気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

夢の話 (7)獅子座の4重連星

2013-06-30 09:51:45 | 見えないものから見えるものへ

「レグルス」という降って湧いたようなイメージを調べたところ、その恒星は獅子座の1等星α星であり、ウイキペディアによれば、なんと4重の連星であるということが記されていた。

 

たしかスターウオーズというSF映画の中に、太陽が2重連星の惑星のシーンが出ていたという記憶があるのだが、宇宙では連星太陽はざらであるらしい。

  

全天に輝く恒星のうち、その約1/4は連星つまり、2つ以上の太陽が相互に回転しているものと考えられており、なんと頭に響いてきた概念・レグルスは調べたところ4重連星であるとのことだった。

400px1


 

えー?4重連星?・・・、このウイキペディアの記述を見て驚いたのだが、3年前に見た深宇宙に高速で回転する4つの星の渦は、銀河でなく4重連星であったという事かも知れないと思ったのだった。

  

確かに銀河にしては、その4つの星の渦の回転自体が相当な速さであったわけで、やはり4重連星であったという判断が妥当であろう。

・・・ 

なんという事だろうか・・・

ここにきて、数年前に見た夢の記憶断片が、ジグソーパズルのような趣をもって、少しづつその輪郭を顕してきたようである。

 

 

そして、輪郭を表わしてきたジグソーパズルのストーリーとは、

 

まず3年前に見た夢の、深宇宙での「相互に回転する4つの星の渦」は4重星であり、その4重連星は獅子座の1等星であるα星、レグルスであったということである。

 

そしてその夢のあとに、地球大気圏上空に自分がいる夢が続き、そこからあろうことかダイビング?して・・・今の自分に戻ってきたというわけだ。

  

単なる夢としても、実に面白い夢なのであり、夢をも何かの情報として扱うものにとって、それが記憶に残るのは当たり前であるわけだ。

 

・・・

一部記事にも掲載したが、自分は過去にもリモートビュー的な夢をいくつか経験しており、

 

例えば若いころは火星への意識的旅行のようなもの、また、どこかわからない銀河のとある惑星と思しき所への一瞬の転送と帰還の夢、また最近記事にも出した太陽への意識旅行夢などがあるわけで、

 

この4重連星の夢も、そのような宇宙への意識的旅行の断片記憶とも感ぜられたのである。

 

なんと・・・無意識のうちにあんな遠くの星系まで意識旅行をしてきたのか!ということでもある。

 

「ほんまかいな~」(大笑)で済ませたいのが常識意識の常であるし、

当然ながら、身体が寝ている間のビジョン・映像・感覚であるために、それを変わった夢として精神的に落ち着かせることも可能であろうが、

 

人間は単なる肉体存在ではなく、多次元的な存在であるからには、それらは別次元での実際体験、肉体を超えたレベルでの多次元的ボディ(アストラル体等の霊的体)による実際の経験であるとも考えられるのである。

 

あるいは、しかしながらこれは逆に、自己である「魂」の故郷という概念を意味しているのかもしれない。

 

寝ながら意識体がレグルス星系に行って、戻ってきたということではなく、あるいはレグルス星系からかつて魂でやってきた・・・、というような潜在意識下での魂の履歴かもしれない。

 

そうであれば、魂レベルの1つの故郷はレグルス、獅子座のα星系なのか・・・とも言えるかもしれないが、

 

あるいはそちらの方にも、自分の魂の分身たる別のわたし、ヘミシンクで云うところの、I there 「むこうのわたしたち」が存在するのだろうか。

 

とはいえ、表層意識では、実際のところよくわからない。

 

しかしながら、肉体レベルを超えた魂的な経歴、あるいは膨大な転生の記憶、あるいは魂的なつながり、そういう拡大された縁(えにし)のようなものが、4重連星であるレグルス星系の「何か」にも存在することは間違いないであろう。

 

そうでなければこういう「意味深な夢」は見ることも聞くこともない筈である。

 

当然魂の転生舞台は、地球のみならず宇宙大であることが理解できれば、なるほど違和感のないことでもある。

 

実際、自分には、かつてエジプトや近代のフランス、ドイツの転生記憶の断片があるように、さらに壮大な魂のスケールでの、地球以外の別の星系での転生記憶などもあっておかしくはないのである。

 

