気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

無限なる意識

2007-10-30 21:10:34 | 心の科学分野

著作権は気になるところですが、あるサイトに乗っていた貴重な体験談です。このような稀なことをあえて体験し、その体験の信憑性を誠実に語っておられます。その1部をコピーしてご披露させてください。 木内さんという彗星で有名な天文家の体験だそうです。

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さて、ここから先が多分皆さん一番知りたいことだと思います。ここまでは、いわゆる臨死体験者の話です。ここから先は、立花隆さんに言わせると死亡体験者の話です。これは何故かと言うと、実は私もポックリ病という珍しい病気だったのと、当時医学会では未だ原因のわからない病気だということで、そういう病気で倒れて未だ知らなかったんで、そこから全部デ-タを取って、学会に報告するつもりだったんですね。そのために、全部脳波から全部計っていたということもあって、運良くそういう状態を体験したのも全部計ったということなんです。ですから、それは先ずこういう状態で生き返った人はいないという裏付けにもなったのがあそこにあるわけなんですね。

さて、この次どういうふうになったという、1回我に返った時にナ-スコ-ルのボタンを探したんです、僕は。何故かというと、今意識が戻ったけど、これは生き返ったのか、それともこれから本当に死ぬのかどうかわからないんですよ。自分の頭の中では。まあ、珍しいもの見たんだけど。そこでやっぱり気になるのは今日の検査の結果聞きたかったんですよね。どうでも良いけど、とりあえず聞きたかったんですよね。で、ナ-スコ-ルのボタンをこう探したら、うちのお袋親切にも入れてくれたんです。入れてくれたんだけど、押す力ないんです。

押す力なくって、その時に心臓と、心臓が最初止まったんですね。で、ドッキン、ドッキン、ドッキンと脈打ってるんですが、それがドッキンで終わっちゃったんですよ。アレッと思った次の瞬間息ができないんですよ。呼吸ができないってどうなるか皆さん教えておきますけども、吐いたきり、吸えないんです。吸えないんです。で、苦しくないんです、それで。最初、それで苦しくないってことがどういうことなのかわからない。だけど、その状態でありながら意識はさっきからズ-ッと継続してるんです。わかります?その状態になった時、こうなって、上を見てる状態で、アレ、息もしてないと思った時にうちのお袋がハッとここ近付いたんですよ、ここに。

で、身体揺すぶるんですよ。そして、何て言ったかというと、あっ、死んじゃったと言うんですよね。僕は一瞬びっくりしましてね、何を言ってるんだろう、お袋はと思って。そして、親父をすぐにたたき起こして、そのままナ-スセンタ-へ飛んで行ったんです。そして、親父に、鶴彦今死んじゃったって言って親父を起こすんですよ。息してないって。息はしてないわなと思ったけど。で、ナ-スセンタ-へ行った。うちの親父は起き上がってベッドの足元に捉まって、僕の顔ズッと見てるんですよ。寝てる状態で眼と眼と合ってるんですよ。と、親父が固まってるんですよね。何か深刻な顔しちゃって。俺は何かといったら、身体が何か楽になったような気がしたんですよ。さっき言った床擦れとかああいうような痛みがないことに気が付いていくんですね。段段薄れてくって思ってたけど良く考えたら、その時点ではもうないんですね。だけど意識は繋がっているから僕は死んだって思ってないわけですよね。で、親父の顔見ながらニコニコしてて、ニコニコした振りをしたのかもしれないんだけど、大丈夫だよと言うんだけど親父の顔ここらへんが変わらないんですね。

何かそっちの方が心配になって、そしたら上半身だけがベッドに起こされるような雰囲気だったんで、起き上がって、親父さん大丈夫だよとにこやかに自分は話し掛けたつもりだったんだけど、変化しない。その方が心配になりません?今俺は死んだって思ってないんだから、自分が。そうでしょ。俺、こんな起き上がれるようになって何だよって感じですよ。そして、意識的じゃない、無意識的にやったんだけど、足をベッドの脇に出して立とうという素振り、素振りというか、自分では本当は立ってるんだけど素振りと言わなければならない辛さがあるんですけどね。そうやって、手をつこうとしたら、ここに自分の肉体があるんですよ。

