気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

(33)すでに幸福で在ることの実感

2021-12-25 05:20:27 | 意識の科学(総合編)

幸福になりたい・・幸せでありたい・・という願いは人間共通である。

誰でもそうだといって良い。

しかしながら、誰でも現実は、そうでないと思っている。

そして、それを不幸せと言うならば、

不幸の様々な原因を色々上げることも出来るだろう。

知的な人ほど、不幸の原因のあれこれが分かるものだ。

 

こうだから、幸せではないのだ。

これが原因で不幸だ。

この原因を無くさなければ、決して幸せには成れない。

そう、不幸せの原因はこれこれ、かくかくしかじか、

実に賢く、そういう徹底的な理論武装をしている。

 

その不幸の原因は、主に、あなたの外にある条件・環境などである。

社会・世間・身近な人たち・・

身分、経済格差、生活のレベル、・・・、

こういう”外側の”様々な現実こそが、

不幸の原因であると・・漠然と信じているだろうか。

・・・・

あなたの外側・・あなたという根源『意識』の・・

外側の知覚対象世界、

それが・・

あなたの不幸の原因であって、

その知覚対象世界・環境を変えなければならない・・

そういう風に信じ込んできただろう。

・・

いや、何言ってんの、そうに決まっているじゃん。

それ以外にあるわけないじゃないの・・!

だからみんな世界を変えようと頑張ってんじゃない?

・・・

でも、ここで何かが?すり替わっていることに気付けるだろうか?

幸せとは・・外側が幸せというのではなく、

それぞれの・・・わたし・・の幸せなのである。

 

外側の世界が幸せであることが、

あなたの幸せであるという、実に高尚な人がいたとしても、

 

結局、条件付きで・・幸せだということだ。

でも、本来・・・

幸せとは・・・あなたが実感するものである。

外の世界様が・・「あー、わたしは幸せだ」と・・

実感するのではなく・・・

あなたが、わたしが実感すること・・だということだ!

これは・・絶対的な真実として気づけるだろうか・・・

・・・

わたしが実感することに対して、

わざわざ外の世界の条件を重く重くのし付けて、

「わたしは幸せではない!」と・・実感しているのである。

そして、

意識主体としての・・わたし・・以外の、

わたしを不幸にすると考える外的条件を非難している。

 

幸せに・・条件を課しているのだ。

銭、金、物、財、地位、名誉、勝利・・

 

「まずは、それが必要でっしゃろ?」

「だって、みんなそうやってるじゃない・・・」

「そのために頑張ってんじゃないの?・・」

それを超えなければ・・決して幸せには成れない・・・

常に、さき、先に用意される幻影・条件プログラム

実は・・・

それが不幸せの原因なのである。

あなたの内面にある本来の幸せ・・・

その周囲にまとわりついている歪んだ想念の群れ、

それが原因なのである。

・・・・

わたしが幸せではない・・ことの原因である。

簡単に言えば、

わたしが・・幸せではない・・としている

「想念」そのものだ。

 

だって、様々な条件をわざわざ用意して、

その条件を満たさなければ幸せになれない・・と、

そう信じ込んでいるのだから。

 

だから、わたしたちのあるべき姿は、

わたしたちが幸せである・・ことを認識し、

それを実感で波動確定することなのである。

 

そうだ!。。と思わなければ実感は起きない。

実感とは・・実在感覚であって、

現実という名の知覚対象世界の創造力なのだ。

・・・・

何が無くても、何があっても・・・

わたしは幸せである・・という無条件の「実感」は、

全託の信頼、無条件の愛からくるものであるため、

常日頃からこれを意識していよう。

 

どんなマインド手法を使っても良い・・、

また出来るだけ時間を用意し、

「あー、わたしは幸せである!」という実感を、

わたしたちの意識の中に溢れさせるのである。

 

創造の基本形、

内部に出てきた根源波動が、

外側に波動として伝搬・降下・現象化する。

 

いままで、繰り返し、繰り返し、長い時間かけて、

不幸せの中で頑張ることを刷り込まれてきたのであれば、

その、同じ手法を学んだがゆえにこそ出来ること。

 

・・・

繰り返し・繰り返し・・・内部を起動し、

意識を振動させ、

意識的存在として既に在る・・幸福の根源波動、

全ての起動元である内面意識の中に、

「あー、わたしは本来・・幸せなんだ・・!」という実感・・を、

それぞれのあなた中心に溢れさせ放散させよう。

今までの心の癖があるため、

当初は難しいけれど、

 

不幸を繰り返し、繰り返し演技するのが、

もう十分な魂たちは、

これを理解・実践するだろう。

 