・・・・

ちなみに先般提示した、足立郁郎著の「真・地球の歴史」(ナチュラル・スピリット社刊)には、地球人の先祖である近隣星系がずらりと書かれているのだ。

 

真偽のほどは定かではないが、その可能性を安易に捨てないとするならば、実に目が回るほどのことである。 

身体・魂レベルのいづれかは定かではないが、今から一万年前後での地球への移住の系譜によれば、ケフェウス座、小熊座、獅子座、大熊座、琴座、カシオペア座、オリオン座、プレアデス星団、金星・・・からの移住があったとされている。

 

この書によれば、これらの種族が現在の人類の人種を構成した直接の先祖のようである。

 

そして今から5340年前に、エゴ的堕落によって原子核戦争で滅んだとされているが、その後の核の冬と、全天を覆う雲が大地に一気に落ちてきたかのような、その水の浄化に関係するのがノアの箱舟の伝承であるのかもしれない。

 

170pxnoah_mosaic

あるいは、この時期の核戦争の痕跡が、モヘンジョダロ、ハラッパー、あるいはサハラ砂漠の古代遺跡で出土する灼熱のガラス片などとして残っているのだろうか。

 

もしそうであるならば、今の歴史の常識なるものは、相当に違う信念や観念で作られているか、あるいはあまりにも無知な状態に置かれているのか、そういう事である可能性が大いにあると感ぜられるのである。

 

なんだか自分でも記事を書いていながら、クラクラするような話ではあるが、いずれにしても今人類はその意識の到達する範囲を拡大しなければならない時期にあることだけは確かであろう。

 

今の時期に次第に増加してきたUFOや宇宙人の話にしても、エログロ、ナンセンスなトンでも話という茶化されたイメージを払しょくすべきであって、実のところは、壮大な魂レベルの進化や系譜というような、深いレベルでの理解の切り口が必要なのだ。

  

実は人類は、ごく身の回りのこと以外の『自己の真実』を、ほとんど何も知らないレベルにあるのかもしれないという、謙虚な意識的姿勢、

 

すなわち、「無知の知」というものを通過しなければならないということであろう。

 

 

 Road_1009


本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。


夢の話 (6)獅子座の太陽

2013-06-29 11:43:49 | 見えないものから見えるものへ

簡単に言えば、あなたやわたし達全てには、日常に対応している表面意識があるように、実に膨大な潜在意識があるわけで、これはユングやフロイトの言うような概念とは異なり、ある意味では膨大な転生の記憶があるということも言えるだろう。

  

またそれぞれの潜在意識は、全ての包括的意識、宇宙意識あるいは全包容的意識、創造主または神に含まれているということだ。

  

無限のひとつの意識、そしてその中に生じる個別意識が個々の生命体という表現をとりながら、全体の神意識に拡大しているのが、「魂の進化」と言われるものである。

 

わたしとは何か?・・という問いかけは、実は神が自らの姿を見るために顕したこの宇宙の原初の意図と同じものであると言えようか。

あなたやわたし、彼や彼女、動物や植物、それらそれぞれの意識レベルを通過するところの、無数の「魂」は、それぞれが別の輝きを持ちながら、もとは一つの全抱擁的「魂」につながっている。

  

そして宇宙のなかの様々な庭である様々な星、あるいはイエスの言った「天の住まい」での経験を重ねて旅をするのが、神の息子たち、そして娘たちである魂達の進んでいる「道」であるとも言えるだろう。

 

 

そう、「天道」なのである。

 

・・・・

 

また先般の夢の続きであるが、

 

前回の夢または意識体験は、4連銀河または4つの星の渦を見たのち、いつか地球の大気圏上空にいて、そして多分次元というか、時間と空間を飛び越えて、ただ今の現在に戻ってきたという筋書きに思われた。

 

それは魂のなかの記憶の断片の再生であったのか、あるいは潜在意識の気まぐれから出てきた面白いストーリーの展開であったのか、あるいは日常の何らかの出来事に関連した想像上の夢物語であったのか、

 

実際のところよくわからなかったが、それがすぐに思い出せるレベルのイメージとして残り、忘却の彼方に消えることはなかったのだ。ここでもただ観たことをそのまま覚えていることしかなかったわけである。

 

・・・あれはいったい何だったのか?そういう問題意識として記憶に残ったとも言えるだろう。

 

・・・・・

 

そして約半年前にあるイメージが寝起きの瞬間に突如と出てきたのだった。

 

自分の経験でも言えることは、寝起きのある意識状態は、脳波で云えばシータ波からデルタ波の間のどこかであると思われるが、この脳波で象徴される意識レベルは、実に発明や発見、あるいはテレパシー的な直接の意識、思念の伝搬、重要な気づきや悟り感覚などが起きやすいレベルなのである。

 

瞑想や最近のヘミシンク等を経験している人々ならば合点がいくはずである。

 

・・・・

 

で、その時に出てきた強烈なイメージは何かといえば・・・「レグルス」という言葉であった。

 

え、?なに?レグルス・・・レグルス・・・いきなり頭に響いてきた言葉・・それって何だ?

