気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

死とは何か

2024-03-02 08:04:53 | 意識の科学(実践編)

多くの人は、偶然に生まれていつか死んで、それで終わりだと信じ込んでいる。

あるいは、死ぬという概念を非常に恐れていて、考えることすらもしない場合が多い。

「縁起でも無い。そんなこと考えちゃダメ!」

99.99%の人たちは、"死ぬまで"避けて通っている。

あなたはどうだろうか?

・・・

 

活動していた肉体が事故、事件、病で倒れ、いわゆる死の宣告から肉体消滅に至れば、

それで「わたし」たちは、すべて終わりだと信じられてきた。

 

つまり、わたし・・とはこの肉体である・・という信念である。

あなたは、本当にどう思っているのだろう?

ここでも、みんなと同じであれば、安心なのだろうか?

 

いやいや、もういい加減この3次元地球人類の、

真っ赤な嘘で出来た牢獄マトリクスからは卒業時期が来ている。

私たちは単なる肉体存在ではなく、多次元的存在であるという事に気付くべき時なのだ。

肉体は多次元的衣服の一層に過ぎないのである。

 

・・・

このブログでは、いろいろな「臨死体験」も記事としてきたが、

非常にわかりやすい体験解説の動画があったので参考になると思う。

 

人間死んだらどうなる?(3回の臨死体験者の解説)

 

 

超簡単に言えば、こういう事だといえよう。

死ぬときの感覚的苦痛は90秒程度であり、その後は苦痛がなくなり、肉体から透明ボディが抜ける。

自己意識(わたし)は肉体ではなく、その透明ボディに存在している。

その透明ボディから、肉体の自分を眺める状況になるわけだ。

その後、

魂本体(透明ボディの自己、意識体)は自然に上昇圧力にさらされて、

次元を高く高く上昇し、最終的には、

その魂に無限に親身で愛に満ちた、魂の集合体(高次の自己たち)に合流する。

この世への思いが軽ければ軽いほど、早く次元上昇して自己の魂たちと合流するが、

執着や葛藤を抱えたままでは、その想念の重さによって下に引かれ地上次元周辺に留まることにもなる。

これらが、呪縛霊とか残留思念などという現象と考えられる。

 

やがて肉体を抜け出た魂たち、滞留する魂たちも

”上からの”ガイダンスや導き、迎えなどがあって、

時間がかかろうとも、この地球3次元から”上次元”へと昇ってゆくことになる。

そして上の次元で魂の集合体での総合的な検討が行われ、さらに再生、生まれ変わりの体験プロセスに入ってゆく。

・・・

 

 

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。


意識と波動

2024-02-29 08:15:47 | 意識の科学(実践編)

このブログはしばらくしばらくお休みを頂いておりましたが、

またぼちぼち再開をしたいと思います。

 

都合で2023年8月から全く記事を更新していませんでしたので、

アクセスがゼロになってもおかしくはないのですが、

これまでの20年間近くの過去記事をご覧になっている方々がおられるようで、

アクセス数がそれほど激減するでもないことに驚いています。

 

・・

ちなみに、

このブログでは、すでに意識次元上昇後には、

あるいは”意識転換後”には当たり前にあり得るレベルの話をしています。

 

例えば、今更こんなことを信じている人はこのブログを見てはいないでしょう。

地球が宇宙でたった一つの生命の星だとか・・・

人間は死んだら終わりの、偶然の命だとか・・・

全てが固い物質で出来ていて、人間もその物質であるとか・・・

人間が偶然にサルから進化した声明形態だとか・・

地球は野蛮な時代からだんだんと文明が進歩してきたとか、

政府や支配側の人たちは皆民主的な人たちで、何だかんだでも国民のために頑張っているとか、

 

そういう今では全て虚偽とされるものに基づいた、

今までの監獄のような信念体系で語られるものではないので、

あらかじめ、ご了承くださいませ。

 

いわば、ここでの内容は、

もうすでに目を覚ました人々が納得できるタイプの話といえましょうか。

 

・・・

なんども言ってきましたが、

理解すべきはこのことです。

・・・

すべての根源は(あなたの)気づき・意識であり、

そこから想念、思考、そして無数の物質パターンが起きてきます。

 

これが理解できれば良いです。

地球という世界の仕組み、宇宙の仕組み、

生まれることや死ぬこと、生まれる前や死んだあと、

魂の進化、地球での輪廻転生、多次元惑星あるいは星間文明、

その他もろもろを理解できるためにも、まずこのことを把握すべきです。

 

わたしとは何か?

