●空(くう)はあらゆる波動の充満を意味する
地上の空間、我々の目の前にある空間、それは何も無いのではなく、様々な波動で満ちている。
目に見えないからといって、何も無いのではない。
現代文明での電波利用はその1つの具体例であり、地球の周囲の空間を様々な波長、位相、振幅の電波がそれこそ無数に飛び交っている。
パソコン、スマホ、携帯電話、TV放送等が使えるのは、そういう電磁波とそれに乗っかっている情報によるのである。
「波動」とそれに乗っかっている「情報」・・・を使っているわけで、
現在発見されている波動で、その発生・操作が可能になっているのが<電磁波>というわけだ。
人類の周囲の空間にはそれこそ無数の電磁波動が飛び交っている、または振動しているのである。
・・・
・・
●人の想いは波動として伝搬している
同じく、人間の想念、想いつまり思考や感情、想像なども波動として飛び交っている。
電波と同じくそれもやはり目には見えないし、現状では電磁波のようには機械観測出来ない「波動」である。
機械観測できないと言っても実際に存在するのだが、これに気付けないところに、自ずと物質文明自体の限度がある。
テレパシー、精神感応と呼ばれているもの、あるいは「以心伝心」と言われている情報の直接伝達は、この「想念」波動の送信・受信のことである。
テレパシーや直観での事実情報の把握は、
自分のこころ、精神の動きの中に生じる情報であるため、
普段から自らの心模様を観察できる場合にだけそれを意識的に使うことが出来る。
それらはいわゆる「静かな」こころ、リラックスした意識状態が必要である。
単なる外からの刺激でのランダムなこころの反応なのか、
有意味な情報を乗せているのか、
かなり微妙な精神的な波動への同調や、フィルタリングをしなければならないからだ。
波風で荒れている海面では、直下の魚の動きは見えないようなものだ。
テレパシーや直観での情報感受、またそれは身体が寝ている時にも起きやすい。
脳波で言えば、アルファ波からシータ波のレベルであれば、寝ていようと起きていようとそういう波動感受が容易になるのである。
そういう波動感受は、例えば他人の想念感受によって嘘かまことかが、なんとなくでも判然とするし、この先危険かどうかの漠然とした執拗な感覚が生じるものである。
ここで重要なのは、
それらはいわゆる「静かな」こころ、リラックスした意識状態が必要であること。
また単なる外からの刺激でのランダムなこころの反応なのか、
有意味な情報を乗せているのか、
かなり微妙な精神的な波動への同調や、フィルタリングしなければならないということだ。
・・・
ふと思ったことが実際にそうだったとか、何気にある人のイメージが漠然と浮かんだところ、その人から連絡があったとか、その人に関する何らかの出来事があったとか、そういうことはあなたにもあるだろう。
カレーが食べたいかな・・と思ったら、その日の夜の献立は実際カレーだったとか(笑)、そういう類の経験は誰にもあるだろう。
それはあなたに関係がある者の「思考」に、ふとした瞬間に「同調」していることを示している。
●想念を空虚な代物として捨てる愚かさ
それらをすべて偶然の出来事として捨ててしまうのが現代の思考であるが、これが大きな間違いなのだ。
目に見えないからといって存在しない・・全て偶然である、確率論の問題だ等と、そういうことを平然という者は、全くの無知蒙昧の輩であるが、そういう者が現代社会の所謂上層部に陣取っているような社会に成り下がっているようである。
自分自身の思考、イメージが実体のないものだという固定観念に縛られているわけであるが、これを解除できるかどうか、・・非常に重要なポイントなのである。
●想念も実体波動である
あなたやわたし達が頭に描くイメージ、過去経験した風景や場面、想像するイメージは、いわゆる高い次元あるいはさらに微細な波動域での情報であり、
波動の媒体の違いはあれども、普段見ているパソコンやスマホの画像と同じように、実体波動なのだ。
実際にあなたの「想い」は、媒体が電磁波ではないものの、ある種の波動として、全国放送いや全宇宙放送されているのである。
