気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

あらゆるすべては波動(5)魂の説明・その1

2017-01-29 08:54:44 | 宇宙時代の考え方
あらゆるすべては波動である。

あらゆるすべてとは・・・、「存在」のすべてということだ。
また「存在」とは、「在ること」・・存在諸世界のあらゆる事象も、
思考や感情も含め、それを認識できる、そして認識可能なすべてのことだ。
そして、それらはすべて「波動」に帰せられる。

これは非常にシンプルなことであって、何もむつかしい話ではない。
繰り返しになるが、小むつかしい顔をした科学者たちが、
自分たちの目に前にある物質なる固形物を、細かく砕いていった先にあったのは、
分子であり、さらにそれらは原子であった。

さらに原子は核と電子で構成されたものであり、
核と電子の占有空間で作られている原子そのものは、
その存在密度たるや、0.000・・1%(0が15個程度)の
きわめて希薄というか、霞(かすみ)のようなものだとわかった。
原子の中身は・・ほとんどがスカスカの空間であったわけだ。

よくこの絵のように描かれてはいるが、原子核と電子の距離は、途方もなく離れている。



さらにそれらは素粒子とも言われるクオークで構成されている。
そのクオークは、そこでじっとしている「丸い粒子」というイメージは全くの誤りで、
先端物理学での「ひも理論」のように、
まるで弦のように常に、時空間で「振動」しているものとされている。
つまりクオーク、究極の微粒子なるものは「振動エネルギー」ということになる。
振動、波動であるからして、
その振動数によって数学的な複数の次元が想定されている。

子供のころに遊んだ縄跳びのように、
ブン、ブンという音は聞こえないだろうが(笑)、
つまるところ、存在するすべては・・
エネルギーの振動、波動エネルギーということなのである。
あなたの体も・・突き詰めれば、振動エネルギーそのものだ。
それも物質的な存在密度は、それはもうスカスカ・・。(笑)



それでも物を持ったり出来、重さや圧力を感じているのは、
その振動同士の反発と考えてよい。
回転するコマ同士がバキン、カチンと反発する、ベーゴマように、
同じ波長体同氏がその振動エネルギーで反発しているということだ。
だからスカスカ同氏が、しっかりその存在系を感じるということだ。
・・・
世界にあるのは硬い物質の塊・・という「物質」の観念は、
すでに崩壊しているのだが、気づいているだろうか。

E=mC^2 (エネルギーは質量×光速の2乗)
物質としてあるのは、それ、エネルギーである。
シンプルだが深い意味がある公式で、
ここには、エネルギー、質量、光の速さしかない。

あなたの周囲の様々な物は、エネルギー振動波である。
地球も月も様々な宇宙の天体さえも、それ・・エネルギー波動なのである。

また、我々の思考、想像、”意識的”な働きも・・エネルギー波動である。
あなたの頭の中に(?)何かイメージが浮かんでくるが、
それはあなたの意識空間内の、情報であることは理解可能であろう。

スマホの画面で景観美を見て、きれいだ・・などと思うものだが、
それが空間を飛び交っている「波動の情報」であることを知っている者ならば、
それが頭の中であろうが、なんであろうが、
その思考、記憶イメージ、想像というものも、
波動エネルギーによって起きていることがわかるはずだ。

確かに今現在、人類が普通に使っている「電磁波」ではないものの、
思考、イメージ、それに感情もふくめ、
そういう意識的、あるいは精神的な機能さえも、
何らかの波動・エネルギーであることは明白である。

そして、その波動・エネルギーに「情報」が乗っているのである。
絵柄イメージ、記憶映像、想像・・あるいは、
好きだ・嫌いだ、嫌だ、憎たらしい、気持ちよい、・・
精神的な出来事・・も間違いなく「波動・エネルギー」であり、
そこに様々な「波動情報」が乗っているのである。

あらゆるすべては・・波動・エネルギーであり、
その波動に様々な情報が重畳されている・・・
物質も非物質も、まったく同じ仕組みなのである。

もっとも、物質と非物質というカテゴリー分けも、まったく意味はなく、
様々な波動・エネルギーとそれに重畳された「情報」であることに変わりはなく、
いわばその振動帯域、周波数帯域・・、
そして電磁波、音波、磁気波、思考波?のような波動形態の違いと、
その振動数の違いでしかないのである。

