気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

輪廻からの超克

2008-06-29 11:24:59 | 宇宙的気付き

●輪廻という輪の法則 

輪廻転生という言葉は、文字通りくるくると同じフィールドで回り続けるような生命経験をすることでしょう。あたかも原子のまわりを回り続ける電子のように。また地球のまわりを回り続ける衛星のように。

 輪廻という言葉自体になじみのない生命は、いまここからの目覚めの時期にあらずと言うことのようです。これも決して問題というのではありません。遠足に出かけて、その最中でもう帰りの道を考えることはない。十分に遠足を楽しむのが良いわけです。但し、行きがあれば帰りもあるのが全ての生命形態に与えられている形態でしょう。それは振動のようであり、その波動は右に行き、左に行き、上に上がり、下に下がる。過去から未来へ、また未来からちがう過去経験へと振動する。生があり死があります。これらは忌避すべきものでなく、恩寵として親しむべきものです。遠くに行きっぱなしなど疲れるだけであり、行きがあれば戻りもあるものです。なんとメリハリの利いた法則ではないでしょうか。

●今の個我の相対性に気付く

 我々の輪廻の前に、その1つ1つの要素である、皆に与えられた限られた人生というものがあります。そのそれぞれの特別な人生は1度だけです。生まれ変わりはあっても、今の時空での己、個我は今だけのものであり、限られた期間だけ存続して、間違いなく消えてゆくのです。個我は今回の生誕から時間経過の中で培われ、その経過をとおしていつか有限の時間の中に消えてゆきます。すなわち、個我、今の肉体生育過程で培われた、己というアイデンティティー・自分という記憶は、時間という流れより下位のものであるわけです。何年何月にどこそこに生まれ、何年何月にどこそこでその生を終えるというように、時間によってその期間が語られるものです。今ここに生きているわれわれはその有限の時間の中で、意識をもって活動しているのです。

●物質肉体との同調・干渉経験

人生航路においてその意味を熟慮する必要があるわけですが、人間社会での色々な派手やかさや、惨めさ、矛盾や快楽等を含む、多くの人間達の観念体系の中にはまり込んでゆくことになります。その観念体系は「思い」によって構築されています。どのような社会システムも法律も、ビルや設備も、政府や権力構造も、全ては人間の「観念」によって出来上がっているのです。何も思わなければ、何も現れない。意識しなければ気付く事も無い。物質という強固に見えるものは、原子というスカスカの素粒子で構成されており、決して強固なものではないのです。我々の肉体自体の振動率が物質の振動率と同レベルであるからこそ、そのレベルで共鳴、干渉が起きるために、そこに存在するという感覚、しっかりした感覚を得ることになるわけです。

●執着は持続のための汗

 そのしっかりした感覚を受ける物質世界の中にいて、それに圧迫されたり、壊された肉体経験もあるでしょう。なんと弱い身体であろうか。なんと弱い自分であろうか。このひ弱な人間種の経験という幾多の人生の中で、必然的にこの弱い自分を克服する為に、あらゆる努力を行なうようになるのではないでしょうか。人生の合間の川を渡っても、その思いを遂げることになるでしょう。その都度、色々なことを繰り広げ、その結果に喜び、悩み、苦しむのかもしれません。

人生の幾多の経験の中にある執着・こだわりが、我々の輪廻という回転体を創ってゆくときもあります。実はそのこだわりこそが自分の成し遂げたい、克服したい「観念」なのでしょう。権力の頂点も、惨めさの底辺も味わう事が出来るのが我々に与えられた、この生命学園の恩寵なのではないでしょうか。輪廻転生という仕組みのおかげで、肉体の死後、中間生という休息・内観の期間を経て、再び、人生舞台に上がる事が出来るのです。まるで吸う息、吐く息の呼吸のような生命振動とも言えます。

●心地よい疲れ

しかしそうした時に疲れる時が来ます。疲れは多くの活動結果の証拠であり、惨めなものではないのです。この疲れに気づく時に、ようやく自分の来し方、行く末を俯瞰してみる事が出来るのではありませんか。