意識的実践・努力は・・その分だけ・・真我への波動に近づき、

あー、これも幸せ、あれもそうだ・・という現実が増えてゆき、

至福と言われる・・本来あるべき現実へと近づいてゆく。

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 


(32)幸せである方法

2021-12-19 06:27:16 | 意識の科学(総合編)

人は誰でも幸福でありたいと願っている。

誰でもだ。

不幸になりたいとは、どんな人も決して思わない。

これは断言して良い。

例え闇だろうが光だろうが、誰でもだ。

 

でも、幸せではないと多くの人が感じている。

また成功者や大富豪や、世間でもてはやされている人は、

きっと幸せなんだろうと思っていて、

わたしもああなりたい、幸せになりたいと願っている。

 

・・・

これは真っ赤な嘘、騙しである。

あなたは幸福の所有者ではないと思うように仕向けた、

巧妙で愚かしい虚偽・詐欺である。

・・・

わたしは・・今・・幸せでないと、

子供のころから洗脳をされ、繰り返し・繰り返し騙され続けてきたのだ。

誰にだろうか?

周囲の人たち、社会の人たち、世界の人たちによってだ。

そうやって、騙され続けてきた人たちが、

そのままそれを伝え続け、不幸せなことが当たり前だと・・

そう想い、そういう言葉を発し、そういう行為をしてきた。

そういう集団を創り上げて来たのだ。

 

いかに自分は不幸であるか・・を実感し、

不幸であるがゆえに、

幸福を得るために努力をするのである・・と、

さも当たり前の論理を掲げ、

様ざまな社会的努力に勤しむことが、

生きていることの、人生の意味であると、

そういう風に思って頑張ってきたのだ。

 

こういうと、あーそうだね・・と思うだろう?

あなたは、ちがうのだろうか?

 

しかしながら、しかしながら、

いつまでたっても幸せではないことに、

あなたも、もう気づいても良い頃ではないか?

 

確かに、

幸せを得ようとして、頑張って、頑張って、

物や人や組織や地位を獲得し、

人々の注目を浴び、ほめそやされ、うらやましがられ、

・・・

あなたは一時の幸福感を得たかもしれない。

しかしそれは決して続くことはない、

それもすでに経験済みだろう。

実のところ、この世は、そのための人生である。

それに気づくための人生である。

 

幸福は・・得るものではない。

得たものは、失うということを意味する。

幸福は、得たり失ったりするものではない。

あーそうかも、と、それも理解可能である。

 

でも、あなたは今幸福ではないと・・・思っているだろう?

では・・

あなたは今・・幸福であると思えばどうだろうか。

わたしは不幸である・・とするのではなく、

幸福である思う・・とするのである。

つまり・・幸福であろう・・とするのではなく、

幸福である・・とするのだ。

 

「何かの条件がないから・・不幸だ!」・・が、大いなる詐欺師なのだ。

お金?名誉?人気?愛してくれる人たち?

それらが無いから幸福ではない・・と、パブロフの犬のように、

子供のころから条件づけられてきたことに・・気づけるだろうか?

 

「あの人のようになれ、あの人偉くなったわよ、随分お金持ちだよ、

あの方大企業の社長さんなんだって、お役人様待遇が違うね・・」

 

ハッキリ・・断言しよう。

彼らは絶対に幸福ではない。

なぜならば、幸福ではないから・・努力も、嘘も、騙しも使って、

必死に幸福になろうとしているからである。

 

しかしながら、ある人はこう言うかもしれない。

 

そうは言うけどね、

「何の努力もしないで幸福になれるわけはない。」・・と。

そう、そう、その通りと・・思ってしまう。

努力をして・・・⇒初めて・・ 幸福になる・・

こういうことを言っている。

そうであれば、

はしゃいで遊ぶ子供たちは・・幸福ではないのか?

家族同様のペットたちは不幸なのか?

いいやどう見ても不幸には見えない。

 

何かが変だと気付かないだろうか?

・・・

幸福は・・すでにある・在るものであり、

何かを獲得して得られるものではないということだ。

あなたが変身すれば成るものでもない。

大勢が同じ行動をすれば得られるものでもない。

 

実は・・幸福は・・すでに在るものであることに、

気付くべきなのである。

 

幸福であることに気付くこと・・

それを「実感する」ことである。

実は・・・努力は・・ここに集約しなければならない。

すでに幸福である・・と実感・するのだ。

 

実感することで、

いつまでたっても実感できない・・幸福が現れるのである。

・・・・

ここは多分、意味不明の方もいるかもしれない。

なぜなら、

いままで、、不幸の再生産マトリクスの中で、

随分とお騙し絵ばかりを見せられてきたかたらだ。

 

「何の努力もしないで幸福になれるわけはない。」

努力をして・・・⇒初めて・・ 幸福になる・・

その努力とは、

地位や名誉やお金や財産、見栄えや評判・・の獲得努力。

その全ては・・儚く消えるものばかりではないか!

