気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

悟りの道標(10)こころ・ここにあらず

2016-06-27 05:28:17 | 人間とは何か
人間社会の出来事の全ては、なんで出来ているかと言えば、

それは「こころ」の働きである。

「こころ」がどこに在るのか?・・そういう人がいるだろうが、

ここ、そこ、あそこ、あらゆる造物が・・こころの表現物であることに気付かなければならない。

ビルや道路、家屋や調度品さえも、誰かの「こころ」を顕したものなのだ。

「この品物はお金で買った、結構値段高いんだ・・」等と言うところで終っているだろうが、

あなたが買って、所有しているすべての商品、製品などもすべて、

誰かが考案、設計、イメージしてできたものなのである。

人間社会の中構造物の、100%全て・・・人の「こころ」の生成物なのである。

物質、分子、原子等はどんな形にもなるも材料であって、

それをどんな形や機能にするかというのは、すべて「こころ」によっている。



宇宙は、無限の空(くう)の中に、意識と意図で描き出された多次元絵画のようなもの、

それと全く同じことなのである。

意識と意図、それは人間においては、目に見えない「思考」、

イメージ、感情、意欲等と言う形で現れている。

思考は、私の頭脳が作っている・・と、あなたは「考えて」いるかもしれない。

あなたの目の奥の頭蓋骨の中の脳細胞が、

ピキピキ・・と神経細胞間の電気信号を発生しているからだと、そう「思って」いるのではなかろうか。

この、・・頭脳が「思考」を作っている・・というのも「思考」なのである。

そもそも、「思考」無くして、こういう仕組みを想定することもできないのだ。

ここで、おいおい!という感じがあればしめたもの、でも実際・・そうなのだ。


人に頭脳があり、身体があり、単独の「思考」があるがゆえに、

人は自分が単独別箇の「個人」だとしているのだが、

それも「思考」によっているのだという事に気付けるだろうか?


さらに、常に頭の中に?・・沸き起こる「思考」が、

そこでオリジナルに生成されているという証拠はない。

神経細胞の電気化学的な反応は観測されるが、

それが、その細胞の独自な生成信号と言う証拠はないのである。

あなたがお持ちのスマホやパソコンは、いまほとんどが、

機器の外からダウンロードされるものであることは知っているかもしれない。

昨今進化したコンピュータ、端末システムは、

実際には人間のそういう仕組みの応用なのだと・・気付けるだろうか?

・・・
そう、思考は頭脳・・そこで発生するわけではない。

誤解を招きそうな謂い方だが、頭脳細胞で「思考」を受信しているのだ。

思考は自己の生成ではなく、言わば受信したものなのだ。
・・・
受信するという事は、発信源があるという事になり、

それじゃ、発信源はどこか?となるが、

「思考」の発信源は・・・電波塔、中枢のサーバーではなく、(笑)

宇宙に遍満する意識と意図、ざっくばらんに言えば「神の思考」、

創造主の自己観想波動とも言えよう。

今は誤解の実に多い宗教的な言い方になるが、

あなたの思考は、神の無限の思考の、その一端を受信しているのである。


小さなものから、大きなものまで、闇の底から光の範囲まで、

清潔なものから汚泥に満ちたものまで、

様々な周波数帯域の全てを通して、

あらゆる創造の波動が生み出されているわけで、

そのどれに波長を合わせているかが・・・肝心なのである。

どの思考に波長を合わせるかは、「魂の振動波長」によるもの。

意識が高まれば、それだけ思考や想念が純化、拡大、深化することになる。


悩みという悩みの・・そのすべては「思考」である。

物の過多でも環境の善悪でもない・・・自分のかどうかは別として、

それは単に・・「思考」なのだ!・・という事に気付かなければならい。

・・・

人々の思考は、無限にわたって瞬間に伝搬している神の想念、

その一端を受けて、あたかも自己で造ったものだと「思考」しているのだ。
・・・

頭脳が「思考」を作っている・・というのも「思考」なのである。


人に頭脳があり、身体があり、単独の「思考」があるがゆえに、

人は自分が単独別箇の「個人」だとしているのだが、

それも「思考」によっているのだという事に気付けるだろうか?

