気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

時空物語(7)輪廻を脱す時

2018-03-27 07:44:07 | 真我実現シリーズ
宇宙という現実空間の中に、私個人がいる・・と信じ込んでいるのが、”3次元時空物語”の特徴である。

3次元世界というのは・・
意識存在が、自らを3次元的空間内に縛られた肉体個人だと、
そう”自己認識”している存在が見ている・いや、観ている・世界のことである。

わたしとは・・○○である。
I am THAT I AM.
ラマナ・マハルシが言う、真理の要諦だ。

漠然とだろうが、何だろうが・・そう信じ込んでいる者たちが、
認識している・・つまりそう認め・そう”意識”している世界だ。

物質なるものはエネルギー波動の局在化したものに過ぎず、
それらを認識する・・気づき、意識することなくして、
存在し得ないのである。

あなたは・・自分を何であると・・思っているだろうか?
マインドで信じている、それ、そのものだ
これは観念上の知的な遊びでも、スピ系の癒しでもないし、
多次元的世界の宇宙人の話でもない。


I am THAT I AM.
わたしは・・わたし・・である・・それ。

あなたは今、地球という惑星上で重い体を動かす、
苦労多き肉体個人であると思っているだろうか。

家族や勤め、社会・国家と、次から次に心配に巻き込まれ、
ちょっとした快楽に気を晴らしつつ、
そのうち年を取って、場合によってはボケボケで周囲を苦しめながら、
悲しく死んでゆく人間であると・・、
いやいや、それでも、頑張って、希望をもって生きてゆかねばと、
わが身に、無知無関心な人々の流れの中で奮闘しているだろうか。

そういう、一見まじめな思考は、もう流行らない(笑)
さらには、いつまでも旧態依然たる世界がつづくわけもない。

I AM THAT I am.
自己認識で自己を想像、創造、する者だ。
者といっても・・特定のだれか・・何かではない。
普遍的な意識・気づき・・宇宙を完全に含み、
かつそれを超えた実在である。

自分がこの肉体であるという、
生まれてから長く培ってきたベース観念がある限り、
これは全然ぴんと来るわけもない。

本質のあなたは、
時空、物質、エネルギーという次元映像波動を投影している
その光源のようなものである。
元の光が空(くう)に投映され、時空というワールドを生み出し、
かつその中の個人へと”自己同一化”しているのである。



人間として、時間空間、距離、概念、思考・感情があることは、
今の現れ方は実に小さいけれども・・その証拠である。
つまり、わたし・・意識・・があるということだ。

あなたには
”わたしは・・在る・・という実感”・・、
自己認識・・感覚というか、
わたしは今・・在るんだ・・という感覚があるはずだ。

「今・・在る・・」
わたし・・とは・・それだ。
今・・は常に・・今だった・・
人生で・・今・・しかなかっただろう?

年を取るとか、生活の場が変わろうと、仕事が変わろうと、

常に在ったのは・・今・・なのだ。

人が鏡を見て、整髪や洗顔するとき、
鏡に映し出された自分の姿は変わっていても、
それを見ている・・”意識”は・・ずっと不変であることに気付けるか?

意識というか・・主体たるわたし・・というか、
”それ”は 変化していない・・のだ。
変化しない、それ・・、
時空間を超えた者が・・そこに・・在る・・。
・・・
時空間は変化変遷するしかないが、
それを観ているあなたは不変・・である。
それを・・今・・気づけるだろうか。

こんなにも簡単に・・だ。

簡単すぎるため、
いつもいつも外の世界の刺激に意識がさまよい、
社会が、国家が、体制が、男が女が・・我が子が他人がと、
それが自分の幸せに真に関わるものだと・・、
外の世界がどうしたこうした・・にはまり込み、
様々な観念の歪を大切に貯金しつつ、
気付かず知らず、苦痛と快楽で出来たカルマを蓄積しつつ、
それを解消するために、
生まれては死ぬの繰り返し・・、つまり、時空の中に生じては没する
肉体個人としての存在として、
ある時空間の中にクルクル輪廻転生するというわけなのである。

それに気づいただろうか?


