気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

今起きていること(23) 臨時増補ーその2

2020-07-30 18:04:40 | 地球の一大変容

今起きていることの臨時増補版ーその2だが、
これは是非にも知っておく必要がある「説」である。

我々がいるこの世界はいったいどういう世界なのか・・、
良い人ばかりの素晴らしい世界であったのだろうか?
いいや、そんなことはあるまいに・・。


自分の内にあった、見たくも聞きたくもない、蓋をしてしまいたい、

そのマインドの闇の部分を知ることが出来た人だけが、

いま世界で起きているこれが、

実際は事実に近いことだということが理解できるはずである。

ただただスイッチを入れれば、繰り返し、繰り返し与えられる情報は

断崖に進んでゆくレミングの群れへと誘うものであろうか。

気づけるだろうか?

自分の内にあった、見たくも聞きたくもない、蓋をしてしまいたい、

知らない、聞いてない、そんなの関係ない・・では済みそうもない

そのマインドの闇の部分、・・・

逃げずに、探し出し、それを知り、理解してこそ、

そうして・・始めてそれを超えてゆくことができるのだ。

 

 

他のユーチューブであるが、追加情報として紹介させていただく。

すでにご存じの人もいるとは思われるが、

ハッキリと知っておくべきではなかろうか。

 

今、世界で起きていること

 

あなたはどう想うだろうか・・。

 

-ーーーーー
これも内容からして、期間限定となるし、
この情報自体、長い期間出回ることもないだろう。

 

 


(31)受動意識仮説紹介 

2020-07-28 06:44:14 | 意識の科学

意識の科学の臨時増補版として、

他の人がUPした、ユーチューブ映像を拝借しての、人の意識に関する現代科学的研究の紹介である。

 

さる大学の講義のビデオ映像のようなので、アカデミックな世界に信憑性を感じる方ならば、(私)意識・・・の科学的な用語を使った理解が進むだろう。

講義の時間は長いけれど、貴重なお話が聞けると思われる。

ぜひどうぞ・・。

 

参考掲載させていただいた資料:

受動意識仮説

(これはユーチューブなので、短期間限定となる)

 

このビデオの講義内容を、ここなりに・・簡単にまとめると、


受動意識仮説とは、
ふつう・・私の「意識」と言っているのは表面上の(顕在)意識であり、すべては潜在意識が決めていて、表面意識はそれを受け入れているだけ・・・と、そういう仮説のことだと言えるだろう。

膨大な潜在意識の、ごく表面の意識を顕在(表面)意識と言っていて、

それを ”私だ・わたしだ” と言っているけれども、

私・・表面意識が・・、人間の人生・生活等の根本的な意思決定をしているわけではなく、

潜在意識が決めて行為・思考・体験している、そのエピソードを記憶・経験しているに過ぎないということだ。

---

 

したがって、表面上の意識、思考、感情、知覚経験のすべては、

潜在意識のなせる業ということになり、

その潜在意識自体を自らでプログラムすることなく、

私・わたし・・・の体験世界を変えることはできないということだ。

 

例えば、

この世界が不幸、不安、悲惨、孤独、悲しみで満ちているならば、

そういう風に表面意識が感じているならば、

原因である、自己内面(潜在)意識の中のその原因「歪(ひずみ)」を解消しつつ、

その時々で真に幸せを感じる方向へと、

再プログラムしなければならないということである。

つまり、

表面意識自体が・・自らの出自である潜在意識に気付いてゆく必要があるということだ。

そして気付いてゆく過程自体が、再プログラムとなって、

潜在せる意識の無限性の経験展開を生み出してゆく。

それを意識進化と言っていいいだろう。

 

例えるならば、

あなたにとって無限に親切な小人さん(潜在意識)が、あらゆる全てを取り計らってくれているけれども、その無数の小人さんたちがどう動いてゆくのかは、・・顕在「意識」の常日頃の気付き・・進化・深化に懸かっているということである。

 

 


今起きていること(22)臨時増補

2020-07-25 13:51:33 | 地球の一大変容

2016年の「今起きていること」シリーズの続きだが、もういい加減目覚める時期入ってしまったことが、本当にわかるかもしれないという思いで増補した次第である。

以下のサイト情報は、今、我々が大なり小なり、巻き込まれつつある世界的現象についての、隠されたシナリオと考えられる。

色々な観点から様々な見識もあるだろうが、負の可能性について、何も知らない、聞いてない・・と言うわけにもいくまい。

こころある人は、この時期になってよく理解ができるだろうと思うのだが、いかがだろうか?