その思考は、どこから来ているのかと言えば、

創造の本源・・文字通り・・根元・ソースから来ている。

だから思考の働きを有する人間は「神の子」と言われる。


人は皆、神の子だというのは最も真髄に近い表現であり、

なるほど、子供だから泥遊びも喧嘩もするように、

様々なくだらない思考にもこだわり、その為に何世にも渡ってカルマを繰り返し、

あー、これは違う、あれも違うと・・・真に「魂で体得」するまで、

様々な世界で遊ぶことが出来るのである。

そうやって、多次元波動の全てを含む、

本質たる「魂」・神の子が大人(神)になるプロセスを歩いている。

・・・
人に頭脳があり、身体があり、単独の「思考」があるがゆえに、

人は自分が単独別箇の「個人」だとしているのだが、

それも「思考」によっているのだという事に気付けるだろうか?


人間が勝手に単独に、頭脳で思考を作っているわけではない。

あなたのこころは、ここに在らず、物質肉体内部に在らず、

それは、あらゆる全てのすべての・・神の思考の・・ほんの一部なのである。

思考自体を、それを観察対象としなければ、これを真に体得することはないだろう。

それまでは、世間・世界に網を張っていいるマトリクスにハマってしまい、

自分を単独別箇の個人という「思考」から抜け出し難いかもしれない。


どこでも、誰でも、いつでも可能な事、・・実に地味な在り方なのだが、

自分の「思考」を、自分以外のそれとして観ることだ。







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悟りの道標(9) 空(くう)の実感

2016-06-20 05:44:43 | 人間とは何か
空(くう)というものを真に理解すれば、時間・空間というものも幻想だとわかる。

宇宙という広大無辺の時間空間、その無限のその先は見ることが出来ない。

その広大無辺な宇宙の中に、星があり、銀河があり、さらに超銀河があり、さらに超銀河団がある。

実に膨大な量の物質・エネルギーの存在と変化が行われている。

気が遠くなるような大きな、大きな宇宙であるが、

しかしながら、そのほとんどは「空(くう)」である。

我々の身体が、原子で構成されていて、その原子の空間密度は99.99・・99%真空なのであるように、

如何に大きな星であろうが、星の集まりであろうが、星間プラズマやダークマターで満ちていようが、

その間のほとんど全ては・・・空(くう)なのである。



・・・
そしてその空(くう)は、どこでも単に空(くう)であり、場所や時間といった時空要素を超えているのである。

空(くう)は空(くう)で在るとしか言えない、空(くう)。

そう、空(くう)は全ての存在の母体なのである。

存在を存在として在らしめるための、非存在とでも言おうか、

非存在であるがゆえに、全ての存在を、その中に在らしめることが出来る、それ。

どんな性質もなく、どんな属性もなく、どんな時間・空間でもない、それ、


『すべてはひとつ』とは、それである。


誰が、何を考えようが、何を創りだそうが、空(くう)によって、

今現に、・・・あらゆるものが・・ひとつである・・ことがわかるのだ。


そして、あなたもわたしも、また空(くう)であり、

地球も月も、火星も、太陽系も、銀河も、銀河団も、また空(くう)であり、

微小なエネルギーが渦巻き、回転、連動、反発、共振しつつ、

多重の振動帯域で造られる、見える宇宙も見えない宇宙をも創りだしている。

・・・
その壮大な多次元宇宙であっても、

またたった一つの花であっても、

小さな動物であっても、小石であっても、

あなたやわたし達であっても、

99.999・・99が、空(くう)であることに変わりはない。

『すべてはひとつ』とは、それである。


誰が、何を考えようが、何を創りだそうが、空(くう)によって、

今現に、・・・あらゆるものが・・ひとつである・・ことがわかる。

釈迦の言葉と言われる、「山川草木、国土悉皆成仏」

全てはそれ、神、仏、意識、無条件の愛、慈悲、命、わたし・・・


現に実際、あなたも99.99・・・99%の空(くう)と、

そこに生じつつ変化する意識と意図、それ以外の何ものでもない。

意識と意図、想いやこころも全てはひとつの中に生じるもの、

個別や別個ではあり得ない。

わたしの想い、神の想い、あなたの想い、・・それらも別箇、単独ではなく、

全てはひとつの中の・・無数の色彩のようなもの。

毎日、毎瞬、人にある体感、知覚、思考、感情もその顕れである。


それぞれの私個人は別箇のように見えているが、

