気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

物質は意識の現象

2023-07-14 08:09:20 | 臨死体験

「臨死体験」と言うと、死を強く連想するため、死をすべての終わりだと信じ込んでいる多くの人は、こういうものを”必死で”避けようとするものだ。

世間は、「何?それ、死んだら元も子もないじゃない、まだ若いんだからそんな怖い話しないでよ!」大半はそんな感じの人たちだ。

何が何だかわからず、ただ怖がって目先の現象に追いまくられていることで、結果的に貴重な時間をつぶしているために、いざという時にはほとんど役に立たないという事にもなるけれど、

でも、あなたはそうではないはずだ、なぜなら、

これらの記事を読んでいる人たちは、恐怖よりも好奇心が強く、真実を追求する想いが勝っている人たちであり、恐怖に支配されたこの次元を、すでに”意識的に”超えている人であると言える。

特に何かのファンファーレやご褒美があるわけではないが、少なくともこの迷妄の地球次元を超えていると言える。怖くて逃げているばかりでは、この世界のバリヤーを超えることは出来ないのだ。この地球はそういう次元設定の世界だったのである。

死という現象をより深く認識する存在・魂は、生という現象もよりよく生きることが出来るのである。

いわゆる次なる5次元や、次なる意識のステージ「第四の密度」では、「自己は肉体にあらず」という気付きや事実が行き渡り、死は大いなる生命の1つの現象として受け入れられているはずである。

 

・・・

「臨死体験 9つの証拠」(ブックマン社)は、今の時代何をさておいても、出来れば多くの人が読んでみるべき書物である。様々なデータを客観的に評価し、科学的手法でまとめられた極めて秀逸な研究成果でもある。

それをマジに読んでみることで、より大いなる気付きや目覚めに導かれるだろう。今までの地球という、無意識に貶められた、無限ループのような記憶喪失の世界から、ようやく次元上昇するきっかけになるだろう。

なぜならば、あなたの意識に中に・・真実の波動・情報が振動入力されるからだ。

あなたである魂が、かつて意識的に参入し、記憶喪失のまま輪廻し続けた、何でもありのこの3次元世界は、

どうにもこうにも3次元レベルで飽和してしまい、とうとうそれを壊してしまう前に、魂たちが目覚めるべき時が来ている・・

そういう絶対的危機と、その裏腹の恩寵の時代が来ているともいえよう。

それをアセンションの時代とも言う。

 

そしてその・・今の・・時代は極めて短い。

大いなる天からの様々な知るしに、何も気づかず・・何も知らずの人たちは、やがてこの稀有な時代も通り過ぎるだろう。そしてまた数千年以上の旧次元サイクルに参入するのだろうか。

そしてそれは最初から無かった・・ということになる。

最初から無かった、知らされなかった、発見されなかった・・自分の事すら忘れてしまう、そんな無知・嘘だらけの障害物競走のような世界が今までの・・この地球という3次元世界だったのだ。

願わくば・・おのれ自身の真実を、今・・意識に浮上させよ!

あなたは・・誰?・・

あなたは・・何か?・・・

わたしとは・・何?・・・

生きる事、死ぬこととは??

 

「臨死体験 9つの証拠」150頁

サー・ジョン・エックルスはノーベル賞を受賞した神経科学者で、意識について研究し、意識は脳とは別個に存在する可能性が現実にあると主張した。彼はかつてこう述べている。

物質とは魂に始まる

「すべての精神活動を、神経細胞の働きだけで説明しようとする究極の唯物論的主張は、人間の謎を科学の名のもとに究極に単純化し、途方もなく貶(おとし)める。こんな考えは迷信だと言われるに違いないが・・・私たちは肉体と脳からなる物質的存在として物質世界に存在すると同時に、魂を持った霊的存在として霊的世界にも存在していると認識すべきだ。」

・・・

 

