木内鶴彦さんという方を知っている人もいるだろう。
彼は星の観測では世界的に知られており、また「臨死体験」者としても有名である。
臨死体験あるいは超常的経験は、多くの人が経験しているのだが、
それが個人的な特殊な経験でしかないとして、あえて無視していることが多い。
ここでも、外側から繰り返される「社会常識」という、
「3次元的認識の基準系」が観念の壁を作っている。
気づける人は・・・これを越えなければならない時が来ている。
そう、
それぞれの・・「わたし」・・がいなければ・・世界も宇宙もない。
わたしとは肉体そのものではなく、
それを含みそれを超えた無限性であるということに気づき、
自らが本来、それであることを理解する時が来ているのだ。
余計なお世話だが、ーー”時至りた今”ーーこそは、
単に功利的な情報として、流し目でサラサラ見て、
すぐに忘れる類のものではないと心得るべきであろうか。
---木内鶴彦さんの体験より---
(あるサイトのコピーさせていただいたもの)
・・・・・・・・・・・・・
時空を自由自在に動き回れることがわかると、私の好奇心はさらに大きく膨らんでいきました。
宇宙の始まりを確かめたいという衝動に駆られたのです。
天文学を学んだものなら、誰しもが一度は考えること。
それは、宇宙の始まりは本当にビッグバンなのかということです。
私が見た宇宙の始まり、それはとても神秘的な情景でした。
宇宙の始まりはビッグバンではなく、宇宙は一つの「ひずみ」から始まっていたのです。
そもそもの初めにあったのは「膨大な意識」でした。膨大な意識そのものを形成しているものが何なのか、空間なのか物質なのかということは私にはわかりませんでした。
ただそこが膨大な意識の中だということだけがわかるのです。
膨大な意識の中に一つの「ひずみ」が生まれました。
生まれたひずみは、その瞬間から解消に向かい動きはじめます。
その動きこそが宇宙に満ちているエネルギーの流れにほかならないのです。
ひずみによって生まれたエネルギーの流れは渦をつくり、それによって空間に漂う塵が凝縮し、物質がつくり出されます。物質といっても初めは元素のように、ごく小さな塊です。
渦の中で最初にできた元素は、水素でした。これは物質といっても形をもたないガスのような状態です。そのガス状の元素が自重によって引き合ったり反発したりしながら、さらに大きな塊へと成長していきます。
そして極限まで成長した塊は、やがて自重に耐えかねて大爆発を起こします。
この大爆発こそが、ビッグバンとされているもののようです。
大爆発が起きたことによってヘリウムやリチウムといった新たな元素が生まれます。
それらが爆発によってできた新たな渦の影響の中で、星という大きな塊にまで成長していきます。
引き合い、成長してはまた爆発する。そんなことを幾度も幾度も繰り返しながら、物質としての性質や性格をつくり替え、新たな物質を生み出していきます。
こうして最終的には鉱物にまで形を変えていったのです。
私たちの生きる三次元世界はこうしてたった一つのひずみから生まれました。
正しくはひずみが解消に向かう過程が、三次元という空間と時間に支配されている世界だったのです。
――私が意識だけの存在になってから感じていたものに、「私」という個の意識を取り込む膨大な意識の存在というものがありました。
私がその存在に気づいたのは、時空を移動できるようになって問もなくのことです。
最初に感じた違和感は、急に頭がよくなってきているような感覚でした。
自分が学んだり体験したこと以外の知識が自分の記憶として存在するようになってきたのです。
人類の歴史やさまざまなことを自分の記憶として読みとることができるようになっていました。
わからないことが何もない、とてつもなく天才になったような気分でした。
これまで自分が生まれ育ってきた間に経験した記憶を「個の意識」というならば、
その膨大な意識は、宇宙のすべてが誕生してから今までに経験した記憶といえるのかもしれません。その膨大な意識が、個の意識を包み込み同化していくのです。
それは、すべてが自分であるという何とも不思議な感覚でした。その感覚にどっぷりと浸ってしまうと、自分という個が見えなくなってしまいます。
ですから私は、「意識」としてさまざまな世界を旅している間中、膨大な意識の中から「木内鶴彦」という個の意識をたどり、それをしっかりと保つように努力しなければなりませんでした。
私は、このときの体験を人に話すとき、過去や未来を旅したという言い方をしますが、
正確には旅をしたのではなく、
個という意識をベースにして膨大な意識の記億をなぞったということになるのかもしれません。
私という個の意識は、さまざまな場所や時、そこでの出来事をリアルな体験として認識していますが、実際には自分でもある膨大な意識の記憶をなぞっただけなのです。
――私は臨死体験の中で、宇宙の始まりから生命の発生、そして人類の歴史までをも見てきました。私の心臓が停止してから蘇生するまでの時間は、わずか三十分です。でもそのわずかな間に、私は膨大な時を経験したのです。
