身の回りのあらゆる事物、そして同じようなカテゴリー内にある、
わたしの身体、肉体もすべて、
0.0000000000000001程度のエネルギー密度の存在である。
これは原子の構造からいえること、
ビヨンと飛んだ、思わせぶりなスピリチュアル言葉ではなく、
単に今までの科学的成果をそのまま言っているだけ。
そう人間の身体も、それ、
10のマイナス15乗程度の確度の存在集合体だ。
時間をとって原子構造のサイトでもちょっと調べてみるといいだろう。
何度も言うが、我々の身体もほとんど空っぽということだ。
「なにっ?・・たったそれだけかい?」
まったく、そのとおり。
ぎっしり詰まった物質なるものではない。
我々はもとは・・「空(くう)」なのである。
またここで、空っぽ・・・という表現は、
何も無い、虚無、などという観念から出てくるもので、
物質的な充足、いっぱい物があること・・が良いこと・・などの
世の中に広められて信じ込んだところの物質偏重観念から来ている。
さらに、
その空(くう)にある、わずかばかりの「波動エネルギー]、
それが<私の身体>というものを形作っているのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/7e/ca5b0af983cd69a4bf01f4d89a6e37a4.jpg)
の中の・・・、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/f7/bcf91793bdeb477a4d09547652328ad6.gif)
というか、また
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/d8/b07508d3c4f9a11a1e73561a1a78d36a.png)
のような、無限小の波動、運動エネルギーの<集合体>・・・。
・・というのが、かなりまともな「自己像」ということだ。
わたしとは・・99.99999999999999パーセント程度・・空(くう)なのである。
また物質なるもの・・あらゆるすべてがそれである。
まったくもって、色即是空、空即是色。
それを無理やり、ありがたそうな教訓として・・イメージする・・わけではなく、
全く・・それだということだ!
・・・
しかしながら、・・空(くう)だといっても、
今そこにいるあなたは・・<存在している感>をもっているだろう。
目で見て、聞こえて、味わって、お尻や足の皮膚接触感覚を伴って、
今そこに・・いる感覚がしっかりあるはず。
そう、
99.99999999999999パーセントの空(くう)さんが、
我ありという感覚を持って、この記事を見ている・・ということだ。
そういう、
もともと・・空(くう)の存在が、
それにまったくと言っていいほど気づかず、知らず、
世の中というバーチャルな世界の慌ただしさの中で・・
汗まみれ、嘘まみれ、感情の傷だらけ・・、
やれ、金が足りない、税を払え、年金資金を外国に貢げ、
あそこが痛い、頭がぼけた、剥げた・・(笑)
やれ、
売り上げ倍増が目標だ、今度は一位を目指せ!
泣くな、我慢しろ、もっとがんばれ、がんばれ・・、
もっと知力・財力を得て、尊敬を勝ち取れ、
民衆のように、お人よしの馬鹿になってはいけない
ひとかどのエリート目指せ、栄冠を獲得せよ・・、
他者の上に立って、安楽な生活をするのだ・・などとやっている。
良いとか悪いではなく・・・、
それらすべて・・空(くう)に描かれた、
0.0000000000000001パーセント程度の波動エネルギーなのである。
科学者たちも気づき出してきたこの世のバーチャル物語、
これは全くのホログラムのようなものなのである。
それも、・・かなりな部分、
ろくでもない?エゴまみれの価値観でプログラムされた、ホログラムだったのである。
なるほどながら、どこか面白く、また刺激的ではあるものの、
実に不思議なことに、
誰も幸せを感じていない・・物語だった。
しかしながらそれらはすでに終わったのだ。
ただ、ゲームは終わったのに気づかない者たちがいまだ多いため、
今少し、古い世界の残照が色濃く残っている・・・とそういうことだ。
今はもう誰にも、・・でもないが、すでに情報が回っているように・・、
思想家ベンサムが目指したという、資本主義による最大多数の最大幸福は、
1パーセントのさらに、1パーセントの者が、地球の富の半分以上を持っているとかで、
めでたく結末を迎えたということだ。
それとも、ガラガラポンでもう一度?あるいは仮想通貨でリベンジ?・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/d8/f49e86ff1537b5fd183dae704d634c9d.png)
気づけば、実際、どうでも良いことではないか?