繰り返しますが、

すべては気づきであり、意識であり、

そこからあらゆるすべてのものが現れては消えてゆく土台です。

そして、

あらゆるすべては・・波動として出現し、

人にあっては想念や感情波動を巻き起こし、

そしてそれらも物質形態へと結実しつつ、

魂の感動の思いの間に間に・・・現れては消えてゆくことを繰り返す。

 

これが「波動」です。

そう、あらゆる全ては・・波動であり、意識なのです。

 

あなたもわたしたちも、波動であり・意識です。

決して、その波動の一形態でしかない肉体ではありません。

 

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

 

 

 


死んだらどうなる?その4 死後生の証拠

2023-04-22 08:03:59 | 意識の科学(実践編)

一般に「死ぬ」と言われる現象・事象は、生きている他の存在が自分の世界から消えるということを意味する。

あなたが知覚している世界の中から、特定の何かの存在、例えば知人・肉親・友人・その他の生きている人たちが消えることを意味する。

そして、あなたは、

それらを目撃、経験することで、「きっと自分も消えてしまう」のだと思うのである。

 

でもね、可笑しいじゃんないだろうか?

あなた自体が死んだ・・ということは、誰が知覚するのだ?

それを知るのは他の人だろうか?

あなたが死んだと、つまり無になったと?・・他人が知るのだろうが、でも、

あなたが死んだ・無になった場合・・どうしてそれがわかるのだろうか?

あなたが無になった・・というは「あなたは」わからないではないか。

何もかも・・無であれば、いったい全体何がわかるというのだ?

何もかも・・無であれば、いったい全体、今の生があるというのか?

・・・

きっと自分は死んで、将来は無になる・・というのならば、元から無であるということに他ならない。

でも、

今・・わたしは在る・・ではないのか?

 

間違いなく、

あなたは自分自身に気付いているだろう?

色々な環境、人などを知覚しているだろう?

わたしは在ると・知っているはずである。

 

しかしながら、

多くの人は・・人は死んだら終わりという大衆化された思考を信じている。

今在る私・・それが、将来消えてしまい・・永遠の無になる・・と考えている。

それが怖いから、今を真剣に生きるのだと・・弁解しているが、

そもそも・・、

そのもっともらしい嘘とパフォーマンスで、この人生が硬直しているのである。

 

死ぬのが怖いから利己的になり、自分だけは少しでも生き残りたいと、場合によってはあらゆる悪あがきをすることになる。

ちなみに今の世界は、古い文明の最終幕ということで、利己主義的世界的な権威や支配者が最も悪あがきをする時期にあるため、様々な問題が生じることになる。

 

・・・

突然現れた意味不明な・・自己の生・・・、

そしていつか突然に死んで、永遠の無になる?という思考を、

全般的に信奉している世界・この世界は、

実にとんでもなく、

無知で刹那的な特殊な経験が出来る世界であったと、

あなたはもう気づけるはずである。

 

ここをご覧の方々は、そうではないとは思うけれど、

もしこの期に及んで、未だに死後の生の証拠を出せというならば、

以下の書物を早急に熟読せられることをお勧めする。

・・・

他の多くの人が知らなくとも、あなたは知っておくべきである。

なぜならば、元々この世界の赤の他人、多くの他の人々は、

主人公たる「あなた」の周囲の無数の・・ダミー・脇役であり、

「あなた」自体が・・悟るために、わざわざ無知の姿で出演しているのである。

従って、主体性のないまま、その無知なる?大勢の人に合わせてしまうことそのものが、

その大勢の人々、つまりあなたの為にわざわざ無知を演じているその無数の脇役達の行為を無駄にしてしまう事になるのである。

 

そのためにこの世界に無数に存在する、他の大勢の人々(演技者たち)は、実に愛しい存在ではないか。

 

叡智ある者も、無知なる者も・・皆あなたのために存在しているのだ、それがこの存在宇宙なのである。

・・・

 

「臨死体験 9つの証拠」 2014年刊(㈱ブックマン社)

著者:ジェフリー・ロング、ポール・ペリー

(2014年刊 解説:東京大学医学部・教授 矢作直樹)

この書作は、思考・想念だけに特化したよくあるスピ系の内容ではなく、死後の生に関する9つの証拠を元にした科学的な報告書であると言えよう。

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました

 

 


死んだらどうなる?その3 アストラル体

2023-04-19 07:21:36 | 意識の科学(実践編)

●人は、肉体・精神・魂の複合体

人間死んだらどうなるかと言えば、どうにもならない。

人間は、肉体精神の”複合体”であり、

肉体が滅んでも精神・魂は消えることは無く持続するという事だ。

 