-----以上--抜粋----
彼は星の観測では世界的に知られており、また「臨死体験」者としても有名である。
臨死体験あるいは超常的経験は、多くの人が経験しているのだが、
それが個人的な特殊な経験でしかないとして、あえて無視していることが多い。
ここでも、外側から繰り返される「社会常識」という、
「3次元的認識の基準系」が観念の壁を作っている。
気づける人は・・・これを越えなければならない時が来ている。
そう、
それぞれの・・「わたし」・・がいなければ・・世界も宇宙もない。
わたしとは肉体そのものではなく、
それを含みそれを超えた無限性であるということに気づき、
自らが本来、それであることを理解する時が来ているのだ。
余計なお世話だが、ーー”時至りた今”ーーこそは、
単に功利的な情報として、流し目でサラサラ見て、
すぐに忘れる類のものではないと心得るべきであろうか。
---木内鶴彦さんの体験より---
(あるサイトのコピーさせていただいたもの)
・・・・・・・・・・・・・
時空を自由自在に動き回れることがわかると、私の好奇心はさらに大きく膨らんでいきました。
宇宙の始まりを確かめたいという衝動に駆られたのです。
天文学を学んだものなら、誰しもが一度は考えること。
それは、宇宙の始まりは本当にビッグバンなのかということです。
私が見た宇宙の始まり、それはとても神秘的な情景でした。
宇宙の始まりはビッグバンではなく、宇宙は一つの「ひずみ」から始まっていたのです。
そもそもの初めにあったのは「膨大な意識」でした。膨大な意識そのものを形成しているものが何なのか、空間なのか物質なのかということは私にはわかりませんでした。
ただそこが膨大な意識の中だということだけがわかるのです。
膨大な意識の中に一つの「ひずみ」が生まれました。
生まれたひずみは、その瞬間から解消に向かい動きはじめます。
その動きこそが宇宙に満ちているエネルギーの流れにほかならないのです。
ひずみによって生まれたエネルギーの流れは渦をつくり、それによって空間に漂う塵が凝縮し、物質がつくり出されます。物質といっても初めは元素のように、ごく小さな塊です。
渦の中で最初にできた元素は、水素でした。これは物質といっても形をもたないガスのような状態です。そのガス状の元素が自重によって引き合ったり反発したりしながら、さらに大きな塊へと成長していきます。
そして極限まで成長した塊は、やがて自重に耐えかねて大爆発を起こします。
この大爆発こそが、ビッグバンとされているもののようです。
大爆発が起きたことによってヘリウムやリチウムといった新たな元素が生まれます。
それらが爆発によってできた新たな渦の影響の中で、星という大きな塊にまで成長していきます。
引き合い、成長してはまた爆発する。そんなことを幾度も幾度も繰り返しながら、物質としての性質や性格をつくり替え、新たな物質を生み出していきます。
こうして最終的には鉱物にまで形を変えていったのです。
私たちの生きる三次元世界はこうしてたった一つのひずみから生まれました。
正しくはひずみが解消に向かう過程が、三次元という空間と時間に支配されている世界だったのです。
――私が意識だけの存在になってから感じていたものに、「私」という個の意識を取り込む膨大な意識の存在というものがありました。
私がその存在に気づいたのは、時空を移動できるようになって問もなくのことです。
最初に感じた違和感は、急に頭がよくなってきているような感覚でした。
自分が学んだり体験したこと以外の知識が自分の記憶として存在するようになってきたのです。
人類の歴史やさまざまなことを自分の記憶として読みとることができるようになっていました。
わからないことが何もない、とてつもなく天才になったような気分でした。
これまで自分が生まれ育ってきた間に経験した記憶を「個の意識」というならば、
その膨大な意識は、宇宙のすべてが誕生してから今までに経験した記憶といえるのかもしれません。その膨大な意識が、個の意識を包み込み同化していくのです。
それは、すべてが自分であるという何とも不思議な感覚でした。その感覚にどっぷりと浸ってしまうと、自分という個が見えなくなってしまいます。
ですから私は、「意識」としてさまざまな世界を旅している間中、膨大な意識の中から「木内鶴彦」という個の意識をたどり、それをしっかりと保つように努力しなければなりませんでした。
私は、このときの体験を人に話すとき、過去や未来を旅したという言い方をしますが、
正確には旅をしたのではなく、
個という意識をベースにして膨大な意識の記億をなぞったということになるのかもしれません。
私という個の意識は、さまざまな場所や時、そこでの出来事をリアルな体験として認識していますが、実際には自分でもある膨大な意識の記憶をなぞっただけなのです。
――私は臨死体験の中で、宇宙の始まりから生命の発生、そして人類の歴史までをも見てきました。私の心臓が停止してから蘇生するまでの時間は、わずか三十分です。でもそのわずかな間に、私は膨大な時を経験したのです。
-----以上--抜粋----