人は皆、自分が自分である・・・という自覚意識を持つ存在である。
「わたしは・・わたしである」という自己を自己で認識する存在であるともいえる。
それを 英語表現で、「I AM・・」という。
また「わたしは○○である」・・という「自己創造」する存在であるということだ。
そして、その自己創造を「意識している」存在である。
しかしながら、今迄大きな勘違い、あるいは小さく自己幽閉する観念が支配していたのがこの世界である。
その自己認識する自己とは、
表現された姿・形・機能をいうのではなく、その原因たる創造者のことである。
あなたが描いた「絵や作文」が、<あなた>自身ではない様に、
あなたの言葉、想い、身体自体も、<あなた>そのものではない。
ここで「あなた」「わたし」という人称表現を、考えられる最大、最小の範囲とすると、
それを「神」「この宇宙」とするならば、
「宇宙」とは、「神」の自己創造表現体・・・、言葉、想いや身体であるということだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/9b/2dcbb9efe44f1116872f47994fcb14fa.jpg)
宇宙は、様々な波動(つまり言葉)で満ちているだろう?
宇宙は、様々な想念形で満ちているだろう?あなたの(その都度の想い)はそれである。
宇宙は、様々な星系で(身体・肉体)満ちているだろう?
そうだ。
宇宙も何もかも、そうした表現形であり、それ自体に自らを投入しつつ、
その無限性を、まさに無限で在るがゆえに、常にその表現型が変化しているのだ。
そして、あらゆるものが変化しつつも、自らの自己創造のパターンを保持しているのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/30/e9a93f3f8e411fb13fc07201d5002f49.png)
我々はそれを自然界の「法則」と呼んでいる。
人間が自然界に発見する法則、科学的、電気的、磁気的、統計的・・
我々の知っている、あらゆる分野での大小さまざまな法則は、
宇宙での神の自己表現の、自己創造のパターンを部分的に読み解いた結果なのである。
だから、ニュートン、デカルト、アインシュタイン、ボーア、ハイゼンベルク・・などの、
バリバリの唯物論者的な科学追求者たちや、その他のまっとうな科学者は、
自然界の仕組みの壮大さの一部に、否応なく触れることで、
おおいなる直観を得ざるを得ないのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/70/f7ed48950ad8ebc277e0aed85144d86e.jpg)
科学の力、我欲の力を使ってどこまで遠くに行っても、
お釈迦様の手がそびえていたという、あの孫悟空の物語なのである。
宇宙は全て「法則」のもとに在ること、
それは無限性を表現するための手段であること、
その法則を作っている「何か」の意図・意識があること。
今日も明日も太陽が昇り、大気が循環し、水が流れ、
諸惑星は調和の中に周回しつつ、ハーモニーを生み出し、
それらの中心たる恒星は、無数に重合、離散、変化しつつもその位置を全うしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/21/bcd81e667faa98858e4b56a928ad15b3.jpg)
そして、
我々は、それをそれとして発見、観察しているのである。
我々は、例え部分的であっても、この宇宙を意識的に見ている存在である。
その宇宙、大から小までの事象を観察しつつ、
法という、宇宙を貫く・・・意識と意図を読み解き続けているのである。
それは、
大いなる神自身、宇宙の根源神、創造の原案、が、
そしてそれ自身が、人という意識的存在である、無数の<自己>を生み出しつつ、
様々な次元でその無限性をいちいち確認、発見し続けているということなのだ。
あなたもその無限の中にある者、
無限の発見を楽しんでいるところの意識的存在なのである。
あなたが自分のこころや肉体を「自己」と想起しているように、
神は宇宙を「自己自身」であると想起しているのである。
あなたが自己を意識しているように、宇宙も大いなる自己を意識している。
その宇宙を貫く意識が・・即ち『宇宙意識』なのだ。
「宇宙意識」は当然ながら、あなたやわたし達にも貫かれて在ることに、
十分に・・・十分に気づくべきなのである!