仕事や家庭がどうしたこうした・・
あの人が、彼らがどうしたこうした・・、
あの国が・・、この組織が・・ああだこうだ・・、
ひいては生活の収入が、どうなるこうなる・・、
そういう論評も面白いかもしれないが、

それら時空の中の、毒ありの木の実満載の
終わり近い枝葉物語を追いかける前に、
それらをすべてをも認識可能とする・・わたし・・という存在に、
はっきりと目を・・いや意識を向ける時が・・
・・・今なのである。

悟り・・自己覚醒、もちろん、それはいつでもあったし、
多くの存在がそれを実現・再現・想起してきたわけだが、
それに気づかないということは、

まるで、映画の終わりを気づかないまま、
再び同じ類の映画を見るつまらなさに気づかないようなものだ。

ご大層にも立派とは言えないこの世界、
いままでの・・地球という名の時空物語、

その中に、自己投入によって入り込み、
その観念波動の粗さに自らを忘れさった主人公とは・・
他人事ではなく・・・・わたし・・なのだ・・。

自らを忘れ去ってしまったならば、
いつかまた思い出すはずであり・・、
今は・・そういう”時”なのだ。

体やDNAの変化がどうしたこうしたでもなく、
クンダリニーが昇るとか、身体の多次元エネルギー的側面
をいじることも本質ではなく、
時空間のポータルがどうしたこうしたでもなく、
そういうあくまでも現象のことではなく、

それらを有らしめている・・認識する者・・、
それらすべてを観ているものは・・誰か?ということだ。


我々が見ている時空間は、
個人、社会、地域、地球、太陽系、宇宙という風に、
無限の方向に拡大しているように見えるし、
世界、社会には、複雑な事実関係が枝葉のように密生しているが、
いかに複雑でリアルに見えようと、

それは時空物語の壮大なる”次元投影”に過ぎないのである。
それぞれの「わたし」という・・光源投影機・・による時空物語である。

それが証拠に、
あなたが生まれる前に、この世界はあったろうか?
過去があった、当たり前だというのは、勘違いである。
これも、
わたし・・意識を主体として観なければ何のことかわからない。
世界の常識・・なるものは実に幼稚で、かつ深く刻まれた観念なのだ。

真剣に考えてみると、いや深く気づけば、
過去の人の歴史も、「今」聞く、「今」知ることである。
過去そのものが実在するわけではない。
すべては・今・・しかない・・のだ。

あるのは・・過去という記憶であり、未来という想像である。
それがあるのは・・今・・なのだ。

あたかも数学の公式を覚えるように、
このことを深く吟味、認識しなければなるまい。
・・・

時空という物語は、
原子、素粒子、光量子、色々呼ばれる微細エネルギー波動で
空(くう)という無次元スクリーンに投影されている。
三次元物理感覚付きの時空スクリーンだ。

バーチャル・リアリティは、CG技術だけの話ではなく、
この存在世界そのものだ。

そして、最も重要なことは、
そこに、自己同一化によって参入し、
体感リアルに観入っているものは、・・誰か?
つまるところ、
それぞれの・・あなたのことである。

部分になることが可能なのは、全体でしかない。
個別意識になっているのは、全体意識であるからだ。
人は神の息吹を吹き込まれているのではないか?
神の息吹・意識が人間であろう。
(まさか、そんなわけない?だろうか。(笑)

いつからチンパンジーさんの親戚になったのだ?
それは地球上での次元体験の身体設定のことであり、
人そのものではない。


今の目の前の空間、事物も波動である。
あなたはマウスを動かしているか、スイスイとゆび滑りかもしれないが、
それ・・そのもの・・が、エネルギー波動の投射像・・なのだ。

そして・・それに「気づいている」。

例えればこの世界は、
ある1つの次元世界、あるいは次元宇宙という中の物語であると言えよう。
I AM THAT I am.
自己認識で自己を想像、創造、する者だ。
者といっても・・特定のだれか・・何かではない。
普遍的な意識・気づき・・宇宙を完全に含み、
かつそれを超えた実在である。

自分がこの肉体であるという、
生まれてから長く培ってきたベース観念がある限り、
これは全然ぴんと来るわけもない。

本質のあなたは、
時空、物質、エネルギーという次元映像波動を投影している
その光源のようなものである。
元の光が空(くう)に投映され、時空というワールドを生み出し、
かつその中の個人へと”自己同一化”しているのである。



この印は、無限なる空(くう)に生じる、
すべての存在の根源波動、微細振動、すべてに浸透する I AM.
根源の・・自らへの気づき・・と言っていいだろう。



時空物語(6)物語への自己同一化

2018-03-12 06:38:58 | 真我実現シリーズ
時間・空間とは、最もシンプルな、世界、宇宙を表す概念だ。

無限の空間の中に出現・消滅する様々な物質・エネルギーの、その変化しているさまを示すものだ。
そして空間と呼んでいるものは、空(くう)である。
空(くう)自体には「距離」も「時間」もない。
そこに、空自体に・・ひずみ・・が現れて様々な波動形態を示現する。
ひずみはそれ、振動、波動であり、どこに出現するかといえば、
自らの・・中・・空(くう)である。

