気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

(11)意識は時空を超えている

2021-02-28 06:34:26 | 意識の科学(総合編)

普遍意識・・無限意識・宇宙意識・神・が・・”ある時空に”焦点を結んで、

まるで私個人として個別化したように見えるものが・・個別意識:わたしである。

・・・

前回の「こころの所在?」で示したように、

こころは肉体・頭脳の中にあるわけではないことが理解可能だろうか?

 

簡単に言えば、思考やイメージ・マインド・こころは、そこでの発生ではなく・受信であるということだ。

 

通常「意識」というものは思考や感情を含めた人間の精神的な働きを意味するが、

それが ”こころ” と言うのならば・・・こころは、頭脳の中に在るのではないことがまず推測できるだろう。

馴染まないならば、まず、可能性としての推測を受け止めるだけでいい。

・・・

頭脳や神経組織の無数の電気的パルスが、思考や感情を造っているように見えて

実のところそれは、

普遍的・広大無辺な意識の 無数の”波動層”からの ダウンロード、あるいは受信波の観測結果のモニターに過ぎないということになる。

 

こころ(思考・感情)が頭脳で発生するわけではない・・・。

簡単に言えば・・それは受動・受信・再現であって、そこがオリジナルな発生源ではないことに気づくだろう。

それとも一切そんなことは無いと・・思うだろうか?

例えで言えば、

あなたのパソコンやスマホが、どこにもつながっていないスタンドアローン

どんな接続も何もない孤独な単独機械と信じ込んでいるようなものだ。

 

マインド・こころ・意識が肉体の中に在るように見えて、じつはそこに局在しているわけではないとするならば、

わたし意識の本体・・は、肉体の中にいる・・わけではないということになる。

 

ならば、・・・意識はどこにある?

「どこ」とか、「いつ」とか・・そういう時空間、肉体を超えたものだと気付くだろう。

時空を超えている・・とは、どこか遠くの彼処にあるのではなく、

ここそこ・どこにも偏在する・・・としか言いようがあるまい。

・・・・

 

 

「意識に先立って」(ニサルガダッタ・マハラジとの対話)ナチュラルスピリット刊 p18。

 

質問者:

問題は、全ての意識は同一という事実です。では、どうやって根源に行ったらいいのでしょうか?

マハラジ:

この意識は木であるが、しかし種があったのだ。だから種のところへ行くことだ。

あなたが今持っている意識は子供意識と同じだ。それにしがみつきなさい。それで充分だ。

意識がそこにあるかぎり、あらゆることはあなたにとってとても重要だ。しかし、もしそれが消滅してしまったら、あなたにとってこの全世界の価値はどこにあるのだろうか?

この種を知るものは誰なのか?

この「わたしは在るという性質」がどうやって現れてくるのか。

それに注意を払うことだ。

そうすればあなたは知ることだろう。

あなたはこの顕現した純粋な意識であり、宇宙やあなたが見ているこの生命のまさに魂であり、今はただ肉体という衣装を着ているだけだ

というアイデンティティだけをただ受け入れ、そこに注目するのだ。

あなたは人生で非常に多くの物事を娯楽のために注目している。だったら、これにも注目して何が起こるかを見てみたらどうだろうか?

月を眺めるとき、

あなたがそこに存在しているかぎりは月が存在することを知るなら、何が起きるか見てみなさい。

この壮大なる概念、この喜び、あなたは直接体験し、楽しむのだ。

 

 

 


(10)こころの所在?

2021-02-23 06:30:14 | 意識の科学(総合編)

それぞれの・・わたし・・は、肉体と、こころと、の複合体と言える。

 

●肉体

肉体は・・・

五感で誰でもすぐに知覚できる・・わたしの体・・のことだ。

五感の感覚による自我感覚である。

私が歩き、手を上げ、飯を食い、放尿し、しゃべる・・それらの感覚と記憶の総体のことを・・肉体自我と言おう。

このレベルでは、「自分とは・・この肉体である」という感覚が育つ。

あなたが鏡を見た時に映る姿は・・その「肉体」を映し出す。

これも五感の知覚で構築される自己像であり、肉体自我を構成している。

 

●マインド・こころ・思考

次に、

こころ、マインドは・・・精神・思考・感情などのことで、五感の感覚では知覚できない・・・。

あなたの思考は・・どこにある?と聞かれても

・・どこかにある物ではないことがわかるはずだ。

思考は頭の中にある・・なども、見当違いである。

思考は、物体のように・・時間や空間の中で特定できない・・代物だ。

 

では、聞こう?・・・・

あなたの思考は、その総体であるこころは・・どこにあるのか

 

頭脳が・・その思考を造っているから、頭脳の中にあるのだろうか?