実は、その疲れは、やっとの思いで登頂に成功した瞬間なのです。逃げず、隠れず人生にありつづけ、右に振れ、左にぶち当たりながら、己の無力を覚り、全てを投げ出し、ここち良い疲れを感じる瞬間は「卒業」の合図であるとも言えるでしょう。真摯な登山者は山の上に到着した時点で、やっと疲れを覚えるものです。決してその途中ではないのです。1つの山に登頂した登山家は、心地よい疲れと言う宝物のような、すがすがしい「思い」を真に獲得し、再びもう少し困難だと思われる山を夢に描きそれを目指すものです。1つの輪廻からの卒業は、決して逃げる事でも、嫌がることでもありません。幼い経験、賢い経験、あらゆる感情や思い、それらの幾多の転生経験からやってくる、心地よい疲れに気づけるでしょうか。

 人生はどんなものでも全てにおいてありがたいものです。あなたやわたしの本当の「自分」は、輪廻転生、それらの1つ1つの要素である個我の人生が、何事も経験することのできる、奇跡に満ちたものであることを理解しているでしょう。

●自分という太陽の輝き

  山の頂、太陽がすぐそこにあるのがよくわかるものです。太陽はいつもそこにある我々の魂の輝きなのです。いつも輝いている今という瞬間は、刹那であるがゆえに無限であることに、気付けるでしょうか。・・・あなたはそう思えるでしょうか。

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(次回は、生命の連続の仕組みに関して、少し詳しい見解を述べたいと考えています。)


律儀な宇宙人との会話 Part 3

2008-06-21 11:53:42 | 宇宙的気付き

今地球時空でいわゆるUFOというものの目撃が頻発するようになったようです。この方もその1人でしょうか。

 

フワッ・・シュー・・・ヒューンンンン、ルル・・・。

・・・ドテッ!、バタバタッ・・ガタン(いてて?)

・・・しーーーーん・・・・ヒタッヒタッ・・ピタッ・・・

マスター: なっなんだ!・・・ややっ、そこに立っているのは、いつぞやの宇宙の方でしょうかね。

律儀な宇宙人:  ばっ?ばれました?どうしてだろう?こっそり来たのに。(_ _;)

マスター:  こっそりどころか、空中に物体化したときの空気の圧縮音や高周波振動音など、全部聞こえとるがなー。それにわざとらしい足音なんか、誰にも気付けますよー。(シラ~とした感じ)

律儀な宇宙人:  そうっ、そうなんです。時空に一体化する瞬間のソフトランディング処理がいまいちでして。ちょっと旧型の半物質形態での船ですが、でも愛着がありましてね。(・。・)

マスター:  でも久しぶりに、ようおいでなされました。いつもながらの粗末な峠の茶屋ですが。まー玄米茶でもどうぞ。えー?お団子は有償ですがね・・・ん・まーいいか、ついでにどうぞー。

律儀な宇宙人:  はー、お気持ちだけ・・いやその親愛フィーリングだけ頂きます。(^。-)

マスター:  で、どんな御用で?

律儀な宇宙人:  いつもながら用という用もないんです。・・何か質問があるかと思いまして、ここにいます。

マスター: げっ、そうですか。気付いていたんですかね。実は疑問だらけでしてね、1つ2つ聞きたいことがあるにはあるんですが。差し支えない程度に教えてもらえばありがたい。・・・言っていいんでしょうかね~?

律儀な宇宙人:  (ドキッ!) なっ、何でもどうぞ、こちらの判らないことは質問しないでしょうから、それがドキドキしますね。(・_・;)

マスター: 最近UFO目撃情報が世界で増えているという事らしいですが、これにはなにか「深ーい」わけがあるんですかね。以前とちがう状況みたいですが、どうなんですか?