それは・・幸福ではなく、

単なる一時の「創造されたもの」なのである。

 

真我は・・存在・意識・至福である。

創造物の中には幸せはなく・・、

創造そのものが・・幸福なのである。

 

 

幸福であることに気付くこと・・

それを「実感する」ことである。

実は・・・努力は・・ここに集約しなければならない。

すでに幸福である・・と実感・するのだ。

それが・・幸福の創造の・・元にある。

 

だから、何を置いても、

わたしは・・幸せであると・・実感しなければならない。

 

この実感が・・創造のパワーなのである。

既にそうである・・・こと、

これは頭で考え、すぐに忘れることではなく、

実感・・・をすることだ。

 

わたしたちは、繰り返し、繰り返し、

外の世界の虚偽のマインドに幻惑されてきた。

そして、大体いつも・・幸福でない状況を造りあげてきた。

 

であれば、

繰り返し・繰り返し・・幸福を・・実感することで、

 

大体・いつも幸せである状況を創り上げようか。

 

3次元的観念世界の普通のマインドの働きは、

考えて、想起して、そして忘れることだが、

それを超えた次元世界においては、

そのマインドを使って、感情という実感を使って、

本来望むあり様を・・自らで起動・創造することになる。

 

幸福であることに気付くこと・・

それを「実感する」ことである。

実は・・・努力は・・ここに集約しなければならない。

すでに幸福である・・と実感・するのだ。

それが・・幸福の創造の・・元にある。

 

単なる気の利いたスピリチュアル話でもなく、

そうなら楽しいなと思うような、寓話やたとえ話でもなく、

 

全てであり、全ての背後にある・・意識・・

その意識の派生した想念・マインドでの創造の方法である。

 

 

実感することが創造という・・

新たな生き方・・公式の話である。

 

・・・・・

 

意識の焦点化した先に・・知覚が起きる。

人間本来、そう私たちは皆・・そういう創造を行う者たちなのだ。

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。


(31)現実という「夢」

2021-12-17 06:48:00 | 意識の科学(総合編)

あなたがある夢をみた。

次に日には別の夢をみた。

それぞれの夢の内容・物語はなんとなく漠然としているだろう。

漠然としてはいるが、

その夢をみている「わたし」には気付いている。

誰か、他人様がみているわけではない。

 

それがどのような夢の物語であっても、

わたし・・という意識がそこにある。

色々な夢に気付いている‥主体は・・

つねに・・わたし・・ひとつ・・である。

 

観られる対象(夢・世界・肉体)ではなく、

対象を観ている者が・・・変わらない‥普遍のものである。

また観ること・・に永遠に気付いている者が

・・真のわたし・・真我だ。

 

起きては消えるという・・時間軸を超えているため、

永遠というしかない。

 

無数の人生を経験する者を

様ざまな人生を観ている者を・魂という。

仮に1回だけの人生で終わり・・というならば、

それは魂ではない。

それがこの世独特の大きな、真っ赤な嘘であることがわかるだろう。

現に今・・あなたは人生を観つつ経験している。

あなたは様々な事象に既に気づいている、

それは絶対に間違いがないはずだ。

 

夢を観ていようが現実に没入していようが、

ウソと誤魔化しで固められたマインドの迷路にいようが、

 

ウソだろうが・真実だろうが・・騙されていようが、

”意識がある”こと

・・・・気づいているではないか!

 

 

観ている当の者は・・観られている対象そのものではない。

あなたがみかんを見ているとして、

あなたはみかんそのものではないと同じことだ。

 

夢や現実という、観ているその物語は、

それが如何に詳細・意味深いものであっても、

”あなた”そのものではないということである。

 

今生きている現実という、実に広大で複雑な世界も、

あなたが気づいていて、肉体で知覚し、マインドで認識し、

とんでもなく意味深そうでかつ深刻であっても、

それはあなたという意識が観ているものである。

・・

それはあなた自身ではない。

 

あなたは気付きの集合体・・意識であり、

意識によって・・”観られているもの”ではない。

観られている対象としての世界は、

意識の言わば光(波動)によって、

時空というスクリーン上に展開される物語に過ぎない。

 

