あなたは「夢」をよく覚えているだろうか。
実は私などは、断片的であるが、毎日のように覚えている。
夢体験はどこか意味不明の体験やら会話やらも多く、
中には、飛んだり、くぐり抜けたり、電車やバスであちらこちらに行っては帰ってくるようなもの、
色々な存在との会話やら共同経験やら、幼児期の環境を思い出すなど、なんだかホントに色々あって面白い。
当初、日常の技術業務に何かアイデアを応用すべく、夢の記録などをしていた頃もあって、
その時分には、役に立つ画期的アイデアどころか、色々な夢での恐怖体験やら、内面にある感情の歪の表出のようなものもあったことを憶えている。
なんだか恐怖を感じる何かがあり、あるいは何者かに追いかけられるものもあって、
「あわわわ・・・ギャーー~!」・・と必死に逃れようとしたら、
あらら・・・目が覚めた。。。ふー、あれは夢だった、やれやれというものもある。
誰にも経験があるだろう。
今思えば多くは内面に蓄積されたトラウマや感情的な歪の表出であることがわかる。
さらにそれらを分析すれば、今生でのものや、今生ではないものまであると感じられるのだ。
通常意識に戻れば、「おいおい、これ本当かよ、。。。」的なものもある。
さらに、その夢というか意識的経験というか、その中に、
何か・・・・私・・・以外の親身な意識、存在を確認したのである。
それは魂のガイドというか、ハイアーセルフ(高次の自己)というか、そういう意識的存在が、
私の意識の中に<愛すべき親身さ>で、出現しているということに気付いたのである。
この話は別に譲るとして、
・・・・
馴れてくると、夢とは一概に同じ意識状態で毎回毎回観ているわけでなく、
様々なレベルというか、広がりというか、経験の層というか、そういうものがあることが分ってくる。
日常の悩みや気になる事そのものの「観念」を維持している、寝床でも「夢中に」考えているようなものから、
普通はあり得ないようなこと、空中を飛んだり、トンデモ乗り物で移動したり、壁を突き抜けたり、
ややこしい迷路をあっという間にくぐり抜けたり、
また要するに、幽体離脱の経験を夢として漠然と記憶しているものや、
さらに広大無辺な宇宙というか、場所というかそういう・・・ところ?にいる・・・ことを経験しているようなものもある。
余りにも遠方に行ったような時には、えー?マジ?と気づいてすぐに戻ってくることもある。
宇宙を旅したような(夢)経験はかなり強烈に覚えている。
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そんなこんなで、一般に夢といわれるものは、かなりな自由度を有している意識上の経験であるからして、
それは就寝時の頭脳の「想像の産物」であるとも解されるだろうが、そうではない。
何事も経験しなければなかなか・・だと思われるのだ。
「頭」の知識だけではなかなか理解できないのは、何でもそうだろう。
夢は、就寝時の頭脳のなせる想像の産物?・・・なのか、
そうであれば、日常の五感を中心にした体験も想像の産物といえるかもしれない。
つまり頭脳が夢をつかさどっているのであれば、頭脳の働き、機能によって、
しっかりしているとされる日常の<五感情報>にも、
相当なバイアス、あるいはフィルタが介在していることも考えられるだろう。
・・・・・
例えば、「あなたはここにいるある人物が見えません・・」 という催眠術に掛けられた人は、
不思議にも、その対象が「目に前に」存在していても・・・見えない・・・ということは知られている。
催眠は、当該者が・・・「それが真実である」とする、仮ではあるが、「思い込み」に誘導するものであり、
思い込みが強ければ、それがその通りに、その当人の周囲体験となるわけである。
ところで、催眠を受けていない人から見れば、おいおい目の前にそれがあるじゃないか、ホントに見えないの? ゲラゲラ(笑)、となるし、
その催眠の被験者だけが異常感覚にあるという風にされるわけだ。
しかしながら、集団での催眠であれば、集団内の誰もそれを見えないという事になるわけで、
その集団の誰にとっても、そんなもの存在しないということになるだろう。
なお、逆に、催眠を受けていない別の集団Bがあれば、
あの集団Aは変だ、そいつら、絶対おかしい・・ということになる。(笑)
要は強い思い込みの内容・質的な傾向が・・・・が個々の体験として・・・現象化しているということなのだ。
これは、意識的な認識、その質的内容が経験、知覚として投影されるということを意味する。
集団での様々な思い込み、集合意識の中にある固定観念が、その集団の経験のベクトルを生成するのだ。
ところで、また、そういう体験のフィルターである・・・「思い込み」は・・・
頭脳が自己完結的に生成しているわけではなく、
要するに「わたし」という<意識>が、無意識的に頭脳に入力しているという方が明確であろう。
外からの情報を無造作に入力しているか、自分で決めたことを入力しているかの大きな違いはあるが、
結局のところ、
わたしはわたしであり、自分の意識は自分であるわけで、