律儀な宇宙人: それは人類の集合意識の中にちょっとした変化が起こったからです。

マスター:  どんな変化です?ニュースで流れるのもほんの一角のようですが。都会以外にも、事前のUFOの定義や情報にも接していない山岳民族や奥地での目撃もあります。

律儀な宇宙人: 人間の観念の中にないものは、たとえ視界中にあっても見ることができません。波長が合わなければ相互干渉しないのが波動の原理です。波動が干渉しないということは、その個人の世界での現象に変化がないと言うことです。たまに目撃体験をチラと認識した場合でも、そのものずばりの認識でなく、最も近い自分の観念と置き換える程度です。星や太陽、目の中の残像・・等として、一瞬に顕在意識から消してしまいます。催眠術で「あなたは・・・目の前の特定のものが見えない・・」等と暗示をかけられたら、人によっては不思議にもそれだけが見えないことになるのはTVのショーでもやっていますね。(・。・)

マスター:  ということは、UFOというものが空中等に頻繁に出ていることはある・・という観念がリアルになってきたと言うことかな?UFOの存在を認めてきたということですかね。

律儀な宇宙人: はい、そういうことです。

何事も理解の段階層があるものでして、目撃例が増えている現象の背後には他にも理由があります。(_ _)

マスター: へー、どんな理由なんですかね。

律儀な宇宙人:  宇宙人などと呼ばれている「地球時空外」から来ている存在もかなり増えているからです。対象が増えれば、それを認識する確率も増えるという単純な理由ですが。

マスター: それはそうですわ。ウヨウヨいれば目に付きますからね。他にも理由がありそうですが。

律儀な宇宙人:  そうですね。まずは見る側の観念が変化したこと。UFOとして見られる側も数自体が増えてきた事、すごく普通の理由なんです。もう1つ別にそれらに関連する理由もあります。

 それは、この地球時空自体にも変化が出ていることです。ある意味周波数が少し高い方に移行しているともいえます。物質を含む存在形態を表す波動の周波数・振動数が早くなっており、その分だけ情報が頻繁かつ詳細になるわけです。(- -)

マスター:  あー、その例えはよくわかります。周波数の低い粗い画像の白黒TVよりも、解像度の高い高周波帯を使用するほうが情報量も増えて、認識対象が増えてくるわけですからね。で、その地球の周波数なるものが高周波帯のほうへ移行しているということがどうしてUFOの目撃に関わるんでしょうかね。

律儀な宇宙人: 本来ならば宇宙という庭には、素のままの意識体で行き来できるわけです。宇宙船という形態で行き来するのは、複数の人格が歩調を合わせての移動がしやすい為でもあります。宇宙船という共通のゲシュタルトのおかげで集団活動がしやすいのです。我々が無垢な存在意識形態そのままで現れるよりも、はるかに組織的な活動が出来るわけです。

 その宇宙船ともいわれる、共通移動母体は、存在周波数変換機能を元にしている場合が多いのです。また例えですが、6チャンネルのドラマから8チャンネルのドラマに移行する場合には、その映像情報を、そのチャンネルの搬送周波数帯に乗せるだけですよね。そこから、ここにいくには、要は周波数を変えるということになります。結局は時間・空間も波動で構成されている為に、それらを含む色々な波動を制御するのが基本的な駆動方式なのです。

マスター: なるほど、物質、時空が波動での構成であれば、その周波数の変化に応じてというか、高周波数になればなるほど、その周波数帯に出没する物体も、映像として見え易くなるということでしょうかね。でもその存在周波数なるものは我々には比喩でしか理解できないのですが。

律儀な宇宙人: それはこれから理解していくことでしょう。素粒子、原子の挙動は波動で理解できますし、物質が存在の顕在側の波動であって、実は物質以外のいわゆる観念、思考、感情なども同じく別形態の波動であり、これは創造の原因側の波動とも言えます。おわかりでしょうか?(=。=)

マスター: なんとなくという範囲で、わかるような気がします。それで、要するに地球という時空世界が高周波数側に移行しているということも、UFOが目撃されやすくなっている理由なんでしょう。そういうことですかね。

律儀な宇宙人: はい、それも理由の1つです。

マスター: 見る側、見られる側、その間の条件の3つの整合性の問題ですか。それらに共通するものは、存在の波動形態の変化なるものですかね。ややこしいですが、簡単なようでいざ技術的に実証、再現しようとすると、かなりハードルがありそうですね・・・。

