気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

目覚めれば未来が見える

2007-11-17 10:08:31 | 新地球文明論

未来が見えれば何の苦労もない、等と言われる方もおられるでしょう。予言や予知というものは、地域、民族、国家などの現在の集合意識にアクセス出来れば可能と考えれらます、「現象」を起こすための「原因」を把握できるために、結果となる「現象」は予測出来るという、そのような理屈であると考えられます。それらを人為的、または機械による自動映像化が出来れば、もっと楽になるでしょう。ただ、原因たるものに気付かない限り、それらの原因を要素として集めて、何がしかの関数を掛けて結果を導き出すようなことも不可能です。根本原因は意識的なものにあるわけで、人間でいえばそれらの意識作用である、「思考、想像、感情」などを客観的に扱えるぐらいのレベルが必要と思われます。例えば、暗い、明るい、さっぱりした、執拗な、愛深い、独断的な、殺意のある、平和な、我儘な、我慢した、思いやりのある・・・などという思考、想像、感情などは、それ相応の波動を出しているわけです。TVやビデオなどの映像・音声などが、それ相応の電磁波で供給されているのと同様の仕組みでしょう。

人間社会のあらゆる現象は全て、個人や集団の心で決まってきます。陰・陽の働きもあるわけですが、いづれにしても何がしかを選択しており、その結果が現れてくるだけです。時間差などがあり、すぐさまフィードバックできないとしても、間違いなくそうであると考えられます。

実は未来は見えるのかもしれません。人間各自の未来は、刻々とした時間軸の中で、いつも選択されています。人間の思考、想像、感情における色々なレベルの波動発生により、常に常に創造されています。

あなたや私がいつも何を考えているのか、どういうイメージを持っているか、どういう感情が支配的か、ということに気がつくことで、個人の未来の予測が出来るということではないでしょうか。自分でなく、他の人が何を思っているかということを、他のみんなが思っている状態では、常に原点たる自分が不在です。

私は「 □□  」である、という創造原理の「  」に何も入っていなければ、その都度流れに流されてゆくことになります。それを称して、人々が眠っている、ということなのでしょう。

目覚めるとは、各自の創造原理である、私は「  」であると勇気を持って入力することです。どんなものでも入力できるので、反省や観察という行為で、行くことも戻ることも可能ですので心配は要らないと思います。入力に応じて出力されるのは、判りやすい物質世界でも1つの法則なのです。自分の未来は自分で入力し、その出力を刈り取っているわけです。