これはね、はっきり言うとショックですよね。何これ . 俺はここにいるんですよ。何で俺はここに寝てるわけ?わけのわからない、頭の中で整理できなくなるんです。これ絶対ね、皆さんこれからねパニック起こさないように。意識の方の自分が現実の世界だと良くわかりますね。だけど、寝てるのも現実に見えるんですが、でもその時は、これ多分幻覚だろうと言い聞かせるんです、自分のどっかで。あっ、これきっと幻覚なんだ、熱にうなされてるんだ、きっとと思いつつ、それでも何か余りにもリアルなんですよ。そして今度、親父大丈夫だよとベッドの脇から言って、自分の姿見ながら親父大丈夫だよと言うんですけど、親父固まったままなんで、耳のそば行って、親父!って脅かそうとしたわけ。素振りとすればね。

耳元行って親父!って言おうとしたら、いきなり親父の身体の中へ入って、親父の目線から自分の姿を見てるんです。そこで初めて気が付いたのは、俺は親父に取り憑いたと思ったんですよ。正直言ってそうでしたよ。これはまずいと思って何をしたか。俺、大丈夫だと言い聞かしてたんです。

そしたら、看護婦さんが飛んできて、飛び乗って心臓マッサ-ジ始めるんです。もう一人の看護婦さんがやってきて、酸素マスクかなんか持って来てゴトゴトゴトして、お父さん邪魔だから出てください!って言って、出た、親父が。俺、行くとこないんですよね。で、看護婦さんこっち来るから俺奥の方行って隅っこでズ-ッとこう見て、いや、ぶつかると危ないと思うじゃないですか。

これ、笑い事じゃなくて、そのくらい現実味なんです。わかります?私の言ってること。避けるんですよ、私。で、避けて、病室の隅っこに行って、だから看護婦さん通ってくでしょ、酸素マスクやったりいろいろして、それズッと見てるんです、こうやって。で、見てるうちに、ふと気がつくとお袋が未だ来ないんですね。さっき、ナ-スセンタ-飛んで行ったきり。お袋、どうしたのかなあと思ったらいきなりお袋の脇にいるんですよ。その前に私の病室からお袋のいた所まではお袋はたまたま電話をしようとして、玄関にしか電話機がなかったんです。で、病室は凄く奥なんです。そっからそこまでは凄い距離があるんですが、そこに瞬時私がいるわけです。あの当時はダイヤル式の電話機だったのに、お袋はそれしか使ったことないのに、プッシュホンに変わっちゃったんですよ、公衆電話、その頃なんです、時代背景として。昭和52年。プッシュホンの電話ってうちのお袋使ったことないから受話器を外して、メモ帳見ながら、さっき家に帰った姉達ところに電話しようとするんですが、うまく掛からないんですよね。そのうちイライラしてきてこうやってるんだけど、俺が横っちょで何番だと言うんだけど、全然気が付いてくんないんです。それが何か面白いなあと思って。そのうちお袋何と言ったかと言ったら、今鶴彦息を引き取ったけど慌てないで急いでおいでと言うんですね。何かそんなこと言って、いや、そのこと覚えてなくて、後から聞いたんだけどね、確かそう言ってたみたいですね。

それはそれとして、そして、また病室の事考えたらまた病室にいるんですよ。だから、思った瞬間に、その場その場が何か瞬時に入れ替わるってんじゃなくて、いきなりその場にいるんですよね、だから。眼をつぶって開いたら、もう別の世界になってるみたいな感じですよね。だから、そういうような感じでそこにいるわけです。そこでまた暫く見てたら、いたんだけども、そういえば、その検証がちょっと面白くない、相変わらずやってますからね。そのうち先生が来てなんだかんだやってる、そのうちちょっと間が空いてくるんですよね。ふと、何となく今の現象が面白いって感じて、いや、姉のこと思うと何か姉んとこ行けるんかなというふうにうつうつ思ったら、いきなり姉のとこ行ってるんですよ。

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で、それはそうで、一つ終わらせてまた病室へ帰って来たんです。そうして帰ってきてるうちに、段段段段これはどうも生き返りそうだとか何とか言い出すんですよ。じゃ、もっと見たい見たい、宇宙の始まりも見てみたいと思って、宇宙の始まりって何だろうかと膨大な意識の中に入った瞬間に、わかったのは、すべてが自分なんですよ。この空間そのもの、膨大な意識全体が自分自身なんですよ、その全体が何にもすることなくって暇な世界ですよね。

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詳細はこちらです。   http://4d4u.net/contents/

事実が広がればいいなと思います。あなたはどう思われますか?