思考するときに、頭脳の一部に電気信号(波動情報)が発生しているから、

頭脳の中に発生する信号波形である・・と言うことになる。

 

その信号波形・脳波なども機械で観測できるから間違いない・・

だから思考・こころ・感情などは頭脳の中にある(発生する)と考える。

思考・イメージつまり心は、頭脳でつくられると考えるのだ。

従って、心というものも、肉体の一部に属するものだという話になる。

 

そうではないか?

知的な人は、これで納得するものである。

 

思考・イメージなどのマインド、こころは「頭脳」で発生すると考える。

だから、こころも肉体の働き、あるいは頭脳である・・と考えるため、

従って、あくまでも「わたしとは・・この肉体である」と考えるのだ。

 

ごく普通には、ここまで突き詰めることはなく、

漠然とながら、「自分とは肉体である」と言う強い感覚で生きているのである。

あなたはどうだろうか?

ーーー

しかしながら、思考・イメージが頭脳(という場所)で”起きている”という証拠はない。

 

どういうことかと言えば、

単にその時に脳波測定や、その他の観測機器によって、そこで・・波動が観測されているという事に過ぎないのである。

つまり、頭脳・・、

それは単に受信器であって、オリジナルな発生器ではないと言う可能性もあるはずだ。

 

例えばラジオは波動を受信しているが、そこでは信号は発生はさせていない。

空間に伝播している電磁波に同調し、それを受信しているのである。

ラジオや端末機器は、画像や音声デ-タをダウンロードするが、その波動情報はその機器・ボディの中で必ずしも発生しているわけではない。

明確に言えば、そこで波動・振動が起きている・・としか言えないのである。

 

 

例えば、あなたがスマホやパソコンの画面を見る場合に、その情報がパソコンの中にあるもの・・とは限らない。

進化した機器は、その多くが別のサーバーからダウンロードされるものであり、個々のスマホやパソコンは、主に受信するための端末機器であって、情報がそこでオリジナルに発生するものではないはずだ。

 

 

 

このように類推しても、

情報(思考)はどこにある?と聞かれて、

端末機器(頭脳)に中にあると断言するのは早計、または見当違いと考えられよう。

脳波や神経に元づく電気的信号が観測が可能であると言えるだけだ。

ーーー

思考・イメージ・マインド総体は、空間に遍満する波動(いわば想念情報)

を個々人の頭脳によって同調・受信しているというのが正しい解釈である。

波動は必ず伝搬する・・それが波動である・・からだ。

そうであれば、

わたしが肉体である・・と思い込んでいる・・自己認識は・・そういう想いであって、いわば想念形であるが、その想念はその肉体の中にある・・わけではない・・。

という話になってくる。

 

思考・イメージ・想い・・”こころの総体”、あるいは想念は・・肉体の中にはない・・・と考えても・・何の不思議もない。

そういう事なのである。

 

百歩譲って、あなたのこころ・・・は、肉体・頭脳の中にあると断言することはできないことは確かである。

そこでは電気的に観測可能な信号・振動・波動が起きている・・としか言えないのである。

 

あなたのマインド、思考、イメージは・・閉じられた頭脳の中での出来事であると言う断定は・・無効であるということだ。

思考・イメージ・想い、つまり心の総体が・・頭脳の中にだけある・・というのは単なる思い込みであるということだ。

その仕組み自体が完全に明らかにはなっていないものの、想念・思考が肉体内での閉じられた事象であるという信念は、少なくとも早計な判断である。

 

●波動・情報は空間を伝搬している

波動は・・伝搬するのがその基本性質である。

さらに、もう何十年も、テレパシー実験などによって想念やイメージ、思考は・・時間や空間を超えて伝搬することが確認されている。

遠く離れた空間において、素粒子の情報が瞬間的に伝わる量子もつれの現象も実際に確認されていることである。

また臨死体験者の話も数多く報告されており、その時、自己の意識が肉体内でなく、外の空間に位置していて、そこから自分の肉体を見ていたと証言しているのである。

これらすべてが、脳内妄想だと決めつける人がいるが、

それは、脳波などの電気信号の元が、そこで発生している・・というオリジナル発生説(これも想念形)に閉じこもっているといえよう。

 

 

 

 

 

 


(9)意識の拡大・進化

2021-02-11 11:36:28 | 意識の科学(総合編)

 