全宇宙というのは決して誇張ではなく、思考の速さ・・という事からすれば、いわゆる光の速度を超えているという実験結果があるわけだ。
また量子物理での実測によって証明された「量子もつれ」も、素粒子間の「情報伝達」速度が光速という限度をはるかに超えていることを示している。
・・・
誰にも身近な精神機能である「思考」「想像」は同じく一種の波動情報であり、その伝達は時空間の限度枠など超えている波動伝達なのだ。
実際にあなたの「想い」は、媒体が電磁波ではないものの、
ある種の波動として、全国放送いや全宇宙放送されているのである。
地球上にはそれを感受して、表面意識に浮かび上がらせること・・・を知らない人が多いだけなのだ。
お金を出してスマホやPC端末は使っているが、
自分の身体と精神の機能は退化したままで、それをほとんど全く使っていないということ。
物質的繁栄、楽しい資本主義的富の蓄積のためにはそれが邪魔なので、無視しつつ排除しつつ、ここまで来たが、
まさにそうであるからこそ、物質文明自体の限界と崩壊現象が現れてきているのである。
人間の精神性を無視して来たところの近代欧米物質文明の自己矛盾とも言えよう。
・・
・・・
●想いは言葉と行為の原因である
想念は言葉に表現され、また行為の原因となることは、既にわかる人には解るのだが、その元にある想念が、情報の重畳された波動であること・・・
それを知ることが極めて重要な意識進化のステップなのである。
想念の内容がキャッチされれば、それこそ嘘や隠しは全く通用しない。
騙すことも誤魔化すことも、それ、想いの内容に含まれているわけで、隠せるものではない。
●ボロボロ出てくる人類のカルマ
今現在世相を見るならば、
ある想念のパターンを大量生産して、何事かの方向に持ってゆくことが行われているが、これに気付けるかどうかという人類の試練の最中であるとも言えようか。
残念ながら主要メディアは、そういうある種のイメージを繰り返し表現しつつ、そのイメージを元にした想念体系に、大勢の気付かぬ人々を巻き込もうとしているようである。
それは古い世界の崩壊の濁流に流されることを強いる方向なのである。
今までもそうであるが、今こそが精神の不動性の真骨頂を発揮する時であり、
外の世界で生起する様々な人為的事件や出来事に、流されてはならないのである。
その濁流は、まず想念レベルにおいて起こされるのである。
気付いているだろうか。
●あちらこちらに出てくるハーメルンの笛吹男
特に政治や経済、社会におけるいわゆる権威層に顕著になっている愚かさ、
見え透いた嘘やおバカな姿態をさらす者たちが増えてくるのは、
その想念が読まれる、察知できる時代へと移行していることを示しており、
実際のところ、面白おかしくそれらの事象に一喜一憂している場合ではない。
鵜の目鷹の目の姿勢で、世界の激変の刺激を喜んでいるならば、
気付かず知らずに、外側から押し売りされる「想念」の大量生産品の中に流されてゆくことにもなるだろう。
呼子の役目のハーメルンの笛吹男はどこか優しげだが、結局人さらいということだ。
●嘘や騙しの通用しない世界への移行
古い世界はそのウソと騙し、建前とエゴ的本音の吹き溜まりであった。
お金を元にした便利な機械や工作物、安楽な生活などで目くらましをされてきたのだが、実のところは精神的機能の・・・退廃の道を経験していたということである。
便利な機械が、即そのまま人間の精神の退廃につながっていたわけだ。
そしていま、その退廃の文明の崩壊現象が起きていることに気付けるだろうか。
地球の崩壊ではなく、その時空の中に築かれた虚構の物質偏重文明の崩壊である。
・・
識者の間で、世界経済の崩壊が近い・・・等という風潮が一部にあるのはそれを察知しているからである。
また、第3次世界大戦がどうのこうのというのも、その傾向をおどろ恐ろしく感受しているのだ。
・・・
●カルマは解消すべきもの
現在古い世界の崩壊に合わせて、
世界の一部では様々な、ろくでもない人為的行為や事変が、昨今かなり矢継ぎ早に起こされていることは知っていよう。
矢継ぎ早なので、隠れた意図と事変の間の、その因果関係も解りやすくなってもいる。