物量や数量、大きさや比較で判断する思考は3次元的閉塞観念だ、
それは既に十分すぎた閑念であり、破棄すべきものである。
今ある生活レベルでの閉塞感や鈍重感は、
社会的規範や規則、生活の為の3次元的な物量観念から来ているわけで、
ままよ、それはそれとして、この世界における学びやカルマとも捉え、
古い世界の消え去るまでの、残りわずか一時のおつきあいと弁(わきま)えつつ、
今現在の当たり前の生き様の中で、
自らが無限の創造根源意識、神の、その子供たちであり、
かつまた、無限から生じた、無数の神のひとり子たちであり、
そして神々であることを、願わくは、
今この瞬間にでも・・・悟るべきであろう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/d4/fc04afda1fe80924777b2baefa4bbecc.jpg)
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。
「わたしは・・わたしである」という自己を自己で認識する存在であるともいえる。
それを 英語表現で、「I AM・・」という。
また「わたしは○○である」・・という「自己創造」する存在であるということだ。
そして、その自己創造を「意識している」存在である。
しかしながら、今迄大きな勘違い、あるいは小さく自己幽閉する観念が支配していたのがこの世界である。
その自己認識する自己とは、
表現された姿・形・機能をいうのではなく、その原因たる創造者のことである。
あなたが描いた「絵や作文」が、<あなた>自身ではない様に、
あなたの言葉、想い、身体自体も、<あなた>そのものではない。
ここで「あなた」「わたし」という人称表現を、考えられる最大、最小の範囲とすると、
それを「神」「この宇宙」とするならば、
「宇宙」とは、「神」の自己創造表現体・・・、言葉、想いや身体であるということだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/9b/2dcbb9efe44f1116872f47994fcb14fa.jpg)
宇宙は、様々な波動(つまり言葉)で満ちているだろう?
宇宙は、様々な想念形で満ちているだろう?あなたの(その都度の想い)はそれである。
宇宙は、様々な星系で(身体・肉体)満ちているだろう?
そうだ。
宇宙も何もかも、そうした表現形であり、それ自体に自らを投入しつつ、
その無限性を、まさに無限で在るがゆえに、常にその表現型が変化しているのだ。
そして、あらゆるものが変化しつつも、自らの自己創造のパターンを保持しているのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/30/e9a93f3f8e411fb13fc07201d5002f49.png)
我々はそれを自然界の「法則」と呼んでいる。
人間が自然界に発見する法則、科学的、電気的、磁気的、統計的・・
我々の知っている、あらゆる分野での大小さまざまな法則は、
宇宙での神の自己表現の、自己創造のパターンを部分的に読み解いた結果なのである。
だから、ニュートン、デカルト、アインシュタイン、ボーア、ハイゼンベルク・・などの、
バリバリの唯物論者的な科学追求者たちや、その他のまっとうな科学者は、
自然界の仕組みの壮大さの一部に、否応なく触れることで、
おおいなる直観を得ざるを得ないのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/70/f7ed48950ad8ebc277e0aed85144d86e.jpg)
科学の力、我欲の力を使ってどこまで遠くに行っても、
お釈迦様の手がそびえていたという、あの孫悟空の物語なのである。
宇宙は全て「法則」のもとに在ること、
それは無限性を表現するための手段であること、
その法則を作っている「何か」の意図・意識があること。
今日も明日も太陽が昇り、大気が循環し、水が流れ、
諸惑星は調和の中に周回しつつ、ハーモニーを生み出し、
それらの中心たる恒星は、無数に重合、離散、変化しつつもその位置を全うしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/21/bcd81e667faa98858e4b56a928ad15b3.jpg)
そして、
我々は、それをそれとして発見、観察しているのである。
我々は、例え部分的であっても、この宇宙を意識的に見ている存在である。
その宇宙、大から小までの事象を観察しつつ、
法という、宇宙を貫く・・・意識と意図を読み解き続けているのである。
それは、
大いなる神自身、宇宙の根源神、創造の原案、が、
そしてそれ自身が、人という意識的存在である、無数の<自己>を生み出しつつ、
様々な次元でその無限性をいちいち確認、発見し続けているということなのだ。
あなたもその無限の中にある者、
無限の発見を楽しんでいるところの意識的存在なのである。
あなたが自分のこころや肉体を「自己」と想起しているように、
神は宇宙を「自己自身」であると想起しているのである。
あなたが自己を意識しているように、宇宙も大いなる自己を意識している。
その宇宙を貫く意識が・・即ち『宇宙意識』なのだ。
「宇宙意識」は当然ながら、あなたやわたし達にも貫かれて在ることに、
十分に・・・十分に気づくべきなのである!
物量や数量、大きさや比較で判断する思考は3次元的閉塞観念だ、
それは既に十分すぎた閑念であり、破棄すべきものである。
今ある生活レベルでの閉塞感や鈍重感は、
社会的規範や規則、生活の為の3次元的な物量観念から来ているわけで、
ままよ、それはそれとして、この世界における学びやカルマとも捉え、
古い世界の消え去るまでの、残りわずか一時のおつきあいと弁(わきま)えつつ、
今現在の当たり前の生き様の中で、
自らが無限の創造根源意識、神の、その子供たちであり、
かつまた、無限から生じた、無数の神のひとり子たちであり、
そして神々であることを、願わくは、
今この瞬間にでも・・・悟るべきであろう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/d4/fc04afda1fe80924777b2baefa4bbecc.jpg)
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。