気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

あらゆるすべては波動(12)魂も波動

2017-02-27 07:09:37 | 宇宙時代の考え方
あらゆるすべては波動である。
人は魂、こころ、肉体というものの複合体であり、
<魂>という極めて高い波動から、
<こころ、思考、マインド>という波動が生まれ、
こころ、思考、マインドを通して、肉体表現の次元へと波動が展開している。

波動の法則でいえば、周波数の低いものが高いものになることはできず、
周波数、振動数の高いものが、その波動を自らで低い波動に分解しつつ、
魂の知覚経験する世界というものを展開している。

それはまるで、数学や情報理論で実際に使用されている「フーリエ展開」を連想する



(例えば、電気的な波形において、四角い波動形・方形波ともいうが、その四角い波形は、実際様々周波数の正弦波の合成、より周波数の高い波動の複合合成であるということを示す。)

魂は、創造の根源、われありという第一義的な波動で生じたもので、
あらゆる存在形式の最もエネルギー波動の高い帯域のものと考えてよい、
その<魂の波動>が、自らの可能性を様々に見出すために、
順次、より次元の低い、つまりエネルギー波動の低い領域を生じさせている


(人間の次元構造、エネルギー波動帯域、構造層の呼び方名前はさまざまにあるが、
一般には魂から肉体まで、7、8階層の「エネルギー波動帯域」とされる)


これはあるサイトから勝手に拝借した構造図だが、
今までの3次元世界、物質偏重、肉体保身、サバイバルが中心の世界は、
主に物質、肉体レベルに固執した体験波動域であったということだ。

そして次第に、より高次の波動、思考、マインドというより高い波動に気づくことが、
必然たる魂の進化の過程で起きていることなのである。

物質レベル、肉体レベル、可視光レベルに特化した魂の経験はすでに飽和し、
そのたわわたに実った果実が、地に落ちるほどになったということだ。

その過程は、何も人類というカテゴリーのみならず、
それを受け入れ体験させるという役目を有している、
より壮大な波動帯域である・・この惑星・地球も全く同じプロセスにある。

今は、そのエネルギー波動が一定のエネルギー準位を超えて、
一気に次なる準位へと移行する時なのである。

しかしながら、「まあ、そのうちに・・」は過ぎて、
今のこのとき・・周辺に、その兆しが表れて来ている。
それらは魂の・・目覚めの合図である。
気づけるだろうか?

内なるマインドの変化、人類上の様々な騒ぎ、
地球の様々な異常ともいえる変化、
そして気づかれ始めた太陽の大いなる変化も、その兆しである。




あらゆるすべては波動(11)意識波動

2017-02-25 07:52:54 | 宇宙時代の考え方

なんでもそうだが、すべての事物、現象は、
無次元、あるいは無限次元の・・空(くう)の中の波動エネルギーである。

諸々の「存在」ともいうそれは、
また変化してやまない物語でもあり、
そうであるがゆえに幻想、夢物語なのであるが、
それを通して、存在諸世界、多次元宇宙という反映を通して、
ひとつなる・・自らの無限を表明し続けている。

その意識、それを・・・無限の叡智・・・というならば、

何もみな、あなたも私たちも、誰もみな、・・それである。
「大いなる意識」といわれるそれこそが、
無限の空(くう)そのものに・・・描き続ける、
なんでもない、それだ。

なんでもない・・というと、ちぇっ・・何もないのかという思考が起きるが、
それでいつも逃し続けてきたようである。(笑)

なんだ、価値ある物ではないのか? 金にならねばなあ・・・。

そういうものを追い回す、
気づかず知らず、しみついた思考の世界の中にいたというわけだ。
誰かが作った?、あるいは人類、社会、親たち、自分たちが
営々として作り上げてきた、・・
不都合なマインドの幻想世界にいた・・わけだ。

意味不明だろうか?