 それで、どうしてUFOなんかが増えているんでしょう。体脱体験者達によると、この地球の複数の存在層の上位の空きエリアにも五万と現れているようですが。

律儀な宇宙人: 地球の進化を見守っている、観察していると言うのが大方の目的です。現在は、あなた方もウスウス気付いているように、今地球時空は変局点、ターニングポイントにあります。経済・社会的にもある種飽和点を迎えているのがわかるでしょうし、自然の動きもそれに則して激変しつつあります。実は人類の集合無意識ではそれに気付いております。知らぬは表面意識だけということです。その表面・顕在意識が深奥レベルの変化に気付くことが出来ない程度だけ、環境の激変に遭遇してしまうのです。確実な変化を押し込めてきた分だけストレス、歪みが溜まっているんです。

 UFOなどが、地球の時空層にそっと、しかも大挙してやって来ている理由として、その多くが自己研鑽の為の観察という目的以外にも、人類の意識レベルの乖離、ギャップを緩和しよう動機もあります。包括的なケアもその目的です。

マスター: 良い子・悪い子・普通の子みたいなもんで、良い宇宙人、悪い宇宙人等の話もありますが、これはどうなんでしょうか、皆が観察や手を差し伸べる心根の者だけではないでしょうね。

律儀な宇宙人: それはそうです。画一化などあり得るはずもないわけです。例えば花にも無数に種類があり、中には毒やトゲをもつものなどもあるわけです。あなた方の社会も色々な意識レベルの人間で構成されていますが、ことさら恐れる必要もないわけです。自分の心根に波長が合うものだけが、自分の世界に現れると言うことを忘れないでください。

マスター: しかし、そんなにこの地球が注目を集めるほど特殊な場なんでしょうか?別にごちゃごちゃした雑居ビルならぬ、雑居時空のような感じもあるんですけどね。

律儀な宇宙人: 確かにその通りですね。別に地球だけではないのは当たり前です。しかしながら、我々の多くは、どんな事にも学んでゆきたいという意図を持った連中でしてね、奉仕という重要な学びが、その中心にあるのです。今それが楽くて仕方がない存在が多いのです。奉仕といっても押し売りに転落しないように、いつも気をつけながらのことですが。

マスター: なるほどね・・・、いるような、いない様な?それでも何か進化に関する現象でありそうな、そんな印象を持つような人も多いですからね。確かに、進化の刺激になっているんでしょう。すべてを行なってくれる救いの神様なんかには成り下がらないわけですね。・・でも結構世話になっているかもしれないような、そんな感じがしますが・・・。

それで今なんでこんなに大勢来ているんでしょうか?

律儀な宇宙人: それについては、例えでお話したほうがいいかも知れません。感情に響けばいいんですけれど。

 ある学校の卒業式みたいなもんでしょうか。卒業式の日には、普段は顔を出さない親達がぞろぞろ学校に集まります。卒業する子供達も緊張と不安と安堵感などで、普段とちがう雰囲気を漂わせているでしょう。身の周りはきちんと掃除がなされ、持ち物も整理されていますよね。なかには騒ぎまくるヤンチャ坊主もいたりします。

 そのような卒業式には家族達が教室の後ろに控え、それぞれの子供達を感慨深く見守っています。中には押さえきれないで、後ろから自分の子供の席まで行って、ハンカチを届けたり、小さい声をかけたりする親達もいるでしょう。しかし見えず隠れず後ろにそっと佇んでいる親達の心には、長い間の成長の感慨や思い出などが溢れているものです。時折親達に混じって、弟や妹もいたづらっぽい挙動で控えています。親子兄弟の立場はちがっても、成長の感動を共有しているのです。助け合い、気遣い、けんかや諍いなど、色々な経験をしてきた子供達の、大きくなった背中を見て涙ぐむ存在も多くいるのです。

