気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

転生の話(14)転生の仕組み

2019-10-27 09:01:51 | 語り部の章
人生とは何かを例えで話をすることにしよう。

生れることや死ぬこととは何かのたとえ話である。

超簡単に例えれば、

お気に入りの映画を上映している映画館に入り、観賞したのちに家に帰るようなものだ。


またそれは・・好奇心に満ちた・・魂:個性化した意識が、

さらに壮大な意識のプロデュースする「物語」の中に入り込み、

そして出てゆくことである。

それを繰り返して映画を楽しむようなものである。

楽しむ?とは、実に意味深い言葉であり、

経験・体験そのものには良いとか悪いとか、高いとか低いとか、

立派だとかみじめだとか、そういう後付けの幻想観念とは無縁の・・、

存在・・在ることの、創造の・・醍醐味なのである。

わたしは・・今・・在る・・。



好奇心に満ちた・・魂:個性化した意識が、

壮大な宇宙意識のプロデュースする「物語」の中に入り込み、それを体験する。

肉体とはそのためのツールのようなものだ。

なので決してあなたはその”肉体”そのものではない。


従って、宇宙スピリチュアル系列の情報で言われるように、

あなたは地球に生まれるように、自らが決めて来た魂であるというのも当て外れではない。

あるいは、あなたは何度もある地域・時代から、別のある地域・時代に転生したというのも、決して当て外れではない。


ただそれを思い出す、あるいは想起するような世界ではないために、

すっとそれを知らずに過ごしてきた、

つまり寝ては起きて動く日常人生、意識が眠り目覚めるその繰り返し、

さらにはその大きな生死というサイクル・浮き沈みの中にいたのである。


しかしながら、一回1回で全てを忘れて、また生まれ変わっても、

転生をする本質である魂、

共通の意識体・情報を伴ったエネルギーには全てが記憶されるため、

表面意識ではなかなか気付かないけれども、確実に魂・意識は進化しているのである。



「わたしとは肉体だ」・・という虚構、幻想の「自己認識」

誰も言わないけれども、それが既存の常識であるかのような支配観念、

あなたが今、人間をやっているという事は、

人間としての意識経験を十分にしているからこそのことである。


つまり何度も様々なレベルでの「転生」を繰り返しているからこその、

今の人生・意識レベルそして見識なのだ。


何もせずに、ただで(笑)・・勝手に偶然に起きることなどないと、

この世で既に経験済みではなかろうか。


実に身近な・・わたしという・・存在の、

実際の在り方を深く深く・・観てゆく実践行為を、

実におろそかにする世界である(あった)ため、

死という、それがどういう事なのか全然わからない状態のままであったと言えよう。


例えば、

映画館で1つの映画を観終わっても、その映画が全てだと思い込んでいるならば、

その映画(人生)の終わりの後も、その意識レベル(観客席)に居続けてしまうことで、

また同じような映画を観る羽目になってしまうということだ。


そしてその生誕と死の仕組みでいえば、

その映画(この世界)への参入は・・

自分がちゃんと親から生まれた赤ん坊という設定を持っているため、

実にリアルに自己自身が肉体として生まれてくるように見えるのである。

オギャーと泣いた瞬間に、

もうすでにその映画(人生・世界)に立派に出現したという事である。


生れて来た自分自身に気付く・・

実際に・・あなたが幼少期に・・自分自身に気付いたのはいつ頃だろうか?

それはあなたの肉体が気付いたのだろうか?


幼児期の肉体が気付いたのだろうか?

意識だからこそ、幼児である自分に・・・気付いたのだろうか?


”気付き”に・・肉体も頭脳も無く・・・気付き・意識そのものであると、理解できるだろうか?

それとも何か物体的なものが無いと”信じ”られないだろうか。

それも「想い」に他ならないし、身に着けている肉体は・・

あなた自身ではなく、あなたの知覚対象であることに・・気付けるだろうか?


宇宙創造は・・実に微に入り細に入り精巧に創られるものであるため、

これが魂のための体験物語だとは・・露とも思えないということだ。


外の世界でなく・・それを観ている・・わたしとは何か・・に、

深く深く・・気付いてゆくまでは・・・・。


そう、

宇宙創造さえも・・いわゆる神の・・”気付き”の対象なのである。




転生の話(13)想念の質

2019-10-15 07:17:55 | 語り部の章

若い時でも老いた時でも、
そして誰でも理解していることなのだが、そう、人生には限りがある。
そうではないか?