・・・
人は普段何かを「意識」しているはずだ。
何かに気付いている、気にしている、注意をしている、
そういうことを含めて、それを「意識している」と言っている。

普段はそんなこと気にも留めず、
会社のこと、学校のこと、子供のこと、
自分の体のこと、政治のこと、あるいは世界情勢のこと、・・
いろいろなものを「気にしている」つまり意識している。
大体において、不安や、疲れや、重い忙しさを感じているだろうか。

お金の事、子供のこと、仕事のこと、対人関係の事、
様々なことを常時「意識」しているわけだ。
起きている間は、常に何かを意識している・・これは事実である!

そうではないか?



そしてその「意識」で生じる派生物・・
つまり、思考、思い、そして感情に気づいていない!
そしてそれらの現状での集大成、想念・・
想いが集合して大きな傾向を表すところの、想念、
それに気づいていないかもしれない。

これは文字通り<意識>・・が拡大する、あるいは進化することにおいて、
きわめて重要な関所、あるいはギャップ、あるいは超えるべきテーマである。
信じられる?

自らの発する、あるいは受動している思い、思考は、
記憶となって蓄積され、それがまた発信源となって、
その思いに沿った形で現象化しようとするのである。

思考や感情という、いわゆる精神的な事象も、
それは事象なのだが、
それもまた波動であり、我々の物理的、現実的と言っている、
この等身大の表層世界の、その背後にある、
いわばシナリオ波動というべきものである。

あなたの常日頃の思い、想念、固定イメージは、
あなたの見る夢、あなたの世界という現実の、シナリオ波動なのだ。
シナリオとは、
それが・・そういう風に・・なることの道筋を述べたもの・・だ。

これに心底気づいた場合、つまりひとつの「悟り」なのだが、
自分の思いに・・気づき、これを・・それとして見る、
いや思考の場合は見るのでなく、観る・・ことだが、
それがを絶対といっていいほど、重要なことと理解するのだ。

まあ、それも自由だよ・・というレベルの話でなく、
いわば必須だといっても良い。

なぜならば、思考や感情、イメージという波動は、
人が現実と言っている、この等身大の世界、3次元的世界の波動、
その波動を超えた次元の波動エネルギーであり、

それ、超えているということは、
こことは無関係の、その向こうにあるという意味ではなく、

ここに在って、かつここを形作り、またそれを超えてある・・ということだ。

空(くう)は3次元的な観点から見れば、真空で?
からっぽ、何もない、無意識、ゼロ、・・と観測されるけれど、
そうであるがゆえに、
様々な事象、事物が投影、展開するのである。
その展開する有様のその質的内容は、・・・
物質の波動レベルよりも高い周波数域の波動である、
「思考」「想念」の波動なのである。

つまりあなたの思い、想念の質がそれを観る投影世界を映し出す。

さらには、
意識として不滅のわたし、人はそれを「魂」ともいうが、
その魂・意識の、今世や、転生あるいは、
常に新たなる<今>の世界展開の重要なシナリオとなるのである。

因果応報とか、カルマとか、輪廻転生とか、
そういう話は、ある意味で真実だが、
無理やりそうなってしまうという話ではない。

魂・意識としての・・その自己表明のレベル、
それは思考や感情、行為として現れるものだが、
その魂意識の・・自己自覚・・その表現形によって、
その体験する有様、あるいはその展開世界が決まってゆくということだ。



(量子場では、見えない波動は粒子として、観測可能形を生み出す)

過去生も、今世も、来世も、・・今の意識・・の展開。
今の意識・・で表すものは何かといえば、
今の・・わたし・・の想念。
決して、外の世界の何者かではない。

外の世界は、投影される次元映画のようなもの、
1つの・・夢・幻(まぼろし)なのである。

とはいえ、表層の肉体エゴの安楽や持続だけの思いは、
小さい次元内の展開だけにかかわるものであるため、

それに終始してある人生を終わった場合には、
そのこだわりの・・現生の周囲にとどまり、
また、その思いのこだわり先である、この次元世界に生じてくる、
そういうことをやっていたのである。
それがこの世界の輪廻転生だ。
またそれも奇跡的な恩寵であるともいえようが、
もうそのような幼子的な魂表現は、この次元世界では終わりである。