この世界での約束事である、限られた人生において、
気づかず知らずに、社会体制というもので、どこかいつも騙されつつ、
それでも必死になって、生き死にを繰り返して来た<魂>たちは、
いくらなんでも、目覚める時が来ているわけなのである。
そう、
今のこのとき、永遠の今・・それを見逃さぬように・・・すべきであろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/c9/cd7dc2d354da8b6f944713fe4821ba8f.jpg)
・・・
それぞれのわたしが、物質、肉体、知的動物というのは、
まったく妥当な表現とは言い難く、
それは、なぜかしら自らをかなり貶める、おとしめる観念である。
繰り返すが、まともな科学的な見解で言うならば、
人も皆、空(くう)に描かれた、微小な波動エネルギーである・・
ということになるし、
またその0.00000000・・・000001パーセントの波動エネルギーは、
空っぽのように見えてまったくそうではなく、
ちっぽけな物質なるものも、そして身体も、
実に膨大な<エネルギーの集合体>でもあるということだ。
仮に、体重50kgの人の質量をエネルギーに換算するとして、
アインシュタインの有名な公式、E=mC^2 で計算してみると、
50×1000×25×10^6 kwh(キロワットアワー)
=約1.25×10^12 kwh(キロワットアワー)
=約12500 億キロワットアワー。
・・ちなみに、1億は10^8(8乗)である、
(あー、頭がくらくら・・・)
単純な科学計算をしても、
体重50kgの人のエネルギー保有量は、・・・実に膨大、というか、
抱腹絶倒?・・でなかった(笑)、いや、空前絶後・・もいえるわけだ。
物質というのは、我々が知覚可能な範囲の「波動エネルギー」であり、
つまりある一定の範囲の、エネルギー周波数帯域に限って認識されるもので、
いわゆる3次元(物理的には4次元)レベルのものだが、
それすらも無限のエネルギーを有していることがわかるだろう。
量子論で有名なディラックが言ったように、
空(くう)は虚無ではなく、またエネルギーの充満なのである。
えー?どっちなんじゃい・・(笑)
さらに、
波動の性質でいえば、
1つの波動も、さらに多くの、
より高い周波数による複合形成波で構成されているのである。
例えば、人間のボディとは、単に今目視可能な「肉体」のみならず、
メンタル、アストラル、エーテル、コーザル体と言われてきたような、
肉眼では目視不可能な、より高次の波動体を含んでいることが理解されるだろう。
そしてそれらも、人間の意識・・による観察によって・・現れてくる。
何事も、すべては、それと認めることで・・
それ相応に、現れるということだ。
ここでいう「意識」は、また「気づき」といってもいいし、認識といってもいいし、
「あー、そうだ!」という”迷うことのない直観”といってもいい。
わたしが感じ、わたしが・・観る・・・こと、これがすべてだ。
観ている者は、他者ではない、
TVの中の、それが仕事なので笑う人々ではない、
道歩く、多くの眠れるような人ではない、
さらに、政府や国や世界のお偉いさんでは毛頭ない、
わたし・・が、すべてを・・「観ている」のだ。
それに気づいている・・のが・・真のわたし・・
それは、物的対象でもなく、さらに観念的対象、つまり思考でもない、
気づき、意識そのもの、
時間や空間など影響あるわけもない、それ、
本当は定義などできっこない、それというしかない、
身近すぎて、自分自身でありすぎて、
決して「対象」ではない、、
なんでもないそれ・・。
ある意味で・・、まったく意味不明なのである。(大笑)
・・・
わたしとは、
空(くう)であり、また、
そこから生じている”揺らぎ”とも言える
”存在”という波動を有している、
また「存在」としての”それ”は、
微細な波動の様々な複合波、多次元存在であり、
如何様にも表現可能な無限の可能性である。
ただ・・今・・在る!
