気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の話(8)マインド・リセット

2017-06-28 04:25:23 | 真我実現シリーズ
意識というと、すぐに人間の「意識」を思い浮かべるかもしれない。
そしてそれは、意識のごく一部、人間の顕在意識だけを言っている場合が多い。

潜在意識、さらに超意識という広大なそれに関しては、
単に概念でしか知っていないかもしれない。

あなたはどうだろうか?

したがって宇宙すべてが「意識」の表れであるとした場合、
わかったようでわからない状態にあるかもしれない。

動物に意識あり、植物に意識あり、鉱物に意識あり、とすれば、
『えー、そんなのあるの?』と感じるのは、
「意識」が”人間の意識”だけのイメージだからだ。

そうではないか?

動物までは、・・まあ、ある程度意識がある・・のはわかる。
人間の姿態に近いからだ。
あなたが犬や猫を飼っていればよくわかるだろう。
確かに意識があり、意図や好き嫌いもある(笑)。

でも、植物、鉱物・・つまり、存在形、物質形もふくめすべてに意識がある・・、
そう言うと、「なんだかな~」が・・正直なところだろう。

そうではないか?

なぜならば「意識」が”人間の意識”だけのイメージだからだ。
・・・

この世でいう「意識」あるいは人間的なマインドの働きは、
つまりそれは「狭義の」意識である。

普段、「意識」というのは、意識の表層のごく一部なのだ。
しかしながら、
海の表面の波は、海全体がなければ起きえないようなもの。
表層のごく一部ではあるが、確実に全てとつながっている。



これは顕在意識と潜在(超)意識に相当する。

だから、普通の人の「意識」も、つまり狭義と言えども、
・・・無限の意識・・全体があるから生じている。
さらに、意識は物量、サイズなどでで分割されるものではないために、
部分の中に・・全体が含まれているのである。

ここは重要な気づきである!

部分の中に全体が含まれるはずがない・・!
そう考えるのは、悲しいかな唯物、物量、計算的思考の性(さが)なのだ。

何m?、何万円?、・・何kg?・・生活費どうする?(笑)
そんな世界で生まれて、先祖代々繰り返されては、
どんな利益がある?
効果のほどはいかがなものか?
結果が得られるの?

いつの間にかそういう思考・マインドに完全にはまるのも無理はない。

周りにいる人々がみな同じことを信じ込んでいれば尚更だ。
またそれを逸脱しようものなら、場合によって攻撃もされるような、
そんなカテゴリー世界にいたならば、

 部分の中に、全体が含まれる!・・・、
 有限と見える人間は、神的無限の存在だ!・・・
 石も、岩も、植物も、動物も・・・
 全体というひとつの・・根源の表現型である!
 わたしは神である。
 すべては・・つまり、ひとつである!

そういう「見解」にたどり着くことは難しい・・ということだった。

しかしながら、それは今までのこと。


神・意識は、すべての根源であり、
そこからマインド・こころが生じ、
その波動すべてが創られている・・
わたしたちは・・本来、根源
それなのである。


とはいえ、人々は、
「そうはいってもね~」、「この体がね~」
「現実は理想と違うからね~」等という、繰り返される「思考」によって、
繰り返し、繰り返し引き戻されてきた。

そうであるがゆえに、
その思考、想念によって、

特殊で、狭く、苦痛と快楽の味の濃い時間・空間、
お互いを傷つけあい、殺しあう特異な経験場、
輪廻転生しなければ、体がいくつあっても持たない世界、
強烈な不協和音に色づけされた感情波のあふれる世界、
まるで、幼年期のままの、
小さなカテゴリーの世界に幽閉されていたのだと・・・、

今はもう、気づけるはずである。

アセンションなどと言われる概念、
気づけぬ人にとっては、何が何だかであり、
また、
ある人々にとっては、既にそれがぼんやりながら見えており、
まさに”過ぎたるは及ばざるがごとし”であろう。


マインドによって、思考によって創られた
古臭く飽和した今までの地球幻想物語は、
どうすれば消し去ることができるだろうか?

期待され、噂される・・・
世界の大改革か?
諸悪人の懲罰か?
経済の崩壊と再生か?

