気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

想念と創造

2022-12-25 03:27:57 | 意識の科学(実践編)

わたしの現実が、

わたしにとって不都合であるならば、

その現実を変えるのは、わたし以外にない。

同じく、

あなたの今の現実が、

あなたにとって不都合であるならば、

あなたのその現実を変えることが出来るのはあなた以外にない。

 

なぜならば、現実というのは、

わたしたちの主体たる意識が知覚体験している事柄の集合であり、

わたしたちの存在そのものによって、

周囲あるいは知覚する時空間として投影・出現しているからだ。

現実が勝手に出ているのではなく、主体意識・観察者が投影しているのだ。

それを全く忘れてしまっているのが、この物理次元世界の住人ということだ。

あなたがいなければ、あなたの世界はない。

実にシンプルな表現だが、この言語概念の中に重大な”あなた”に関する真実がある!

何度も言うが、意識を有する人間たちは・・創造主の子らであり、

創造主の子は創造主の真似事をしているのだから、これは当たり前である。

・・・・

ところで、

わたしたちは誰でも自分たちの現実をより良い状態にしたいと思う。

これはどんな人にとっても100%確実である。

絶対といって良いほど幸せを願っている。

そうではないか?

あなたはちがうのか?

では、

そのためには何をすべきだろうか?

今までは、外世界、他の人々を変えようとしていつも困難に遭遇した。

政治、運動、争い、騙し、戦争、革命などは外の世界、人々を変えようとする行為である。

もちろん良かれと思う部分が続けば、様々な悲惨さや後悔などを経験しつつも少しずつは進歩してきたわけだが、

そのやり方はあまりにも人間社会全般に、カルマや歪を蓄積するやり方であったといえよう。

ニサルガダッタ・マハラジ師が言うように、

それは鏡に映ったあなたの姿が気に食わないと言って「鏡」の方をガリガリとかきむしる様なものだ。

知覚された世界、外側の世界は結果の世界であり、それをいじくり回したところで、単に物事の配置換えや隠蔽をするようなものである。

外界という結果の世界で大勢が右往左往するだけでは、

いつまでたっても、争いごとが絶えず、その争いごとで使われる道具が、世界そのものを何回も破滅させるまで進化してしまった。

外の世界、他の人々を変えようとすることは意味がない。

意味がないどころか、多くの人はすべてをいつも、

いつも外の何か、誰かのせいにして・・

自分の世界を出現させている・・わたし自身・・を忘れていたのだ。

確かに、これまでの3(4)次元世界ではそうだった。

しかしながら、それはもう終わったのである。

 

・・・

もし、わたしの現実が、

わたしにとって不都合であるならば、

その現実を変えるのはわたし以外にない。

 

繰り返しになるが、

観察主体(意識)としての私たちが、その観察対象である世界(現象)を存在せしめているのであれば、

その観察世界・いわゆる現象世界は、観察主体であるわたしたちが創造しているということなのだ。

少なくとも、あなたであれば、

あなたの気付く範囲、意識する範囲、知覚する範囲のすべてが、

あなたに依拠して存在しているということなのだ。

そして、そのあなたの・・何に?依拠しているのだろうか?

・・・

それは「想念」あるいは「信念」である。

信念とは・・絶対にこうである・・!という強固な認識のことである。

絶対にこうである・・とは信じていない・・と思っていても、

当たり前の常識、普遍的なこと、間違いのないこと・・として、

無意識のうちにある「認識」のことを「信念」という。

 

その信念が・・あなたの知覚する世界のフィルターとなっている。

そのフィルターに汚れがあれば、その汚れが外側世界に投影される。

そして、それを知覚・体験するのは・・あなた以外にない!