・・・
魂とは何か、
時空を超えて存在する・・それとは何か、

わたしたちの、命の本質とは何か・・・
それを容易に思い描くためには、
あらゆるすべてが波動であるという事実に気付く必要がある。



「君の名は・・」のアニメが人気になっている昨今、
「前前前世」という歌が流行っていることは、
魂とは何か・・ということへのその問いかけの時が来ている・・・、
そういうメッセージだということでもある。



あらゆるすべては波動(4)波動≡存在の反映

2017-01-21 06:58:00 | 宇宙時代の考え方


(水面に天から何かが降りてきて波紋を生じるという絵柄)

空(くう)に天の?意図が生じて、その空(くう)に揺らぎが起き、それが「波動」となる。
空(くう)はまた普遍的意識とも言われ、無際限の潜在波動で満ちているからこそ、
そこに様々な意図を織りなす波動が生まれているのだ。
波動に乗る意図・・それを情報ともいうが、物体も思考もそれ・・
そう思考も、もろに意図を乗せた波動、思い、想念である。

波動は振動、エネルギー・・つまり・・存在の反映のことである。
あらゆるものは波動現象となって、多次元宇宙を映し出す。
あなたは今・・そこにいる。

そして、それを目撃している・・あなたは何か?
というより、あなたはあなた自身の<反映>を目撃しているのである。
あなたが今生きている、あらゆる波動を感じている・・ということはそういう意味だ。

さて、
もとは何もない・・空(くう)に何が起きたのだろうか?
起きたのは波の動き、波動だが、もともと何も無くて起きるものはない。

ところで、「無」は・・無いことを意味するもので、
「無いものは・・無い・・」という概念のことだ。

無から有が生まれることはないだろうし、
また無とは人間の作りあげる概念以外の何物でもない。
無は・・文字通り・・無い。(笑)

だからあなたは決して「無」ではない。
あなたは今・・自分が<在る>ことを・・感じている・・。

体の触感、見ていること、聞いていること、それらの五感情報を受けていること、
かつまたそれらを思い巡らしていること。。
そして周囲の時空も、様々な物体も、五感で感じることも、そして思いさえも、
つまり<波動>なのだ。

波動・・それが存在の実感を創っているのである。
それを存在、在ること・・の「反映」と言っている。
どこか遠くにあるわけではなく・・今・・そこに、ここに「在る」。
存在を感じていること・・在ることに気付いていること・・
振動、波動、エネルギー・・で・・在る・・ことを感じているのだ。

つまり・・波動≡存在の反映・・なのである。

すべては・・今存在している・・わけで、その本質は消えることもなく、
またかつて・・過去に、生まれたこともないのである。

皮相な物質科学でさえも、物体はエネルギーであって、
エネルギーは保存されるということになっている。

エネルギーは消えない・・ということは、かつて生まれたという過去もない、
ということになるではないか。
伝わっているだろうか・・。

「えー?何それ!・・生まれたこともないって・・、それはないよ!
わたしゃ赤ん坊で生まれたんです!
そしてここまで生きてきたし、今は大人ですよ、
親が写してくれた赤ん坊のころの写真もあるし・・。」

と言うだろうが、それは「身体」の話である。
また次第に物心ついてきて自意識が芽生えて来たため、
「私はその時に生まれた・・」と思うもの。
そうではないか?
でもそれは、身体の細胞の成長と、体験と思いの記憶の蓄積による自我意識、個人意識。
意識の働きではあるが、肉体個人としての意識である。

しかしながら、今回生じたように見える、
その自我意識が生じるのは・・なぜだろう?

偶然なのか?・・・頭脳神経細胞が勝手に作っている?
脳細胞間のインパルス電気信号で?
もっともらしい回答だが、それら、まったく問題回避の答えである。

不滅の意識、魂が無くして個人意識は出現しない。

物質のエネルギーでさえもそれが保存される
・・波動・振動・エネルギー自体は保存される、つまり消えなく持続される。
あらゆるものが波動、振動、エネルギーであれば、
エネルギー自体は・・形を変えて存在・・する、つまり、
形は違えど、元のエネルギーは、
生まれたことも死んだこともないということだ。

その証拠に、いま・・わたしは在る・・!ではないか。

聖者、ニサルガダッタ・マハラジが、
「わたしは・・かつて生まれたことも死んだこともない!」と断言したのは、
まったく正しい・・大正解のコンコンチキだ。(大笑)