たったひとつの、無限の空(くう)の中の、意識と意図のその表現型なのである。

もとはひとつ、・・。


空(くう)は消滅も生成もしないがゆえに、

永遠不滅であり、完全であり、充足の極みであり、無限の愛である。

その中の1小部分と言えども、

そこにすべてが含まれてあるという意味は明確だろうか。


人は皆、本来、それである。

あなたもまた、それに気づけるまでに進化してきた雄々しき魂である。




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悟りの道標(8) 在るのは、ただ「今」・・だけ

2016-06-17 07:51:01 | 人間とは何か
人が長く人生を経てきたとしても、常にあるのは「今」である。

あなたに膨大な過去があったとしても、それは今の連続のその「記憶」なのだ。

そう、記憶も常に「今」・・・思い巡らせるものである。


つまり、過去など・・どこにも・・無いということだ。

あったのは、いやあるのは・・常に「今」という瞬間であり、

過去というのは、単に「今」ある・・「記憶」なのである。

誰にも常に「今」しかなく、過去というものは全く存在していない。


「えー?馬鹿言うな!・・、私には絶対に過去はあった!」

というが、過去とはつまり今思い出す「記憶」のことなのだ。

過去というのは「概念」なのであって、

それは単なる今ある「記憶」のことなのである。


人には常に今しかなく、その変化の過程を「常に今」観察しているのが、

つまり人生だと言えよう。

若かろうが歳をとろうが、常に「今」しかないのである。

現に、今・・そうではないか?


常に今しか存在していない

過去があり、また未来があるのだから、希望を持って生きなくちゃ・・、

だから頑張れ、頑張れ・・とはよく言うし、それは正しい心の持ち方だと、

誰しも思うものだが、気付くべきところは、

今までの過去は良くなかったが、でも未来があるから明るい希望を持てる・・という、

一見、非常に尤もらしい考えは、

どこかに・・今のこの瞬間を見逃し続け、

常に未来にだけ希望を託すことになるかもしれないということだ。

「今」を逃し続け、「今」をどこか忌避し、「今」を嫌っているのかもしれない。

あなたはどうだろうか?

今のあなたを、あなたは受け入れられるだろうか?

どうして「今」のありのままが・・ダメだと思うのだ?

それは、

世間の価値観念、常識等で照らして見て、自分は全然ダメだと判断し、

「そう、今は全然ダメなだが、将来はきっと良くなる」と、

夢ある「未来」に希望を託しているのだろうか?

今は無いけれど、将来きっとある・・未来への希望・・何か良きこと。

それに夢を託して、いま我慢するのが・・それが真面目で賢い人生だと思うだろうか。


「え?なんだって~?明るい未来への希望の、どこが間違いなのか?」と怒るかも知れない。

いや、そういうことではなく、

人にあるのは、「今」しかないということがわかっているならば、

この常識的な・・・「未来への希望」という考えが、、

なんだか<全く>見当違いな観念であることが悟れるのである。


「今」しかないのに、「未来」という観念に意識を投げてしまっている・・

まるで未来とは、馬の前にぶら下がっているニンジンのようなもの。

意味も解らず、常に前向きに走り続ける、

だから常に、「今」を無意識にすらすらと取り逃がし、

「今」この瞬間「在る」ことの、奇跡的な有様を逃し続ける。

そういうことかもしれない。


気付くべきは、

世間や社会のお仕着せの尺度が、いつの間にか頭を支配しているかもしれず、

常に、そういう実体のない、その他大勢の観念の方を採用しつつ、

わたしという「今ある・・自分」を見失っているのかもしれない。

外から来た観念のまま、<自分以外の人生を>自分は送ってきたのかもしれないということだ。


わたしは・・常に、今・・わたしであり続け、

わたしの世界、見る聞く感じる、思う・・この世界は、

わたしがあるからこそ・・・存在しているのである。


あなたが眠っている時には、世界は存在していない。

目覚めて再び気付くからこそ、そこに存続しているわけだ。

わたしがいなければ、世界は無い、

そう、世界には<わたし>しかいないのだ。

そういう唯一(ただひとつ)のわたしが、不可思議にも<大勢>集まって、

ここという、共同世界を創り上げているのである。


世界があって、そして、私たちがいるのではない。

それは、全く逆であることに気付けるだろうか。


世界を知覚認識しているのは、誰か?

今・・在ることに、気づいているのは誰か?

神か?