誰かに変わってと言ったところで、絶対に不可能だ。

わたし(あなた)以外には、わたし(あなた)の世界の主体はいないからである。

 

光が・・青いフィルターを通せば青色の光になり、

赤いフィルターを通せば、赤色の光となるように、

あなたの知覚・体験する世界は、観察者としてのあなたの「認識」によって、フィルタリングされるのだ。

これは観察によって波動が粒子になる変化と同時に、そのい粒子がどのように観察者の知覚に映ずるかという機能に関わってくるのである。

波動が・・粒子になるとして、どのような粒子化・物質化、ひいては外界環境を出現させるか・・が変わってくるということだ。

 

そう、あなたは単なる観察する主体・・ではなく、

何を観察するか?・・を選定しているということだ。

いわば・・自作自演である。

おのれでシナリヲを描きながら、それを観察確認しているということだ。

・・・・

この深い意味では、

どのような次元世界を創造するか・・という根源的な意味もある。

だって、あなたの目の前の世界・物質で満ちた世界は・・・

あなたが観察することで、波動が粒子化して現れているのである。

 

さらに、単に観察するだけではなく、

何を観察するのか?についても、観察主体・・によって変わることになるということだ。

 

・・・

観察によって出現する物質は同じ物質でも、

その物質の展開するその様相が、

観察者の「意識」によって変わってくるということだ。

ここでの意識とは、

想い・イメージ・感情を含む、「信念」のことである。

 

 

異なる人が同じことを体験しても、受け取り方がそれぞれ異なることは、日常でも誰でも気づいているはずだが、

もっと高次のレベルでは、その人間(意識主体)の信念、こうである・・このはずだ・・という強固な認識によって、波動の物質化の様相が異なってくるのである。

・・・

 

なぜか非公式のままのようだが、波動が粒子化するときに、人間の想念が影響を与えることの実証実験もなされているようだ。

あるサイト記事から抜粋、

TOCANA2019年記事

 

・・・

 粒子との二重性を示す「二重スリット実験」では、観測者の存在が粒子の振る舞いを変えてしまうことが知られている。だが、たとえ観測していなくても、人間の意識のみで粒子に影響を与えることもできるのではないだろうか?

 そのことを証明したのが、超心理学研究家のディーン・ラディン氏だ。人間が離れた場所から意思を働かせることで量子論的現象を無効にすることができたという。これはつまり意思の力だけで物質世界に影響を与える超能力、サイコキネシスの存在を暗に示すものである。

「観察は何かを測定するだけでなく、観測するものを生み出します。私たちは電子が明確な位置をとるように強制して、私たち自身が測定の結果を作り出しているのです」(ディーン・ラディン氏)

・・・

ラディン氏の実験は長らく科学界では認められてこなかったが、この度、国立科学研究センター(CNRS)の研究者ニコラス・トレンブレイ氏が、ラディン氏が行った上記の実験の追試を行ったとオルタナティブニュース「Collective Evolution」が報じている。同研究は科学ジャーナル「PLOS ONE」に2月7日付で掲載された。

 トレンブレイ氏はラディン氏の実験の追試を2年に及び行った。具体的には、二重スリット実験中に被験者に意識を光学機に向けたり、そらしたりするよう指示したという。通常、このような行為は観測とは見なされないと仮定される(帰無仮説)。

そして、その結果は?

・・・・

「我々は否定できない異常を見つけました。被験者が縞模様を弱くしたいとis意識すると縞模様が弱くなり、縞模様を強くしたいと意識すると縞模様強くなったのです」(同論文)

 縞模様とは粒子が写真乾板に残す跡のこと。その濃淡が意識によって変わるとすれば、意識が物質に影響を与えたということだろう。トレンブレイ氏も人間の意識が粒子に影響を与えたことを認めているように見えるが、どういうわけだか「心と物質の関係を示す決定的な結果ではない」と慎重だ。

 だが、「Collective Evolution」はこの結論に満足せず、1987年に中国の「航天医学工程研究所(Institute of Space Medico-Engineering)」で行われた超能力実験(封のされたグラスの中にある錠剤を遠隔操作で動かす実験)などを引き合いに出し、意識が物質に影響を与えているのは間違いないと断言している。

