気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

人類と植物との調和

2007-11-02 21:45:04 | 色々な気付き

植物にも意識があります。なぜなら成長・変化をするからです。どのようなものも現象化するには原因たる意識が必要だからです。植物には色とりどりの花や木々などの多種多様な種類があり、その種類・種族の集合意識で構成されているようです。1本1本、1苗1苗の個別意識がないのは、それらが人間のような個性ある反応をしないことでも理解できるでしょう。1本1本に感覚や独特の反応が無いのは、個性化されていないことの証であると考えられます。間違って草を踏んでも、ぎゃーという反応はありません。

このように、植物はその種族での集合無意識で成り立っていると思えます。これは良い悪いという問題ではなく、意識の1つの形態であるということです。別の表現をすれば、オーラはあるが特別に色づけで強調されてない生命表現であるといっても良いかも知れません。それにも重大な意味があります。決して植物や花が我々より劣るということはないのです。

彼らは人間に見られることや、ケアされたり栽培されることで、高次の人間意識の波動を浴びて進化が可能なのです。また食物として供されることを甘んじて受け入れているのでしょう。なぜなら人間が植物を食べて・排出すること、また人間の細胞に変換され、その細胞・分子レベルでの経験を行い、再び人間の肉体が土に還る事で、自分たちのベースに戻って来ることが出来るからです。元に戻るたびに細胞レベルでの経験が増すことになり、それらの経験は新たな植物の青写真(DNA)に貢献してゆきます。こういう意味では、人間と植物は進化の方向で調和していると言えるでしょう。

植物を根こそぎにして絶滅させたり、本来の進化の設計図・青写真(DNA)を、勝手に書き換えて良い訳がありません。植物は人類が創ったものではありません。ましてや貴方や私が創ったものでもありません。生態系全体のシステムがどうなるか判っていない状態で、植物の設計図を書き足したり、消しゴムで消したりすることは、もともと用意された自然循環での螺旋的な進化のループを切断してしまうことになるでしょう。

例えれば、何者かが描いた絵画に、無断で書き込んだり消したりして面白がっているようなものです。このような行為は爆発的な核よりも重大な結果を招きかねません、自然の完璧な調和の輪を断ち切ってしまうと、一体誰がその輪を再生するのか考えるべきです。自分たちの肉体が細胞レベルで断ち切られるのを望んでいるのでしょうか?

今の我々の愛する地球は、今までのような、 「知らない、聞いていない、判らなかった」 という、人類のわがままを許す程の余裕はないし、そうであるが故の、次なる進化を目指しているものと思われます。

貴方も私も余裕がなくなれば、やっとで重い輿を上げ、何とかしようと思うでしょう。今の地球はそんなことになっているのではないかと思います。生態系全体の調和と進化の宝物を愚かな人類に渡すほど、地球や宇宙の法則は甘くないでしょう。今、こころすべきときです。