 

・・・なじみのない概念だが、ただ、どこかで聞き覚えのある言葉でもあった・・・・。

 

そうだ、

 

以前読んだ書籍、確か足立郁郎著の「真・地球の歴史」というものの中にあったような気がして、目覚めたところで寝床から起きだして、その本を探したのだった。

Ohkawa


実はこの書籍の中には、真偽は定かではないけれでも、地球の数億年にわたる宇宙植民の歴史が書かれている。

 

地球だけが生命の星などという、それこそ定かでない思い込みをさせられている現状に在って、この書物ではそういう豆粒のように固まった固定観念など一気に吹き飛ぶような、広大な真の地球の歴史が書かれているのである。

 

えー?マジ~?! なのである。

 

ムーやアトランティスは数万年前のステージであるが、「真・地球の歴史」には数億年前から現在に至るまでの、地球という惑星の様々なステージの記録、宇宙からの人間種の入植や転出等の歴史が書かれているのだ。

 

例えば、そこには日本人の祖先の出身星?や、日本列島に足跡を残した複数の宇宙植民種のことも書かれている。

  

部分だけでは誤解があるかもしれないが、ちょっと抜粋してみよう。

 

「真・地球の歴史」 119ページより、

・・・

この5000年の初期には実にダイナミックな移動が地球上で起こりました。おうし座のアトラス星以外のタイゲタ、ケラノア、マイア等のプレアデス星団系の人達はイスラエル地域から大気圏内用宇宙船(UFO)で20万人が日本の中部地方へ移住してきました。

また南米北部のコロンビア地域他からやはり大気圏内用宇宙船(UFO)で30万人のカシオペア座系の人々が日本の九州中部の熊本県近辺に移住し、その中からさらに10万人が北海道へ移住しました。

したがって「日本人の原点」はおうし座のアトラス生以外のプレアデス星団の人々と現在のイスラエル、ヨルダン、イラク、シリア、サウジアラビア、エジプト周辺の当時の地球人との混血人種とカシオペア座系の人々と現在の南米のコロンビア、ベネズエラ、ペルー、ブラジル近辺の当時の地球人種との混血人種から構成されているとうことになります。

中近東、イスラエル地域に住んでいたプレアデス系の人々20万人が日本の中部地方に大気圏内用宇宙船(UFO)で移住し、3000年前には400万人となり、南米のコロンビアから日本の九州に20万人、北海道に10万人移住し、3000年前にそれぞれ300万人、200万人になっていたカシオペア座系の人々を原子核戦争が絶滅させました。

(以上抜粋)

 

・・・とまあ、こういう風に書かれているのだが、真偽は定かではないものの、縄文土器が南米でも発見されていたし、ユダヤの氏族の日本への移住説や、竹内文書での天の浮舟の伝説やら、有史以前の核戦争の痕跡と言われる、インド地域のモヘンジョダロやハラッパーの遺跡やらを勘案するならば、あながち勝手な思いつきとも言えない。

 

当然ながら人間の歴史は様々に複合しているのだが、今の漠然とした定説よりも、どうもこちらの方が真に近いという感じもするのである。

 

また様々な星からの移住(いわゆる宇宙人)や大気圏内用宇宙船という概念がさらりと書かれていることからして、当然トンでも系の話として切り捨てられる傾向があるわけだが、実のところ、こういう非常識と受け取られるものの中にこそ、いつも隠された真実があるのだ。

 

なるほど、真実とは、世間一般の常識という、既に知られ、捨てられたゴミの山をかき分けてしか出てこないという事かも知れない。

・・・ 

またその書には、地球上の人種の、黄色、黒色、白色、青色、赤色の皮膚の違いで代表するような、様々な異なる人種の違いのルーツは、実のところ様々な星の生命種の違いから派生していることなども書かれている。 