いいや、違う、

それは全く同じ物語の再生でしかないのだ。

外の世界の改革、崩壊と再生の話ではない。

それぞれの<わたしの・・マインド>のリセットと再生である。
他人の・・マインドではない。
自分でしかできない・・ことである。

それは昔から「悟り」とか「解脱」と言われている。

マインドの荒波を鎮め、
より純粋意識に戻しつつ、
入れ替えに、
心底・・楽しいと感じるイメージで置き換えること

今まで繰り返された不都合な思考、マインドは、
なべ底の焦げのようにこびりついており、
それを洗い流すには、それなりの時がかかるものである。
ああ朋よ、そうではないか?

今はもう、時間がないというときに、
時間がかかる・・そんな時・・である。(笑)

・・・

解脱とは、中阿含経(初期の仏典)では、
あらゆる事象に執着せず、自らを解脱したと自覚せしめ、
自らこの世に生存している身でありながら、
世間における苦痛や生存に伴う、
老、病、死、そこから起こる憂い・悲しみ・喜怒哀楽から離れるとともに、
やすらぎのある世界(涅槃)を感得すること・・などと記されている。

どうすれば・いいのか?

まったく、どうもこうもない、他人に頼んでもだめだ。


自らの投影世界が、マインドで創られているならば、

マインドを鎮めることしかない。

霊的な気づきを得たとしても、あれこれと知識を集めることが続き、

そのマインドがいまだ静まっていないならば、気づくべきであろう。


どんな中にあっても・・静かに・・在ること、で、

ひずんだマインドをリセットしつつ、

いきおい、本来の純粋意識からあふれだしてくるもので、

マインドの展開模様が変わるさまを、そう、

驚愕とともに自らで・・・自らの変わるさまを、

自らで・・観ることができるだろう。


シナリヲ・マインドを変えること、

それ以外に、スクリーンの物語を変えることはできない。

映し出された世界、スクリーンの映像をかきむしっても無駄だ。


そうではないか?





意識の話(7)人はすでにそれを知る

2017-06-25 06:58:18 | 真我実現シリーズ

「意識」を文字として分解することにも、知的な理解において深い意味がある。

中国古代の文化や日本の文明では、直観的ながら、
意識、世界への深い理解があったことがわかるだろう。

文化文明は、時間の経過とともに失われ、
今はすでに爛熟腐敗した便利な物質文明に成り下がっていることを、
窺い知ることもできるだろう。


意識・・・という日本語漢字を分解すると
」・・とは、立、日、心・・である。

・・・は自立、意図、発意・・起こすという意味がある。
・・・は太陽、放射、生命の元・源・・などという意味があろう。
・・・はこころ、思考、マインドである。
このようなイメージの複合されたものが意識の・・意といえよう。

また、意識の「」はどうだろうか。

・・・は言葉、話すこと、思い、それらを表現することだ。
・・・は、音、空気振動、「波動」のことである。
そしてそれに「ほこ」がついている。ホコとは武器、道具、力などである。
これらの複合されたものが、意識の「識」であり、仏教的な意味合いでは、
外界を識別、認識するこころの働きとされている。

かように、
「意識」という言葉の中に、すでに、
宇宙及びそれを認識している「意識」がすでに表現されている。

すべての現象の中心には、何があるのかといえば・・、
それを知り、認識し、知覚している・・それ、
なにあろう・・意識というしかないその働き、存在・・・
「わたし」・・が在るではないか。

意識とは何か、
立、日、心・・・それ自らの中心から発するこころ、
言、音、ほこ・・言葉、思いの波動の影響力・・、

素晴らしくシンプルな表現の中に、深遠な真理が表されている。

意識は、すべての根源であり、
そこからマインド・こころが生じ、
その波動ですべてが創られている・・
わたしたちは・・本来、根源、それなのである


宇宙や世界の規模や大きさに惑わされてはいけない、
それは時空という、意識の展開スクリーンに描かれた、
次元的幻影画像に過ぎない。
ましてや、
世界の様々な愚か者達の流す、
したり顔のニュースや情報にまったく・・意味はない。


すべての現象の背後には、何があるのかといえば・・、
それを知り、認識し、知覚している・・それ、
なにあろう・・意識というしかないその働き、存在・・・
「わたし」・・が在る。