 意識―物質の相関関係は、超心理学の分野ではもはや常識となっていることだが、まだまだ科学界ではタブー視されている。そうした中での今回のトレンブレイ氏の実験は大きな価値のあるものだろう。これを機に追試が成功していけば、科学界も超心理学の結論を認めざるを得なくなるだろう。

 

この科学的な事実は、いままでの次元世界では決して認められないだろう。

なぜならば、主たる意識が物質の世界を創り出している事実は、

3(4)次元世界での「認識」ではないからである。

また、

皆が皆・・主たる想念によって波動から物質化させるおりに、その粒子化の結果にも影響を与えていることがわかれば、

皆が皆、自分たちで好都合な環境、あるいは幸せを創造するに決まっているわけで、

大勢の人を囲い、制御するような機能、

外側の様々な組織やら権力・権威などはほとんど不要となってしまうからだ。

それは彼らの立場にとって、まことに不都合な現実なのである。

・・・

 

観察によって出現する物質は同じ物質でも、

その物質の展開するその様相が、

観察者の「意識」によって変わってくるということだ。

ここでの意識とは、

想い・イメージ・感情を含む、「信念」のことである。

 

だから、わたし(あなた)の世界、いや宇宙において・・

何が大事なのかといえば、まず、

わたし(あなた)自身の ”信念” を変えるということだ!

 

・・・

これが正しいかどうか?・・科学者の結論を待つ必要はない。

わたしたち自身が・・それで、そうして来たからである・・

それそのもの・・だったと、自ら気付くだけのことである。

あなたやわたしたちが、今不幸なのか?幸福なのか?・・・

それそのものとして・・すでに・・実証しているのである。

 

創造主の子らは・・全て・・

I AM THAT I AM

 

わたしたちの世界は、

わたしたちの主たる想念・信念の、その・・・

あるがままに・・現れている。

もしこれを変えたいと望むならば、

変えるべきは・・自らの想念・信念以外にない。

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

 

知識は表現・行為して初めて知恵・そして信念に変化します。

その信念は、それぞれの世界を創造する原案となるわけです。

ラマナ・マハルシは、いわゆる魂とは「想念の束」と言いました。

個別の魂とは・・想念の束、無数に集合した想念の集合形です。


観察と創造

2022-12-20 12:00:00 | 意識の科学(実践編)

実証された極めて根本的な科学上の実験を再度確認しておこう。

これらを深く理解することで、自分たちががいかに創造を行っているかがわかるからだ。

実証されたものにどんな否定も出来ないのが法則であり、また恩寵である。

言葉で表現された内容を深く吟味し、あるいは思い描くことで、その法則からどんなことが展開可能であるかがわかるものだ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

実証1)

物理学上の2重スリット実験でわかったことは、素粒子は人間の観察行為によって、波から粒子に変わってしまうということ。

人間の観察がなければ、波は波のままであるということだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

実証2)

さらに、「ホイーラーの選択遅延実験」によって、観察以前には物質(粒子)は生じない、つまり世界は観察以前には存在しない・・ということが実証された。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

観察とは何も見る行為だけではなく、見る聞く感じる機能である五感を使って・・内面意識が気づくということである。

観察者とは、対象に気付く者であり、対象そのものではない。

観察者とは・・対象(粒子・物質)ではない。

だからあなたも・・対象(粒子・物質)つまり肉体ではあり得ない。

そういうことになる。

・・・

視覚機能があって、情報が身体の五感センサーを経由して、頭脳内のニューロン細胞に電気信号が伝わる・・ということだが、それらもすべて細胞、分子、原子、素粒子といわれる「物質」の振動伝達機能のことである。