 

当然ながら、一般的にはにわかに信じがたいものであるし、教科書や地学、天文学などの見解をすべてだと思っている者にとっては、まさに「とんでも」の範疇に属するものであろう。

  

しかし、へー、そんな歴史もあるかもしれないな・・・程度であるが、自分はそれを既に読んでいたわけだ。(お前も好きだな~)

 

経験上、こういうものを物的証拠で証明することなどできる相談でもなく、またそのうち科学が証明するだろうと思うほど、人生は長くはない。(笑)

 

こういう場合に、いつもきまって重要なこと、真偽のほどをある程度判断するには「直観知」で対応することである。

 

様々な物事や情報も、人の意見や大衆の常識、あるいは勝手な主観で切り捨てないことが大切なのだ。

 

受けた印象の細部を静かに、出来るだけ・・細かく・・感じることである。

 

この内面の感じ方が実に難しいところでもある。

 

しかしながら、表層意識の下には膨大な情報が眠っていることを知らねばならないのである。

 

いわゆる意識が粗いと、精妙なレベルの情報、これがなかなか引き出せないのである。

また、何事においても大切なのは、

 

事実や事象、あるいは出来事や、そして思考や感情をもありのままに受けること、

 

要はその時の勝手な主観や支配的な常識観念で、切り貼りや取捨選択せずに、そのまま受けることなのである。

 

真偽を判定する前に、それを、まず「まな板の上に乗せる・・」ということである。

 

 

主観や常識観念を交えず、まず、ありのままに観ること、これを「観察」という。

  

科学でも観察が重要なのは誰でも知っているはずだが、物的事象のみならず、思考や感情もその観察対象にしなければならないのである。

 

我々の多くは、常識やら固定観念やら、他者の宣伝やら何やらで、心のレンズが相当に曇っているのだ。

 

・・・・

余談はさておいて、夢の話にもどることにしよう。

 

・・・・

そういうわけで、寝起きの意識に突如現れた概念・・「レグルス」 について、通常レベルで少し調べてみたのである。昨今はインターネットが普及しているので、ちょっとした調べ物はネットの中に発見できる場合も多いわけだ。

 

よく使われている「ウイキペディア」を見てみたのだが、

 

レグルスは、獅子座の、とある恒星・太陽のことであった。 

 

Sayzu2_2


 

ウイキペディアによれば、レグルスは「獅子座」のα星のことで、全天21の1等星の1つであるとのこと・・とか。  

 

「そうか・・獅子座か・・・そういえば自分の星回りも獅子座だし、また上昇宮は確か太陽だし・・・」

 

程度の語呂合わせ的感想であったのだが、・・はて、それがどうしたのだろうかと、さらに調べていったところ、・・・・・

 

(つづく)

 

7943841774_aaeb37615a_b


本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

 


夢の話 (5)4連銀河の霊視体験

2013-06-27 08:56:04 | 見えないものから見えるものへ

人の意識は眠っていても活動しているのが事実なのであるが、それに気づいていないというだけのことである。

 

例えば、夢を憶えていること自体は、無意識からの意識化が進んでいるのであるともいえるだろうし、膨大なすそ野を有する潜在意識へのアクセス、あるいは意識の開拓・拡大を行なっていると言ってもいいだろう。

 

また、瞑想なども意図的な意識の拡大方法である。

 

ありきたりの、型にはまった、常識観念で染まった顕在意識から抜け出して、より広大な意識レベルへの移行を意味しているわけである。

 

そんな風な言わば修行、修養を実行していると、いつの間にか精神的な容量が広がるというか、意識が拡大するというか、いわゆる霊的自覚が強まるというか、そういう明確な変化が・わたし・あなた・自身に起きてくる。

  

そういう「内面を観る」というような行為は、霊的な気付きを拡大させる、あるいは霊的自覚を深化させる、あるいは魂の成長を確認する意識的行為なのだ。

 

・・・

 

今人類の喫緊の課題はそこにある。

 

経済がどうしたでもなく、金回りをよくすることでもなく、不特定多数の個人を盗み見ることでもなく、どこの国が良いとか悪いとか、敵だとか味方だとかでなく、リッチな富豪が悪さをするとか、軍事の強化や核の温存とかではない・・・・。

 

