「レグルス」という降って湧いたようなイメージを調べたところ、その恒星は獅子座の1等星α星であり、ウイキペディアによれば、なんと4重の連星であるということが記されていた。
たしかスターウオーズというSF映画の中に、太陽が2重連星の惑星のシーンが出ていたという記憶があるのだが、宇宙では連星太陽はざらであるらしい。
全天に輝く恒星のうち、その約1/4は連星つまり、2つ以上の太陽が相互に回転しているものと考えられており、なんと頭に響いてきた概念・レグルスは調べたところ4重連星であるとのことだった。
えー?4重連星?・・・、このウイキペディアの記述を見て驚いたのだが、3年前に見た深宇宙に高速で回転する4つの星の渦は、銀河でなく4重連星であったという事かも知れないと思ったのだった。
確かに銀河にしては、その4つの星の渦の回転自体が相当な速さであったわけで、やはり4重連星であったという判断が妥当であろう。
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なんという事だろうか・・・
ここにきて、数年前に見た夢の記憶断片が、ジグソーパズルのような趣をもって、少しづつその輪郭を顕してきたようである。
そして、輪郭を表わしてきたジグソーパズルのストーリーとは、
まず3年前に見た夢の、深宇宙での「相互に回転する4つの星の渦」は4重星であり、その4重連星は獅子座の1等星であるα星、レグルスであったということである。
そしてその夢のあとに、地球大気圏上空に自分がいる夢が続き、そこからあろうことかダイビング?して・・・今の自分に戻ってきたというわけだ。
単なる夢としても、実に面白い夢なのであり、夢をも何かの情報として扱うものにとって、それが記憶に残るのは当たり前であるわけだ。
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一部記事にも掲載したが、自分は過去にもリモートビュー的な夢をいくつか経験しており、
例えば若いころは火星への意識的旅行のようなもの、また、どこかわからない銀河のとある惑星と思しき所への一瞬の転送と帰還の夢、また最近記事にも出した太陽への意識旅行夢などがあるわけで、
この4重連星の夢も、そのような宇宙への意識的旅行の断片記憶とも感ぜられたのである。
なんと・・・無意識のうちにあんな遠くの星系まで意識旅行をしてきたのか!ということでもある。
「ほんまかいな~」(大笑)で済ませたいのが常識意識の常であるし、
当然ながら、身体が寝ている間のビジョン・映像・感覚であるために、それを変わった夢として精神的に落ち着かせることも可能であろうが、
人間は単なる肉体存在ではなく、多次元的な存在であるからには、それらは別次元での実際体験、肉体を超えたレベルでの多次元的ボディ(アストラル体等の霊的体)による実際の経験であるとも考えられるのである。
あるいは、しかしながらこれは逆に、自己である「魂」の故郷という概念を意味しているのかもしれない。
寝ながら意識体がレグルス星系に行って、戻ってきたということではなく、あるいはレグルス星系からかつて魂でやってきた・・・、というような潜在意識下での魂の履歴かもしれない。
そうであれば、魂レベルの1つの故郷はレグルス、獅子座のα星系なのか・・・とも言えるかもしれないが、
あるいはそちらの方にも、自分の魂の分身たる別のわたし、ヘミシンクで云うところの、I there 「むこうのわたしたち」が存在するのだろうか。
とはいえ、表層意識では、実際のところよくわからない。
しかしながら、肉体レベルを超えた魂的な経歴、あるいは膨大な転生の記憶、あるいは魂的なつながり、そういう拡大された縁(えにし)のようなものが、4重連星であるレグルス星系の「何か」にも存在することは間違いないであろう。
そうでなければこういう「意味深な夢」は見ることも聞くこともない筈である。
当然魂の転生舞台は、地球のみならず宇宙大であることが理解できれば、なるほど違和感のないことでもある。
実際、自分には、かつてエジプトや近代のフランス、ドイツの転生記憶の断片があるように、さらに壮大な魂のスケールでの、地球以外の別の星系での転生記憶などもあっておかしくはないのである。
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ちなみに先般提示した、足立郁郎著の「真・地球の歴史」(ナチュラル・スピリット社刊)には、地球人の先祖である近隣星系がずらりと書かれているのだ。
真偽のほどは定かではないが、その可能性を安易に捨てないとするならば、実に目が回るほどのことである。
身体・魂レベルのいづれかは定かではないが、今から一万年前後での地球への移住の系譜によれば、ケフェウス座、小熊座、獅子座、大熊座、琴座、カシオペア座、オリオン座、プレアデス星団、金星・・・からの移住があったとされている。
この書によれば、これらの種族が現在の人類の人種を構成した直接の先祖のようである。
そして今から5340年前に、エゴ的堕落によって原子核戦争で滅んだとされているが、その後の核の冬と、全天を覆う雲が大地に一気に落ちてきたかのような、その水の浄化に関係するのがノアの箱舟の伝承であるのかもしれない。
あるいは、この時期の核戦争の痕跡が、モヘンジョダロ、ハラッパー、あるいはサハラ砂漠の古代遺跡で出土する灼熱のガラス片などとして残っているのだろうか。
もしそうであるならば、今の歴史の常識なるものは、相当に違う信念や観念で作られているか、あるいはあまりにも無知な状態に置かれているのか、そういう事である可能性が大いにあると感ぜられるのである。
なんだか自分でも記事を書いていながら、クラクラするような話ではあるが、いずれにしても今人類はその意識の到達する範囲を拡大しなければならない時期にあることだけは確かであろう。
今の時期に次第に増加してきたUFOや宇宙人の話にしても、エログロ、ナンセンスなトンでも話という茶化されたイメージを払しょくすべきであって、実のところは、壮大な魂レベルの進化や系譜というような、深いレベルでの理解の切り口が必要なのだ。
実は人類は、ごく身の回りのこと以外の『自己の真実』を、ほとんど何も知らないレベルにあるのかもしれないという、謙虚な意識的姿勢、
すなわち、「無知の知」というものを通過しなければならないということであろう。