アセンション、それは、
つまり単純に、魂の幼児期からの卒業であり、
人類の多くが、それを嫌々しているからこそ、
あるいは他の魂へのその嫌々の宣伝をする者たちもいるからこそ、
今まさに様々な混乱が起きているのである。

外側世界はこれから騒ぎと混乱の極致を通って、
おそらくだが・・、
まさにそう・・グレンとひっくり返るだろう・・・、
(これは文字通り、世界の転回、回り舞台である地球のそれ)
地球だって生まれ変わる時がある。

そうではないか?
それとも、単なる球体の地殻だと思うのか?
我々がそうであるように、それは魂・意識体というものであり、
壮大でありながら、様々に自己を波動展開している。




この世界にいる・・肉体ではなく、それを通して自己表現している、
わたし・・・魂・意識は、それを観察する意識視座に上る、
それは、意識内面の高次波動レベル・・である。

勘違いすべきでないのは、
3次元・物理的上空でなく、根源意識へとつながる、
波動エネルギー帯域における、より上層である。
物質という身近な形のみならず、
さらに精緻、精妙なる<意識>もまた波動である。


意味不明だろうか?

いつでも、どこでも、・・
本質的な・・魂レベルからの「想い」が重要ということだ。

あなたが今・・どう在りたいか?

展開する・・永遠の今・・の様々な在り方、
転生はどうありたいか?も含め、
すべては魂が決めていることなのである。

魂は、根源が・・第1義的に押し出した波動、
すべての根源、ソースが自らの分身として押し出した波動、
それであるからだ。

瞑想ともいうが、
ただ今・・今の・・わたしの在る・・ことを、
ただ静かに眺め、
おのれの内面に生じる・・意識波動を観ること、

それは一種の作業、行為であるが、
日常3次元的な世界の、手足を動かす行為ではなく、

自らの意識内面を感想し続ける意識的行為であり、
その行為の先に見いだされるのは、

自らの空(くう)という広大無辺さの中に、
こんこんとわき出でるがごとき、想いであり、
それを表現するエネルギー・波動であり、
またその想いを観ている・・何か・・、

ただ、無限の叡智というしかない、空(くう)である。





あらゆるすべては波動(10)下天は夢・幻である

2017-02-20 07:06:33 | 宇宙時代の考え方
色即是空の・・空(くう)とは何か。
それは・・わたし・・である。
あらゆるすべての空間、見晴るかす大宇宙のすべての、
バックグランドに在るのは・・空(くう)以外の何物でもない。
そう、まったく・・何物でもない・・それが空(くう)。

そして空(くう)は何かといえば、

すべてを包含する・・それ、
すべてを貫いてて在る・・それ、
すべてを生み出す母体である無限の可能性、
時間や空間を超えたそれ、
オール・インワン、・・・一なるもの・・、
私たちに・・無限に近く、最も身近で、
全くそれである・・・もの、
それが空(くう)だ。

それは今の・・わたし・・のことだ。
物質であろうと、
肉体であろうと、
より高いエネルギー波動体の、
アストラル体であろうと、コーザル体であろうと、
母体はそれ・・敢えて呼び名を言えば、
空(くう)。

私とは関係ない、何かの言葉、イメージではなく、
あなたや私たち・・すべての存在、そのもののことなのである。

・・・
私の身体、肉体、周囲の事物が原子で構成されている。
原子の大きさ(半径)は・・約10の-10乗メートル
原子核(陽子・中性子)の大きさ(半径)は、約約10の-15乗メートル、
3次元的体積でいえば、
原子の立体は、約10のー30乗mに対して、
原子核の立体は、約10の-45乗となる。

したがって、原子の大きさとそのコア(核)の比率は約10の-15乗となる。
つまり、物質の存在密度というものは、0.0000000000000001程度となる。
これは多分(笑)・・この世界の真実だ。
その存在密度たるや、0.0000000000000001程度。