この世に母の体内から生まれるということは、
この世界を体験するために・・あなたが・・ここにやってきた、
あるいは参入してきた、または<自分を投入>してきた、
そのル-ト「設定」、1つの体験参入プロセスのこと。
別の意味では、自他で無条件の愛を感じるためのプロセスともいえよう。



「生まれる」ということはそれである。
また「死ぬ」ということは、単にその逆のプロセスなのである。

多くの魂たちは、この世の倣(なら)いというか、やむかたなく、
あるいは人のふり見て、それに倣い、
自分の身体・肉体に、自らの<意識>を釘付けにしているだけなのだ。

それは、例えて言われるように、
映画を見始めてだんだんと周囲状況に慣れてきて、
その物語になじんで行きつつ、面白みや苦痛を・・真剣に感じてくる、
・・・あれだ。

もっとも、世間というか世界の常識というか、物質としての自分を、
それを小さい頃から、これでもかというぐらいに教え込まれ、また、
肉親からの方向違いの愛?をも受けつつ、がんばれがんばれと励まされ、
その時々の社会の支配構造への組み込みが行われるわけなのだ。

なんだか、ばらばらになった様々な事実を、ばらばらに教科別に食べて成長する、
何か養鶏場の、ニワトリのようではないか?
ちょっとシュールが過ぎるだろうか・・・(笑)

そうして、集合意識の流れのなかで、安住するべく、
必死になって・・歯車の中のネズミのように生き、
そのうち歯車を回すのに疲れてくれば、優し気に・・お払い箱に移される・・
「あなた認知症ですね・・」
「うちのとおさん、ボケが始まってねー、困ったもんなの・・」(笑)

毎日毎日、メディアで盛んに宣伝するのはそういう生き方であると気づけるだろうか。
あれがおいしい、これがナウい、金稼いでどんどん使え・・回して使って税を増やせ・・?、
さらには、様々な病気を次から次へと親切に教えてもらいながら、
次々におびえて過ごす人も多いかもしれない。
「こわい・・こわい・・!」

そのような世界は楽しかったろうか?
気づける人には笑える話なのだろうが、それもかなりシュール(皮肉)な笑いかもしれない。

そういう歪んだものが五万と出てきたこの世界、汚れた波動で満ちてしまったこの世界、
とうとう地球が疲れ果てて、その病を癒すべく、大いなるシフトに移行せざるを得ず、
結果として、その上に乗って騒いでいた爛熟機械文明は、とうとうその実が地に落ちる時節が到来したようである。

すぐにどうなるでもないが、気づけばあっという間となるだろう。

いやしかし、驚天動地の事象に出くわさない限り、
気づかぬ人が未だ多くいる・・ということ自体が、
3次元劇場ならではの、とんでもなく奇跡的な事なのかもしれない。
・・・

なるほど、
今までの設定のような、3次元と言われる時空世界では、
自らが、その人生において何が真実なのか・・を探求しなければ、
ばらばらの世界の中の、ばらばらの中の1つの小片の存在として終わってしまうことにもなるわけだ。
分離した肉体個人としての自覚で終わってしまい、またぞろ、再チャレンジで同じ時空に生まれてくる。
輪廻転生という、そういう仕組みといえば、仕組みであったわけなのだ。

すでに気づいていた?

あなたが自分は肉体だ・・と「思っている」あるいは信じているならば、
死んだら終わりなので、生まれ変わっても、これが初めてだと・・いつも思うかもしれない。
今回、誰でも最初はそう思っていたのではないか?

人によって、いわゆるスピリチュアルな世界に触れるということは、
そういう無意識に回し続ける輪廻に飽きた、あるいは解脱可能な魂波動までに高まった存在であり、
そういう人達は、もっと違う自分の側面に気づく、つまり過去生や前世のことをも意識するようになり、
例えば私はこうだった・・かも?と思うようになることは、
その過去生や前世の具体的な内容の、事細かな真偽のほどは別として、
少なくとも、より大きなわたし・・意識の波動に、次第に共鳴するようになった証なのである。

この世界の波動も大きく変わろうとしていることと合わせ、
その世界に、交差・参入した魂たちの波動も大きく変わっているのが現状である。
より大きなわたしへの帰還ともいえようか。

その・大きなわたし、本当のわたし、真我ともいえるそれ
・・究極は、

・・・・実は何でもないものだ。
そう・・、マジに・・なんでもないものだ。(笑)

相対的次元から見た空(くう)は何もなく見えるが、
そうであるからこそ、無限なのである。
・・・伝わっているだろうか?