あなたである神は、

すなわち気付きの集合体としての無限の意識は、

いわゆる神・根源であるがゆえに・・

その物語の中に入り込んでそれを自らのものとして経験できる。

そのさまざまな物語のフレーム、仕組み、基本的あり様のことを

次元の多様性といって良い。

その中でも最も物質的な世界が、地球のような3次元世界である。

物質的であるがゆえに、

マインド、精神・意識という、

高次元的レベルから離隔したあり様となる。

・・・

それが今までのこの地球という、

今では小さくなってしまった、3元的時空認識の世界である。

 

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

 

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(30)転生と記憶

2021-12-09 06:21:44 | 意識の科学(総合編)

転生するのは「魂」と呼ばれるものだ。

当然ながら、肉体が転生するのではないことは明らかだ。

肉体が消滅しても、魂が残され持続されることを「転生」といっている。

・・

それは例えばパソコン(ハードウエア本体)とプログラム・データ(ソフトウエア)の関係のようでもある。

多分パソコンや端末機器などを使う人ならば、

誰でも経験しているはずだが、

パソコンが壊れたら、また新しいパソコンを購入して使う。

その際に、

以前に使っていた様々なデータファイル(記憶情報)を再びインストールすれば、

新しい別のパソコンでも、以前と同じような動作を再現することが出来る。

 

パソコンや携帯端末などの機器・機種が違っても、

以前と同様の働きを再現・続行することが出来るのである。

人によっては、何度も経験しているのではないだろうか。

 

パソコンや端末の本体とは違い、記憶され移植される”プログラム・データ”は、ほんの小さなUSBメモリなどに記憶できるデータ・信号である。

つまり、記憶・情報ということになる。

これは本体機器・ボディとは本質的に違うことがわかるだろう。

 

片や大きさや重さをもつ「物質ボディ」であり、片や物質的とは言えない・・いくらでも小さく記録可能な「記憶・情報」なのだ。

・・・

「肉体ボディ」は物体としての機能であり、「プログラム」はそれをどのように活動させるかという機能を生み出すものである。

これは肉体とマインドとの関係でもある。

 

通常は、肉体とマインドは混然一体となっているように感じているため、

それを一緒のもの、あるいはすべて肉体の機能であると考えがちである。

しかしながら、

よくよく自己観察が出来るならば

肉体とマインドは違うカテゴリー、あるいは次元に属していると知ることになる。

 

機器本体(ボディ)と、それを動かすプログラム・データは本質的に違うカテゴリーであり、

これが「肉体」と「魂」との関係に似ていることがわかる。

肉体(機体)は1回だけであるが、魂は持続・再現可能なものだ。

また、再現するためには「記憶」が必要である。

したがって、転生は「記憶」の持続が必要なのである。

・・

しかしながら、

「魂」という概念をどういう風に意味づけるかによるが、

魂を、人の存在としての”本質・根幹・原因”としてとらえた場合には、

魂は記憶そのものというわけだはなく、転生・進化する魂の一部には必然的に、様々な「記憶」が二次的に付随しているという事である。

 

あなたが人間として生まれた・・ということは、

既に、人間経験をするべくして生まれた、

持続することを可能とする、つまり経験・記憶があるからなのである。

あなたが、今生きて在る・・ということは、

かつても、生きて在った・・ということを意味するのだ!

今・・在るというは・・・過去も未来も・・在るということだ。

 

つまり、転生する「魂」には、様々ないわゆる過去生の経験や体験の「記憶」も付随しているということだ。

そうであるがゆえに、転生するたびに、魂の記憶が増大しつつ結果的に進化するのである。

例えば、

幼稚園生と小学生はその経験と記憶、それを活かす選択肢や行動・表現も違うのである。

ところが、

転生をするのに、どんな情報も持たず、一回一回記憶を持たず、毎回毎回ゼロからの立上げであれば、それは「転生」とは言わない。

わたし・・人間、いつも初めてです・・みたいなものである。

この世界は、まるでそんな信念が主流になっていたであろう。

あなたもそういう風潮の中で生まれて来たのではないか。

人間は知的な動物であって、偶然生まれ・そして死んだら土に還る。

それは肉体を見てそう言っているだけである。

 

われわれは、まるでパソコンの進化の仕組みにも劣る・・

一回ぽっきりの単なる機械体(肉体)である・・

などというような・・??

一体全体・・どんなに無知で無明な世界だったのか?