観察者とは、素粒子つまり物質の元素を出現させるものであり、

繰り返すが・・観察者とは、

空(くう)間に満ち満ちる不定形の波動を・・粒子に変えるその原因であり、決して・・粒子そのものではないのだ。

あくまでも、波動から様々な物質形態に出現せしめている・・いわば「主体」なのである。

主体つまり観察者は絶対的に・・物質ではないということである。

 

波動から粒子を生じさせるのが・・観察者であり、

結果作られた粒子で構成された物質が・・観察者ではないのは「明確」なのである。

・・・

だから観察者・・とは、決して物質、つまり素粒子の集合形ではないのだ。

そう、

観察すること・・色々な情報に気付くこと・・それは働き・法則といった方がわかりやすい。

無限に広がった空間、空(くう)に充満する「波動」を、

観察することで様々な物質を出現させているのが・・・観察者であり、

それはまた・・あなたやわたしたちなのである。

・・・・

あなたはただ夜空を眺めて、「あー広大だな~」と思ったことがあるだろうか?

それに引き換え、人間とはいかに小さなものであるか・・!と感じたこともあるだろうか?

 

嗚呼、でも朋よ・・

あなたの視覚に写っている広大な夜空も無限に向こうにある宇宙も、

あなたの耳に聞く風の音も、

あなたが嗅ぐ大気の匂いも、

冬の冷気に震える肌の感触も

それらすべて「観察者」であるあなたが・・創り出しているのだ。

 

・・・

「見るもの聞くものすべてを創造したなんて、そんなこと絶対あり得ない」・・と、こころは言うだろうが、

ここでいう「創造」とは・・根源的なことであり、

当然ながら、(肉体であるあなたが)草原の木々も、都会のビル群も・・あなたが手足や頭、知識を駆使して作ったわけではない。

そういう、図画工作や、陶器、機械、建築設計や構築という人知、肉体による「創作」の話ではなく、

手足、頭脳、精神活動にともなう人間の、試行錯誤での創作・創造のことではない。

 

観察することで、その観察対象のすべてが出現しているという、

もっと、もっと根本的な・・創造の話である。

それを・・今・・現に行っていることを言っている。

・・・

あなたがいるからこそ、そこにあなたの世界が出現している。

あなたが眠っているとき、その時に・・世界は存在していない!

眠っているその時にも、肉体はあるじゃないか・・と言うが、

それは他者があなたの眠っている身体を観察している話で、

その時に・・あなたは無意識・・であり、

あなたは・・肉体さえも知覚しない。

そう、あなたにとって世界・宇宙は存在していない

 

あなたが無意識であるときは、つまり観察者としてのあなたがいない場合には、

あなたにとってどんな世界も存在しない。

不定形の波動で満ちた空(くう)の只中にいて、どんな粒子(物質)も存在しない状態であるともいえるだろう。

 

あなたが夢を観ているときには、その夢の世界を創造している。

そして、朝にあなたが目覚めたとき、つまりあなたの肉体が活動を始めてからは、

あなたの肉体の知覚機能を通じて、再びあなたの世界を現出させているのだ。

もちろんその世界は、毎日毎旬おなじみの、

この世的現実世界、いわば3次元的世界といわれるものである。

なぜならば、あなたがこの世界にオギャーと生まれてから、

これでもかといわれるくらい、

この世的な認識で強固に教育されてきたからである。

 

そして、

その3次元的認識を通してこの世界を「観察」しているために、

その強固なこの世的認識世界として・・あなたが観察する・・その姿が繰り返し浮上しているのである。

 

極めて重要なので再掲しよう。

これは法則といってもいいだろう。

つまり必ず・・そうなる・・そうである・・働きである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

実証1)

物理学上の2重スリット実験でわかったことは、素粒子は人間の観察行為によって、波から粒子に変わってしまうということだ。

人間の観察がなければ、波は波のままであるということだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

実証2)

さらに、「ホイーラーの選択遅延実験」によって、観察以前には物質(粒子)は生じない、つまり世界は観察以前には存在しない・・ということが実証された。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

結論を言うと、いわゆる・・・100%!