意識という言葉の中に、すでに「意識」がある。
物質ばかり追い回している限り、
決して理解はできない。

I am THAT・・MATERIAL(物質)・・であるから、
そうやって”意識的に”、自己完結しているからである。

・・・
嗚呼、なんということだろうか、
古代人はすでに知っていたのである。

・・
今まで、時代は下りに下り、
いわば次元降下してきたのだ。

人々は今、
それら荒く乱雑な波動でできた世界、
無制限に繁茂、爛熟して、
とうとう明らかに崩壊中の世界、
際立った無知と無明、つまり闇の中にいる。

しかし、決して恐れても、騒いでもいけない。

なぜならば、

それを意識している者、
様々な変化変遷を観ているもの・・・、
大いなる変化を、それとして、識(し)る者は、

常に変化することを旨とする時間や空間、
それに思考や感情で巻き込まれる必要はないということだ。

魂・意識・・・と呼ばれるそれ、それだけは不変・普遍である。

あなたは生成消滅する「肉体自我」なのか?
あるいは、
それを経験している普遍的・・「魂・意識」なのか、

物質文明の特質である有限の時間の残余が、
圧縮され、少なくなってきた今この時に、

それが問われているのである。

わたしとは何か?







意識の話(6)幻想世界を観ている者

2017-06-19 06:05:47 | 真我実現シリーズ
人々が毎日、毎瞬経験し続けているのは「わたしの意識」である。
毎日の生活とは、人生とはそれである。
外の出来事は、わたしがいなくてどうして知覚できようか?
いいや、できはしない。

あなたが毎朝目覚めるからこそ、世界は同時に立ち上がる。
いつも同じように見えるのは、
基幹となる想念が変わらないからであり、またそれが恩寵でもある。

現実という、繰り返し現れるこの世界の体験は、
螺旋を描くように、繰り返しつつ拡大する、
氷山の一角たる・・わたし意識の成長・広がりを促している。

草木が種から成長し、優雅な花を咲かせるように、
動物が赤ん坊から成長してゆくように、
鉱物が壮大な時間の中で形を変えてゆくように、

人まで進化した魂・意識は、
大いなる意識の高みまで来ていることを自覚せねばならない。

わたし・・という自らへの気付き意識・・があることが、その証拠なのだ。

我あり!・・自己に気づき、自らを創造・観察する主体意識・・、
それが・・わたし・・意識。
わたしと言っても、分離した貴方や私個人等の・・私ではない・・。



周囲の猫や犬、動物たちを観てみよう・・
生きていることを喜ぶさまや、食べることを楽しむさま、
それを地で表現しているだろう。

人間がその歪んだ想念によって、余計な悪さをしない限り、
彼らは、生きていることを、
考えることなく楽しんでいる。

嗚呼、だからこそ人々は癒されているではないか。

とはいえ、彼らには、小さな意識はあるが、
”わたしは在る”と・・自己宣言すること能わない。

だからと言って、
愚かな人間に虐待され、利用され、あるいはその肉体を食われ、
金にするために、面白おかしく遺伝子を組み替えられている。

健気に思えないか?
愛しく思えないか?
申し訳なく感じないか?

そんなこと言っていては、人が生きてゆけないのか?
いや、
そんなこと言うばかりだからこそ、
この今までの世界が、終わりを迎えているのだ。

これ以上は、まさに「過ぎたるは、及ばざるがごとし」である。
また、それすらも気付けぬ人々も多い現状を見よ。


今まで、すべてが物質的組み合わせ、偶然の産物だと、
いつの間にかこの世界で、無意識に仕込まれた。
その観念を捨て去る時が来ている。

この観念を壊し去ること、それが真の意識革命である。

壊れ去ったあと、その後どうなるのか?・・は、
あくまでも頭の観念であり、そうではなく、
自らがどうあるべきか・・内部からの観念の崩壊と創造なのだ。

外側、世界がどうなってしまうのか?・・という不安は、
肉体の安楽や生存だけを最重要視する、物質的観念のままを示し、
自らが久遠永遠の意識たる気付きが足りないと知るべきであろう。

もともとこの世に居なかった者たちが、
つまり、生きること・死ぬことを超えていた者たちが、

この世に及び、いつのまにか、生きる事だけにしがみ付く・・・
生と死、所業無常、変化変遷、
・・一体それがどうしたというのか?