ネットなどであれやこれやと嘘を暴き出したり、裏にある別勢力の意図を導き出したり、あるいはメディアの流す尤もらしい虚実が浮かび上がったりしているわけだが、
それは、思考と行為の裏にあるエゴ的意図が、あれやこれやと、どこか見透かされていることを示すものであって、
それも集合意識の潜在下での「想念」の直接感受が元にあるわけだ。
・・・
そう、
想いは・・・嘘をつくことが出来ない。
言葉は嘘八百を言うことが出来るし、行為だってマヤカシが可能であるが、
その元に有る「想い」はどうしても・・・、どうあっても誤魔化しようがない。
実に、人格の色付けをしているのが、内面にある定常化した「想念」、信念なのである。
カルマの解消とは、
その方向違いの信念、固まった想念が、自己崩壊することを体験することなのだ。
「それって、やっぱ違うよね・・・」という明らかな理解を、魂が経験することである。
臨死体験で明らかにされた、人がこの世から離れた後の、
・・
高次元でのライフレビュー(人生の自己想起)も言わばそういう魂の学びの、その真髄の確認であるとも言えるかもしれない。
・・・
●真の意味で自己を大切にする時
外の誰か、何かの現象ではなく、まず自己観想が重要だ。
まず、自己の「想いを観る」ことが出来るかどうか?
想いの中に微妙な歪を発見できるかどうか?
想いを自分で「意識的に選択、創造」することが出来るかどうか?
真剣にかつ気楽に、自らの内面を広げる意識的努力をしているのかどうか、
それこそが、それぞれの魂・意識にとっての喫緊のテーマである。
人生の大きな目的はそれであると思えないか?
それは、自分だけ安楽であれば・・、自分の身の安全が保障されれば・・という、
エゴ的想念とは全く方向が異なることは理解できよう。
・・・
外の世界では、今までのエゴ的想念のカルマチックな濁流の荒波が更に大きくなるだろう。
それに無意識に波長を合わしてしまうのか、より意識的に広く高く自らを方向づけるのか、
今、非常に重要な意識進化の岐路に差し掛かっている。
・・
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。
地上の空間、我々の目の前にある空間、それは何も無いのではなく、様々な波動で満ちている。
目に見えないからといって、何も無いのではない。
現代文明での電波利用はその1つの具体例であり、地球の周囲の空間を様々な波長、位相、振幅の電波がそれこそ無数に飛び交っている。
パソコン、スマホ、携帯電話、TV放送等が使えるのは、そういう電磁波とそれに乗っかっている情報によるのである。
「波動」とそれに乗っかっている「情報」・・・を使っているわけで、
現在発見されている波動で、その発生・操作が可能になっているのが<電磁波>というわけだ。
人類の周囲の空間にはそれこそ無数の電磁波動が飛び交っている、または振動しているのである。
・・・
・・
●人の想いは波動として伝搬している
同じく、人間の想念、想いつまり思考や感情、想像なども波動として飛び交っている。
電波と同じくそれもやはり目には見えないし、現状では電磁波のようには機械観測出来ない「波動」である。
機械観測できないと言っても実際に存在するのだが、これに気付けないところに、自ずと物質文明自体の限度がある。
テレパシー、精神感応と呼ばれているもの、あるいは「以心伝心」と言われている情報の直接伝達は、この「想念」波動の送信・受信のことである。
テレパシーや直観での事実情報の把握は、
自分のこころ、精神の動きの中に生じる情報であるため、
普段から自らの心模様を観察できる場合にだけそれを意識的に使うことが出来る。
それらはいわゆる「静かな」こころ、リラックスした意識状態が必要である。
単なる外からの刺激でのランダムなこころの反応なのか、
有意味な情報を乗せているのか、
かなり微妙な精神的な波動への同調や、フィルタリングをしなければならないからだ。
波風で荒れている海面では、直下の魚の動きは見えないようなものだ。
テレパシーや直観での情報感受、またそれは身体が寝ている時にも起きやすい。
脳波で言えば、アルファ波からシータ波のレベルであれば、寝ていようと起きていようとそういう波動感受が容易になるのである。