あなたやわたしが、いつまでも若い若い・・と思っていても、
いつか、気付けば・・歳をとっていることに気付くはずだ。
気付けば・・常に・・「あっ」と、時が過ぎているだろう。

そして、それに気づかぬ状況・日常の生活にいつも舞い戻る・・のである。
日常の生活とはつまり、自分の肉体、家族、社会生活を維持しなければならないという、
社会常識観念の集合で出来ており、
それから何か外れたことをすることに常に恐怖を感じているからである。

そう、色々な意味において、既成の観念から外れることは、
犯罪やら事故やら、社会的トラブルやらの恐怖の宣伝によって、
何でもかんでも、問題が起きてしまう様なイメージを植え付けられるため、
そこから逸脱、あるいは解脱することを畏怖してしまうのである。

しかしながら、「常識」という当たり前の観念体系の中にある、
実に見えにくい呪縛、強い集合意識的な傾向にはなかなか気づけない。

生まれ変わりや転生さえも、自己の意図によって生起することを知るべきである。

わたしの世界の原因としての・・自己とは、
自分の持つ体でも、それを取り巻く環境でもなく、
ましてやご先祖さまでも、時の支配者でもなく、

それらすべての対象世界に・・気付いている・・こと、
認識主体としての・・わたし・・意識・・のことである。

人が、ある意識的傾向、想念形を持続して持っているならば、
それが魂・意識におけるテンポラリーな”内部プログラム”となって、
人生やさらにその大きなサイクルを示す「転生」までも大きく影響を与えることになる。

引き寄せなどと言われる、想いによる現象誘因作用は、
何も1つの人生の中だけではなく、
より大きな幾多の人生においても有効となる法則と言えようか。

そうだ、
わたし・・意識の創る想念波動が様々な人生シナリオを描き出すと思えないだろうか?
それとも、人生・生命とは、何かあなた任せの単発・偶然の出来事だろうか?

---



例えば昔、仏教僧たちが真言・念仏を唱えれば極楽浄土に行けると強調したのは、
迷信や人集めの仏教宣伝ということではなく、
念仏や真言により、少しでも想念の質を変えようとする行為によって、
今の瞬間の連続であるその時どきの人生や、
さらにその大きなサイクルである生と死、
つまり「転生」のサイクルをも改善をすべきであると説いているわけだ。

改善というよりも、より自由度のある自己表現形への意識進化とも言えよう。

つまり、生まれ変わり・転生も、想いの質、
意識における自己プログラムに沿って起こるということである。

簡単に言えば、
想い・想念、そしてそこから出力される表現・行為によって生起するということだ。

想念・想いの質が・・形として現れるわけで、
そこに嘘や隠しは全く通用しない。

そのまんま・・わたしの・・知覚する存在世界として映し出されるのである。

そして、生まれ変わる主体としての「魂」、
つまり、
あなたやわたしたちの本質としての個性化した魂・意識は、
すべて・・ひとつ・・の無限の(宇宙)意識の分化したもの、
あるいは全体の個別化という実に奇跡的な意識存在なのである。

意識存在は・・
その意識に重畳する波動、簡単に言えば想念の質によって、
それにふさわしい波動表現形、
つまり身体・環境・世界・宇宙の中心として自己顕現するということだ。

したがって、例えば、
あなたはこの世に生まれることを決めて来た・・・
等とスピリチュアルな話で言われることも、全くその通りで、
意識に生起する意図・・想念の質がシナリオになって、
そのとおりここに生まれてきたと言う事である。

ある意味で、
無知と無意識の支配してきたこの世界に「わたし」として出現すること、
今・・ここで、生きていることは・・、
そういう意図、つまり自己を忘れて再び思い出すこと、
無知・無明から雄々しく経ち返る意図があるからなのだと言えよう。

あなたは自分のことをどう想っているだろうか?

I AM THAT・・I AM.

ここで、 I(わたし) とは、
その時々の人生における肉体自我の事ではないことを、
すでに「あなた」は気付いていることだろう。



転生の話(12)宇宙での転生 その2

2019-10-02 06:45:23 | 語り部の章
宇宙スピリチュアル系の話でよく聞く、プレアデス、オリオン、シリウス、ベガ、アークトウールス、という他星の生命体の概念は、
例えば、アメリカ、ドイツ、フランスなどをイメージするようなものであり、
かつて、あるいはいつかの・・情報・・、何事も程度問題はあるものの、

意識内面の想起、想いつき、記憶の再現、ビジョン等によって、
懐かしみ、親しみ、馴染みを感じることから来ているだろう。
そうではないか?

同じく、今までの一般常識外に位置しているはずの、
他星からの魂の転生を語る人は、本で読むとか、
誰かに言われるとか、意味不明な夢を観るとか、
そういうトリガーによって、
内面意識・・からの感覚・想い・ビジョン・の生起によっているはずだ。

なかには、スピ系流行語を楽しんでいる人もいるだろうが、
はっきり言えば・・・
肝心なのは・・そういう情報に接している・・という事実だ。

あなたはこの世に生まれる前に、あの世、別の世にいたとか、何度も転生しているとか、
かつてはどこかの歴史、国・地域に生を受けていた別人格だったとか・・・、
そういう情報に接したときに、どう思うのか、どう感じるのか?
あるいは、そういう”情報に接する”ことで、肝心な何かに”気付く”機会があるのか?