あなたの世界は・・あなた次第であるということである。

もちろん他者の世界は、それぞれ他者次第である。

したがって、

他者を支配しようとか、そんなことは決してできないし、

やることに意味もなく、愚かで、無駄だという事だ。

ましてや、自分の幸せを他人が分けてくれるとか、創ってくれるとか、

あるわけもない!

 

・・・

そんなどうでも良いことに惑わされず、

あなたやわたしが、それぞれの世界を創造していることに気付かなばならない。

さらに、次に・・・!

そして、その世界がどうあれば「幸せなのか」・・・

どういう物語が楽しくうれしいのか・・・

全ては・・あなた次第、わたしたち次第であるということだ。

もちろん、これらは古代からの真実として伝わっていることであり、

知っている人は知っている話ではあるが、

物質科学の領域によってもそれが実証され、裏つけられたからには、

もう、どう言いつくろいも出来ないだろう。

実際に真面目に理解すれば、考え方・生き方・実践として反映されることになるものだ。

それがこの次元世界における・・目覚めであり、

1つの夢から覚めた者たちは、必然的に、

新たな現実という世界に入ってゆくことになる。

もちろんその世界・物語では、主人公は・・

それぞれの観察者、主体・・創造の元の子、神の子たちである。

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

 

昨今は明らかに時間の流れが速いと感じることでしょう。

それは古い時代の物語の最終章において、

名残惜しさが感じられるからではないでしょうか。

皆さんも、なんとまあ、ここまでよく来たものです。


次元・振動・観察

2022-12-14 04:20:20 | 意識の科学(実践編)

本来、次元という概念は物理学上で出てきたものである。

簡単に言えば、

1次元・点の世界、

2次元・線の世界

3次元・立体の世界

4次元・立体の変化(時間)の世界となる。

4次元は今我々の世界とされていて、3次元の立体空間における様々な変化すなわち時間という次元が加わって、合計4次元である。

宇宙という無限の3次元空間(xyz)において、様々な物質の変化を観察している。変化は時間経過(t)によって起きるとされる。

・・・

さて、ひも理論、超ひも理論という先端物理学では、全ての物質つまり素粒子は、弦(ひも)の振動のようなもので、その弦の振動パターンと振動数の違いが、様々な素粒子を生み出すと考えられている。

そして振動パターン、振動数の違いが11・12次元まであるとされている。

つまり、次元とは素粒子の元にある弦の振動の違いだと言うのである。

正弦波での振動数は1,2,3・・という階数になる。

 

 

ひもの場合の様々な振動パターンのイメージ

 

・・・

素粒子つまり我々が無数に接している諸物質は、全て弦の「振動の違い」であるということなのだ。

弦の振動、振動数の違い、エネルギーの違いが、物質としての形態の違いとして出現している・・ということになる。

単に・・物質・素粒子は弦の振動形態や「振動数」に還元されるのである。

一見なにも無い空(くう)に生じた素粒子として観測される。

その素粒子の集合形が「物質」である。

 

物理学上の2重スリット実験でわかったことは、素粒子は人間の観察行為によって、波から粒子に変わってしまうということだ。

人間の観察がなければ、波は波のままであるということだ。

さらに、「ホイーラーの選択遅延実験」によって、観察以前には物質(粒子)は生じない、つまり世界は観察以前には存在しない・・ということが実証された。

・・・

人間の観察に拠らなければ、この3次元世界は生じていない!ということだ。

これが結論である。

 