 こんなに素晴らしい体験も、そう頻繁にはないと思いませんか。

・・・・あまりに極端な例ですが、似たようなものがあると思いますよ。

阿鼻叫喚、至福絶頂、善悪混交等、時折とんでもない想念を宇宙に向かって発信するような、地球人類も次第に成長してきました。おかげで周りのわたし達も成長出来るんです。これを感動と言わずなんというのでしょうか・・・・・

マスター: ・・・・・・・・・・・・・・

はずかしいことが出来るほどアホになるような経験をするのも、実はすごい事でもあるのかもしれませんね。

今は複雑な心境ですがね。ただ、何事も感謝することばかりのこの宇宙であるのは、今はしっかり理解していますよ。

Ufodocu0003

 

    律儀な宇宙人: ・・・そうですか。実は涙が出そうになるので、今回はこれにておいとまします。

  ・・・ドテッ!、バタバタッ・・ガタン(いてて?)

  フワッ・・シュー・・・ヒューンンンン、ルル・・・。


目覚めのプロセス 第6章(存在諸相の認識)

2008-06-15 17:04:32 | 新地球文明論

鏡の反映にしか自分の顔を見ることができないように、

あなたは汚れのない

純粋な意識の鏡に映るあなたのイメージしか

知ることはできないのだ。
 
(汚れのない鏡を得るのは)言うまでもなく、

汚れを取り除くことによってだ。

汚れを見て、それを取り除きなさい。

古来の教えは完全に有効だ。 

・・・・・・・・・・・・

要なのは

欲望、恐れといったマインドの「六つの敵 *」である

否定的感情 から自由になることだ。

ひとたび、マインドがそれらから自由になれば、あとはたやすい。

洗剤に浸けおいた布がきれいになるように、

純粋な感情の流のなかでマインドは浄化されるのだ。

 * 訳注 「六つの敵」 性欲、怒り、強欲、妄想、慢心、羨望。

 (I AM THAT 私は在る:ニサルガダッタ マハラジ)

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●存在の諸相

 マハラジは、その言葉の中で、人間を 肉体 <マインド <意識 <気付き <彼方 という層で説明しているようです。複雑なものごとの単純化作業は科学的な方法論の1つであり、、しばしばその裏にある真理、法則への最短距離を提示するようです。あらゆる種々雑多な現象も、いくつかの簡単な原理から派生しているのは誰しも納得できることでしょう。私の理解でそれらをわかりやすく整理することにします。

肉体・・・・・誰にもわかる「身体」のことです。この物質存在界の接点ともいえるでしょう。五体、目、耳、内臓、手足などがDNA等の設計図をもとに生成されており、これらは五感感覚がすでに装備された有機的物質組織ともいえます。いつも我々の主に意識が集中しているものですね。実は、肉体以外にもメンタル体、エーテル体などという多層の高次の身体というものがありますが、我々が五感に集中することで、はまっているのは、一番外縁の「肉体」です。

マインド・・・・・心の働きであり、思考、感情を生み出す作用です。特に思考、感情などは動物という形態の中でも最高に緻密な作用をしています。マインドは肉体の五感と密接な関係があり、外界からの刺激に基づいた感情や思いが生じるものです。思いや感情の反応対象としては、我々を取り巻く色々な人間関係などが最も大きい要因でしょうか。

意識・・・・・あらゆる存在形態を、波動として表現し続ける普遍的な「波動法則」ともいえます。肉体が物質分子で構成されていれば、それは波動であり、思いや感情もそれ相応の波動周波数を持っているわけです。森羅万象のその根本にあるものは、物質もイメージも含む存在形態を現す「波動の法則」ともいえるものであり、それは「意識」ともいえるでしょう。夢の状態や、我々の意識が無いと思っている深い睡眠状態も、1つの意識のあり方なのです。いかなる存在形態も「意識」で生起消滅をしていると言えるでしょう。

気付き・・・・身体、マインド、意識をつかって新しい価値を見出す、又は現すことそのものを言います。見えないものを見えるところに、無いという状態から、在ると言う状態にもってくる無条件に発生する、それ自体何の根拠も必要の無い、永遠にある「自発的な意図」と考えられるかも知れません。意識という働きは、己に気付き続ける原初の「意図」ある意味でハプニングでもあり、何にも拠らない純粋な「創造意図」と言っても良いかも知れません。