それが今起きている事だ。

今、少しの間・・開いている宇宙のポータルと称されるものは、
そういう真実の”わたし”に関わる、
高次の意識的な情報に接する機会があるという事だろうと思えないだろうか?

単に目で見て聞いて・憶える・忘れる・・・は知ることになならず、
「おや?」「あれっ」・・「えー、何だ?」という気づきから、
さらに・・それが一体何なのか?
意図をもって調べ、探究する先にこそ、真の知識が得られることは、
心ある人ならば必ず知っているだろう。

肝心なのは・・宇宙人やら霊界人?の話ではなく、
それぞれの・・わたし・・自分自身の事である。

例えば、
地球での転生・生まれ変わりを、信じる・と言うより、
それを知り、調べ、腑に落ちて理解するならば、
宇宙での転生・生まれ変わりは当然ながらあってしかるべきと感じるだろう。

誰も”それが無い”・・と証明・断言などできるものではない。

「わたしは疑っているよ・・」というのは多分に世間体を考えてのことであり、
少なくとも、
調べること自体が、”何かに”気付いている・・ことを示している。

自分が肉体でしかなく、
長年かかって進化した結果、偶然に組成された高度な頭脳が、
”意識”を偶然に生み出しているという「仮定」は、誰も証明なんかしていない。

わたし・・”意識”を、
第三者に見えるように、科学的に物量換算、単体検出・抽出できるのか?
いいや、そんなこと決して出来ない相談だろう。

逆に・・
”意識”が無ければ、物質も環境も、何もかも知覚・認識できない。

意識とは・・物質からできるものではなく、
物質やら様々な事象を通じておのれを表現するものであり、
原子、細胞、物質などを付帯して出現・表現する・・「本質」である。


この世界での転生も、さらに無数にある存在舞台での転生も、
あってしかるべきだ・・という認識、定在化した意識内容は、
そういう想念形の振動・情報が付帯した現象化を促すことになり、
簡単に言えば、信じている方向にそった体験世界が出てくる・のである。

そういった体験世界が出てくる・・
そう、つまり、
UFOなど含め、宇宙的な存在のことなども、
オドロオドロシさや夢見がちなロマンという歪んだ内容も含みながら、

少しづつこの世界に知られるようになっているのだ。

どこまで嘘か誠か、リアルか勘違いかは程度問題もあるが、
有名なジョージ・アダムスキから始まって、
宇宙人と合って(コンタクト)その世界・星に行ったという体験記の情報も出ている。

肝心なのは・・そういう情報に接している・・という経験事実なのだ。
それで・・私はどう感じるのか?

「えー、何それ?・・・ヤダ~・・」
「そんなの嘘よね、だってそうじゃん!、それって常識よね・・!」

まったくそうだ、これが何かを強く認識している(いわゆる信じている)状況であり、、
その人にとっては・・それが”現実”なのである。

そういう”認識”であれば、それは ”そう” なのだ。
事実・現実というものは・・認識して初めて・・現象世界に現れている。


その人が、自分自身が何者なのか?「わたしとは何か?」という・・
真のわたしを追求する意識そのものが、意識進化を推進する。

宇宙という無限大の存在時空間のなかで、
地球という小さなカテゴリーのみならず、様々なカテゴリー世界において、
様々な意識存在たちが、あるいは転生を通じながら探求していることである。

なぜならば・・自らが普遍の意識・・”無限”そのものであるから、
その”無限”を様々に形に現すことがこの上ない喜びであるからだ。

本来は生命表現は楽しいものではないのか?

閉じた時空間で、弱肉強食の世界をことさら刻印された歴史物語のなか、
自他共に無知な人々の間で辛苦をなめ、
苦労の末に、一瞬だけしか続かない快感・栄冠を勝ち取る・・
幻想でしかない栄光を求めて、
長い転生を小さな小さな時空内でさ迷いながら、
怖れと快楽、苦痛の振れの間で生死を続ける・・、

自己が体でしかないという信念から生じる、
生老病死の観念の重荷を投げ捨てるまでの物語は、
確かに実に宇宙でも稀有な体験場であったからだとも言えるだろう。

ある意味、たしかに宇宙で稀有な、実に”素晴らしい”世界。

あなたはどう想うだろうか?






拝借したハッブル望遠鏡の画像であるが、
これはあなたが無限の一端を除いていることを意味している。
あなたが、果てのない無限の宇宙の一端を観察しているならば、
それは見る者が無限であるからである。