はーあ、難しそうな理論だな・・という考えはやめにした方が良い。

これは、今我々がここに生きて、死ぬまで生活している・・その在りのままを説明しているだけなのだ。

しかしながら、絶対的気づかなければならないことは何かといえば、

観察によって、不定形の振動エネルギー(波)が、定形の粒子状に変わるということである。

変わる‥という表現は厳密には不適切かもしれないが、実際に観察によって粒子として・・・観察される・・ということだ。

観察によって、観察可能な・・粒子になっている、というややこしい表現になるかもしれない。

・・・

あなたやわたしたちのこの世界での日常において、様々な人や事物に接しているけれども、

それは、わたしたちの観察によって・・起きている・・ということだ。

・・・間違っても、

厳密で確固たる物質で溢れた時空間(世界)に、物質肉体の人間が存在するということではない。

無限の物質世界に・それに比べて極小きわまりない物質人間が存在している・・・わけではなく、

人間がそれを観察・観測するからこそ・・その無限とも思える物質世界が存在しているのである。

・・・

嗚呼・・・何度も言わなければなるまい、

観察・観測しなければ、世界は存在し得ないのである。

あなたが観察しなければ、あなたの世界は存在しないのだ。

これを、思い巡らせ、深く認識すべきところである。

そうすれば、

あなたが何者か?というより高い、確たる認識が現れるだろう。

・・・

これに比べれば、今世界で生きている、あるいはあなたの明日の生活の悩みや、人生の悩みなど・・本来ならば・・・ごくごく小さな、あるか無いかわからないようなものだ。

そう、全ては・・小さなな極小で微細な波動が、あなたの観察によって出現しているのである。

oh,my GOD!・・・

 

観察・観測とは何かといえば、

難しい観測機器を使おうが、電子機器を使おうが、それは人間がその何かの物を「認識」するという行為である。

気付くこと、情報を得ること等が「認識」であって、それは「意識」あるいは意識的行為の事である。

 

したがって、

聖者や覚者達の共通した高次の教えでは、意識が世界を創っているとも言われるのである。

あなたが、あなたの世界を創っている・・のだ。

 

oh,my GOD!・・・

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

この世界のあらゆる物事が佳境に入ってきました。

古い次元認識の時間は残り少なくなってきたという事にも、

気付くべき時が来ているということです。

 


次元上昇

2022-12-11 06:32:22 | 意識の科学(実践編)

世界は、人間が観測するまでは存在していない・・

逆に言えば、人が観察するからこそ世界が現れている・・のである。

 

あなたにおいてもこれは真実であって、

あなたが観察・観測・知覚するから、あなたの世界が出現している。

あなたが観察・観測・知覚するまでは・・あなたの世界は存在せず、

あるいは、科学的な表現をすれば、

世界は潜在的で不定形の・・波動のままなのである。

潜在的で不定形の波動で満ちた状態・・これを空(くう)ともいう。

 

つまり、観察する主体、意識的気付きによって、

空(くう)から様々なものが具象化しているということだ。

 

観察によって、不定形の波動が粒子化(物質化)する・・のである。

物質を・・・観るのではなく、

観ることで具象化・物質化するのだ!

これを深く理解しなければならない。

有る物を観る・・のではなく、観ることで存在化するのだ!

日常のすべてがことごとくそれなのである。

 

・・・・

しかしながら、

ちょっとやそっとでは・・なかなか理解できない。

頭でわかっても、すぐに忘れてしまうかもしれない。

 

何しろ、長い間にわたって、

人間は肉体であり、我々の住まう世界認識も、

既に存在している確固たる世界を観ている・・とされていたからだ。

実にまことしやかに・・・。

・・・

しかしながら、真実は、

物質が先にあって、それが観察・観測されるのではなく、

観察によって物質化が行われるという事である。

 

したがって、観察主体・・真のわたし・・は、

物質的・時空的には、つまりこの次元世界には、

どこにも「存在」していないということになる。

あるいはどこでも存在しているとも言えよう。

 

そう、わたしとはまるで・・空(くう)なのである。

特定の何物でもないというのは、空っぽをイメージさせ、

そんなの自分かよ・・という想いによって誤解を受けてきた。

 

