気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

必然たる地球の存在

2007-11-15 22:04:36 | 色々な気付き

地球に生命が誕生したのは偶然の幸運だといえば、常識として通りますね。簡単に言えば、太陽系第3惑星のちょうどいい軌道にあったがゆえに、大気や地殻や水などを含めて適切な温度が保たれ、生命が育まれることになった・・という事のようです。

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偶然とはどういうことでしょうか。

例えばAさんとBさんが幼なじみであり、東京駅で20年ぶりに出合ったとします。

「やあ、Aさんでないか!いやー偶然だねー」「おっB、おまえ元気していたかー。」等の会話が聞こえてきそうです。20年ぶりなので偶然ということなのでしょう。出会う確率が低いので、それを偶然といってもおかしくないようです。

しかし、AさんとBさんの意志と行動を、朝起きたときから常に見ていた別のCさんがいたとしたら、どうでしょうか。そのCさんがAさん,Bさんを常に観察できる立場にあった場合は、そのCさんはどう言うでしょうか。

Aが朝7時28分に起きて、いつもの様に会社に出向いたが、駅そばを食べたのでいつもより3分改札を通るのが遅くなり8時40分になった。一方Bは久しぶりに用があって、新幹線あさま306号を使って東京に8時35分に着いた。新聞をキヨスクで買ったたため、改札を通るのは8時40分になった。・・・これでA,Bは出会うことになった。別に必然的にそうなっただけである。偶然ではありえない・・・。 Cさんにとっては二人が出会うのは必然であったと報告するでしょう。

どんな現象にも、必ずその原因があるのは、物理世界では特に常識です。偶然なる現象はあり得ないだろうと思われます。要は我々の認識、理解が不足しているだけなのでしょう。AとBの当事者は自分しか見えていないが故に、起きた東京駅での出会いが偶然に見えるのです。Cさんのように、もっと大きな視野や情報があったならば、お互い必然的に出会うのも判っていたはずです。こう考えると、「偶然」とは無知なるが故の、ごく表面的な判断でありそうです。もっと理解や情報が増え、視点が広くなって、自己や周りの現象が理解できるようになると、多くのことが必然的なことと判るはずです。偶然という言葉は、無知を他の何事かのせいにしている都合のいい言葉でありそうです。

地球が偶然に運よく生じた・・というのは、実は我々の無知を言っているだけだと考えて決しておかしくないのです。我々の理解、知識、視点が大きく広くなると、これらは必然的なことになって来るでしょう。例えば、貴方や私が今ここに存在しているのは、何らかの必然、理由があってのことだと考えるべきではないでしょうか。天空遥かに無限に繋がるこの宇宙が偶然のビッグバンで出来た等という考えの何処に正当性があるのでしょう。

目に見える現象を生起させるための元になる原因というものは、まさに眼に見えないからこそ原因といえるのです。エネルギー保存則は物理世界で認められていますが、現象を通じて常に変移してゆくエネルギーそのものは目にも見えなければ、触ることも出来ません。必ず現象でしかおのれを現すことしかできません。

これと同じようなことが、我々の思考、想像力と我々の体験世界があります。目では見えないが、心で見たり感じたりできる、意図や思考、判断などの精神作用が我々の行動や環境を生み出します。歯磨きしようと思わない限り、誰も歯を磨くという体験はしません。寝ようと思わなければ布団に入ることもありません。これらは小さな原因と結果・現象なのですが、あらゆるものにも当てはまるのではないでしょうか。

原因なければ結果なし、真の原因は思考や想像という意識作用である、我思うが故に我あり、とも言われています。あらゆるものの根本原因はきわめてシンプルであると共に、我々のすぐそばにあるようです。それらの認識・見識・知識・経験をすればするほど、偶然などありえないことが判ると思われます。我々の周りに生起する現象は、意識的であればあるほど、あらゆる必然性に気が付いて、その深い意味が理解出来るようになるでしょう。。

地球は必然的に今ここに存在しています。その原因たる大いなる規模の意識作用の賜物です。地球上の変化は地球の意識作用の変化であると考えてもいいのではないでしょうか。地球は生きている意識的存在であり、規模は小さいが同質である人間は、その中で育まれていると言ってもいいでしょう。