もう、そういう旧態依然とした意識レベルへの固定を意図するような、面白おかしき、また危惧や不安を醸し出すような、エゴ的「空騒ぎ」に捉えられていてはならないだろう。

    

そうだ、ただ、それは・・・ただそれに過ぎないのである。

  

それらは洪水のように巻き込まれるものではなく、静かに明確に観察されるべきものなのだ。

 

そう・・・、今・・・この時に行うべき第一のことは・・・1人1人の意識の拡大を1人1人で実行することなのだ。

 

今はすでに、内観が外観に優先される時期にあり、その内観を通じてさらに大いなる自己へとその意識を拡大する時が来ているのである。

 

 

そうして拡大した自己たちの世界、あらたな外観世界が展開するのである。

 

・・・

 

しばらく夢の話を続けよう。

 

実は、以下の話には謎解きがあって、後で実に面白いことになる。

 

 

これは3年ほど前の夢というか、意識体験である。 

 

●深宇宙の4つの星の渦巻き

 

深い宇宙のなかで4つの星の渦が4つで相互に回転していた。そのほかに星座は見えていないのでなにか深宇宙のようなイメージでもある。

 

4連の星の渦、これは4つの銀河なのかという感じであるが、その4つで早い速度で回転しているのが不思議である。

  

宇宙の原初には4つの星、または銀河があったのか?・・そんなはずは・・いったいここはどこだ・・という感じで見ている。

 

Full_tif_cluster_of_galaxies_11 

(上は銀河団の写真であるが、このとき見えたのは星の渦状が4つだけであった。)

 

・・・ そして、

 

別の夢にスイッチするように、次の場面に変わった。

 

わたしは何か大きな船の甲板のようなところに立っている。

 

そして自分の前にも1-2人の子供?のような存在がいるのだ。

 

またその小さなわたし達の目の前には、1人の大柄な存在がいる。

それは先生?あるいは説明者?のような感じであり、彼に何かを教わっているような、あるいは引率されているような感じでもある。 経緯はよくわからない。

 

・・・・・で、ふと下の方を見ると・・・・海ではなく、

 

え?・・・な、なんと眼下に惑星の巨大な大気圏が見えるではないか! 

 

そして、こ、これは地球に違いないと思われた。 

 

ありゃりゃ~・・なんと船上にいると言っても、海に浮かぶ船ではなく、空に浮かぶ船のようである。(海に浮かぶ船、空に浮かぶ宇宙船・・・連想して多少のイメージ変換が加わっているらしい)

 

 

 1a6b35182ae8d76994fc9f90a3262fde


わたしは2-3人の存在とその船の上(多分宇宙船)にいたのだが、

 

あろうことか、自分の前に並んでいる1人が、単身その地球大気圏に飛び込んでいったのだ・・・!

 

「お、おーーい、ちょっと・あんた!(汗)」 とは言わなかったのだが、それを見て多少の勇気が生起したことは確かであった。

  

そして次は・・・わたしの番であったのだが、不思議にもほとんど躊躇せず、前の存在に倣って、地球大気圏に勇躍飛び込んでいったのだ。(こんなに勇気があったとは・・笑)

 

まるで空中ダイビングのような味わいであったが、

・・・・・地表面がぐいぐい近づいてきたと思っていた・・・・そのどこかで、

 

・・・何かが捻じれたような、何か特異点を通ったような感じがあった。

 

・・・・!!

 

そして気が付いたら、自分の家の寝床に横たわって、びっくりして目を覚ましている自分がいたのだった。

・・・・

 

あはは、・・・何だ夢だったのか・・というような、よくある筋立てであるが、

実に臨場感のあるものであり、それは例えば若いころの思い出を回顧するような感じ、記憶のぼんやりさと確かさが同居しているような、そんな動的ビジョンなのである。

 

これに近いのは、ロバート・モンローの「魂の体脱旅行」等の一連の著作に書かれてあるようなものでもある。

 

そこには彼とその魂の盟友(ソウルメイト?)が、はるかかなたの星系から地球に意識体として旅してきた経緯が書かれているのだ。

・・・

 

(つづく)

 

Thca01psa3


本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。


夢の話 (4)夢に出てくる人たち

2013-06-23 20:01:40 | 見えないものから見えるものへ

夢とは単なる夢ではなく、日常の3次元的観念レベルを超えた、変性意識常態で得られるビジョンというのがより正確な言いまわしであるかもしれない。

 