しかしながら、心の観察主体・・真我は、この次元世界のどこにも存在していない。

なぜならば、存在とは・・あるいは物質・具象とは、

そして、自分であると誤認識している肉体も含め、

あるいは、それが含まれる時間空間、つまり世界も、

観察された、物質化した・・対象・具象に過ぎないからだ。

 

真の観察者(真のわたし・真我)は、その具象化世界にはいない。

その世界の中の、特定の何かの物、誰かではないのは明らかだ。

これなど混乱するかもしれないが、

「わたしは、この世の中にあって、この世の者ではない」とイエスが言ったとされる言葉の意味も理解できるだろう。

宇宙スピリチュアル系で言うところの、

”イエスは地球人ではなく、宇宙から来た・・”という意味よりも、

さらに深い意味が推し量れるだろう。

・・・

鏡に映った自分の姿は、自分の投影であって決して自分ではない。

同じように、

観る者は、観られる物として投影されるが、

決して投影そのものではない。

映し出された像、物質として知覚された肉体の方を自分だと思い込むことは転倒妄想である。

そう、

今までの、主客転倒した妄想世界を・・今ひっくりかえすのだ!

主は外にはあらず、絶対的に・・内にあり!である。

外の世界を、他者を改革しいじくり回すのは愚の骨頂である。

それは鏡に映った鏡像がゆがんでいるからといって、

鏡をがりがりかきむしる様なものである。

 

 

時間空間という世界を創造、投影する光、根源からの出向者(魂・意識)であるそれぞれのわたしたちは、

どのような境遇にあろうと、

自分という世界の観察主体(魂・意識)を通して、

自分の知覚する世界を創り上げていることを理解することだ。

 

まず、そこに戻ることである。

どんな人が何と言おうとだ。

あなたが創造主の片割れ、神の子であると知ること以外に、

 

どんなこの世的名誉やご褒美、贅沢を期待するのか?

 

これを「真に」理解すると、どうなるか・・・、

主人公は物質世界、外界、あるいは不特定他者でなく、

観察する主体・・意識・わたしへと反転する

 

そう、この物質主体の次元世界から抜け出すのだ!

ここに居ながらにして、この世界から「次元上昇」するのである。

 

抜け出してどうなるのか?・・・・と、そんな心配など無用である。

何がどう逆立ちしようと、なにがどうなろうと、

たとえこの世界が終わりの時を告げようとも・・・、

それぞれ、わたしは・・

その時空間・世界を創造する主体・魂・意識なのである。

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。


意識的な世界へ

2022-12-08 05:40:58 | 意識の科学(実践編)

意識とは根本的には「気付いている」ことを意味する。

五感もあるいは六感も・・気づいていることのバリエイションである。

さて、

見ることも「見る者」がいなければ、見ると言う機能は存在しない。

聞くことも「聞く者」がいなければ、聞くと言う機能は意味がない。

同じく、味覚も臭覚も、触覚も、それを感じている者がいるからこそ存在する。

パソコンがパソコンでただそこに在っても意味がない。

機械が機械だけで、ただそこにあっても全く意味はない。

 

人間を肉体機能で説明する唯物論や機械還元論も、それはただ「機能」の話であり、たとえ頭脳で思考や感情の働きを電子・機械的に説明しようとも、それはあくまでも「機能」の話である。

 

誰が・・それに気づいているのか?・・そう、わたし・・である。

 

誰が・・と言っても、あの人この人の「誰」ではないが、あなたの根本的な自己自身への「気付き」・・それを・・わたし・・と言おう。

あなたは自己自身に気付いている・・だろう?

 

その自分自身が・・在る・・・と言う存在感覚・・それが私という存在、ひいては世界の「根幹」なのである。

誰でも当たり前のように、自分は今生きている・・と知っているが、

その「生きている」とは、肉体生命が維持できていると考えているけれども、

肉体生命は・・たとえ複雑であろうが、それは「機能」に過ぎず、それを見て、聞いて、感じている「わたし」こそが・・

人間という存在の「根幹」「根源」なのである。

そしてその わたし・・・私の根源・根幹にある、気づいている意識こそが・・魂の発露点である。

魂はどこにある?・・体のどこに?あるいは時空のどこにある?