水面に上から落ちた一点のトリガーにより、波紋が全方向に波動として伝搬する。

広がってゆく過程で、自然と波動の輪が拡大してゆくだろう。

同じように、

それぞれの魂・意識は宇宙意識(全体・全方位)に向かって進化してゆく。

これは全く・・自然なことなのだ。

 

あなたやわたしたちである、個々の魂・意識は

進化、拡大の途上にあると言われるが、

自然・・法則にしたがった当たり前の方向にあるということだ。

 

個別である・・魂・意識は・・宇宙意識(神・根源)そのものではあるが、

あえてその宇宙意識の中で自らを成長させて、子供が大人になる喜びを味わうがごとく、

再び宇宙意識に・・・成る・融合するような働きをするのだ。

あなたが人の親であれば、愛深き親心は知っているはずである。

 

ある意味で、・・

この世界が何を言おうと、どうあろうと、

あなたが・・今存在している・・ことは、

宇宙的で普遍的な愛で保障されているのである。

 

それぞれの魂・意識は宇宙意識(全体・全方位)に向かって進化してゆく。

これは全く・・自然なことなのだ。

それを魂、意識の進化という。

意識的存在・・すべてが進んでいる道・・のことだ。

 

しかしながらこの地球へ出現したの多くの魂たちは、

この世界の閉鎖性や無知によって、あるいは波動の粗さによってそれを忘れてしまう。

誰でも生まれてからこの世界の色に染まるのである。

そうではなかったか?

わたしは誰?・・ここはどこ?・・でも取りあえず生きなければ・・。

誰も皆、何も見えない無明の中での、手探りの生き方ではなかったか?

 

しかしながら、今は光が差し、様々なことが見え始めてきただろう。

無明が光明に変化し始めただろうか。

自己自身にはっきりと気づき始めて来ただろうか。

世界や世間や、外の世界、外の人々ではなく・・、

時空間のスクリーンに投影される姿像のほうではなく、

それを観ている・・・意識・魂・・、光源のほう・・

わたしとは何か?・・・問いかけ始めただろうか?

 

I AM THAT I AM.

わたしは・・わたしである・・ところのものだ。

自らが自らによって定立できる・・自己創造原理・・そのもの。

わたしは・・あれであり、これであり・・、

しかしながら、あれでもない、これでもない・・者である。

 

 

魂・意識は・・自らが”何か”に成りきることで、その”何か”を体験をする。

自己を投入して・・人間という肉体を持った意識体として存在することが出来るということだ。

意識を焦点化して、様々な「物語」に自らを意識投入するのだ。

宇宙意識が・・無数の個別の意識に焦点化することで、

・・無数の意識のダイナミックな生命顕現形、生物・人間が存在するのだ。

 

全ては・・意識である・・あれにもこれにも成っている意識、

すなわち、存在宇宙には、

さまざまな生命のカテゴリーや進化の度合いの違う生命系が存在するのである。

この銀河系の中だけでも、2000憶以上の星がある。星は恒星・惑星・衛星と言われているが、それは個々の壮大な意識の波動集合系であり、その中には様々な時空物語がある。この地球だけ・・という常識?そのものが激しい「無明」を表している。

 

 

魂は・・意識を焦点化して、様々な「物語」に自らを投入する。

「物語」とは、無限の宇宙の中の具象化世界ストーリー、

具体的に言えば恒星、惑星という波動の集合世界、またその中の地域・国家・社会のこと、歴史という流れの中にある人間社会でもある。

 

あなたが今この惑星地球に・・存在している・・のは、

偶然でもなんでもなく、魂・意識(根源から派生した意識)が、

この世界へ自己投入・いわばダイビングしたからである。

宇宙の中の、太陽系の中の・・地球という惑星の中の物語の中へ。

そして、

何かに成りきる体験の数々が・・魂の成長・意識の拡大につながるのである。

次第に拡大し、波動が広く、高く、緻密で微細になることで、

より自由で自在で、自他一体への拡大した領域へと移行してゆく。

様々な体験・経験をしつつ、あらゆる知覚を味わいつつ、

子供から大人へ成長することを自覚し楽しむのが・・

様々な形、生態、生き物、人、神の子、神々たちである。

すべてはひとつの、

大いなる意識・意図の・・無数の表れに他ならない。

 


(8)魂と記憶

2021-02-09 15:03:18 | 意識の科学(総合編)

魂とは何か?という事になると、それは何だろうか。

この肉体とは違う、もっと「本質的な自己」のことを示すはずだし、

さらに、肉体は一過性でありながら、魂は永続性であるというように、

魂とは、もっと永続的普遍性を有した自己・・とも言えるだろう。

 