変性意識という表現は、変な、変わった意識状態という意味よりも、日常の五感レベル、常識観念レベルからシフトした意識ということを表わしている。

 

例えば瞑想、あるいは座禅などで得られる意識状態、昔から象徴的に言われる「境地」などもこのような変性意識のことであるといえるだろう。

 

夢は、その気になれば誰でも気づくことが出来る、当初は制御の効かない範囲ではあるものの、カテゴリーとしてはその「変性意識」へのシフトであり、また夢の内容は、その状態での「ビジョン的情報取得」または「意識的経験」と言えるだろう。

 

それは確かに「経験」に違いないのだ。

 

日常の五感を元にした狭い範囲の物理的経験だけが「経験」であると漠然と思っている人々は、その狭い範囲の3次元的現実のみにその意識を集中しているだけのことであり、

 

「自己」という主体意識の多次元的性質に気付いていないということを示しているかもしれない。

 

あなたの意識が・・・どこに集中しているのか・・・あるいは集中させられているのか、自分自身で気づくまでは狭い世界の籠の鳥のままである自己を選んでいるということだ。

 

誰かのせいではない。

 

・・・

 

 

夢の内容を憶えていることで、色々な夢で展開するストーリーや意味合いが、まさにジグソーパズルのようにより大きな輪郭を描き出すことは以前に示したところであるが、

 

また自分の場合は、それら内面情報をありきたりの夢占いや夢解釈などで翻訳せず、ただそういう一連の映像やら思考やらビジョンやらをそのまま覚えていたのである。

 

そしてその時に得られる直観的感覚情報を憶えていたというだけなのである。

 

当然と言っては当然なのだが、それらの夢の多くは日常的な観念から逸脱しているために、常識的観念によって無理やり解釈すること自体に「無理」があったためである。

 

ただそこに在る事実を観察する・・・そういう観察意識的な傾向が自分にあったと故とも言えるだろうか。

 

これは瞑想や禅において、意識に去来する様々な想念を・・・そのままただ眺めるというような、

 

自己の想念を観る・・・という内的傾向ともつながっているのだろうと思う。

 

日常生活でも様々な想い、想念が去来するわけであるが、その1つ1つに感情的に捉われないこと、一喜一憂するのでなく、また様々な感情的な反応に自己投入することなく、必要な表現や行動は行っていながらも、ある意味では無の境地よろしく、出来るだけしっかりとそれを把握している「意識的スタンス」がいつでもどこでも大切なのである。

 

あるがままとは、そういうことであるはずだ。

 

そう、これから少し、覚えている夢の内容と、得られた直観知を書き出すことにしよう。

 

・・・・

●大きな人格存在との邂逅

 

 目の前右方向の数m先に、大きな体の存在が見えた。その存在は体が大きく、ギリシア的なイメージをほうふつとさせる古代服のような、あるいはシンプルだが露出度のすくない貫頭衣のような衣装をまとっていた。 

 

そして、その存在には何か非常な懐かしさを感じたのだった。 

 

次に私は、なんとその大柄の存在に抱き上げられ、いわゆるハグしたのだが、その時まるで自分は小さな子供のような感覚であった。 

 

そして、その時私の左側の視野で映像のようなものを観たのだが(詳細は省く)、気付いたことは、その大柄の古代人?的存在が、私の意識そのものを注視している・・・ということだった。彼が・・私の意識を注視している・・・ことに・・私も気づいているという不思議な感覚であった。

200pxtoga_illustrationちょっと異なるがこんなゆったりした衣服である。


このビジョンの内容から言えることは、

 

夢に現れた大柄な古代人のような存在は、わたしの魂レベルの教師か知己か、前世の高い人格か、何かそういう親密な存在であるという直観である。

 

ロバートモンローやヘミシンクで云うところの、「 I there 」 (向こうのわたし)と言って良いかもしれないし、その中でも特異な存在ということでもあるだろうか。あるいは親しい魂グループの指導的役割を持った存在であるという言い方もあるかもしれない。

 

 

ここでいう「 I there 」 とは、異なる人格、異なる時代、異なる世界を経験しているところの、無数の「わたし」・・・という意味であるが、

 

ごく普通の一般常識で、いわゆる<わたし>とは、今ここでの個人的、肉体的人格である・・・としか考えていないわけなのだが、

 