空(くう)が自ら変幻し・・ひずみ・波動となって物質と呼ばれる、
局所的に集中した波動・振動となるのだ。


現代科学は、真空は何もないのではなく、そこに微細エネルギーが出現消滅していることを理解した。
・・・

空(くう)は空でありながら、空にあらず。
それが・・空(くう)の無限性なのである。
・・・
繰り返すが、物質に取り巻かれたと見える我々の世界も、
まったくほとんどは・・虚空・・である。
その中に原子というものが存在している。
その原子の存在確率密度は・・きわめて、極めて小さいものだ。
原子核と電子の間の距離と、その大きさの概念でいえば、
10の-15乗程度の密度である。
・・・
つまりほとんどが・・空であり、
その中の・・空の中の・・ひずみ、あるいは歪み(ゆがみ)・・があるわけだ。
・・・
様々な天然物質、加工物質の圧倒的な物量に見えるものは、
実のところ・・まったくほとんどが”空っぽ”なのである。

これを例えるに、
世界・宇宙とは、
”3次元的な”スクリーン上に・・映し出されたものといえるのだ。

あなたの周りの空間のなかに、あなた自身が入り込んでいる、立体映画。
あなたはその中にいて、その立体スクリーン上の諸物を、
その手で、足で、皮膚で、目で、耳で、舌で、鼻で「観察」しているのだ。
・・・
しかしながら、あなたはその中の、
やはり物質形をした「身体」の中にいると・・”感じて”いるために、
あるいは、身体が自分の思うとおりに動くと・・感じているために、
「わたしは肉体である」という感覚が主体となっているのだ。

今でも、自分のことを、
肉体の中の・・意識している者・・と思っているだろうか。
つまりこれは、
世界、宇宙という立体映画のなかに・・自分を投入している・・ということだ。
そして、その立体映画の様々な物語の中の、小さな登場人物であると、
完全にそれだけを「信じ込んでいる」というわけだ。

わたしとは、単なる肉体である・・と、
宇宙、世界の中に生まれて死ぬ、小さな有機的肉体機構である・・と、
集団で信じ込んでいるということなのだ。
繰り返し、繰り返し、その時空物語の支配観念が吹聴され、
繰り返し、繰り返し、それが正しい常識であるとされていた。
どこにも責任者などいない単なる支配観念である。
しかしながら・・それは観念でしかない。

「あんたねえ、責任とってよ・・!」というわけにはいかない。
「悪い奴らがいなければ、こうはならないだろうに、・・許せない!」
といっても何も始まらない。
外の世界に・・投影された3次元的立体画像にたいして、
悪態をつき、制裁を課し、吊し上げても何の解決にもならない、
つまるところ・・それは投影されたスクリーン上の物語であるからだ。
・・・
その3次元的・立体映像物語を、
見ているのは、観ているのは誰か?

自らが無限の・・空(くう)であり、
そこに出現するエネルギー諸形態を観察する者でありながら、
肉体という物質形態をも、知覚・認識している者、
それが人間という者である。

まちがっても、食うて生きて死ぬ・・だけの豚さんではない(笑)



そこに自己投入し、
3次元的マトリクス世界に出現消滅する肉体へ自己同一化し
肉体を通じて・・その世界を鑑賞、観照している者は誰か?

あなた・・だ。
それぞれ・・わたし・・だ。

<わたし>・・とは、誤解多き、実に”多次元的実在”である。
わたしは既に知っている存在ではない。

ある場所、ある時に生まれたある個性をもった肉体である・・は、
この時空内での・・人生物語における3次元的登場人物でしかない。


これに真に気づけるならば、3次元的世界にありながら、
3次元的世界にへたり込まない、自己埋没しない次元意識にあることになる。

「わたしとは誰か?」と問いかけようか。

それを真に問いかけるならば、

自己を「勝手知ったる肉体個人である」と鵜呑みにすることはなく、、
肉体生存のためのバトルや快楽と苦痛の間で翻弄されることはなく、
それらは・・大いなる自己の1小体験・・単なる物語であると理解されるだろう。
生も死も・・物語・・なのである。

「わたしとは誰か?」と問いかけようか。

それを真に問いかけるならば、

真の自己を見出す・・そのプロセスを起動したということであり、
3次元的時空物語の中に入り込んで”四苦八苦”している登場人物から
それを・・観ている、高次のわたしに・気づくのである。

真のわたしに気づくこと・・今はもう・・その時期である。

そして、また同時に、
地球のサイクルで上演されていた、
古い3次元映画も終わりかけていることにも気づけるだろう。