彼方・・・・肉体、マインド、意識、気付きを越えた「  」であり、空とも言えるし、それ自体があらゆる存在の基盤ともいえる、何もない、すべてが在る・・根源・・・。言葉では言いようも表現もしようのない「空」ともいえるものでしょうか。またはすべての可能性とでもいえるでしょうか

●本来統合されている人間存在

これらの各層のすべてを貫いている存在が、あなたやわたし達という存在です。人間以外の諸形態の生命も、それぞれ、「彼方」から現れ、無限に起きる「気付き」を創造原理として、「意識」をつかって表現しています。「マインド」という個別の生命層に備わった、時空認識・評価能力を持ち、「身体」という、個の形態という多様性を現しています。

 精神、心が物質環境の因であるという認識をすでにもっているならば、このようなさっぱりとした割り切りかたが、よく理解出来るかもしれません。なぜこんな簡単なことがわからなかったのだろうかと、クスッと笑えるでしょう。

●飽きは進化のバロメーター

 現象や思い、感情に振り回されて疲れ果てることにいい加減飽きてくれば、自ずとそれらを越えたいと思うようになってくるわけです。同じ遊びばかりをしていては飽きが来るのは当然と言えば当然であり、それらを経験しながら次の段階へ成長していくのは子供の時から経験しています。いつまでも子供じみた「鬼ごっこ」など続けることに意味があろうはずもありません。

 成長や進化が至極当然のことであるという理解に至れば、次に行なうべきはことは、肉体だけへの意識の集中から卒業し、それらの存在原因ともいえるマインド、心の働きにフォーカスすることであるはずです。自分のマインドを自分でじっくり観察し、それを見極めるまでになる必要があるわけです。思いや感情をハナタレ小僧のように垂れ流すのが恥ずかしいと思うようになって来れば、見識の広い、理解の深い、あたかも広帯域型の人間存在になってゆくでしょう。

●洗心は自己観察で可能となる

 まず、わたし達は単なる肉体存在ではない!・・ということを心底理解出来るまでにすることが大切なのではないかと思います。どうしてか?肉の塊であるという、無意識にこびりついている迷妄観念をきれいに洗う事が大切です。そのために自分の思いや感情の生起、移ろい等をしっかりと認識しなければなりません。。

●進化=自分と向き合うこと

 自分の思いや感情を観るのは最初は結構厳しいでしょう、とんでもない思惑やイヤミな感情もどんどん表れてくることもあります。しかしながら自分の中に彷彿と沸き起こる色々な雑念、雑感というものが次第にわかってくれば、不快さも怒りも我々に悪影響を及ぼせなくなってきます。あたかもラジオのチューニング外れであったのかも知れないという事に気がついてくるでしょう。それらは「真我」とは別のものと実際にわかってくるからです。そうした心の浄化の進行程度は、今ある心の感覚でわかるかも知れません。ハートのあたりに感じるゆったりとした穏やかな感覚や、これは絶対安心!と思わざるを得ないような、どう表現しようもないあたたかさが教えてくれるでしょう。

心の汚れは、はっきりと言えば「重り」です。我々は役に立った色々な経験に感謝し、己でこしらえた垢を落とすべく、真剣に自分自身を洗濯するべき時なのではないでしょうか。物質世界は空、気付き、意識、人精神の下位構造です。物質世界中心から心に意識集中を移してゆくのが、魂の帰還であります。先端に行きっぱなしも片手落ちと思いませんか。

いつもいつも他のせいにしてしまってきた自分に気がつけば、すべての責任は自分にあるということがわかるでしょう。

いつもいつも、私の「今」をおいて、他にあるわけもないのですから。  (了)

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目覚めのプロセス 第5章(不死鳥のごとく)