本質のあなたやわたし達である「魂」には、それこそ無数の転生や人生があるとするならば、その膨大な記憶のなかには、当然ながら無数の「人格記憶」やあるいは人格間の絆や近しい間柄の魂の記憶があってもおかしくはないだろうということなのだ。 

 

あなたはこういう概念が理解可能だろうか。

 

誤解を招くかもしれないし、さらに意味不明となるかもしれないが、これを別の表現で云えば宇宙では何事も「一は即ち多なり」ということなのだ。

 

夢を一律人工的な解釈で落ち着かせるのでなく、またそれが常識外であったとしても、その時の自然な「素に」得られる「直観知」のようなものが重要であるということだ。

 

この夢からはそういう直観知がダイレクトに起きてくるのであった。

 

わたし自身にとっては、日常世界、外の世界、3次元的観念世界での経験をしていたとしても、こういういわゆる内面での経験も非常に重要な気づきとなっているのだ。

 

 

●死の恐怖の超克

 

 何か古い民家にいるようである。そして自分のすぐ右横、やや背面という位置あたりに、いつもの霊的ガイド?のような存在を感じている。

 

少し歩いてゆくと、民家の土間のようなところに大きなカメ、あるいは樽のような入れ物があった。歩いて行ってそれをのぞき込むと・・・・。

 

なんと!ミイラになったような骸(むくろ)が座った形で入っていたのだ。

 

「ギャー!!」・・という反応は起きてこないのが、不思議と言えば不思議だったのだが、これもそばにいる霊的ガイド・・の存在を感じているせいだとも思われる。

 

簡単に言えば、たった一人で見ているわけではないという安心感とも言えようか。

 

そして、

 

「これが中にあったんですね・・」 という言葉がわたしの意識に明確に響いてきたのだ。

 

 

・・・あーそうなのだ。

 

転生のいつかどこかにあったのか、単なる象徴なのかは別として

 

普段は表面に出ることのない「死への恐怖」が、自己内面のどこかに歪として存在していたということである。

 

そういう抑え込んだ歪が、夢の中のリアルな映像となって現れる、または再現されるようなものであろう。

 

そしてそれに恐怖を感じない<わたし>がいた!という事は、

 

本質のわたしにはそういう恐怖が全く見当違いであったことを悟ったということを示しているのだ。

 

またそういう魂的、霊的なテーマの克服や気づきのために、わたしの意識のそばに顕れた霊的ガイドに感謝が出てくるのである。

 

よく言われる指導霊、守護霊、スピリチュアルガイド等は、それがどういう概念で解釈されているかは別として、明確に存在していることがわかるのである。

 

ところで、あなたは・・・あなたを理解する存在は、宇宙でたった自分ひとりだと思っているのだろうか。

 

Th


本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。


夢の話 (3)霊的ガイドの出現

2013-06-22 08:18:48 | 見えないものから見えるものへ

睡眠には深く無意識に移行しているノンレム睡眠や、活発な意識活動の兆候のあるレム睡眠があると言われている。

 

簡単に言えば、ノンレム睡眠は脳が眠っている状態、ほぼ完全にぐっすり眠っている状態であ り、

 

これに対してレム睡眠は身体は休止していながら脳は活動している浅い睡眠とされている。

 

そして就寝中は、深い睡眠・ノンレム睡眠と、浅い睡眠・レム睡眠をほぼ90分おきに繰り返している。

  

眼がさめやすいのは浅いレム睡眠の時であり、またこの時期には脳が働いているのと同時に、眼球もあたかも何かを見ているかのように、右に左に動いてることがある。夢を見ているのはこのレム睡眠期であるようだ。

  

また脳波で云えば、

  

普段の覚醒時、何かに忙しくしていたり、気にしていたりといったような、日常生活での意識活動ではβ波(13HZ以上)の脳波が主流であるようだ。

 

また眼を瞑ってリラックスしている時等には、脳波はα波(8~13HZ)が主流となっているし、目を瞑ったまま次第に眠りに移行する段階では、α波からΘ(シータ)波(4~8HZ)へ、そして深い睡眠中はδ(デルタ)波に移行してゆくわけだ。

  

人は皆たとえそれに気づいていなくても、こういう意識レベルの変遷を経験しているのである。

 

Clock_img1

 

 

脳波による意識状態の分類は大体以下のようである。

 

①忙しい日常、あれこれ考えている時・・・・β(ベータ)波(13HZ以上)

 