そう、今の・・<わたし>だけである。





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悟りの道標(7)アルファとオメガ

2016-06-12 06:42:56 | 人間とは何か
目に見える地上や宇宙のあらゆる全てのものが「原子」で造られているというのは、否定しがたい科学的認識である。

あなたの身体も、細胞、分子、原子、素粒子、クオークで造られていることは誰でも知っている。

細胞の数は50兆前後、分子、原子を数えたら、その途方もない数に意味を失い、

回転・振動運動する、神出鬼没な微細なエネルギー、クオークの数など数えても意味がないほど膨大になる。

肉体を造っているエネルギーも、宇宙の星の数と同じように、まさしく無限に展開しているのだ。

身長1.7m等という有限の容(かたち)の中に、数量など意味をなさない程の無限とも思える数の微細なエネルギーが存在している。

いや、身体そのものは、クオーク等と呼ばれる振動・運動エネルギーの集合体と言って良い。

単なる肉体、体重何kg、身長何cmのそれという認識は、めちゃくちゃ皮相に過ぎるのである。

あなたの目に見える身体は・・振動エネルギー集合体・・なのだ。
・・・
また原子核構造から言って、原子核(陽子・中性子)と電子の間は、その体積比率で言えば相当数に離れており、その間は全くの空(間)で占められている。

概略だが、仮に原子核の大きさが1立法mであれば、更に微小な電子はどこに有るかと言えば、

すぐそばなどではなく、なんと100km先で回っていることになる。

原子核が1立法m、電子の位置が100km先、それが1つの原子構造になるわけで、

その原子の中の、陽子、中性子、電子の占有率は、(100km先)×3乗になる。

つまり、原子核、電子というエネルギーの言わば塊としての占有率は、

10の15乗分の1という途方もないスカスカ空間となるのだ。

だから、身体の物的比率は、0.0000・・(15個並ぶ)・・0001でしかないことになる。

あなたの身体も、ほとんど空っぽなのである。
・・・

だから、「私とは何か?」という問いの1つの解答は、

<わたしは空(くう)だ>と言えるわけだ。


いや正確に言えば、わたしは空(くう)であり、

またそこに存在する微細で複合的なエネルギー集合体である。

また、その複合的なエネルギー体は、多次元構造波動体と言えよう。

肉体があるという事は、波動として更に無限小、あるいは位相の異なる、

様々な波動を含んでいることでを示すわけで、

それはエネルギーの多次元周波数域を蔵していることを示している。

したがって、人間は自分が肉体だ、肉体だというが、

それらを含む多次元振動体・・いわゆる「霊体」であることを意味しているのである。

人は皆・・・魂、霊だというのはそれである。

エネルギーは保存される、エネルギーは不滅だというも科学的認識であり、

人間を構成している、あなたという意識体も、その表層は様々に異なることになるが

「多次元的本質」は、全く保存され、滅することはない。

波動は全体に行き渡るまで、消滅することはない。

そういうことだ。




あなたは、肉体だ、男だ、女だ、年齢は何歳だ、経歴は何々だ・・という自己説明は、

まったくもって、枝葉も枝葉の説明でしかないのである。


本質的なところは、あなたは空(くう)であり、

またそこに在る微細なエネルギー体であるということになる。

これはまるで、宇宙の全てがホログラムだという話にもなるだろう。わーお!


我々の等身大の世界では、様々な物が固い物質で出来ており、あれが重い、これが固い、等と言っているわけだが、

それはエネルギーの同調・反発によっているわけで、宇宙自体がスカスカのホログラム的なものであることに変わりはない。


微細であっても、エネルギー微粒子なるものが激しく回転・振動しているならば、

他を弾き飛ばしてしまうことになるのは、

扇風機に手を突っ込んでけがをしたり、

回転するベーゴマ同士がぶつかり合って激しく反発するのと同じことなのである。


物質の固さは、クオーク、原子、分子のエネルギー振動によって起きているように見えるだけで、

実際の物質自体は、局在化したエネルギー運動体であり、またなんとそれは99,9999・・9%が空(くう)なのだということだ。

そうして、その空(くう)にわずかに在るところの、

運動エネルギー体が、意識と意図なのだ。


意識と意図?・・・それが「初めに言葉ありき・・」であり、

いわゆる神、根源、元のもと、始めと終わり、アルファとオメガ、

その原初に発せられた言葉・波動・・である。

それは存在であり、エネルギーであり、情報であり、

また意識と意図とも言えるのだ。


創造のはじめ、それは、いつ発せられたのだろうか?