一時の身体にしがみつくこと・・そのものが、
今までの物質偏重の時代の主産物である、肉体自我を示している。


今在る・・こと、今の瞬間・・在ることは、
永遠の今であることを自覚すべし。

頭で考えるのでなく、今在ること・・それを在る・・ことだ。

今とは・・そこから、意識の展開する永遠の舞台を生み出す瞬間。
今在ること・・、失われる本質は・・「どこ」にも無い。

・・・
根源波動である純粋意識が、その波の様相を変え、
想念となって、身体、時空を描き出す。

想念は物語を描き出す、まんま・・のシナリオである。

多くの魂意識が、この世界に・・在るべく・・選択してきたように、
どのような世界を観るのかは、すべては・・わたしの想念によっている。

そうだ、
輪廻転生も、カルマも・・
深く深く、元を辿るならば、全てが・・わたしの想念作なのだ。


すべての物語の、その背後にあるのが、
すべてを貫く空(くう)という、
無限の可能性、遍在意識である。
そこから想念という波動が生まれてくる。


空(くう)は、何もないのではなく、それは、
想念による、さまざまな次元という波動帯域を蔵すところの、
極まった無限の意識の充満である。

フリー、真空のエネルギー等と言われるものは、
その理解の先に、当たり前のようにやってくる代物である。

空(くう)は根源波動で充満、満ち満ちている、
根源のそれは至福以外の何ものでもなかろう。

そうでなくで、どうして創造が出来るのか?
本来の至福、・・深く感じるべきところである。

この世界も、その1つ。

幼い意識を遊ばせ、成長させるためのこの3次元世界、
リアルな幻想世界の素子である原子、クオーク、
それらは大いなる意識によって描かれている。

リアルこの上もない幻想世界、
諸行無常、常に変化変遷しかない、
気づけば、どこにも確たるものがない世界、
ふと振り返れば、遠く過ぎ去った人生を、
いつも懐かしく、苦々しく、愛おしく思える世界、

嗚呼なぜ、そういう世界があるのだろうか?

それは、それを観ているあなたが、
一時の苦痛や快楽を経て、
いつの日にか、それらに、
感動し、成長し、気づけるために展開しているのだ。

何千年も、何万年という月日も、
意識にとっては、絵巻のように眺めるもの。
時空の変遷は・・意識にとっては「物語」なのだ。

まるで映画のように、
空(くう)という無限のスクリーンに投影された意識の綾、
マインド、想念のシナリオ、そのための素材・・
それを振動エネルギー、原子、クオークと呼んでいる。

時空の仕組みの、ちょっとそこまでたどり着き、
その時空を超えてゆくには、
あなたが「自らの作者」であることに気づかなければならない。

今、ここで・・本当のわたしである「真我」「神我」に気づき、
井戸から水をくみ上げるように、
あるいはその水で草花が開花するように、
真我という無限の意識における、わたし(顕在)意識の拡大が起きている。



「我とは、真我、神我、無限の意識なり」
その大いなる気づき、悟りが・・直通ルート・・。

天神様の通り道、古臭い表現だが、天神さまは<あなた>であり、
かつて、有限の時空にその意識を・・自己投入した者・・だ?
思い出せないだろうか?

ここで、思い出すとは・・・誤解なく表現すれば、
記憶に頼るのではなく、
それを”自覚する”ことなのである!

I am THAT I AM
ワレハ ソレ ナリ! の意味を。
気付いただろうか?

あなたの周囲、遠方、見る限りの世界は、
まさに全てを描き出す根源たる純粋意識で満たされており、
様々に観察される諸現象は、
その中に出現しているエネルギー波動である。

それを、それ・・として気づいているものは、誰か?

それぞれが、一なるものの自己投影、

わたし・・以外にないではないか。


・・・
日本の民謡・童謡には、

誰もみな、子宮の細いトンネルを通ってきたこと、
この世界への出現と帰還のありさま、生成死滅、
そして、普遍なる魂・意識の顕現と帰還のサイクル、
まるでそれを示しているかのような、
奥深く広く伝わっている、不思議な歌が残っている。


♪ ♪・・♬
とーりゃんせ、と~りゃんせ~、

こーこはどこの細道じゃ~?

天神さーまの、細道じゃー

ちーっと通してくりゃしゃんせ・・?

御用のないものとおしゃせぬ・・、

行きは良い良い、帰りは難(こわ)い・・

難(こわ)いながらも、

とーりゃんせ、とーりゃんせ ♪



意識の話(5)マトリクスを外す!