魂それは、今あなたが自認している、今の「肉体個人」のことではない。

もちろん今回の、生まれてから死ぬまでの個人の私もそれではあるが、

さらに、もっと普遍的な広がりをもった・・わたしである。

 

様々な時空世界における、その都度の個人我を無数に内包しつつも、

決してその時々の私ではない・・

より普遍的永続的な・・わたし・・・・である。

永続的というのは、長く時間が続くという意味ではなく、

その都度起きては消えてゆく、時間や空間を超えている・・という意味である。

普遍的というのは、局所的、ローカル、個々ではなく、それらをすべて含む高次の、全体にわたるという意味である。

 

したがって、より普遍的永続的自己・魂には、

様々な時空間での体験の無数の「記憶」が含まれている。

つまり魂には・・無数の前世の記憶、他生の記憶があるのである。

 

そして、その記憶はどこにあるのだろうか?

主に頭脳細胞の記憶部位の中というのが普通の考えだろうが、

頭脳は、今の肉体自己と全体自己・・普遍的自己、あるいは魂との接合点、アクセスポイント、送受信器のようなものであり、そこの特定の細胞に、前世のすべてが記憶されているのではあるまい。

普遍的な自己とは、いわば宇宙意識であり、全宇宙(全体意識)にわたって記憶があるというのが本当のところではなかろうか。

我々の作り使用しているコンピュータネットワークは、世界規模でつながっているが、魂の場合は実に無限の遠方にまで広がっていると考えられるだろう。

しかしながら、どんな記憶であっても、

アクセスしなければ記憶は再現されないわけで、

そのアクセスは・・意識による以外に不可能という事である。

これには、思い出す・意図・意識的行為が必要という事である。

 

パラドクス的な表現に聞こえるが、

それを想い出さなければ・・思い出せないのである。

 

記憶があるはずだと思い至り、意識内部をアクセスするのである。

外の世界のいつ、どこは関係なく、

自己自身の・・意識内部を・・見つめて(意識の焦点を合わせ)、

出てくるイメージをキャッチ(内面知覚)するのだ。

もちろん意識レベルが上昇、拡大して、

前世や過去生の記憶などが当然のことになった場合には、

往々にして頻繁にその記憶が蘇る事象に出くわすことにもなるだろう。

膨大な記憶が蘇るということは、多くの知識や能力が開花し、

いわゆる賢者・天才などと言われる人たちに近づくということでもある。

 

 

たびたび記事で繰り返しているが、

意識で・・気づかなければ・・どんな対象も存立し得ない!のである。

これは実に重大な「意識の法則」といっても過言ではない。

意識・気づくことなくして‥その対象や世界は存在しない。

気づき・意識なくして知覚はなく、

知覚が無ければ世界はないということだ。

創造主なくしてその創造世界は生まれない・・のである。

 

実際にあなたの毎日を注意してみるべきである。

あなたが眠りに陥った時、その時に世界も何もありはしない、

肉体も、時間も空間も、ましてや星も宇宙もない・・

もし仮に、永遠にそのままだったら・・いつ・・時間や空間、

この世界や宇宙が出現するのだろう?

仮に、永遠にそのままであれば、

あなたにとっても、他人も何も・・ありゃしないではないか。

人はそれを死ぬこと等と言っているわけだが、

実際に、意識が眠っている間は、

事物も死も生も、何もかもがない・・という事も有りも無いもない・・?。

それを無意識、あるいは空(くう)と言っているわけだが、

その無意識の時は・・何を体験しようもない。

しかしながら、

わたしたちは毎日その状態(非顕現)を通り越して、意識が次第に目覚め、

毎朝同じような新たな世界を再現しているのだ。

 

ここに生きている間は、その無意識、空(くう)・非顕現と、

現実という色のついた世界・顕現の世界が変化しつつ繰り返される。

それはまさに、色即是空、空即是色、色不異空・空不異色である。

 

肉体は一過性でありながら、魂は永続性であるというように、

魂とは、もっと永続的普遍性を有した自己・・と言える。

また永続的、普遍的自己とは、単次元に制約されない多次元的意識ともいえるのである。

 

今多くの人が自認しているところの、今の「肉体個人」の私ではない。

もちろん今回の、生まれてから死ぬまでの個人の私もそれではあるが、

さらに、もっと普遍的な広がりをもった・・自己である。

そう、わたしとは、

単なる偶然の時空内生成物、死んだら終わりの肉体なんかではない。

意識・・色即是空、空即是色・・そのものだ。