことではなかろうか。

 

・・・

 

こうして、思考や想いを有する意識的または知的存在が集合して創る世界のことを「共通現実」と言っている。

 

この「共通現実」というのは、大自然、大宇宙が全てあらかじめ設定・創造したものではなく、人為的な創造物なのである。

 

即ち・・・いわゆる「現実」とは、客観的事実とか変更不可能な真実なのでは・・毛頭ないということだ。

 

 

例えば資本主義的世界も「思考」及び体系化された「思想」が現実化したものであり、それが生活向上に資するものであるかも・・・という多くの人々の共通思考によって現象化が許されるものであり、

 

翻って、個々人の人生においても・・・それは・・・そうであるはずだ・・という認識、思考や信念によって方向づけされているという事である。

 

 

 

そこで、人々のその思考や信念を、ある特定の価値観へ、また一定方向に向かわせようとする行為が洗脳やプロパガンダ、宣伝などという手段なのだ。

 

よくよく見れば、メディアの発達したこの世界は、宣伝洗脳、プロパガンダで満ちている事に気付けるだろう。

 

それがまさしく事実であるという風に装った、思考による、利益誘導行為に満ち満ちているではないか。

 

本当にノイズだらけの世界になったなあ・・というのが個人的な見解である。

 

アベノミクスがどうしたこうした?、経済成長が落ちた上がった?、増税が必然だ無理だ?

 

軍備増強が日本を強くする?オバマがああ言った、こう言った?

 

・・・・・ 

 

 

そんなことよりも何よりも、我々人間は、すなわち意識的・意識を有する存在は、

 

創造の矢とも言うべき ”思考、想念の技術” を身に着ける必要があるのだ。

 

 

 

世界の偉い人が?どこかの大臣が?権威あると言われる者たちが? 

 

あなたやわたし達の幸せをもたらすわけではない!ということにもう気付かなければならない。

 

 

その当の存在自体が、その存在自身のことに真剣にならずして、いったい誰が真剣になるのであろうか。

 

・・・・

 

不本意ながら、今までがそうであったことに気付けるならば、 

 

想念や定在化した信念、イメージが自らの周りを取り巻く目に見えないフィールドを形作り、

 

それが現象化のための鋳型になるのであれば、

 

それを自らの心地よい、あるいは幸福を感じる、あるいは生きがいを感じるフィールドに創り上げるのである。

 

今までは例えそれが無意識ではあったとしても、その多くが他者の想いを採用してしまったとはいえ、

 

既にそれ、すなわち自己創造を行なってきた「達人」であるということに気付けるだろう。

 

 

 

自他への「幸せ思考」の矢をつがえ、「幸せ」という<的>に、勇気をもって放つのだ。

 

そして同時に実感をもって感謝の念を抱くことである。

 

 

そして、

 

周囲を見ては感謝し、

また遠くの山を見ては感謝し、

空を見上げては感謝する。

 

道行く人を見ては感謝し

また道に咲く草花の姿に感謝し、

飛び交う赤とんぼにも感謝する。

 

呼吸をすることに感謝し、

顔を洗う冷水に感謝し、

頂く食物に感謝する。

 

 

・・・

 

これは宗教心やらではなく、 創造宇宙との同調であり、

 

1つ習得すべき、新しい次元のテクノロジーである。 

 

 

しかしながら、まず、思考や想いが自らで観えずして、

 

そのテクノロジーは発動かなわないのだ。

 

無意識的思考から意識的思考へ、

 

想念という、現象化のための見えないエネルギーを動かす因子を扱う意識の技術なのである。

 

それがたとえ思考と表現のテクノロジーであるとはいえ、実践で鍛えるしかないのである。 

 

 

さあ、自らの「思考」の矢をつがえ、「幸せ」という<的>に、勇気をもって放つのだ。 

 

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本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。


加速する時間

2013-09-16 09:39:53 | 地球の一大変容

今ちょうど台風18号が関東地域を通過中だ。

 

何十年も生きていれば、台風のその何かも変化していると感じている、

 

台風に限らず、いまの地球の気象状況は何が大きく変わっている。

 

何が変わっているのかと言えば、その規模というより荒々しさである。

 

それは暴力的というような短絡的なものではなく、どこかエネルギーとその変化率が明らかに増しているということだ。

 

特に今年になっての大気の現象の特徴は、局部的な集中豪雨や急に成長する大気の渦巻き、竜巻現象等である。

 

・・・

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今年に入ってから、空の一角に黒い雲が出ているなあ・・・と思っていたら、十分も経たない間にスコールのような雨が急激に大量に降ってくるようになっている。

 

多くの人も多分体験しているか報道などで知っているかもしれない。

 

何も変わっていないという常識観念で眠っている人以外、知覚力や直観力のある人は気付いていることだろう。

 

なにかが今までとは違う!・・と。

 

 

これら地球の今までにない地殻や大気の様相変化は、偶然の一過性のものではない。

 

明らかに地球が変化、あるいは別の安定点へと遷移しているのである。

 

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 (天使雲と呼ばれている珍しい雲)

 

 