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ダイアンの場合

2023-07-10 07:13:21 | 臨死体験

臨死体験者の報告を、はなからいい加減に扱うのではなく、まともに探求、分析することで、自分とは何か・・この世とかあの世とか、多次元とかの一端を理解することになるだろう。

このような意識的な努力は、ゆうに数千年分の価値があるものだ。

・・・

1971年の夏、ダイアンは夫とノースジョージアにいた。チャットフーチ川でラフティング(川下り)をしていたのだ。ゴムボートにはダイアンの他に八人が乗っていたが、転覆して彼女は急流に投げ出され、渦巻く水流に飲み込まれた。圧倒的な川の流れにとらわれ、息が続かなくなり、意識を失った。そして次のような驚くべき体験をした。

「臨死体験 9つの証拠」114頁

「気がつくと、私は川の30メートルほど上空に浮かんでいて、岩の間に引っかかったゴムボートを見下ろしていた。私が水中から上がってこないか、ボートから男性が二人目を凝らしていた。同乗していた女性がひとり、下流で岩にしがみついているのが見えた。いろんなものが川を流れてきたのだろう。別のボートが先にラフティング(川下り)を終えていた夫とティーンエイジャーの妹が様子を見に走ってきた。

・・

夫が流れの中の岩に登るのが見えた。流れの音がうるさくて、転覆したボートに残る二人の男性が何を叫んでいるのか聞こえないようだった。しかし何が起こったのか見当がつかなくても、私が行方不明だとわかったようだった。飛び込んで私を探したそうにしているのが見え、気が付くとわたしは彼の隣に移動していた。彼は泳ぎがあまり上手ではないし、飛び込んでも意味はないと止めたかったのだ。しかし伸ばした手が彼をすり抜けたのを見て、ああ、私は死んでしまったのだと考えた

・・・・

至高の光の存在が、とどまるか行くか選びなさいと言った。ただし私には現生にやり残したことがあり、まだ行くべきではないとも付け加えた。それでも迷っていると、(至高の存在は)あなたが戻る場合には、ある知識を託すからそれを他者に分け与えなさいとも付け加えた。
議論を尽くした末、戻ることに同意すると、突然私は円錐形の高い建物の前に立っていた。終端が見えないほど高くそびえたっていて、知識の殿堂だと教えられた。中に入ると体が浮き上がって、旋回しながらどんどん上に昇っていった。図書館のように本の詰まった棚を次々通り過ぎ、何百万冊もの本をあとにして、一番上まで到達し、さらにそこを突き破って万華鏡のような色の渦の中に出たと思ったら、頭が水面に出ていた。

ボートから10メートルほど下ったところだった。私はすぐに自分がどこにいるのか気づき、近くの岩につかまった。そして体を引き上げて大量の水を吐いた。ショックを受けていたけれど、医学的処置は必要なかった。どれくらい水中にいたのかはわからない。誰も時計を見ていなかった。3,4分かもしれないし、10分だったかもしれない。

私の行った場所に、時間というものはなかった。

(以上抜粋)

・・・・・

遭難して水中に沈んでいる間、彼女は夢を見ていたのだろうか?

懐疑論者、唯物論者はそういうだろう。それらはランダムに起きた脳内イメージ、ある種の夢に過ぎないと。

自分は肉体だと固執して「考えて」いる者たちは、何でもかんでも頭脳の働きであると考える、・・・だってそれ以外何がある??・・ってなものだ。

 

しかしながら、もし夢・として、そうであるならば、臨死体験中に空中に浮いて、どこにでも自在に位置しながら、現実に川の周辺にいる人たちをリアルに観察している当の本人は、いわゆる現実という夢を見ているとも言える。

臨死体験を現実とは違う・・夢・・と解釈するならば、肉体をもって生きて体験しているこの現実生活自体も・・夢なのである。

あれは夢で、これは現実だ・・は100%間違っているのだ。

夢も現実も、あなたが観ている・知覚経験していること・・なのである。

見る・観る、聞く、観察する、・・・これらはすべて、わたしが知覚・経験することである。

 

リアルで体感厳しく、重くのしかかる様な3次元的現実も・・あなた(の魂が)が希望して観ている・・夢なのである。

しかしながら、魂にとってはあり得ないレベルの不自由さや重苦しさという、極めて貴重な経験を出来るこの次元世界という「夢」も・・もう目覚める時が来ていることに、あなたは気づけるだろうか。

いつまでも同じ見苦しい映画ばかりでは、魂にとっては物足りないではないか?  