②リラックス状態、芸術・仕事等何かへ集中しているとき・・・α(アルファ)波(8~13HZ)

 

?うとうと、浅い眠り、瞑想している時・・・θ(シータ)波(4~8HZ)

 

④深い眠り、トランス状態・・・δ(デルタ)波(4HZ以下)

 

 

こういう意識の段階による脳波の周波数帯の違いに関しては、脳波自体が意識活動を決めているのではなくて、

 

人の意識のレベルの違いが、肉体機能の中枢である脳の電気反応に反映されるということに気づかねばならないだろう。

 

脳波によって意識活動が決まるのでなく、意識活動によって・・・脳の活動が決まり、

 

その観測で得られる脳波という電気反応の変化にもその影響が反映されるということだ。

 

 

・・・

 

そして夢は、経験上、上記の脳波レベルで云えば、?シータ波⇒②アルファ波に移行する過程で生起する意識体験と思われる。

 

特に、日常レベル(ベータ波)への移行過程であるアルファ波(②)の意識状態は、アイデアや発想、思わぬ気づきなどの宝庫であり、常識的で、忙しく気ぜわしいベータ波的現実世界とは異なるものである。

 

従って夢が往々にして突飛なビジョンとして現れるのは理解が出来るというものであろう。

 

「夢?そんなもの見ないね。忙しいからね。それに夢に一体どういう価値があるのさ・・・」

 

という人は、要するにベータ波的3次元認識世界にどっぷりはまり込んでいるいうことでもある。

 

ところで余計なお世話だが、あなたはどうだろうか。

 

・・・

前置きが長くなったが、夢は単なる夢ではなく、意識レベルの変化に従って得られる内的知覚情報であり、日常の概念とは異なるフェーズの情報を多く含んでいるということであって、

 

またそういう日常観念と異なるフェーズの情報は、よく言われるESP(超感覚的知覚)ともオーバーラップしているということなのである。

 

リモートビューイング(遠隔知覚)などはそれを意識的に行うことで可能となるわけである。

 

要は夢なども、その時のその人の、問題意識あるいは無意識的なテーマ、欲求等の意図によって方向づけられるESP的な知覚であるという事も理解しなくてはならないだろう。

 

夢は、意味不明な・・・単なる夢ではないということだ。

 

 

夢も、その人に起きている意味ある事象のひとつなのであり、日常のありきたりの事象以上に深い意味が含まれているのだ。

 

これを知らずにどうするのか・・・といったところである。

 

 

●霊的ガイドの出現

 

夢を憶えているようになったおかげで、自分の夢の中に何か補佐役のような、サポーターのようなあるいは変な話、忠実な秘書のような存在がいることに気付いたのだ。

 

夢ではいつも何かのストーリーが展開されているわけだが、それを観ている自分のいつも右横、やや背後のあたりに、普段は気付かない、また気を使う事のない親友のような感じの存在がたびたび確認されたのである。 

 

確かに言えることは、あの夢、この夢という風に記憶が重なることで、その間頻繁に出現している何者かにようやく気付けるわけである。

 

えー?マジ?何それ・・・であるが、

 

またそういうことに関しても、別段びっくりしたり恐れたりする要因は一切感じられないし、何かこう、今まで存在していたことに気付いていなかっただけだ・・・という感覚なのである。

 

変なおやじがいきなり目の前に出てきて 「あんた一体何なのよ!?」 という類のものではない。(笑)

 

・・・

3a5bd44d_1300334989367


そしてそれも、何かトンデモナイような夢の時に限って、そばで控えているという感じであり、またそばにいるというだけですごく安心感があるから不思議である。

 

 

夢見の時には、まさにそれが現実であると思っているわけなので、それが夢であろうがその時には実に真剣なものなのであることは誰でも知っているはずだ。

 

例えば見知らぬ経験をする場合など、ひとりでいると心細いが、友人といるとどこか安心であるかのような・・・そんな感覚である。

 

また実のところ、そういうトンデモナイ夢は、要は、自己の解消すべきエゴ恐怖先入観念やらから来るものであったという事が、いつの時か明確に理解できたのである。 

 

結論を言えば、そういう夢を通して、内面にある無意識レベルの歪を解消していたということであり、そしてその間中、つかず離れず、どこか親身なサポートをしてくれていた存在がいたということであった。

 

実にこれはなんという事だろうか! 

 

(つづく)

 

Sky017


本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。