2017-06-13 16:40:06 | 真我実現シリーズ
毎朝、あなたの意識が目覚めるにつれて、世界が現れてくる。
そうではないか?
つまり、
わたしの<意識>がなくては、わたしの世界は存在しない。
わたしが見る世界、人々、街並み、銀河、宇宙含め、
わたしの意識が無くては、すべては存在していないということである。

ところが、他人が言うには、
「あんたは眠っていただけだよ」という。
世界は存在しているが、私が眠っているだけだというわけだ。

でもそれは、
他人の世界から見て、あなたのからだが眠っている様を見ていて、
その話をしているだけである。

しかしながら、わたしが・・眠っている間には、
世界があることなど全然感知しないし、
世界が存在していることを認識すらしない。

そう・・・、私の意識が、
文字通り「無意識」下にあるために、私の肉体含め、世界があるなど
知る由もないし、知覚も、気づきも、何かを意識することすらない・・。

世界があるとか無いとかも、まったく全然無に等しいのである。

これは毎日起きていることであるが、
多くの場合、このことをただ素通りしているために、
世界で一番重要なことに気づかない。

あなたは気づいているか?

つまり、わたしの意識がなければ、
宇宙は存在しないということだ。

世界、宇宙、銀河系、超銀河系も含め、
無限の宇宙も存在しない・・ということである。

いやいや、そうではなく、
他者がちゃんと見ているから、世界や宇宙はあるんだよ・・、
と、そう言うかもしれないが、
それを確認するあなたがいなければ、そんなの存在するわけもない。

えっ?と思うかもしれないが、

他者の世界があるかどうか、その確認ができるのも、
あなたしかいないのであれば、
どうして他人の世界がある・・などと言えるのだろうか?
いいや、言えはしない!

世界や宇宙がノコノコやってきて、
「ねえ旦那、わたしゃ存在してますがね~」とは言うまい。

だって、わたしの意識が無いからには、
何をどうもこうもありはしないのである。

つまり、わたしがいなければ・・宇宙は存在しない・・!のである。

変な話だと思うのは誰でもそうだ。(笑)


宇宙があって、地球があって、世界があって、そして私が生まれた・・という、
そういう常識がまかり通っているからだ。

そう思っていただろう。
そして今でもそう思っているだろう?
宇宙があるからこそ、私という人間が存在しているのだと?

それは、・・・
肉体の観察のことを言っているのである。
世界の中に赤ん坊が生まれた、見た、大きくなった、
世界や宇宙があって、子供が生まれてきた。
・・そうだ。

しかしながら、
それは、あなたが見ている・・他の事象、他人の肉体のことであり、
あなたの意識・・のことではないのだ。

つまり、
「わたしは肉体だ」とする固定観念で、
すべての物事が認識されていたということだ。

この世を3次元マトリクス世界というならば、
今までそこでは、
わたしたちの「意識」ではなく、
そう、<内側>からでなく、外側の観点から、
つまり私たちが「現象肉体である」という見地から、
わたしを含む、すべてを観ていたということなのである。

だから、わたしたちは広大な宇宙の中の、
微小なサルの子孫の1人だなどという、
常識観念にハマっていたということなのである。
またそれらの観念も常に、「外から」押し付けられた思想でしかない。



簡単なことだが、実に、ややこしいかもしれない。
まったくその観点が180度違うからだ。
また、
物質が先だ・・とそういう思いが、
意識の中の頑なな想念となっているからこそ、
すぐには驚きもないかもしれない。

物質があって、意識が生まれるという観念、
あるいは、私は肉体個人であるという信念、
わたしを外側から見た物質形とする思想、

それをグレンとひっくり返し、

わたしという意識がなくて、
私の観察する宇宙も何も生まれないという、
・・ありのままの事実・・は、
まさに創造主のひな型なのである。

なぜならば、
宇宙という客体が・・創造<主>を作るわけがないではないか。



宇宙や世界を見ているのは誰か?
誰かほかの人? どこかの偉いさんか?・・・
集団で一緒に仲良く見ている?

あれ、まったく、
わたし以外に存在しないではないか!