物質や存在などと呼ばれるもの、
素粒子、素材などと呼ばれる微小なエネルギー波動だが、
それはまさに、無限の叡智で紡ぎだされている。

存在諸世界は、すなわち表現される無限の叡智と、
すべてを貫く、あらゆるバックグラウンドたる・・空(くう)なのである。

これは科学的な事実であるならば、
つまり私たちは・・霞(カスミ)のようなものなのだ。

せっかくの人類の科学的方面の探求を無にすべきではない。
余計なお世話とは思うけれど、
この事実を新たに把握すべきであって、
決してぼんやりしてはいけないはずだ。

現実を直視すべし、というけれど、
それは今の現実、ちょっとした悪夢、をしっかり見るべきだ、
それが、変えることのできない宿命、現実だ・・と、
そういういうことではなく、

これは単なる夢だと・・悟ることなのである!

何か真実がありそうなこの世界で、
例えば、苦渋や凄惨をなめている人たちは、
霞(かすみ)の世界、存在のきわめて不確かな幻想世界で、
悪夢を見ていたのである。

大勢の者たちが悪夢を集団で見ているその世界、
集合意識の作る世界、集団妄想の世界、

赤子から、つまり一から入り込んでゆくことは、
その悪夢いやすべてがそうでもないが(笑)
その夢だけがすべてだと思い込むわけなのだ。

ある時は、こんな感じだった?かも(笑)



あなたも、そんな世界に今いる、いや、いたということだ。
しかしながら、
それがある種の夢だと、うすうす、
あるいはほとんど、ハッキリと意識で理解したならば、
この世界にあっても、この世界の中に組み込まれてはいないところに来た。
目覚めた・・
つまり・・解脱したということになる。

集合意識の、一つの大きな夢が終わろうとしている、この時期、
わたしとはなにか?、・・それを、
頭の理解、マインド・思考から、ハート、魂の波動へと高めるべきだ。
今行うべきは、目覚めるための最も近い行為、自己への問いかけそして瞑想。
他のなんでもなく・・・それである。




下天は、まさしく、

夢幻(ゆめ、まぼろし)の如くなり







あらゆるすべては波動(9)波動の降下と上昇

2017-02-18 07:30:59 | 宇宙時代の考え方
・・
●全てが根源波動で生じている
空(くう)の中に揺らぎが生じ、それが回転・振動して、
自らの存在を”自ら”で生じせしめる。



●全てに遍在しているそれ
根源は、どこかにあるのではなく、ここ・そこ、何処にも、いつも在る!
例えば、銀河の中心に、どこか宇宙の中心の「場所」だけにあるのではない。
なぜならば、時間空間という波動域を創っている無限小の根源波動は、
それらに制約されないからである。
常に振動率の大きい波動がより遅い周波数を創るのだ。
全ての存在系を生じせしめている波動は、あらゆる全てを貫いてあり、
またそれ自身なのだ。
全てに遍満しているともいう。

●多次元宇宙
空(くう)のあらゆるところに、無数の、無限小の渦が生じ、
それらの渦が、無限小の回転・振動エネルギーとして、
つまり波動エネルギーとして無限のパターンに重合しつつ、
様々なエネルギー波動帯域を創り上げている。
無数にある波動帯域を宇宙、あるいは多次元宇宙とも言っている。

●真我・魂は存在の最高周波数帯域
魂というのは、究極の根源波動から第1義的に生じた波動であり、
つまりどのような波動よりも高い周波数帯域にあり、
従って、その究極に高い・・波動域から自由に自らの振動率を落としつつ、
幾多の波動域を・・体験できるのである。
「魂」というのは、究極のエネルギー波動であり、
あらゆる全てのものを超えている・・根源波動に・・近い・・
波動と言っていいだろう。

●地球という1つの波動世界
空(くう)のあらゆるところに、無数の、無限小の渦が生じ、
それらの渦が、無限小の回転・振動エネルギーとして、
つまり波動エネルギーとして無限のパターンに重合しつつ、
様々なエネルギー波動帯域を創り上げている。
無数にある波動帯域を宇宙、あるいは多次元宇宙とも言っている。