実は・・私たちの本質は、かつて死んだことがない。

でも今は過去(他)の人生の記憶が無い。だから人生今回だけと思い込む。

・・・

●意識の未開拓な文明・物質文明

この世では、肉体が変わるたびに、昔の記憶は潜在層にしまったままとなる。

自分を物質・肉体であると信じている文明では、人間死んだら終わりとされている。

というよりも、そういう風に信じるような社会風潮が造られている。

試しに、誰かに聞いてみると良い。多分こんな調子だ。

・・

A:「人は死んだらどうなりますか?」

B:「そうね、何も無くなる・・無でしょう」

A:「魂は生き続けるという話が昔からありますが・・・?

B:「そんなの迷信だ、こんなに科学が発達した時代だよ・・」

・・・

あなたもそう思ってい(る)たのではないだろうか?

・・・

肉体(衣服)を脱ぐことが肉体死であるが、自分自身を肉体と考えているため、肉体死は自分が無になる事だと考えている。

直感的な説明だが、

無とは・・無いことを意味する概念であり、つまり無は・・無い。

このシンプルな意味が、あなたにはわかるだろうか?

無は・・無いのだ。

いま在るものは、すべて形を変えて存続する。

形が変わる・・・ということは、

形が消えて・・次なる形で持続するのである。

消えた形ばかりを観ているから・・・失われたと見間違うのである。

 

●外の世界の事よりも、私は誰?が最重要

物理的科学は発達しても、それ以上の領域が手つかずであり、

相変わらず意識・精神の層が未発達、あるいは無知のまま、

意識層の中への探求がなされていない状況では、

記憶もよみがえることがないまま、

生まれたびに・・・「わたしは誰???・・・」から始めるわけだ。

もちろん、それは新鮮な「生のスタートの体験」であるともいえようが、

実際は、

わたしは・・あれだった、これだった、この人だった、彼だった、そこにいた、あの時代にいた・・・そのような多様で、多面的な自己を有しているのである。

意識内面への探求努力が無いために、人生においてここまで来ないということだ。

 

「わたしは・・誰?」・・・・

意識内面の探求という実に重大なテーマが・・人生の重要テーマから抜け落ちているわけだ。

最優先は、物銭金・外側世界でいかに生存努力をするか・・それが最優先テーマのようなものだったのだ。

あなたはどうだろうか?

 

・・・

●肉体以上の次元はアストラル体

肉体生・死は、地域や環境に最適な衣服の着脱のようなもの。

人が肉体死の後、3次元物質レベルの肉体を脱いだ状態は、精神・魂の状態であり、いわゆるアストラル体として存在している。

アストラル体は、肉体レベルの物質振動体よりも繊細な波動帯に属している。もちろん肉体・3次元的物質と波動帯域が異なっているため、通常の肉体視野ではアストラル体は視ることが出来ない。

 

アストラル体は、3(4)次元レベルを超えたエネルギー振動領域にあり、思いや想念、意思によって具象化しやすい高次元レベルでの「身体」ともいえよう。

これはまた思念・思考・想念が直接響く「身体」であり、つまり精神の成長が必須なレベルでもある。

 

●肉体は人のご縁によって造られる精巧なアバター

我々が保持している肉体は、

地球という世界、生態系における、人間同士のつながりによって紡ぎ出される、生体情報系の複雑な仕組みで作られるアバター(仮想体)のようなものだ。

人間関係の繋がり等を「ご縁」などとも言っているが、実に複雑極まりない時系列・動機・繋がり、男女の紡ぎによって1つの肉体が誕生する。

人間の出現する過程も、3次元レベルと言えども、無限宇宙内で織り成される、無限の多様性・調和そのものである。

・・・

別の角度で言えば、肉体は・・存在という波動層の最も振動の粗い帯域の波動(エネルギー)であるといえよう。

肉体のような外側の波動帯は、内側の波動帯(精神・魂)の性質・進化・によっても必然的に変わってくるわけだ。

・・・

 

以下は、信頼のおける伝言(メッセージ)である。

この世の、テレビや主要メディア等の、繰り返される嘘の情報の何兆倍もの真実を含んでいる。

繰り返し理解しておくことを推奨する次第である。

ーーーーー

「光への招待」

(太陽出版刊)クリシュナナンダ(1939~2012)より抜粋

238~239頁

・・・

 

人は、次のような事実を知るべきである。

現在の生を受ける前にも私たちは生きていた。

この生が終わりを迎えても私たちは死なない。

私たちは、肉体とともに死ぬのではなく、

アストラル体として生き続ける。

 