魂はごく低いレベルから、より大いなるステージを目指すのだ。なぜならば、魂の自由度が拡大すればするほど、その知覚経験する内容は拡大・高揚、感動多きものになるからだ。

・・・

あなたは今、何気ない人間として、どこかあからさまに無知な地球の集団の中でもがいているかもしれないが、すでにもう相当回数の輪廻・転生を経て来てここにいる。

今回の1万年以上にわたる、この次元世界の歴史展開の最終段階において、魂たちの演じてきたこの3次元的世界の壮大な歴史絵巻は、その中で活躍してきた魂たち(あなたや私たち)の転生、経験、成長とともに、とうとう次なる新しいステージに移行することになる。

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シェイラの臨死体験

2023-07-02 08:05:12 | 臨死体験

以下は、色々な実体験の報告である。シェイラの体験の話は、「臨死体験 9つの証拠」の著者が、彼女から聞いた体験談である。

これらの体験の中には、臨死体験での共通したパターンが見えるはずである。

 

心臓停止、脳死、

意識の体脱、・・視覚機能などが肉体の外に移行する

トンネル出現、・・高次の次元世界に移行

愛すべき存在との遭遇、再会、

慈悲にあふれた神秘的存在との遭遇、

先に行くか、肉体に戻るかの選択・・

肉体への帰還、

 

臨死体験とは、完全なる肉体死の後に経験するものであり、

これらすべてを知覚・経験するのは・・魂・意識・・なのだ。

さらにこれらの体験談を馬鹿にせず、じっくりと吟味することで、生と死を超えた持続する真の生命、多次元世界の仕組みの一端が理解されるはずである。

 

・・・

臨死体験 9つの証拠(ブックマン社)46ページ

 