集合意識という上昇機体

2007-10-29 08:48:41 | 新地球文明論

アセンションとは上昇という意味だそうです。イエスキリストの昇天をから連想し、苦難からの脱出、行き詰まった現代世界の変容、自己の魂の救いなどを想像します。その他今ある圧縮されたような、本来の道を外れているのを遥か遠くに来てしまった袋小路からの、劇的な帰還などの集合無意識のシグナルともいえるでしょう。

科学や技術、経済状況、人間社会のありさま、意識ある人間にとっては、どうもおかしい・・と気付いています。それらは全て「戦い」という言葉によって裏付けられているようです。

がんばれ、がんばれ、仕事は戦いだ、生存は競争だ、試験や難関を突破だー、何事も自己との戦いだ、・・・。これらの言葉は多くの人々の共感を得ているはずです。誰でも、そう・そう・それが大切・・・などと思うわけです。戦争もそうで人が殺されても主義主張が違うので、仕方が無い・・という漠然とした気持ちで、未解決のままに各人各人のなかに重りとして溜め込んでゆきます。今必要なのは、これら戦いや競争が、古い時代の意識レベルの産物であることに気付かなければならないことでしょう。闘うことはもう不要なのです。また大いに害になり得ます。

アセンションするためには、全ての戦いを放棄する必要がありそうです。闘わないで生存することを憶えなくてはなりません。調和という言葉は耳に良い言葉です。自然と調和する、人々が調和する、それはそうだが、これらを行えば自己生存が出来ないではないだろうかという不安が出てきます。本当にそうなのでしょうか。本当に?

人を見て泥棒と思うか、同質の仲間だと思うか。自然を見て征服すべきものと思うか、調和してゆく舞台だと思うか。家族を単なる血縁関係にある他人だと思うか、縁あって教えあったり助け合っている親しい仲間だと思うか。人生をたかが数十年の偶然のものだと思うか、連続した学びの一幕だと思うか。自分を肉体だと思うか、肉体という現象の奥に原因たる不滅の意識であると思うか。毎日の多くの不快感情が大切だと思うか、楽しい感情を造る努力が面白いことだと思うか。想念・考えを脳内ニューロンの発火現象、偶然の結果のものだと思うか、意識が原因で現れる創造波動の1つだと思うか。

物質による現象に囚われた「意識」を、より広く調和に満ちた考えという、違うポジションに持ってゆきそれを固定することがアセンションの大きな目的でしょう。多くの存在の信念となる考え方の向上、意識レベルの上昇が行われれば、まわりの物理的な世界はその後で変わってゆきますが、そのときの集合意識内での各々の意識レベルの隔離・ずれが問題になってくるでしょう。

比喩で言い表せば、それなりに満席になった飛行機は上昇をはじめますが、乗り込む意図のない者は空港に残るようなものでしょう。飛行機は有限ですが、人類にとって新しい集合意識という巨大な機体は誰でも乗りこめるものです。その気があるかないかということだけでしょうから。戦い、征服という切符では乗れないでしょう。向上・調和という心をもっていることが、新しい切符をもっていることでしょうから。


次元の階層構造

2007-10-26 21:43:15 | 新地球文明論

Photo   左の図はこの記事の理解をやさしくするためのものです。我々は物質宇宙だけでなく、各周波数レベルに応じた階層構造を持っていると考えられます。

つたないフリーハンドでの図解ですが、詳細はクリック拡大して頂きたいと思います。霊界と言われる世界や、地球からの観測ロケットによる、太陽系での発見成果の謎も、多少とも理解できるかもしれません。例えば火星はあっても、地球の次元からの観察・測定では、意識存在である人間と、動植物などの近しい周辺存在は、上位次元にいるので、観測できないということかもしれません。時間のベール・結界なども有るかもしれません。あれは過去の遺跡・・という。

私達は、今、たまたま一番外側の、よく言う3次元世界に意識をもっているようです。立体的な、感覚でわかる・物・形が大切な今のような世界にいるわけです。その上の4次元はいわゆる3次元のケアも行う霊界というところのようです。肉体というボデーは、その世界ではまといません。3次元では心や感情といわれている作用が現れたボデーが主役です、貴方や私に記憶はないにしても、霊界にはずいぶんお世話になっています。

 霊界以上の世界は、我々の今持っているような、物質肉体という最初から与えられた「常備品」は無く、自分の意識の表現である意識光を、自分の意志で「変調」したボデーをもっているようです。その世界はボヤーとしたアヤフヤな世界でなく、自分の想念によって即具現化される、すごくリアルな世界でしょう。ところで、外宇宙の遊星にも同様な次元の生命体が多く有るはずです。地球圏の霊界より遥かに意識進化して、自由に3次元への降下を認められるほどの存在も多くあるでしょう。地球の次元に遠慮がちにコンタクトして、何かを示さんとするいわゆる「異星人」は、その世界からの訪問者もいると思います。彼らは決して死んでいる幽霊ではありません、我々より自由度のある立派なボデーと心を持っている、上の階の住人です。