 

目ざめの警鐘:

 

もちろん、このようなタイプの情報の記事紹介は期間限定となることを御承知いただきたい。

 


あるヨギの自叙伝より(17) 人は時空超えた旅人

2020-07-25 12:14:25 | あるヨギの自叙伝 抜粋解説

「あるヨギの自叙伝」(パラマハンサ・ヨガナンダ著)p443~

私は、先生がこのすばらしい説明をしてくれている間、先生のからだをあちこち観察した。

「天使のような先生、先生のおからだは、私がプリの僧院で涙とともにお別れしたあのおからだとほんとうにそっくりでございますね」

「そうだとも、この新しいからだは、前の古いからだと全く同じに出来ている。わたしはこのからだを、いつでも自由に、しかも地上にいたときよりもずっと頻繁に、物質化したり解体したりしている。からだを急速に解体することによって、わたしは今では、一つの星から他の星へ、あるいは、幽界から観念界から物質界へ、光という特急であっという間に旅行することができるのだ」 (注釈1)

神のようなわが師(グル)はほほえまれた。

(注釈1)びっくりするような内容だが、例えばテレポーテーションという概念を知っているだろう。テレポーテーションは、”こちら”で身体組成を「分解」して、あちらに「再生する」ということであり、二次元画面ではすでに画像の伝送等で行っていることだ。これを3次元的に行う事で、肉体の分解・再生がすでに先端科学では議論されている。肉体を構成する素粒子はまた波動であり、解体も、伝送も、再生も可能ということである。

ならば聞こう・・、わたし・・意識とは、解体されまた再生される肉体だろうか?
あちらにもこちらにも存在することが出来る者、時空を超えた者はだれなのか?

 

「お前は近ごろ、だいぶ忙しく動きまわっているようだが、わたしはお前をボンベイに見つけ出すのに何のぞうさもなかったよ」

「先生、私は先生がお亡くなりになって、ほんとうに悲嘆にくれていました」

「わたしがいったいどこへなくなったというのだね?それは必ずしも事実とは言えないようだね」

先生は優しいまなざしを愉快そうに耀かされた。

「お前は、地上で夢を見ていただけ(注釈2)なのだ。そこでお前が見たのは、わたしの夢のからだだ」

先生はつづけられた。

「そしてお前は、その夢の像を埋葬したのだ。だが今、それと同じ姿でそれよりももっと精妙なわたしのからだが、--今現にお前の目の前にあって、お前がしっかりと抱いているこのからだが、--別の精妙な夢の星に復活したのだ。この精妙な夢のからだも、精妙な星も、結局いつかは消え去ってゆくだろう。これらもまた永遠のものではないからだ。

(注釈2)夢は見ている時には、それが夢とは思わずに真剣になっているだろう。そしてそれが夢だと知ることを目覚めるという。我々は、あまりにも体の五感を激しく感じるために、現実という世界にいると信じ込んでいる。しかしながら、現実とは・・そこに勝手にあるものではなく・・意識があり・・観察しているから、存在している・・ように見えるのである。

 

あらゆる夢の泡粒は、結局は最後の目覚めとともに、消え去ってしまうのだ。わが子ヨガナンダよ、夢と真実を区別しなさい」

このベーダーンタの復活の思想(15)は私を驚嘆させた。私はプりで生命のなくなった先生のからだを見ていたましいと思った自分を恥じた。私は先生が、ご自分の地上における生命も、死も、また現在の復活も、神が宇宙夢の中で演じておられる観念の相対的表現にすぎないことを意識しながら、常に神の中に完全に目覚めておられることをついに理解した。

(15)本文注解(p446末) 
 生死は想念の相対性によって映し出されたかりそめの姿にすぎないという思想。ベーダーンタは、神のみが唯一の実体であって、あらゆる被造物すなわち個々の存在はすべて幻覚(マーヤ)であると指摘している。この一元論の哲学は、シャンカラのウパニシャッド注解にもっとも高度に表現されている。

 