ここからすべてが生まれているのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/d6/1fbfae0ed4222fd7135e676f32ddd96b.jpg)
わたしの身体、肉体もすべて、
0.0000000000000001程度のエネルギー密度の存在である。
これは原子の構造からいえること、
ビヨンと飛んだ、思わせぶりなスピリチュアル言葉ではなく、
単に今までの科学的成果をそのまま言っているだけ。
そう人間の身体も、それ、
10のマイナス15乗程度の確度の存在集合体だ。
時間をとって原子構造のサイトでもちょっと調べてみるといいだろう。
何度も言うが、我々の身体もほとんど空っぽということだ。
「なにっ?・・たったそれだけかい?」
まったく、そのとおり。
ぎっしり詰まった物質なるものではない。
我々はもとは・・「空(くう)」なのである。
またここで、空っぽ・・・という表現は、
何も無い、虚無、などという観念から出てくるもので、
物質的な充足、いっぱい物があること・・が良いこと・・などの
世の中に広められて信じ込んだところの物質偏重観念から来ている。
さらに、
その空(くう)にある、わずかばかりの「波動エネルギー]、
それが<私の身体>というものを形作っているのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/7e/ca5b0af983cd69a4bf01f4d89a6e37a4.jpg)
の中の・・・、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/f7/bcf91793bdeb477a4d09547652328ad6.gif)
というか、また
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/d8/b07508d3c4f9a11a1e73561a1a78d36a.png)
のような、無限小の波動、運動エネルギーの<集合体>・・・。
・・というのが、かなりまともな「自己像」ということだ。
わたしとは・・99.99999999999999パーセント程度・・空(くう)なのである。
また物質なるもの・・あらゆるすべてがそれである。
まったくもって、色即是空、空即是色。
それを無理やり、ありがたそうな教訓として・・イメージする・・わけではなく、
全く・・それだということだ!
・・・
しかしながら、・・空(くう)だといっても、
今そこにいるあなたは・・<存在している感>をもっているだろう。
目で見て、聞こえて、味わって、お尻や足の皮膚接触感覚を伴って、
今そこに・・いる感覚がしっかりあるはず。
そう、
99.99999999999999パーセントの空(くう)さんが、
我ありという感覚を持って、この記事を見ている・・ということだ。
そういう、
もともと・・空(くう)の存在が、
それにまったくと言っていいほど気づかず、知らず、
世の中というバーチャルな世界の慌ただしさの中で・・
汗まみれ、嘘まみれ、感情の傷だらけ・・、
やれ、金が足りない、税を払え、年金資金を外国に貢げ、
あそこが痛い、頭がぼけた、剥げた・・(笑)
やれ、
売り上げ倍増が目標だ、今度は一位を目指せ!
泣くな、我慢しろ、もっとがんばれ、がんばれ・・、
もっと知力・財力を得て、尊敬を勝ち取れ、
民衆のように、お人よしの馬鹿になってはいけない
ひとかどのエリート目指せ、栄冠を獲得せよ・・、
他者の上に立って、安楽な生活をするのだ・・などとやっている。
良いとか悪いではなく・・・、
それらすべて・・空(くう)に描かれた、
0.0000000000000001パーセント程度の波動エネルギーなのである。
科学者たちも気づき出してきたこの世のバーチャル物語、
これは全くのホログラムのようなものなのである。
それも、・・かなりな部分、
ろくでもない?エゴまみれの価値観でプログラムされた、ホログラムだったのである。
なるほどながら、どこか面白く、また刺激的ではあるものの、
実に不思議なことに、
誰も幸せを感じていない・・物語だった。
しかしながらそれらはすでに終わったのだ。
ただ、ゲームは終わったのに気づかない者たちがいまだ多いため、
今少し、古い世界の残照が色濃く残っている・・・とそういうことだ。
今はもう誰にも、・・でもないが、すでに情報が回っているように・・、
思想家ベンサムが目指したという、資本主義による最大多数の最大幸福は、
1パーセントのさらに、1パーセントの者が、地球の富の半分以上を持っているとかで、
めでたく結末を迎えたということだ。
それとも、ガラガラポンでもう一度?あるいは仮想通貨でリベンジ?・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/d8/f49e86ff1537b5fd183dae704d634c9d.png)
気づけば、実際、どうでも良いことではないか?