それは唯物論でも唯心論でも、唯我論でもなく、
今のわたしの・・・今・・在る・・事実である。

あなたは世界、宇宙に依存している知的肉片ではなく、
世界、宇宙があなた(意識)によって出現している・・ということだ。

信じられないだろうが、それが事実だ。

わたしたちが、・・それぞれ・・唯一の・・意識原点、
創造主の片割れだという意味、
神のひとり子、神の子、根源からの派遣者、
あるいは宇宙の共同創造者という意味がわかるだろうか。

創造は、
苦心惨憺して、その手でこね回して作るものではなく、
意識で認識することで現れるもの。

潜在意識、超意識、真我は無限の叡智そのものであり、
小さな表面意識が心配する必要もない、
ただそれ、あるがまま、無限なのである。

・・・
わたしが眠ると世界も眠る、
わたしが目覚めると、宇宙、世界も起きだす。
その逆ではない。

意識、知覚、気づきがあって・・世界がそこにある。
その逆ではない。







意識の話(4)顕在意識と潜在意識

2017-06-12 05:35:11 | 真我実現シリーズ
日常生活をしている時の意識は、顕在意識、表面意識と呼ばれている。
それは海の表面に起きる「波」のようなもの。
当たり前だが、波が起きるのは大きな海があるからだ。

同じように我々の日常の刹那的な表層意識の下には、
実に膨大な「潜在意識」が存在する。
間違いなく、それは私たちの内面にあるのだ。

例えば、忘れていた過去のことを思い出したり、
ふと想定外のアイデアが沸いて来たり、
普段の、ごく普通でないものが表出することがあるだろう。

我々は、生まれてからのすべての生体験を記憶しているからこそ、
何かのきっかけで、忘れていた過去の事象の記憶が甦る。
また、普通では思いつかないアイデアや発想が起きるのは、
サーバーにアクセスして情報を取得しているのと同じであり、
自らの潜在意識への無意識の・・アクセスによるものである。

それは今世だけの記憶にとどまらず、何世にもわたって蓄積された、
記憶、想念の束からもきている。
自分が肉体だと、あるいはちょっと科学的知見のある人は、
自分が頭脳だと思っている人は、これを理解しないし、
また探求しないものだから、
それ自体の認識まで至らないのである。

潜在意識とは、現在、過去、そして過去生と称される体験記憶の束も含まれ、
さらには、深いところで通じている様々なレベルの意識の層の総称だ。
真のわたしとは・・意識、宇宙意識、そして膨大な潜在意識のことでもある。

わたしは肉体ではなく、「意識」であると識(し)っている人も、
ふつうは、波のように表出している「顕在意識」だけを、
つまり、日常のありきたりの意識だけを<わたし>と感じている。

そういう場合は、霊的知識はあったとしても、
たぶん、夢も見ず、覚えず、自己観察もせず、瞑想もしないかもしれない。
これでは、表層意識から深層の方向を、
ちょいと眺めることができるだけである。

必要なのは、そんな小手先ごとなどでなく、
自らの意識の深層にアクセスし、そこにある様々な想念の歪、
本来でない「こころ」の中の塊を、解くこと、開放することである。

人生でこれ以上に重要なものは他にはない。
今、最重要なことは、
他人が、社会が、時空が、どうのこうのではなく、
わたし・・真我、神我を実現することである。

それは、マインド、こころ、想念の「ひずみ」の除去・・それだ。
何かをこの世で獲得することなどでもなく、
霊的知識をたくさん仕入れることでもない。

I am THAT[I AM.]

[I AM ]のところに、実に様々なひずみを入れている。

I am MATERIAL.(私は・・物質)
I am BODY.(私は・・肉体)
I am UNLUCKY(私は・・不幸) .,etc

自分を、自分が・・設定していることに、
真に気づくことである。

わたしの世界はすべてわたしが原因、原点であり、
良かれあしかれ「想念」によって起きている。

注意すべきは、ちょっと思うことや感じること、
そういう表層の思いではなく、
それらが長い間蓄積されて見えない形となった「想念」、
水面下、深層にある岩のような思いや感情の塊、想念のひずみ、
それ、なのだ。

それが生きること、死ぬこと、今世、来世などの、
わたしの表出先を決めて来たことを、
真に悟ることである。

あなたがこの世で、今生きていることは、
過去とは言わず、かつて、
潜在意識、無限の英知、真我から湧き出したところの、
自我という想念の束によっている。

あなたが、かつてとは言わず、
地球という今に、想念によって意識をフオーカスしたからこそ、
いま・・ここにある・・、そうではないか?




この絵で云う、海が超意識、真我である。
そして、物質形の小さな氷山も、
大海と別物ではなく、
結局は海が局部的に凍っただけのように、

誰もみな、また真我、神、宇宙意識そのものである。

どの程度、気づいているか、
まったく気づいていないか、
たった、それだけなのだ。

しかしながら、
たったそれが、天地を分けることにもなるのは、
真我、神意識、宇宙意識であるが所以である。



・・