そういう波動感受は、例えば他人の想念感受によって嘘かまことかが、なんとなくでも判然とするし、この先危険かどうかの漠然とした執拗な感覚が生じるものである。
ここで重要なのは、
それらはいわゆる「静かな」こころ、リラックスした意識状態が必要であること。
また単なる外からの刺激でのランダムなこころの反応なのか、
有意味な情報を乗せているのか、
かなり微妙な精神的な波動への同調や、フィルタリングしなければならないということだ。
・・・
ふと思ったことが実際にそうだったとか、何気にある人のイメージが漠然と浮かんだところ、その人から連絡があったとか、その人に関する何らかの出来事があったとか、そういうことはあなたにもあるだろう。
カレーが食べたいかな・・と思ったら、その日の夜の献立は実際カレーだったとか(笑)、そういう類の経験は誰にもあるだろう。
それはあなたに関係がある者の「思考」に、ふとした瞬間に「同調」していることを示している。
●想念を空虚な代物として捨てる愚かさ
それらをすべて偶然の出来事として捨ててしまうのが現代の思考であるが、これが大きな間違いなのだ。
目に見えないからといって存在しない・・全て偶然である、確率論の問題だ等と、そういうことを平然という者は、全くの無知蒙昧の輩であるが、そういう者が現代社会の所謂上層部に陣取っているような社会に成り下がっているようである。
自分自身の思考、イメージが実体のないものだという固定観念に縛られているわけであるが、これを解除できるかどうか、・・非常に重要なポイントなのである。
●想念も実体波動である
あなたやわたし達が頭に描くイメージ、過去経験した風景や場面、想像するイメージは、いわゆる高い次元あるいはさらに微細な波動域での情報であり、
波動の媒体の違いはあれども、普段見ているパソコンやスマホの画像と同じように、実体波動なのだ。
実際にあなたの「想い」は、媒体が電磁波ではないものの、ある種の波動として、全国放送いや全宇宙放送されているのである。
全宇宙というのは決して誇張ではなく、思考の速さ・・という事からすれば、いわゆる光の速度を超えているという実験結果があるわけだ。
また量子物理での実測によって証明された「量子もつれ」も、素粒子間の「情報伝達」速度が光速という限度をはるかに超えていることを示している。
・・・
誰にも身近な精神機能である「思考」「想像」は同じく一種の波動情報であり、その伝達は時空間の限度枠など超えている波動伝達なのだ。
実際にあなたの「想い」は、媒体が電磁波ではないものの、
ある種の波動として、全国放送いや全宇宙放送されているのである。
地球上にはそれを感受して、表面意識に浮かび上がらせること・・・を知らない人が多いだけなのだ。
お金を出してスマホやPC端末は使っているが、
自分の身体と精神の機能は退化したままで、それをほとんど全く使っていないということ。
物質的繁栄、楽しい資本主義的富の蓄積のためにはそれが邪魔なので、無視しつつ排除しつつ、ここまで来たが、
まさにそうであるからこそ、物質文明自体の限界と崩壊現象が現れてきているのである。
人間の精神性を無視して来たところの近代欧米物質文明の自己矛盾とも言えよう。
・・
・・・
●想いは言葉と行為の原因である
想念は言葉に表現され、また行為の原因となることは、既にわかる人には解るのだが、その元にある想念が、情報の重畳された波動であること・・・
それを知ることが極めて重要な意識進化のステップなのである。
想念の内容がキャッチされれば、それこそ嘘や隠しは全く通用しない。
騙すことも誤魔化すことも、それ、想いの内容に含まれているわけで、隠せるものではない。
●ボロボロ出てくる人類のカルマ
今現在世相を見るならば、
ある想念のパターンを大量生産して、何事かの方向に持ってゆくことが行われているが、これに気付けるかどうかという人類の試練の最中であるとも言えようか。
残念ながら主要メディアは、そういうある種のイメージを繰り返し表現しつつ、そのイメージを元にした想念体系に、大勢の気付かぬ人々を巻き込もうとしているようである。
それは古い世界の崩壊の濁流に流されることを強いる方向なのである。