地球を構成する五大要素・・地(ち)、火(ひ)、水(すい)、風(ふう)、空(くう)の要素の様子にそのすべてに明らかな変化があるということに気付くべきであろう。

 

その変化は、簡単に言えば「エネルギー」が増している、あるいは「時間的に集中」しているというところに現れている。

 

大気中の空気分子のエネルギーが増大しているからこそ、世界であるいは日本でも頻発している「短時間的」で「大規模」の異常気象が起きているということだ。

 

噂されるケムトレイルやら集中電磁波での気象改変実験やら、おバカで紛らわしいことが行われているということもあるのだが、そういう人工的、人為的な行為自体も、

 

今進行中の地球の時空の大いなる変化に必然的に含まれているということであり、

環境汚染や自然破壊で荒廃が進むことに対する地球生態系という生命系の自動制御のような揺り戻し、フィードバックであると同時に、

 

さらに今地球という舞台の一大転換期の影響をもろに受けているのである。

 

何らかの潜在エネルギーの増大が顕在化して来ていると同時に、

 

その変化率・・時間・・が短縮されてきているという事でもある。

・・・・

直観的な理解では、物の変化量は・・・dX/dt と表せる。(X:物量、t:時間)

 

変化量が大きいということは、X(物量)が大きいという事の他に、逆にt(時間量)が少ないという意味でもあるはずだ。

 

一般には単位時間における量の変化率が大きい・・・ということだが、<単位時間>というのが言わば1つの先入観である。

 

これは、時間が均等に進んでいるという思い込み、誤解観念から来ているのだ。

 

世界標準の原子時計、太陽や月の運行、地球の自転の規則性は、人類の共通の物差しにしかすぎず、それ自体が一定の時間を生んでいるわけではない・・・ということなのだ。

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「時間」などは直接目に見えるものではなく、現象の変化率でしか規定されないものである。

・・・・

またエネルギーの増大はその現象内の時間の短縮を伴う・・ということは古典となった感のある相対性理論でも数学的に説明されているのである。

 

これは一定の物理量が従来と同じであっても、その現象内の<時間の短縮>によって、エネルギーが増大すると観測されるという事でもある。

 

時間も絶対のものではなく、相対的なものなのである。

 

・・・ 

要するに変化の大きい、規模の大きい気象異変や地殻変動なども、

 

地球上の時空内における・・・今は局部発生的な・・・『時間』の短縮が原因であるとも言えるのである。

 

そう・・・「時間」が短縮されているとも言えるのである。

 

タイム・ウエーブ・ゼロ理論というのがあるが、どんどん時間が短縮されて行き、一定の進捗のすえに、しまいにはゼロになるという、エキセントリックな理論であるが、

 

2012年の世界の破滅・・・等というイメージで象徴されてしまい、それが過ぎ去った理論として忘れられた感があるが、

 

これは前世紀末ころから今までに生起しているところの、エネルギーの増大、逆に時間の指数関数的加速、時間の短縮の事を言っているわけだ。

 

今起きている変化の加速、これは時間と量の2次元グラフで描くと、時間に沿って急激に指数関数的な増大で示されるのである。

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・・・

そう・・・・昨年、今年と、異常気象が増大してるというのは、

 

大気が荒々しくなっている・・というよりも、

 

真実は「時間」の短縮現象にあると言えるだろう。

 

その時間の短縮については、先の物理的な現象の変化の速さでも理解可能であるということだし、いま世界では・・・現実に起きている事なのである。

 

あー世界は異常気象で大変だ大変だ・・・ということではなく、時空の様相が確実に変化していることに気付かなければなるまい。

 

あなたは、気がついているだろうか。

・・・

また時間とは、実際の物理的な量の変化だけを言うのでなく、「心理的な面」もあることを知っているはずである。

 

例えば何かに集中していると、腕時計は一律4時間も経っているのに、もうあっという間に過ぎてしまうこともあるはずである。

 

例えば、小学校のころの楽しい遠足での1日は実に短く感じられた記憶があるし、今でも2連休であろうと4連休であろうと、それこそ「あっ」という間に過ぎてしまうのである。

 

違うだろうか。

 

大体の場合、楽しいことは早く過ぎ去るが、気が進まない場合は、なかなか時間が過ぎないものである。

 

こう見てくると、時間には「心理的要素」も含まれているという事も言えるのだ。

 

心理的要素、すなわち想い、人間の意識的な作用自体はどこか質的なものであり、直接数学的な量で表せないために、すぐにピンと来ないのだが、

 

実際のところ、 時間というものの本質は「意識的」なものであるという事、これは実体験でこそわかることなのだ。

 

意識→意図・想念→エネルギー→現象 

 

いわばこの創造表現サイクルが短縮しているとも、意識の働きがすぐに現象化に移行するという事も言えるわけだ。

 

ある意味でこれは人間の周囲の出来事に関して言えば、・・・・

 

想いが実現しやすくなっているという事である。

  

この時、人はいったいどういう想いと行為を採用するべきなのだろうか。

 

 

嗚呼、・・・それはもうわかっていることであろう。

 

   

Thcabla8br

 

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