私たちが住む領域と次元以外にも、

様々な領域と次元が存在しており、そこにも人間が暮らしている。

その人たちは、サイエンス・フィクションに出てくるような、

緑色の小人ではなく、私たちよりはるかに知的で洗練された、

すべての科学においてはるかに先を行く存在である。

その人たちはまた、とても善良で心優しく愛情深い。

彼らは、今世でも来世でも、

さまざまなことで私たちに手を差し伸べてくれるだろう。

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。


死んだらどうなる? その2(記憶喪失)

2023-03-26 06:54:15 | 意識の科学(実践編)

●死とは次元移行

生まれること、死ぬこととは、「わたし」の本質、つまり魂・意識の「次元移行・シフト」の話だと捉えるべきである。

死も生も・・変化でしかないということは、古(いにしえ)からの経典では記されているし、東洋の覚者達は異口同音にそう語っている。

・・・

●死後生は実証済

近代以降、欧米から始まった、様々な臨死体験者の報告や生まれ変わりの体系的研究・調査によると、死んだら終わりだ・・という通念・常識は、実のところ真実ではないことがわかったのである。

死んだら無、全て終わり・・・ではなく、肉体死後も意識は続いてゆくのである。

しかしながら、欧米流の唯物思想に毒されてきた文明生活では、多くの人々がこの真実を知らず、知らされず、生活不安に煽られ、

米つきバッタのように、物質の集積を目当てに、目先の事ばかりを追いかけて人生を送ってしまうのである。

多分、あなたもそうだったように、

「死んだら終わり・・」と・・・いつからか?信じ込み、また、その死を恐れるがあまりそれを避け続け、いつまでも死とは何かを何も知らず過ごしてしまい、結局のところいわゆる「輪廻」の歯車にはまるのである。

 

●この世の人生間の記憶喪失

そう、輪廻転生とは記憶の喪失によって起きる、繰り返しの人生模様ともいえよう。プログラムの中の、条件付きの無限ループのようなものだ。

条件が満たされない場合、無限にもそこを繰り返すわけだ。

理由はこういう事だ。

かなり波動の粗いつまり振動レベルが低く、意識的記憶がフィルタリング(濾過)される物理次元世界に入った場合には、

魂の記憶へのアクセスが難しく、生まれる前の長い記憶も戻りにくい。またこの世の現実と関係のないレベルの記憶もなかなか蘇りにくいものだ。

そのような生まれる前の記憶がない状態では、死んだら終わり、後など何も無いはずだと考えるわけだ。

つまり死の本質を知らないことによって、人生と人生の間に・・「記憶喪失」・意識の断絶・・が起きるのだ。

そして、それが粗い意識状態でのこの世における転生となって、繰り返し引き継がれるのだ。

輪廻とはクルクルわまるカルマの輪、あるいは、

自己自身の真実にきづくまでの、記憶喪失のメリーゴーランド。

●自ら作るカルマの輪

その、記憶喪失はどうして起きるのか?・・

「死んだら終わりだ・・今回偶然、1回きりだ・・」

と信じていた場合、それが信念パワーとして有効であるならば、その人が再び生まれても、自分の過去生を忘れて生まれてしまうことになる。

だって、人生1回きり・・!という信念のまま死ねば、生まれ変わってもまた1回きり・・(の意識レベル)から始まるのである。

あなたも今回、そうだったのではないだろうか?

いやそれとも、そんな記憶喪失なんかありもしない?のだろうか・・、

 

意識上のベクトル:信念は、次へと続く・・まったく有効なパワー・情報として働くのである。

 

汝(なんじ)信じるがごとく、汝(なんじ)になる・・というのは聖書にあった言葉だ。汝とはあなたという意味だ。

 

●3次元とは、知らず自らを創造する次元である

I AM THAT I AM.

これは多次元宇宙すべてに通じている法則、自己創造原理とも言えよう。

例えば、宇宙の中の小さな?わたしという意識による意図・信念であっても、それはそのわたしを創造するパワー原理そのものであるということだ。

最も簡単に言うならば、わたしたちが信じていること・・それが創造されているそのもの‥とも言えるだろう。

・・・

あなたは今、今・・・、今・・一体何を信じている?

そして、それを自分で・・気づいているだろうか?

そして、自分で意図して創造するのだろうか?

 

それとも、知らず、気づかず・・刷り込まれたままだろうか?

・・・・

アニタの臨死体験(必読のサイト)

ご存じの方も再度ご確認を・・・。

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。