何でもないから、・・・何にでもなるわけで、
それはまた、元は・・何でもない空(くう)であるからこそ、
逆に、
あらゆるものが充満している完全無欠のそれであるがゆえに、
言い換えれば、無限の可能性、叡智、愛、生命であるがゆえに、
様々な波動を生じさせることができるのである。


「わたしは、かつて生まれたことも死んだこともない」
・・ニサルガダッタ・マハラジ。


あなたはどう思い、どう感じる?

あらゆる全ては波動 (3)エネルギーの話

2017-01-07 07:29:11 | 宇宙時代の考え方
世界にある様々な物質とされるものは実際には、素粒子と言われる微細な素子の、自転や公転運動による振動エネルギーということだ。
原子核、電子などの素粒子も、さらに微細なクオークで出来ているとされる。

粒子というと、球体の何かが、そこに静かにあるようなイメージがあるが、
そうではなく、常時回転・振動しているエネルギーといったほうが良くて、つまりそれは波動であると言えるのだ。

運動・振動はすなわち「エネルギー」であり、また振動数・波長・波形を有する「波動」である。
したがって、あらゆる目に見える物質系すべては「波動」に帰せられるということだ。


原子、分子、結晶構造、細胞、生体組織、鉱物組成、植物、動物など少しづつマクロになったとしても、そういう枝葉的なものも含め、
周囲のすべて、そしてあなたも、基本中の基本を言えば・・「波動・エネルギー」である。

ところで、特殊相対性理論では、質量はつまりエネルギーだと言っている。
有名な数式、E=mC^2 (E:エネルギー(J)、m:質量(重さkg)、C:光速)

例えば<1g>の質量があるとする、たった1gだが・・、
それを電力量(KWh)に換算すると、25000000kwh。
これは、大雑把に言ってあるビルの消費電力の5年分に相当する・・ヒエー(笑)!

ちょっと計算してみるといいが、あなたが体重60kgの人ならば、
身体質量だけでも実に膨大な(洗剤ではなく潜在)エネルギーを有しており、
それこそ、きわめて愚かな自滅おもちゃである原水爆の比等ではない。

すくなくとも、
我々が実際に、壮大なエネルギー場のただ中にいるということには気づけるだろし、
我々自身が膨大な潜在エネルギーそのものだということが実感できるだろう。
「あらちょっと、太ったかしら?・・」程度の話ではない。
10kg太れば・・何千年分以上の電力量換算?になるのだから!(大笑)

人という、実に膨大なエネルギーが、スタスタ道を歩き、
膨大なエネルギーがおしゃべりをし、
膨大なエネルギーがラーメンを食べている(笑)

・・・
あらゆるものは、空(くう)中に生じている・・波動・エネルギーだ。
まったくもって、空即是色。

あらゆる存在の元にあるのが微細なエネルギーだが、
それを象徴的に、いや意外とリアルに描けば・・古代からある太陰図となるかもしれない。


(究極根源波動の図柄表示?)

この絵をある視点から解いてみると、・・

もとは無次元・空(くう)に、大いなる想い、歪が生じて、
究極の「対極微子」となる。
それが渦を巻き、エネルギーとなって、自らがその存在を顕示す。

何もないとされる空(くう)に生じた、陰と陽、正と負、
もとは・・空≡±0、でありながら、そこに渦があり、回転があり、振動がある。
それらの波動が、幾重にも組み合わさり、無限に様々な波動形態を生み出している。



ちょっと科学技術的?に言えば、
知られている電磁波、物質振動波、音破、あるいは重力波などの波動以外にも、
未知なる波動は当然ながらあり得るわけで、それらも含め、
あらゆる波動の複合によってさまざまな事物、事象、世界が生じている。

さらに物質・物量のみに価値を置いている現代文明では、
これは一般的とはされていないものの、マインドの働き、
思考や想念も・・間違いなく・・波動エネルギーなのだ。

それも、物量換算できないところの、つまり物理次元を超えている波動、
いわゆる高次元的エネルギー波動である。
エネルギーは水と同じく、高いところから低い所へ流れてゆくもの。
思考や想念、信念が事象や形態化のエネルギーであるという所以である。