2008-06-08 10:58:14 | 新地球文明論

●五感センサを統合している者

 わたしがこの世界に存在している、という感覚が誰しもあるわけですが、そのごく普通の感覚は「わたしは在る」という感覚です。身体に備わった五感というセンサーからの刺激によって、それは確かなものに感じられます。座っていればお尻に圧力を感じ、立ち上がれば筋肉の躍動を感じます。見渡せばいつもの部屋が見え、窓から空を見れば、青い空がのぞいています。たまに訪れる小鳥の鳴き声や、近所を走りぬける車の騒音が聞こえます。

 しかし、わたしは在る、という感覚は、その五感のセンサー達自体が言っているのではありません。物理世界に生きている・・という刺激を総合的に認識しているのは、センサーでなく、センサーの情報を総合的に判断している「者」であります。その者が、「わたしは在る」という一瞬の総合的な判断をしているわけです。その者とは、あなた自身の意識作用であると言えます。このわたしという意識作用は、目覚めている時も、睡眠中も活動しているのです。しかし五感からの刺激がシャットアウトされた睡眠中には、それがないものと考える癖がついているようです。このような五感の刺激のみに依存した存在のあり方は、あまりにも片手落ちと言わねばなりません。睡眠中にあなたの存在自体がなくなるわけでもなく、それが証拠に必ず朝には目覚めます。

●意識作用自体が五感を生み出す

 昼も夜も、気がついていようと無意識であろうと、常に今という瞬間に立ち戻ることの出来る作用が、意識というありかたです。それらは、視覚、聴覚、味覚、臭覚、触覚などのセンサーを生み出している元の作用というものです。それらの五感センサーからの情報を、今と言うこの瞬間に統合しているのが、あなたやわたしと言う存在なのです。

 五感センサーからの情報は、実はすべて波動という形態の翻訳であり、誰しも今は理解出来るように、光、音も波動ですし、触覚なども物質分子の回転・振動運動による言わば異種の圧力変化を振動として、皮膚というセンサーが感じることです。もちろん素粒子の世界も、硬い粒子というイメージよりも、波動というイメージで捉えられています。このように、我々の存在を認識するより所のすべてが、振動、波動というもので構成されているわけです。実に波動に満ちた、いや、波動によって現れた世界と言ってもいいのです。

●波動の中心渦はすべての存在の中心点

 あなたやわたしはそれらの無限とも言える「波動」の中のほんの一角に、「わたしは在る」、という感覚を重みとして存在しています。わたしは在る!、あるいは生きている!という中心意識の回りには、その人の気付きの集合、記憶などを含んだ「自分の世界」があるわけです。大小さまざまな気付きの渦は、人それぞれに質や範囲が異なっていますが、それらは「汝らは、思うとおりになる存在である」 という意識法則に基づき活動をしています。渦の中心は、実は存在界のあらゆる質料をそのキャンバスとしているのです。存在の中心とは、あらゆる無限方向に対する絶対的な写像点とも言えるわけであり、決して無限小点ではないのです。 わたしは在るという、自分に気付いた存在意識感覚は、実は森羅万象のあらゆるものと1対1に対応している、無限の可能性を現すとも言えるのです。

●頂点たる顕在意識

 あなたの表面意識、顕在意識は、例えて言えば、巨大な企業のトップであると言ってもいいでしょう。あなたは顕在意識という、限られた認識世界(社長室)の中で、今の瞬間に、思いや感情という指令を発し続けているのです。ところがその企業(身体・心・魂)のビルの最上階にあり、社長室を出たことがないため、自分の思いや感情が、全社に指令を出しているものとは考えられないのです。自分の認識、常識という狭い部屋の外を見ることも少なく、ましてや、ビルの最上階にある己の部屋以外にも、多くの階や部署があり、あらゆる別次元の存在が立ち働いている事など知る由もありません。あまつさえ、自分の部屋に幽閉されており、実に孤独だ・孤独だ・等とつぶやいている程度なのです。

 自分の肉体という「部屋」の中に、震えながら、孤独を感じている「社長」(魂)などというものを考えられるでしょうか。あまりにも滑稽な自作自演のお芝居であると言っても良いかも知れません。すべての意識存在、特に人存在のレベルは、本来ならあらゆる意識存在の、それぞれの中心であるという自覚を思い出すことが今大切なのです。それぞれが、すべての中心であるという自覚は、各自の責任としていまここに提示されています。