すでに・・そこに在るのだ。

 

わたしという気付き・・意識によって、魂はこの次元に出現しているのである。

魂とは、あらゆるすべての根源(創造主)からの個性的な表出である。

あるいは創造主から派遣された、創造主を代弁する存在とでも言おうか。

これを宗教的にいわゆる「神の子」と表現することもある。

人間の幼児が、間違いなく確実に大人に成長するように、

神の子は・・神へと至る・・神性をすべて有するものだ。

 

あなたは理解しているだろう?

しかしながら、

すぐに忘れてそれが常識だとされる、この次元世界の様々な事象にハマってしまい、神の子どころの話ではない。

神の子の話は・・単なる概念であって、それが何かどでかい効果を現わさない限り、

「それは美しい概念だね・・」で終わってしまうからである。

 

頭だけの記憶で終わっていて・・その概念・想念が

・・現在・・今・・に浸透していないのである。

 

再度説明すると、

あなたが見ているもの、物、事象はのすべては・・

あなたが見るからこそ・・物質の形として出現しているのである。

それまでは波動・存在確率波、波として存在している。

その波は・・物質ではない・・。

物質化する、粒子化する・・元の波動・・である。

 

不定形の存在確率としての「波動」は、観察によって粒子(物質)化している。

 

わたしたちの意識・観察・・によって初めて波が粒子化するのだ。

 

見る事・聞くこと、感じる事すべては、意識によって引き起こされているということだ。

わたしたちのそれぞれの世界は、わたしたちの意識、気づくことによって・・(3次元的に)物質化しているのだ。

 

これを創造と言わずして何であろうか?

それを(知らず)行っている者を神の子と言わずして何であろうか?

・・・

わたしたちが、たとえ共同意識、共通意識で集まってみんなで認識しているからと言っても、

この世界ひいてはこの宇宙が、わたしたちとは独立別個に厳然と先行して存在しているわけではない。

意識ある存在・・わたしたちが・・それぞれで共同創造しているということだ。

この地球という世界も、そういう主体たる魂・意識体・意識存在たちが・・物質化・具象化した世界なのである。

物質が先にある?・・・わけではなく、意識が先にあるからこその世界である。

 

したがって、この観察する主体としての・・わたし・・たちの、

その意識の持ち方、気付き方・・あるいはマインドのあり方によって、無際限に展開されてくることが予測できるはずだ。

そう、

いままでは、主体的なマインド、意識の有り方ではなく、

外からの強圧的、あるいは保護的な押し付けられたマインドによって縛られていたともいえよう。

長い間のマインドの幽閉・束縛を解くのは簡単には行くはずもないが、

まず気づいて、理解して、そして「リセット」したあとに立ち上がってくることになる。

 

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人間は社会的動物だの、本能的肉体動物だの・・、

偶然生まれ、死んだら終わりの肉体生物だの・・・といった、

今まで、この世界でさんざんな嘘や誤魔化しにまみれ、

右に行き、左に振れ、他者に依存し、裏切られ・・、

必死になって刹那の生にしがみつき、人との調和より物銭金を集め、

騙され、騙し、虐待し、復讐し・・カルマを蓄積してきた人類も、

もうすでに、ここまで到達しているのである!

 

 

無理に信じることは不要であり、

単なる事実であることに気付くことである。

それが真の「理解」なのだ。

 

それが起きれば、魂・意識は、この次元世界を越えた世界(いわゆる高次元)を展開可能になる。

それが実際のアセンションである。

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このことは有名な物理学実験、「ホイーラーの選択遅延実験」でも実証されている。

 

 

サイト記事参照:(IN-DEEP 2015.6.6)

人間によって観測されるまでは、この世界は存在しない

 

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本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。