「ヨガナンダ、わたしは今お前に、わたしの生と死と復活に関する事実を語った。

もうわたしのために嘆くのはやめて、わたしが肉体人間の住むこの神の夢にすぎない地上界から、幽体をまとった魂たちの住む、同じ神の夢である幽界の星に復活したことを、広く人々に伝えなさい。そうすれば、夢の死におびえたり、嘆き悲しんでいる人たちの心に、新しい希望が湧くだろう」

「はい、先生!」復活された先生に会えたこの喜びを人々に分かち与えられることは、私にとっても何とうれしい事であろう。  


あるヨギの自叙伝より(16)三つの次元体

2020-07-22 05:26:12 | あるヨギの自叙伝 抜粋解説

われわれの生まれて死ぬまでの間の、毎日の生活とはどういうことなのか、多次元的な側面から解説されている件(くだり)である。

「三界は唯心の諸現」という言葉があるが、我々はその三界の顕現体そのものであると言えよう。

いわば、肉体・マインド・魂・・、あるいはここで表現されている肉体・幽体・観念体の複合体である。別の表現では、多次元エネルギー体とも言えようか。

これらは、何か自分とは違うSF的、宗教的な話等ではなく、これがより現実的いえる話なのだ。

 

「あるヨギの自叙伝」パラマハンサ・ヨガナンダ著 p442

・・・

「人間の三つのからだが互いに関連しあっている証拠は、いろいろな面で人間の性質の三重性となって現れている」 先生はなおも続けられた。

「地上の人間は、目を覚ましているとき、その意識は多かれ少なかれ三つのからだ(注釈1)のうえにある。すなわち、視聴臭味触の感覚に集中しているときは、彼は主としてその肉体を通じて働いているし、想像したり計画したりしているときは、主に幽体を通して働いている。また観念体は、思索や、内観、瞑想に深く沈潜しているときに活動している。

 

(注釈1)からだというと「この五感肉体」のイメージだが、からだは固型肉体を含む多次元的エネルギー体とでも言えるもので、分かりやすく、肉体・精神・魂ともいわれる。五感で感じる肉体は自己表現体(多次元的エネルギー体)の一部であり、かつその肉体は具象化の最も先端部のかたち、長くは続かない粗い粗雑な”からだ”ということになる。

 

真のわたしとは何だろうか?・・それが問題(テーマ)だ。

 

 

天才といわれる人たちの宇宙的な構想は、自己の観念体とたえず接触している者に降来するのだ。この意味で人間は、官能的人間と、知能的人間と、霊感的人間(注釈2)に分離されるだろう。

(注釈2)官能人間とは肉体・五感感覚が主体の人ということであり、知能人間とは思考・論理などが中心の人、霊感的人間とは、新たな可能性、インスピレーション・発想・あるいはより高次の在り方にも意識が広がっている人と言えよう。

 

間は一日のうち、目を覚ましている十六時間は、自己意識が肉体にある。それから眠って夢を見ている間は、自己意識は幽体にあって(注釈3)、幽界人と同じように何でも自由につくり出すことができる。

(注釈3)常識では、私達は肉体であって、寝ている時はその肉体が夢を観ているだけのことと思っているが、意識は・・その時に夢の中で肉体を感じてはいない。意識が・・夢の世界中、現実という世界を行き来しているという事も出来る。地上の人間は肉体中心と言われるのは、我々が肉体そのものである・・と信じ込んでいるということである。
私達が肉体ではなく意識であり、・・意識・気付きの焦点は・・その時どこにあるか?・・で観なければわからない。

 

また夢を見ないほど十分に睡眠が深いときは、数時間意識の座を観念体に移すことができる。このような眠りには、心身の疲労を回復させる力がある。夢を見ているときは、意識は観念体ではなく、幽体にあり、このような睡眠には十分な回復力はない」

(注釈4)肉体中心の人間から見れば、深い眠りは・・何もしていない・・単なる眠りなど、単なる無意識にしか見えないだろう。しかしながら深い眠りがあればこそ、心は完全に安らぎ、肉体組織は改善され、新たな意欲やエネルギーが生じることに気付くはずだ。ちなみにマナ・マハルシによれば、地上の人間における深い眠りは・・「真我」の粗雑な状態であるという。我々から見て・・深い眠りには実に深い意味と可能性があるとわかるだろう。
真我・・それなくして、自由な夢も辛い現実も何もありはしないということだ。