気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

全てにありがとう

2011-03-20 09:47:52 | 覚醒意識

あるがまま・・・、

 
この言葉の中には、我々が気づかなければならないものがあります。

 
 
どのようなことも、

 
どのようなものも、

 
すべてがすべての為にあるのだということに

 
本当に気づくためには、

 

自己の心頭を空にしなければなりません。

 
ここでの自己とは我(が)であり、

 
心頭とは騒ぐこころのことです。
 

この、自分のこころを観ることが出来なくては、

 

この世界で良くも悪くも培って育て上げた殻(から)に閉じ込められたままとなるでしょう。

 

人類の中に混ざった、恐怖や疑いや失望を乗り越えるために、

 

歯を食いしばることが、頑張ることが正しいとされている感じもありますが、

 

実は表面上のそういう意味ではなく、

 

その恐怖や失望や不信という感情の塊を「それ」と認め、

 

あるいは対象化することで、

 

本来のわたしとは別物、借りものであることを理解するのです。

 

これを例えれば、

 

我々が台風の目の中の一点に位置すれば、

 

それそのものの中にあっても、

 

それに同化してしまうゆえに混乱の極地に陥っても、

 

自己を見失わなくてすむのです。

 

ただし、渦巻くような感情の嵐、

 

突き上げるような悲しみや憤りを、

 

逃げることなく、また何かでごまかさず、

 

あるいは外の人や物事に思い余って垂れ流さず、

 

それを自己の内面で受け止めて、

 

しっかりと静かにそれを観じるのです。

 

一時はつらいかも知れません。

 

しかし、それがその意味を昇華するためには、絶対的に必要なプロセスなのです。

 

それぞれの「わたし」が、この世界で成し遂げなければならないものです。

 

それぞれのわたしが、それぞれの責任として1人1人がなさなければならないのは、

 

まず第一にそのことなのです。

 

他を幸せにしたいのならば、あなたが幸せであることです。

 

幸せとは、

 

今有る事実、奇跡のような今の瞬間に常に気づいていることです。

 

どんなあり方が良いとか悪いとか、勝手な評価をしないこと、

 

何が幸か不幸かを判断しないこと、

 

こころのさまざまに騒ぐ解釈に身を任せないことです。

 

あるがままとは、

  

野放図な状態でもなく、ケセラセラの無責任なあきらめでもなく、

 

今、ここに生きて有る事実に、常に気づいていることです。 

 

大勢の人々も、実はそうなのだということが理解できれば、

  

それが自然と「和」になるのです。

  

世界は大きく変わりつつありますが、

  

結果の世界の騒ぎに惑わされてはならないでしょう。

 

   

あなたは永遠に「あなた」ですから・・・。

 

 

この時空圏、同じ時と空間におられる大勢の「あなた」達に、

 

そして、すでに旅だった方々に、

  

同じ時期におなじ所で居合わせて頂いたことに、

 

こころから感謝します。

  

有難うございます

 

Bbf50099

(私信)

1か月以上前に使用中のパソコンがダウンしたために、しばらく記事UPができませんでしたが、そうこうしているときに東京にて揺れと帰宅避難を体験した次第です。

またぼちぼち拙い記事を出そうと思います。

ご配慮いただいた方々にこころから感謝申し上げます。

「下天は夢まぼろしのごとし」 とも言いますが、

読者の方々におかれましては、

さまざまな感情や情報に巻き込まれることなく、

今の激動の今の地球を生きてほしいと思っています。

真なる輝きはすでに大きくなってきていますので、

多くの人々の意識的な目覚めが増えてくるでしょう。

一時の悪化と見えるものは、それはそうでなく、逆に大きな大きなチャンスなのです。

また、

今回の東北関東大震災に遭われた方々にこころよりお見舞い申し上げます。