我々はその1つの波動帯域の、1つのパケット(波動のかたまり)にいるようなもの。
それを地球という惑星、あるいは3次元的世界等と言っている。
そこにいる・・という意味は、「あなた」という意識がそこにフォーカスしていること。
意識がそこに集中している・・そこに存在しているわけだ。


●この世に来るために忘却の河を渡る
ただこのような、3次元的波動世界の特徴として、
魂としての、自らの意識波動の振動率を落として、この世界に出現するわけだが
魂・意識に比べて、その環境と周囲のマインドが、
あまりにも遅い周波数帯域のエネルギー波動で満ちているために、
本来の、より高い振動率に気づかぬように仕向けられる、
・・・つまり忘れるということになるのだ。



●次元降下とは
高い周波数は多くの情報を持つ、
周波数が低くなれば、情報も無くなる、
そのように・・・、
周波数の遅い波動は、高い波動を描けない。

あなたが・・赤ん坊が生まれるという事は、
忘却という「フィルター」を通して、自らを忘れることで、
この世界に参画することが出来る・・ということだ。
つまり次元降下、波動の降下ということだ。

そして人々は、多分自分を肉体だと思っているかもしれない。(笑)
自分をそう思っている・・。

そういう次元降下経験を経て、
これからはそのどん底から這い上がるのだ。
それは当たり前、自然であろう、

つまり次元上昇するのである。
今、起きているのはそれだ。
・・・

こういう波動の仕組み、知っていただろうか?
あるいは、
思い出してきただろうか、

または、
わーお、・・そうなのか・・?
えー、マジなの?
バカな・・(笑)
絶対、そんなわけない・・?

どう思う

ここまで読んだ人は、繰り返し刷り込まれた日常に
すぐにフォーカスしてしまうとしても、
断片的、漠然的ながら・・
そういう大きな仕組みに気づくかもしれない。

・・・・

誰もが真我を知りたいと望んでいる。

 自分自身を知るために、いったいどんな助けが必要だというのだろう?

 人びとは何か新しいものとして真我を見たいと願っている。

 だが真我は永遠不変に存在し続ける。

 彼らは真我を輝く光か何かのようなものとして見ることを望んでいる。

 どうしてそうありえよう?

 真我は光ではなく、暗闇でもない。

 それはただあるがままに在る。

 それを定義することはできない。

 最もふさわしい定義は、

「私は私であるものである」

(I AM THAT I AM)だ。


(ラマナ・マハルシ)






あらゆるすべては波動(8)空(くう)こそが存在の根源

2017-02-10 07:07:29 | 宇宙時代の考え方

これは面倒くさい物理科学の話ではなく、我々が・・在る・・事実の1つの説明だ。

わたしとは何か?・・世界とは何か?・・時空間とは何か?を問いかける場合には欠かせないことでもあろう。

●空間とは何か
何度も言うが、自分の身体というのはほとんどが”空っぽ”だということである。
物質とされる事物は、分子やさらに小さな原子でできており、
その基本要素である原子は、原子核と電子でできており、その密度はとてつもなくゼロに近いものだ。
それらのミクロ素粒子はクオークと呼ばれる、振動・エネルギーとでもいうしかないもので構成されている。

さらに原子のその背後にあるのは<真空>と言われ、またそれを「空間」ともと言っているが、つまりそう、文字通り「空間」とは物質と物質の <間> のことだ。
あなたの体も周囲もすべて空間である。
我々は、肉体の塊などではなく、ほとんどが「空間」といっていい。

まっとうな現実として、科学的に言えば、
我々とは・・空間・・そのものであり、
そこにわずかな「揺らぎ」としての振動エネルギーがあるということ
だ。

日常の等身大の世界だけでの感覚、我々は・・重く緻密で濃厚な肉体・・という
今までの常識の観念は、20世紀の科学ですでに崩壊しているのである!