様々な波動エネルギーで作られた宇宙で
ある範囲の周波数帯域を1つの「次元」とすれば、
複合された様々な波動の振動数の違いによって、様々な「次元」が生まれてくる。
それはまったく、TVやラジオの周波数帯域と同じようなもの。

簡単な例でいえば、肉眼視できる光の反射の周波数帯域(波長範囲)は、たった400~700nm程度なのである。
しかしながら、たったそれだけでも、美しい大自然や景観を見ることができるのである。



わたしたちがこの世界にいるということは、つまり、
エネルギーのある一定の振動数範囲に限定された、
いわば、「地球圏」という、エネルギー周波数帯域にいるということを意味している。

従って、そこから見ている宇宙は、当然この次元での観察範囲でしかなく、
見晴るかす天空、この大宇宙といえども、1つの次元からみた姿でしかないわけだ。

而して、
無知の知に気づくことの・・その向こうに、
いつもきまって、未知なる無限があり、
その探求が、いつもきまって<人の道>となるのだ。


あらゆる全ては波動 (2)ホログラムな世界

2017-01-06 06:35:14 | 宇宙時代の考え方
あらゆるすべて、身近な存在物、目の前にある様々な物体、机、パソコン、置物・・、
そしてあなたの肉体そのものも、波動に帰せられる。

物質というなじみの物体のすべて、それをミクロな方向に探求してゆくと、
それらはすべて「原子」で出来ているということだ。
これは誰でも知っているだろう。

また原子は原子核と電子で構成され、陽子と中性子という原子核の周りを電子が回っているという話は誰でも知っている。
原子核と電子の間の距離は、原子核の大きさに比べ途方もなく大きく、
原子核がバレーボール程度の大きさと仮定すれば、電子は数十km先の軌道を回っている。

よく言われる説明だが、あなたが原子核で丸い30cm程度ボールとして東京駅にいたとする、
そして、核に相対する微小電子、例えばビー玉程度?の「電子」はどこの軌道にいるかといえば、小田原あたりということになる。
そしてその軌道を、電子自ら自転(スピン)しながら、猛烈な速さでぶんぶん回っているわけだ。(音はしないだろうが・・笑)
原子核と電子の間の残りは<真空>とされる、まさに空漠たる「空」なのである。
あれが固い、これは重いとやっている様々な物質体は、ほとんどが「空間」でできているのである。

電子と原子核の間は、俗にいうスカスカ・・、ほとんどが空間。
つまり物質と言われるもののその殆どがすっからかんの「空(から)」っぽ。
茫漠たる空の中に、原子核、電子と言われる素粒子が回転運動を行っている。
回転運動はつまり振動であり、エネルギーであり、

そこに・・物質がある・・!・・存在物がある・・!ということは、
空(くう)の中に・・
そこに振動、回転する、活動するエネルギーがあるというわけだ。

我々、そして観測されるあらゆる事物は、空(くう)とエネルギーということになる。
それ以上でもそれ以下でもない。

まさに色即是空、空即是色である。

これが実際の我々の世界の、実態なのだ。
あなたも実際には、”ほとんど空っぽ”なのである。



空っぽが道を歩き、空っぽが怒り心頭に達し、空っぽが食べ過ぎでおなかをこわしている。
空っぽが悩み、空っぽが排便し、空っぽが衣服を着ている。(笑)

空即是色、色即是空、
あらわれては消えてゆく、様々な思考や物質形態に満ちたこの世界でも、
すべての基本はそこにある。



巨大な地球も、また物体としての姿を現しているわけで、それはやはり原子でできている。
太陽だろうと惑星だろうと、原子で構成されているならば、同じくほとんどスカスカであることには変わりがない。

科学的な常識も、単に点数上げるための頭の知識だけで終わらせず、
それを思い巡らせることで、
我々がホログラフィックな宇宙にいることが実感できるだろう。

例えば、ちょっとあなたの手をじっと見てみよう。
それは、スカスカの空間と、素粒子がぶんぶん振動しているエネルギーで出来ているのだ。

我々は皆、そしてあらゆるすべてが・・色即是空、空即是色、
すべては、茫漠たる空間の中の運動・振動エネルギーということ。
それによって多次元的宇宙が映し出されているのである。