他者がどうのこうのは不可能なのである。
要するに、
内外の想念の自己への固定化、つまり簡単に言えば「思い込み」が自己経験の強いバイアス、フィルタになっているのである。
これは「こころの法則」として、その一端の真実を、既にかなりの人々が気付きだしている。
いや気付く魂と、全く気付かない魂に分かれてきているとも言えようか。
・・・・
話しは戻るが、
普通に言われる夢とは、何だろうかといえば、
それは毎日の就寝時の「意識」の働きであるといえるだろう。
身体が休息しているわけであって、
肉体の働きではなく、明らかに<意識的な>働きによっているということだ。
就寝時とは、肉体的な感覚器官が停止している状態のことで、
その時に見る「夢」は、一般に<頭脳>が勝手に描き出している、ランダムな内面映像のように思われているが、
そうではない。
逆に頭脳はこの現象世界の情報翻訳、今現在の私・意識への情報伝達の高度な翻訳機のようなものであって、
頭脳内でオリジナルな信号発生を行なっているというよりは、情報の受信をしていると考えるべきものである。
通常は日常生活における「肉体の五感を経由した」情報の取得と整理、
そして、就寝時あるいは、特殊な変性意識状態では、
「五感を経由しない」情報の取得と整理を行なっているということである。
それは、本来のより大きな魂・意識が、
その時の個別のマインド・こころの状態によって色付けもされ、
例えば気になる事、何かの思惑、感情的な歪等をピックアップしてストーリーに仕上げているものもあるし、
また膨大な潜在意識、魂・意識のキーポイント情報の噴出像とも言うべきものもあって、
それらの情報を「この現実に」持ち来たらすことが出来るのが、頭脳という受信・翻訳機なのである。
そして、その働きの元に有るのが「意識」あるいは「魂」ということなのだ。
パソコンを操作しているのが人間であるように、
肉体と頭脳を働かせているのが、あなたという意識、魂なのだ。
そう、実は・・・夢も「肉体感官を通じないルート」での、「意識的体験」とも言うべきものである。
往々にしてそれらが取り止めもなさそうに見えるのは、
この現実世界の常識感覚との参照、つまり脳でそれを「翻訳する」ことから来る認識ギャップから生じているわけだ。
夢が取り止めもないと感じるのは、
小さな顕在意識にもたらされた潜在意識からの情報を、うまく解読できていないことに由来し、
何だか意味不明と感じるからこそ、無意識レベルで自動的に捨てているわけである。
だから思い出さないというわけだ。
これは前世の記憶がない理由と同じく、顕在意識が狭いままだからである。
・・・・
尚、ここで言う小さな顕在意識、表面意識とは「個別の私」意識であり、
広大な潜在意識は、無限、普遍の「わたし」意識と言って良いだろう。
それは小さな肉体人間として広大な宇宙を眺めているという図式そのものである。
あなたが眺めている対象である無限の宇宙とは、広大無辺な・・・わたし・・・という意識の現れである。
また・・我々・・という個別の意識は、広大無辺な・・・わたし・・という意識の一部であるということと同時に、
その個別の意識には、実に広大無辺な意識が潜在するという事を示すのである。
多は一なり、一は多なり、
無限はひとつなり、ひとつは無限なり、
・・・・
また夢など見ない、そんなもの意味がないと思っている御仁は、
要は、未だ自己が「小さな」顕在意識の範囲に甘んじていることを意味している。
いわゆる常識観念の枠を超えることを怖れているマインドの表れだともいえようか。
また、意識の囲い枠を取り払うことを怖れている・・・事自体にも気づいていない。
物しか意味がない、目に見える物が全てだという、いわゆる刹那的、唯物的、物質的自己像でその意識を占拠されている場合は、そういうことになる。
そういうわけで、
あー疲れた・・で、お休みなさい、ばたんきゅー、・・・・
で目が覚めたら、夢など憶えていない、そんな時もあるだろうし、
それが現実世界をしっかり生きている証拠であるとも、どこか思うものである。
しかしながら、それは、
魂・意識としてのすそ野、膨大な潜在意識を知覚できない間の姿なのだ。
現在の狭い五感の範囲で知覚できないものは・・・存在しない、意味がない・・・そういう「観念」、
つまりそういう狭い範囲の「想いのパターン」が刷り込まれているということに気付く必要があるわけだ。
意識とは本来広大無辺な空(くう)を満たすものであり、
空(くう)という、ただひとつの無限意識、神意識、普遍意識であり、
その中に生じている無数の波紋、それがそれぞれの魂・意識であるといえよう。
そして無限の意識の中で、様々な波動、波紋を生じさせる中心点、
それがあなたやわたし達、無数の<魂>というものである。
その波紋は全体に拡大するまで消え去ることはなく、ただ拡大するのみである。
それが魂の進化といわれているものなのだ。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。