●人は、肉体・精神・魂の複合体
人間死んだらどうなるかと言えば、どうにもならない。
人間は、肉体、精神、魂の”複合体”であり、
肉体が滅んでも精神・魂は消えることは無く持続するという事だ。
実は・・私たちの本質は、かつて死んだことがない。
でも今は過去(他)の人生の記憶が無い。だから人生今回だけと思い込む。
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●意識の未開拓な文明・物質文明
この世では、肉体が変わるたびに、昔の記憶は潜在層にしまったままとなる。
自分を物質・肉体であると信じている文明では、人間死んだら終わりとされている。
というよりも、そういう風に信じるような社会風潮が造られている。
試しに、誰かに聞いてみると良い。多分こんな調子だ。
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A:「人は死んだらどうなりますか?」
B:「そうね、何も無くなる・・無でしょう」
A:「魂は生き続けるという話が昔からありますが・・・?」
B:「そんなの迷信だ、こんなに科学が発達した時代だよ・・」
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あなたもそう思ってい(る)たのではないだろうか?
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肉体(衣服)を脱ぐことが肉体死であるが、自分自身を肉体と考えているため、肉体死は自分が無になる事だと考えている。
直感的な説明だが、
無とは・・無いことを意味する概念であり、つまり無は・・無い。
このシンプルな意味が、あなたにはわかるだろうか?
無は・・無いのだ。
いま在るものは、すべて形を変えて存続する。
形が変わる・・・ということは、
形が消えて・・次なる形で持続するのである。
消えた形ばかりを観ているから・・・失われたと見間違うのである。
●外の世界の事よりも、私は誰?が最重要
物理的科学は発達しても、それ以上の領域が手つかずであり、
相変わらず意識・精神の層が未発達、あるいは無知のまま、
意識層の中への探求がなされていない状況では、
記憶もよみがえることがないまま、
生まれたびに・・・「わたしは誰???・・・」から始めるわけだ。
もちろん、それは新鮮な「生のスタートの体験」であるともいえようが、
実際は、
わたしは・・あれだった、これだった、この人だった、彼だった、そこにいた、あの時代にいた・・・そのような多様で、多面的な自己を有しているのである。
意識内面への探求努力が無いために、人生においてここまで来ないということだ。
「わたしは・・誰?」・・・・
意識内面の探求という実に重大なテーマが・・人生の重要テーマから抜け落ちているわけだ。
最優先は、物銭金・外側世界でいかに生存努力をするか・・それが最優先テーマのようなものだったのだ。
あなたはどうだろうか?
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●肉体以上の次元はアストラル体
肉体生・死は、地域や環境に最適な衣服の着脱のようなもの。
人が肉体死の後、3次元物質レベルの肉体を脱いだ状態は、精神・魂の状態であり、いわゆるアストラル体として存在している。
アストラル体は、肉体レベルの物質振動体よりも繊細な波動帯に属している。もちろん肉体・3次元的物質と波動帯域が異なっているため、通常の肉体視野ではアストラル体は視ることが出来ない。
アストラル体は、3(4)次元レベルを超えたエネルギー振動領域にあり、思いや想念、意思によって具象化しやすい高次元レベルでの「身体」ともいえよう。
これはまた思念・思考・想念が直接響く「身体」であり、つまり精神の成長が必須なレベルでもある。
●肉体は人のご縁によって造られる精巧なアバター
我々が保持している肉体は、
地球という世界、生態系における、人間同士のつながりによって紡ぎ出される、生体情報系の複雑な仕組みで作られるアバター(仮想体)のようなものだ。
人間関係の繋がり等を「ご縁」などとも言っているが、実に複雑極まりない時系列・動機・繋がり、男女の紡ぎによって1つの肉体が誕生する。
人間の出現する過程も、3次元レベルと言えども、無限宇宙内で織り成される、無限の多様性・調和そのものである。
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別の角度で言えば、肉体は・・存在という波動層の最も振動の粗い帯域の波動(エネルギー)であるといえよう。
肉体のような外側の波動帯は、内側の波動帯(精神・魂)の性質・進化・によっても必然的に変わってくるわけだ。
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以下は、信頼のおける伝言(メッセージ)である。
この世の、テレビや主要メディア等の、繰り返される嘘の情報の何兆倍もの真実を含んでいる。
繰り返し理解しておくことを推奨する次第である。
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「光への招待」
(太陽出版刊)クリシュナナンダ(1939~2012)より抜粋
238~239頁
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人は、次のような事実を知るべきである。
現在の生を受ける前にも私たちは生きていた。
この生が終わりを迎えても私たちは死なない。
私たちは、肉体とともに死ぬのではなく、
アストラル体として生き続ける。
私たちが住む領域と次元以外にも、
様々な領域と次元が存在しており、そこにも人間が暮らしている。
その人たちは、サイエンス・フィクションに出てくるような、
緑色の小人ではなく、私たちよりはるかに知的で洗練された、
すべての科学においてはるかに先を行く存在である。
その人たちはまた、とても善良で心優しく愛情深い。
彼らは、今世でも来世でも、
さまざまなことで私たちに手を差し伸べてくれるだろう。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。