わたしが在る、ということは、存在世界のあらゆる意識存在の支えによっていることに気がつくでしょうか。あらゆるものの支え、理解、愛、期待というものがあればこそ、・・あなたやわたし達は、ここに今在ることが出来るのです。

●頂点としての勇気と自覚を思い出す

外という刺激や変化に気を盗られ、そこに原初たる中心意識を勝手に固定してしまい、己を外界の1肉片であると思い込んでいる状態が、いわゆる「眠っている」ということでしょう。カゴメ紋という 両△の組み合わせは、物質次元を現しており、その中の小さな籠に、ワザワザ自分を閉じ込めていることを示しているのでしょう。

目覚めるということは、意識存在たる自分の無限性を思い出すことであり、己が1小片の肉であるという観念、架空の思い込みを捨て去ることなのです。

●不死鳥の飛ぶ惑星

今までの文明は、ひいき目に言えば、平等な肉体存在としての人間相互の存続システムへの模索を示すとも考えられます。しかし、自分とは何かという問いの答えが、一段飛躍したならば、無限へと続く存在としての自分達に気付くことになり、その責任と賛嘆を、楽しみながらもいかに表現できるかを模索する文明となるでしょう。肉体たる物質形態は存続しても、もうその中に幽閉された「籠の鳥」の人達の文明ではありません。

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目覚めのプロセス 第4章 (あなたは実在の証拠)

2008-06-03 22:19:17 | 新地球文明論

●無限存在の証拠

  実在・魂とはどういうものだろうか・・・。

実在とはどういうもの、といっても物ではない。

存在そのものであること自体を、到底、人の言葉では表し尽くせはしないだろう。

言葉では表せないとしても、証拠は、ほら今ここに現れている。

残念ながら、存在は、何処か遠くの夢の世界にはあるはずもなく、

現に今ここに、永遠の証拠として現われているものがある。

そう、あなたがそうなのだ!

  ただ、人々には、それを否定してみる、忘れてみる、途方もない自由意志もある。

己を忘れること、それは、神と言われる存在だけが出来ることとは思えないだろうか。

それは滑稽な演技であるとも言えるし、独特のユーモアをも感じないだろうか。

自分を忘れるなんていう思いつきは、極めつきの天才しか思いつくはずがない。

 ・・・そう思えないだろうか。

  宇宙の果て、多次元宇宙の果ての向こうの、・・更にその果てまでも、

たんなる小さな1点でしかないと知る存在だけが・・・、

無限の知覚や創造を優雅に楽しんでいる存在だけが・・・、

昼下がりの暖かい日差しの中で、 まどろむことが出来るのだ、

すべてを預けつくした乳飲み子のように、 

地球の揺りかごで安らぐことが出来るのも、

まさにすべてが愛に満ち満ちているからなのだ。

  すべてが「愛」に満ちているからこそ、 わがままが言える。

すべてが「理解」で創造されているからこそ、 道に迷う事が出来る。

それこそ目が回るくらいに経験している、酸っぱくて、甘い体験も、

苦くて、怖くて、辛い体験も、胸躍る栄光に満ちた体験も、

あなたや私を包み込む、宇宙より遥かに大きい、限りない愛があるからこそなのだ。

 

今ここに、無限存在である 「あなた」 という証拠が在ることに、

どうか、「わたし」にも感謝を言わせてください。

ありがとう!

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新しい地球は、己という無限の実在・魂と、有限の身体という恩寵をはっきりと理解し、未知なるものを探求することが楽しくて仕方がない、多くの人々で満ち溢れるようになるでしょう。すべての人々を、魂からの兄弟姉妹と感じる社会となり、色々な体験をした多くの存在達や、さらに成長を乞い願う存在達の、あらゆる色彩光の溢れる憩いの惑星になるはずです。

そのために、自分達皆皆がすべて、究極の光、あらゆる存在波動の根源であるという自覚を持つ責任があるのだと思います。

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