なるほど、

そういう観念的閉鎖世界に生きていたということは、

これまた奇跡と言わねばなるまい。

 

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

 


(29)転生の仕組み 自然の理

2021-12-02 07:18:17 | 意識の科学(総合編)

高みから低みへ流れるのがエネルギーだ。

上空から地上へ物が落ちるのは、重力のせいだが、

物は重力エネルギーが高いところから低いところへ移動するということだ。

物質の運動は、高いエネルギーから低みへと展開する「姿」を現している。

物質はエネルギーそのものというのは有名なアインシュタインの発見だ。

 

E(エネルギ)=MC^2(質量kg×光速の2乗)

そしてエネルギーは保存される、保存とは・・消えないで続いてゆくことだ。

それがエネルギーの基本性質である。

でもそれ、エネルギー自体は目には見えない。

目に見える物質は・・物質だが・・エネルギーの顕現したものであり、

エネルギー自体ではない。

 

エネルギーは、物質になり振動になり、温度に変換され音にもなる・・

そういう物理現象の背後にある・それらの元になる・・・普遍的な・・何かとされている、それがエネルギーであり、

そのエネルギーは保存され、様々な運動や振動として連続して伝わる。

エネルギーが保存しながら様々な現象に転化して行き、

空中に放散したならば、その物質、形態、現象は消えてなくなるけれども、

エネルギーは空中に保存されているのである。

エネルギー自体は・・・決して消滅せず、保存されるのだ。

現代科学では・・これは基本中の基本・・常識である。

・・・

さて、人間の転生に関しても同じことなのだ。

転生するとは、「魂」が・・次へ転がって生き続ける・・意味であれば、

「魂」自体は・・目には見えないエネルギーに相当することがわかるだろう。

自然界・宇宙の仕組みはフラクタル(相現象)でシンプルなことを知っている人であれば、

魂を、普遍的なエネルギーと捉えることは十分可能ではなかろうか。

それは消えることなく、保存され次々と展開するものであることが、大自然の理から見て・・当然のことだと気付けるだろう。

 

ここまでは、地球上での一般的な概念で話をしているわけだが、

転生をする主体としての「魂」が、

自然界の物理的諸現象の原因・元にあるエネルギーと、

同じ働きを持つものであると理解することが重要だということだ。

 

 

・・・

 

エネルギー・・諸現象の背後にある、原因としてのエネルギー、

魂・・・人生の諸経験の、背後にある原因としての魂、

簡単に言えば、

転生の主体である・・魂が・・エネルギーと同一の仕組みであり、

それは保存されて、別の形態(人生)に転化する・・・。

つまり生まれかわり、転生が存在する・・という仕組み(法則)だ。

 

「あんたその物的証拠はあるのか?・・・」

そういうことを言いたい人もいるだろう。

たいそうなことを言うが、証拠は・・?なんだ・・・である。

・・

しかしながら、

物的証拠を求める気持ちはわかるが、物を用意しても証拠にならない。

その現象を説明する背後にあるもの(法則)なので、

目に見えない物を、その人の前に提示したりすることはできない。

 

つまり、

自分で経験する以上の・・証拠はないのである!

そして、今あなたが生きて在る・・ことがその証拠である。

だからこそ、自分自身を知ることが大事なのだ。

 

・・・

その転生があるからこそ・・今ここに、この次元世界に、

生まれ、そして存在しているということなのだ。

あなたもわたしも、一回ポッキリ、単発のインパルスのような

偶然起きた・・刹那的な存在ではなく、

 

一連の転生ストリーム、転換し続ける生命表現のサイクル(波)そのものであるという事なのである。

 

従って、その・・人生を送っている・・それそれの・・わたし・・

自己自身を探求する以外に道はないということだ。

 

・・・

このブログをご愛読の方はそうではないだろうが、

たまたまある人は、よぎる想いがあるかもしれない、

「そうは言うけど、証拠が無ければ・・・ねえ、・・(疑笑)」

 

つまり、他者にその証拠を・・求めている、

誰かがその証拠を見せてくれることを待っている・・・。

というよりも、証拠が無ければ嘘に決まっている・・としたいところだ。

例えばそうならば、・・・

それって、おかしいんじゃないの?・・・

ということにもなるのだが、余計なお世話だろうか。

また、もうすでに、

そういう時代ではなくなりつつあることに気付けるだろうか。

 

 

(つづく)

例えば、映画を見る場合には、

親に連れられ、嫌々嫌いな映画を観ることもあるかもしれないが、

大人になれば誰も皆、自分で決めているはずである。

同じように、

どのような人生かも、最終的には自分で決めているのである。

ここで言う 自分とは、人生の因である魂のことだ。

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。