今までもそうであるが、今こそが精神の不動性の真骨頂を発揮する時であり、
外の世界で生起する様々な人為的事件や出来事に、流されてはならないのである。
その濁流は、まず想念レベルにおいて起こされるのである。
気付いているだろうか。
●あちらこちらに出てくるハーメルンの笛吹男
特に政治や経済、社会におけるいわゆる権威層に顕著になっている愚かさ、
見え透いた嘘やおバカな姿態をさらす者たちが増えてくるのは、
その想念が読まれる、察知できる時代へと移行していることを示しており、
実際のところ、面白おかしくそれらの事象に一喜一憂している場合ではない。
鵜の目鷹の目の姿勢で、世界の激変の刺激を喜んでいるならば、
気付かず知らずに、外側から押し売りされる「想念」の大量生産品の中に流されてゆくことにもなるだろう。
呼子の役目のハーメルンの笛吹男はどこか優しげだが、結局人さらいということだ。
●嘘や騙しの通用しない世界への移行
古い世界はそのウソと騙し、建前とエゴ的本音の吹き溜まりであった。
お金を元にした便利な機械や工作物、安楽な生活などで目くらましをされてきたのだが、実のところは精神的機能の・・・退廃の道を経験していたということである。
便利な機械が、即そのまま人間の精神の退廃につながっていたわけだ。
そしていま、その退廃の文明の崩壊現象が起きていることに気付けるだろうか。
地球の崩壊ではなく、その時空の中に築かれた虚構の物質偏重文明の崩壊である。
・・
識者の間で、世界経済の崩壊が近い・・・等という風潮が一部にあるのはそれを察知しているからである。
また、第3次世界大戦がどうのこうのというのも、その傾向をおどろ恐ろしく感受しているのだ。
・・・
●カルマは解消すべきもの
現在古い世界の崩壊に合わせて、
世界の一部では様々な、ろくでもない人為的行為や事変が、昨今かなり矢継ぎ早に起こされていることは知っていよう。
矢継ぎ早なので、隠れた意図と事変の間の、その因果関係も解りやすくなってもいる。
ネットなどであれやこれやと嘘を暴き出したり、裏にある別勢力の意図を導き出したり、あるいはメディアの流す尤もらしい虚実が浮かび上がったりしているわけだが、
それは、思考と行為の裏にあるエゴ的意図が、あれやこれやと、どこか見透かされていることを示すものであって、
それも集合意識の潜在下での「想念」の直接感受が元にあるわけだ。
・・・
そう、
想いは・・・嘘をつくことが出来ない。
言葉は嘘八百を言うことが出来るし、行為だってマヤカシが可能であるが、
その元に有る「想い」はどうしても・・・、どうあっても誤魔化しようがない。
実に、人格の色付けをしているのが、内面にある定常化した「想念」、信念なのである。
カルマの解消とは、
その方向違いの信念、固まった想念が、自己崩壊することを体験することなのだ。
「それって、やっぱ違うよね・・・」という明らかな理解を、魂が経験することである。
臨死体験で明らかにされた、人がこの世から離れた後の、
・・
高次元でのライフレビュー(人生の自己想起)も言わばそういう魂の学びの、その真髄の確認であるとも言えるかもしれない。
・・・
●真の意味で自己を大切にする時
外の誰か、何かの現象ではなく、まず自己観想が重要だ。
まず、自己の「想いを観る」ことが出来るかどうか?
想いの中に微妙な歪を発見できるかどうか?
想いを自分で「意識的に選択、創造」することが出来るかどうか?
真剣にかつ気楽に、自らの内面を広げる意識的努力をしているのかどうか、
それこそが、それぞれの魂・意識にとっての喫緊のテーマである。
人生の大きな目的はそれであると思えないか?
それは、自分だけ安楽であれば・・、自分の身の安全が保障されれば・・という、
エゴ的想念とは全く方向が異なることは理解できよう。
・・・
外の世界では、今までのエゴ的想念のカルマチックな濁流の荒波が更に大きくなるだろう。
それに無意識に波長を合わしてしまうのか、より意識的に広く高く自らを方向づけるのか、
今、非常に重要な意識進化の岐路に差し掛かっている。
・・
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。