「私には昔からいくつものアレルギーがあったの。

生まれついてのちょっと不快な症状という程度のものだったけど、

あの運命の日は、命を脅かされることになったわ。

外科医と麻酔医には、前もってすべてのアレルギーを伝えてあった。

どうしても必要という手術ではなかったし、緊急性も低かった。

医療チームは出来る限りの予防措置をしてくれたけど、

手術で使われた薬剤に私は深刻なアレルギーを起こした。

あまりにも激しくて、心臓が止まったのよ。

・・・

心臓が停止するとすぐに、自分が天井付近に浮いていると気づいた。

私につないである心電図のモニターが見えたわ。

線が水平になっていた。

医師や看護師たちは必死で私を生き返らせようとしていた。

眼下に広がる光景は完全にパニック状態だったわ。

・・

でも反対に私は深い安らぎを感じていたの。

痛みはまったくなかった。

私の意識は手術室を漂い出て、ナースステーションへ行ったわ。

手術前にいたナースステーションだって、すぐにわかった。

天井近くの高い場所から見下ろしていたから、看護師たちが忙しく業務をこなしているのが見えたのよ。

・・・

しばらくそのまま見ていると、トンネルが開いたの。

引き寄せられて中を進んで行くと、やがて反対側に明るい光が見えてきた。

穏やかな気持ちだった。

トンネルを抜けると美しい神秘的な光が満ちた場所で、私の前には、死んだはずの愛する肉親が数人いた。

また会えたことが嬉しくて、抱き合ったわ。

 ・・・

圧倒的な愛と慈悲にあふれた神秘的な存在がそばにいた。

「戻りたいか?」と聞かれて、

「わかりません」って答えた。

当時は優柔不断だったから、しばらく話し合って。肉体に戻ると決めた。

本当に難しい選択だったわ。

圧倒的に愛に満ちた場所にいたんですもの。

そこにいると本当の故郷にいるのだと実感した。

でも私は肉体に戻ったのよ。

・・・

1日以上たって、私はICUで目覚めた。体中チューブやワイヤーだらけだったわ。

でもこの深遠な体験については話せなかった。

しばらくして手術前にいたフロア・・あの時見たナースステーションがあるところ・・に戻った私は、ようやく勇気を出して、看護師のひとりに臨死体験で見たものを話したの。

その看護師はショックを受け、怖がっているみたいだった。

そこはカソリックの病院だったから、修道女が私の話を聞くために送り込まれてきたのは、まあ当然よね。

私が自分の体験を丁寧に説明すると、修道女はじっくり耳を傾けたあと、「悪魔の仕業」だと断言したの。

その後誰にも臨死体験を話したくなくなったのも無理はないでしょう?」

・・・・

 

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臨死体験とは何か

2023-06-29 08:49:51 | 臨死体験

臨死体験の特徴をまとめると大体以下のようになる。

(もう一度、本シリーズの臨死体験(1)~(12)を参照のこと。)

●臨死体験とは、体外離脱である

臨死体験者の視点(見ている元)は、いつものような肉体の中、あるいは目の奥ではなく肉体の外側の空間にあり、その視点の移動は・・意識することで自在に変えられる。

つまり、意識が肉体の外に離脱し、自分の肉体をも見て観察しているのだ。

下の絵で行くと、あなたはどちら側に・・あなたの本体があると思うだろうか?

ある人は、それはベッドで寝ている人間の方に本体があり、空中に浮いている方は、脳内の幻影にすぎない・・というかもしれない。

臨死体験者は通常の目の視覚機能は働いていないので、こういう状況の視野状況は「脳内幻影」とするしかない。

あくまでも、自分本体は・・ベッドの上に寝ている肉体の中にあって、浮いて見ている方は、ベッドの自分の肉体のなんらかの”脳内幻影”であるというものだ。

人間の本質・わたしとは肉体であると考えている欧米流の機械還元論者、唯物論者などはそういう風に考えるだろう。

だって、物質・肉体以外は存在しない・・と断定している人たちだから。

 

しかしながら、臨死体験は脳死状態と判定されている状態で起きるのであるから、脳の活動による幻影を見ているということは‥実際あり得ないのである。

脳死状態で・・どうして脳内幻影を見ることが出来るのだろうか。

 

●この場合本体はどちら側?

ベッドで寝ているあなたの肉体は(浮いている)<あなた>の知覚している対象物である

そして自分の肉体やベッド、部屋の配置や人の動き等は、脳内の勝手気ままな幻影ということではなく、事後にその物理的状況にはハッキリした客観性があるケースがほとんどである。

それは視覚などの知覚機能がまるで空間に配置されているかのようだ。

・・・

●知覚主体と知覚される客体、どっちが本体?