何千億年前か?

・・
今だ!・・・常に今しかない!

発せられたのではなく、発している・・のである。

創造のスタートは・・今・・であり終わりも・・今・・!

アルファとオメガは今ここ・・に在る!

現象世界、幻想世界、様々な物が変化するのは、

今、ここに始めと終わりが・・・「在る」・・からである。

あなたは今、生きている・・経験していることは、

あなたは・・・即ち、創造のアルファでありオメガであるということだ。

あなたが、今、在る・・・ことから全てが映しだされている。




悟りの道標(6)われ空なり、空われなり

2016-06-03 06:52:52 | 人間とは何か
わたしとは何か?

その問いかけをしているのは、<誰>だろうか。

その<誰か>・・こそが、求めたい答えであるが、

実はこの答えを真摯に求めてゆくと、

わたしは肉体だ、いや思考だ、いや霊だ・・・高次元生命体だ、

またそれ以上だという風に認識が広がってゆく。

これは「意識の拡大」と言って良いものだ。

そうしてそれが無限大に極まると、反転し、1点に縮小することになる。


無限小の1点・・それは空(くう)であり、それはまた無限大の空(くう)だ。

あらゆる全て、・・それが空(くう)


3次元的観念では意味不明であり、思考では思い描くことが出来ず、

言葉(言霊)を通じて、その波動を直観で感じる以外にない。


色即是空、

空即是色、


3次元的観念では意味不明であり、思考では思い描くことが出来ず、

言葉(言霊)を通じて、その波動を直観で受ける以外にない。

ところで、実際に我々の身体は原子で作られているわけで、

その原子の構造と来たら、ほとんどが空間で、陽子や中性子、さらに電子などは、

ほとんど微細な運動エネルギー小片でしかなく、

つまり肉体そのものも、99.99・・9%は空(くう)なのである。

科学的な解釈から言っても、我々の身体はそのほとんど・・ほとんどが空(くう)なのである。


エネルギーや物質形態がある場合には、その物体の相対的な<間>が観測されるために、

それを<空間>といっているが、その間・・元は全て<空(くう)>なのだ。


始めに言霊(ことば)ありき。

充満せる空(くう)の中に、意識と意図の、微小な揺らぎが生じ、

渦を巻き、エネルギー、波動として多次元的森羅万象が映しだされる。



それらは大いなる「意識」と「意図」でおりなされる「宇宙」を創り上げている。

オー、マイ、ゴッド!

・・・

元に有るのは・・空(くう)、時間も空間も、次元もない空(くう)、

だからこそ、それは「無限」なのだ。

我々は、いや何もかも、全て空(くう)より生じ、空に帰す、

空(くう)に帰し、空(くう)より生ずる・・無限・・そのもの。




空(くう)には大きさもなく、時間もなく、エネルギーもなく、

また空(くう)であればこそ、エネルギーが生じ、空間、時間が生じるのである。


当然言葉説明でしかないが、

「わたしは何か?」と問いかけているのは、

そして、わたしは何だろう?・・えー、そういえば何だろうか?

なんでだろう~、なんでだろう~♪(笑)

と問いかけているのは、実際・・・空(くう)自体である。

つまり無限そのものが、わたしはあれだ、これだ、いやそれだと、

無限そのものを問いかけ、それを経験しているわけだ。

それが宇宙だ。

それが、あなたであり、

そして、わたしである。


・・・

身体は・わたしではない、

身体は空(くう)に浮かぶ、意識と意図というエネルギーでしかない。

思考も・わたしではない、

思考は空(くう)に浮かんではきえる雲のようなものだ。


翻って、人類にとって、大騒ぎで刺激的な、喧噪の世界はもう十分に過ぎた、

外側の細かな枝葉で遊ぶ時代は既に過ぎ、

逆に、静かに端坐して、自らの内面を観る時期にある。

ただ、在るがままのわたし・・無限を内蔵する、自らを観る時に至ったのだ。


今は、これからは、そういう時代。

すでに始業ベルは鳴っている。


様々な古い虚妄の観念をきれいに洗い流す時間のみが、

今少し、人類に残されている。

残された時間で清掃が終らなければ、

親愛なる地球の勇断で、それをきれいに洗い流す事になるだろう。