我々のいる’存在世界’という名のビルディングは、何階もの構造になっているようです。無限に見える太陽系、星雲、星団・・・等も、それぞれの階層があり、我々の肉眼に見えたり写真で見る宇宙はその1階フロアーの1部分ということです。

その各階のフロアーが有るのを、この地球次元の人間のほとんどが理解もしていないのが現状です。チョッと上や下に行って来るよ・・というような本来の自由をまだ獲得していません。そろそろ、しっかりと自分にある可能性に気付き、育て、鍛えて行く時期でしょう。そのために、いつもある、自分の意識を見つめ、細やかで、理解ある、愛深い想念や感情を表現していくことが大切なのです。これらの努力によって、意識存在の周波数が細やかになり、見えない周りを見通すほど繊細になるため、上位階や下位階が見えるようになるのです。

存在階が単なる平面(平屋)でなく、立体的なことがわかるようになれば、上位階に行く人も多く出て、多くの兄弟が何処にもいることがわかるでしょう。また階下にいる兄弟に対しても、それとなく気配りできるようになるでしょう。


人類にに鎖は不要

2007-10-24 08:31:46 | 新地球文明論

今より進んだ思想をベースにした地球は、肉体が見たり聞いたり感じたりする範囲だけ等という、近視眼的な信念の鎖を外し、考えうるだけの広さをもつ時空に遊ぶことが出来る場所になると思います。人間の身体は、より高次元のものまで認識され、あたかも車を乗りこなすように、周辺次元にも自在に行くことが出来るでしょう。秩序だった想念・感情や想像力の原動力によって、自由に空間を移動したり、過去の観察や未来の確率映像を見ることも可能でしょう。

科学・技術は、今までのように人類を強引に先導してゆくものではなくなり、宇宙の法則を学ぶことで得られる有効なツールとなるはずです。また宇宙船を使った外宇宙への旅は、壮大な内宇宙・精神の広がり・理解の深まりに応じて行われる、我々にとって必須な体験旅行というような意味になっていくかも知れません。

これらは理想ではなく、現実に今から起こりうることなのです。


地球の洗濯・心の洗濯

2007-10-23 08:40:30 | 新地球文明論

 私達は昔子供の頃、親から買ってもらって着慣れた特定の衣服にこだわり、そればっかり好んで着ていたこともあるでしょう。新しい衣服には目もくれず、慣れ親しんだ古い服にこだわったり、西洋の漫画で出てくるように、いつも同じ毛布をひきづって歩いたりしたこともあるかもしれません。我々の肉体もそのようなものなのでしょう。物心ついたときから着ているのを発見し、それらの衣服の成長をも体験しながら年を経てゆきます。しかしその与えられた衣服は必ず新しいものに着替える時期があります。だだをこねる場合もありますが、必ず違う衣服に着替えることになっていますね。

親の切なる愛を推し量れば、子供の成長に合わせた。中身にあわせた衣服が与えられると考えて、ありがたく頂くのが本来なのでしょう。その衣服は次なるステージに合ったものになっているのです。我々の意識が明確になれば、ちょうどプログラム調整のように、衣服やそれに相応しい環境を観察・制御できるようになるでしょうが、その前に感謝して頂くという素直さがまず大切なのではないでしょうか。例えば中学生には中学生らしい衣服があるように、成長に合わせた衣服があってしかるべきでしょうか。やがて大人になればそれらの衣服は自分でデザインするのも自在になります。

地球の衣服は少し汚れてきているのでしょう、衣服自体にシミが出てきたり、緑豊かな大地がはげてきたりで、放つオーラも灰色がかって見えているようです。汚したのが人類であるならば、まず自身で洗濯してしかるべきです。人類の洗濯・清掃とは、まずいわゆる「心」を洗うことであると思います。洗心とも言われています。人がどうだということでなく、自分自身で出来ることですね。重たい大勢の人々をどうこうしようではなく、自分から率先して少しづつ心を洗っていくことが急務であると思います。

きれい好きな地球を責めることは出来ません。自身で洗うようになる前に、絶対に人類みずから洗濯・清掃をする必要があります。人類のみの大切な、経済・簡便さなどは今は論外でしょう。