この世界での約束事である、限られた人生において、
気づかず知らずに、社会体制というもので、どこかいつも騙されつつ、
それでも必死になって、生き死にを繰り返して来た<魂>たちは、
いくらなんでも、目覚める時が来ているわけなのである。
そう、
今のこのとき、永遠の今・・それを見逃さぬように・・・すべきであろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/c9/cd7dc2d354da8b6f944713fe4821ba8f.jpg)
・・・
それぞれのわたしが、物質、肉体、知的動物というのは、
まったく妥当な表現とは言い難く、
それは、なぜかしら自らをかなり貶める、おとしめる観念である。
繰り返すが、まともな科学的な見解で言うならば、
人も皆、空(くう)に描かれた、微小な波動エネルギーである・・
ということになるし、
またその0.00000000・・・000001パーセントの波動エネルギーは、
空っぽのように見えてまったくそうではなく、
ちっぽけな物質なるものも、そして身体も、
実に膨大な<エネルギーの集合体>でもあるということだ。
仮に、体重50kgの人の質量をエネルギーに換算するとして、
アインシュタインの有名な公式、E=mC^2 で計算してみると、
50×1000×25×10^6 kwh(キロワットアワー)
=約1.25×10^12 kwh(キロワットアワー)
=約12500 億キロワットアワー。
・・ちなみに、1億は10^8(8乗)である、
(あー、頭がくらくら・・・)
単純な科学計算をしても、
体重50kgの人のエネルギー保有量は、・・・実に膨大、というか、
抱腹絶倒?・・でなかった(笑)、いや、空前絶後・・もいえるわけだ。
物質というのは、我々が知覚可能な範囲の「波動エネルギー」であり、
つまりある一定の範囲の、エネルギー周波数帯域に限って認識されるもので、
いわゆる3次元(物理的には4次元)レベルのものだが、
それすらも無限のエネルギーを有していることがわかるだろう。
量子論で有名なディラックが言ったように、
空(くう)は虚無ではなく、またエネルギーの充満なのである。
えー?どっちなんじゃい・・(笑)
さらに、
波動の性質でいえば、
1つの波動も、さらに多くの、
より高い周波数による複合形成波で構成されているのである。
例えば、人間のボディとは、単に今目視可能な「肉体」のみならず、
メンタル、アストラル、エーテル、コーザル体と言われてきたような、
肉眼では目視不可能な、より高次の波動体を含んでいることが理解されるだろう。
そしてそれらも、人間の意識・・による観察によって・・現れてくる。
何事も、すべては、それと認めることで・・
それ相応に、現れるということだ。
ここでいう「意識」は、また「気づき」といってもいいし、認識といってもいいし、
「あー、そうだ!」という”迷うことのない直観”といってもいい。
わたしが感じ、わたしが・・観る・・・こと、これがすべてだ。
観ている者は、他者ではない、
TVの中の、それが仕事なので笑う人々ではない、
道歩く、多くの眠れるような人ではない、
さらに、政府や国や世界のお偉いさんでは毛頭ない、
わたし・・が、すべてを・・「観ている」のだ。
それに気づいている・・のが・・真のわたし・・
それは、物的対象でもなく、さらに観念的対象、つまり思考でもない、
気づき、意識そのもの、
時間や空間など影響あるわけもない、それ、
本当は定義などできっこない、それというしかない、
身近すぎて、自分自身でありすぎて、
決して「対象」ではない、、
なんでもないそれ・・。
ある意味で・・、まったく意味不明なのである。(大笑)
・・・
わたしとは、
空(くう)であり、また、
そこから生じている”揺らぎ”とも言える
”存在”という波動を有している、
また「存在」としての”それ”は、
微細な波動の様々な複合波、多次元存在であり、
如何様にも表現可能な無限の可能性である。
ただ・・今・・在る!
ここからすべてが生まれているのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/d6/1fbfae0ed4222fd7135e676f32ddd96b.jpg)