これに気付いている人たちは、あの「マトリクス」という映画のネオだけではない(笑)


我々の意識する=観察する宇宙には、つまり空間には「物質」があるために、
そこに相対的な「距離」があり、そして「方向」を割り当てることができる。
方向がXYZの軸として独立座標として3つあるために3次元空間と言っている。

●時間とは何か
また人の観測する世界、宇宙では、そこにある無数の物質が「運動」している。
そして、運動とは物質相互間の・・距離の変化であるが、
実は、その”変化”のことを「時間」と呼んでいる。



宇宙が、何も変化のない<静止系>ならば、そこに時間が観測されるわけもない。
そう、時間とは、空間のエネルギー相互間の運動の変化のことなのである。
カレンダーや時計が・・時間を生んでいるわけではない。(笑)

人が観測する宇宙の物質、つまりエネルギー相互間の運動、あるいは相互間の振動、
それをまとめて「時・空間」としているのだ。

つまり時空間・・とは、<エネルギーの運動、振動>によっているわけだ。
波動としての存在物がば何もなければ、空間も生まれない。

●どこにもある、何でもないもの、つまり空(くう)
物質=エネルギーが存在しなければ・・空(くう)という、何もない無次元の<・・・?>
だけが・・ある?あるいは無限(∞)の次元・・?

空間といわれるスペース・・も、物質なる振動エネルギーが何もなければ、
無であり、からであり、またそんなことも何も・・ない・・非存在とも言えない・・何か?
変な話・・。

●定義も何もできない・・空(くう)
空(くう)とは、
定義も何も出来ない・・何でもない・・それ・これとも言えない・・、
なんでもないもの事・・・でもない・・。
意味不明だが、説明できないために、理解出来るとも、理解してほしいとも言えない(笑)

しかし、それが・・そうであるがゆえに、・・・
真っ白なスクリーンに鮮やかな映像が映し出されるように、
空(くう)が自らを押し出して、無限に自己を表現している。

いま我々は存在している!・・
あるいは在ることを・・実感しているのである!
在ることの実感・・それが「意識」だ。

さまざまに在る・・ことの実感・・
それは存在感であり、また生命と言われているものだ。
あなたの身近な動物たちの愛くるしい姿態も、生命の表現なのである。
彼らは落ち込んだ人間のそばに助け舟を寄越し、
「嬉しくなくてどうするの?」と言っているではないか。



地球という、歪んだ小さな物質的観念の中に自己投入し、
歪み切った世界という、汚染された世間というスクリーン映像を観ている者はだれか?

空(くう)という無限次元のスクリーンに映し出される、
この世界を、観ているのは誰か?


●わたしとは本来・・無限の空(くう)
我々の肉体の存在密度は0.0000・・・1%のエネルギー、
殆どが真空であるという事実を観るならば、

わたしは元々空(くう)であり、
そこに微小の波動エネルギーによって描き出されている存在であると知るだろう。
そう、空(くう)は無限の可能性、あらゆるすべての充満なのである。

何でもなく、何にもないように見える、空(くう)
それはすべての完全無欠な充満なのである!
実に、何ということか!

空(くう)というしかない、
何も定義もできない、何でもないそれ・・でもない・・それが、
その・・無限を・・自らで・・意識的に気づく行為、目覚めによって、
それをかたちとして押し出して、創造という・・楽しい遊びをしている。

楽しくないものをいったい誰が造るものか?
そうではないか?

あなたやわたしたち、ここの世界の魂・意識達は、
幻想の籠の中の、きわめて不自由な鳥を演じていたが、それは、
母なる根源意識、父なる意図を使って、
自らで演じることが出来るからこそのことであった。

無限であるものだけが、有限、局限を演じることが出来るのである。

世界に覆いかぶさる重い想い、マインドの扉、
その幻想の扉を開ける時が来ている。

幻想とは・・想いの幻のことである。

想い、マインド自体・・は、わたしが描くものであって、わたしではない。
わたしとはなにか・・もうわかろうもん!