真実は、・・存在とは意識が在るところにある。

空中だろうと・・そこに意識があることも起きるのだ。

つまり、臨死体験中は、意識による直接知覚が起きているといって良い。通常は五感を経由して知覚される環境・事物は、

臨死体験中・・意識が肉体を離脱した場合は、意識による直接知覚に切り替わる・・といって良いだろう。

というか、意識とは・・知ること・気づくこと・・そのものであるため、肉体の五感での経由が外れた場合、直接知る・気づくという働きが起きると言ってもいい。

●意識とは・・気づくこと・知ること、その宇宙の働きそのもの

もう1度言うが、意識とは・・気づくこと・知ること・・その働きそのものである。

肉体を経由しようがしまいが・・気づくこと・知ることは起きる!ということだ。もちろん肉体レベル以外の水準での気づくこと・知ることである。

私たちの普通の存在形態、個人的な肉体を経由した気付き・知ること、その働きは個人としてのそれぞれの特性・個性を持っている。

これとは異なり、個人的な肉体を経由しない・・気付き・知ること・・その働きは、肉体個人としての特性ではなく、

肉体個人ではない、より高次の自我・自己、あるいは宇宙意識によるものと言えよう。

今のあなたの意識は、肉体に固定された状態であるが、それから解放されると、より高次のあなたの意識に切り替わるともいえる。

人間、死んだら終わりどころか、一旦は高次レベルに切り替わり、さらに同じような体験世界に入って行くか、全くちがう体験世界を選択していくことになる。

●ただひとつの意識・気づき

あるのは意識であり、気づくこと・知ることであり、それが肉体経由かそうでないか?何の肉体かなど含めて多種多様にあるわけだ。

ただ一つの意識があり、それが多次元に展開しているのが多次元宇宙である、

従って意識には、宇宙意識・・高次意識・・個人意識・・というレベル・階層があるのだ。

人間は、普段は肉体個人の五感機能を経由して、その次元の経験をしている存在のことだ。

臨死体験者は、

肉体死を迎えると、気づくこと・知ることがより高次の意識レベルに切り替わり、

その高次レベルの自我での意識・気づき・知ること・経験がが起きるようになるのである。

臨時体験とは、そうして何らかの働きで肉体機能に修復が起き、その肉体に引き戻された人たちの体験報告であるといえよう。

 

 

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臨死体験(12)次元の境界

2023-06-21 05:55:31 | 臨死体験

臨死体験者の多くが次元の境界のようなものに遭遇している。

日本では三途の川とか言われてきた、あちらとこちらの境界。

あるいは、魂が違った体験世界へと行き来する出口と入口のようなもの。

意識による知覚対象として、魂に次元の境界が明示されるともいえよう。

そこでどうするのか?・・誰かが勝手に決めるわけではない。

すべて・・それぞれの「わたし」の選択なのである。

何度も何度も言うけれど、わたしたち・・真我は・・

”神”から派生している魂であり、また神そのものである。

・・・

臨死体験 9つの証拠(ブックマン社)26ページ

 

「境界線があり、その手前側では時間がゆっくり進んでいるようだった。向こう側ではもっと早く進んでいた。」

「目の前のドアの向こうから音楽が聞こえ、心からの喜びのこもった祝福の声が届いた。そこが我が家なのだと私にはわかった。そのドアを一旦通り抜けたら、もう二度と戻れないことも。」

「生へと引き返すか、そのまま死へと向かうのか、選択しなければならない地点に到達したのだと悟った。そこには2年前にがんで死んだ親友がいて、これ以上進んだら戻れなくなると教えてくれた。

『境界線まで来たのよ、あなたが来ていいのはここまでなの』と彼女は言った。『さあ、ここから戻って人生を精一杯恐れずにいきなさい』と・・・」

・・・

このように、、「境界線、あるいは物理的に限界点を示すようなもの構造物に到達しましたか?」という質問に、31.0%が「はい」と答えている。

以上、抜粋。

・・・

この世界の常識のように、死を忌避しそれを恐れている限り、生そのものが歪んだものになる。

怖いがゆえに保身ばかりに走り、やがてやってくる死に対して無駄に逃避を繰り返すことにもなる。

 

死とは何か?を知らなければ・・まともな生が送れないという「パラドクス」「矛盾」に気付く必要があるのだ。

また、死とは何か?を知るという事は・・わたしとは何か?を探求する過程で悟れるものである。

ただただ怖い怖いで、それが安全と勘違いして集団の中に埋没してしまえば、何百回人生を経たとしても、それすら覚えていない意識レベルに落ち込んでしまうのである。

その意識レベルでは、無意識的に何度も輪廻転生を繰り返すことになる。

多くの人(魂)たちはそうやって"今回も"生まれて来たのだが、例えばあなたはこの人類ヒストリーにおける大団円の時代に目覚められるのだろうか?

それとも、今までと同じだろうか?

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。