本記事は、地球を構成する多層、多次元構造についてのものです。それを直感的に、かつ分かりやすく理解する為には、実は我々が「波動」で構成される世界にいるということを認識する必要があるものと考えます。それが理解されれば、三次元、四次元、五次元などという次元概念や、現実世界、霊界、天界などという階層や、意識進化という概念も、多少は分かりやすくなるかもしれません。
< 波動を元にした、ホログラフィックな多層構造 >
●五感による知覚偏重の時代
わたしたちは今この地球に生きているのを確かに知覚しています。それがそうと分かるのは、我々の肉体に装備されている五感感覚による知覚と、思考と感情による認識作用によるものです。実のところ、気付く気付かないにかかわらず、「今ここに生きている」という「意識」が、それを、そう有らしめています。
我々の有するトータルな意識の働きのなかでも、多くの人が意識的に気付いているのは、主に肉体に関する五感感覚であるといえるでしょう。実は、このせまい五感の世界の中に知ってか知らずか、浸りきっているというのがその有様です。
肉眼に見えない思考や感情はあまり価値が無いと考えて、そう信じ込んでいるのでしょう。いわゆる三次元世界、硬い感触を与える物質形態が主人公の世界、それが地球上、あるいは宇宙のあり方のすべてである?という信念体系の中にいるのです。そのなかで、我々は考える葦としての存在であり、葦にある知恵を絞って、圧倒的な物質世界への戦いをしていたのだといってもいいでしょうか。
●存在顕現の基本プロセス
直感的に、また比喩的に我々のトータル世界の存在顕現形態を表わすとしたならば、
物質世界 ← 肉体認識 ← 感情・思考 ← 魂(人間) ← 光源(根源)
という波動(光)の照射システムといっても良いでしょうか。根源から照射された光は、我々の感情・思考という「心のレンズ」を通して偏光・変調され、個別の肉体という1つのプラットフォームを経由して、外の世界に立体的でリアルな影絵として投影される諸現象を観察しているようなものです。
これは、素粒子の波動性も考慮した、より包括的なホログラフィックな世界認識です。素粒子で構成される物質は、意識の働きから生まれる「光」によって投影される、三次元または多次元的の最小構成要素といえるでしょう。物質は、いわば創造する因である意識のための素材なのです。
●エネルギーは形態変化の動因
肉体感覚、五感・頭脳だけがすべてならば、いま盛んに研究されているロボットのような、単なる複雑なセンサーシステムにすぎません。しかしながらそのロボットでも、電気エネルギーが供給されなければ、うんともスンとも言わぬ物質の塊なのです。
エネルギーは眼には見えないけれども、その物質形態を動かす元の動因です。エネルギー・・・それは、なにも直接に物質のみを「動かす」動因というわけではありません。エネルギーは、意識が物質素材を通じて形態化するための多層にわたって貫くところの力・パワーという事もできるでしょう。
●意識・エネルギー・物質
エネルギーとは、言葉を変えれば、影絵芝居に必須な光の綾をつくる「光線」という比喩も妥当なものと思います。光が無ければ影絵芝居もなにもあったものではありません。物質形態があっても、それを動かす元のエネルギーが無ければ意味がないのと同じ事です。そのエネルギーも、物理的な層から精神的な層まで多層に渡って貫いているのです。これらを言えば
意識(波動) → エネルギー(波動) → 物質(波動)
と言えるでしょうし、森羅万象は、今は未知なる波動も含め、その様々な変化とも言えるかもしれません。
●こころの作用にもエネルギーがある
こころで思うことが現実となるということは、こころ:人間意識もエネルギーを介在してそれを形に表わすということであり、車が動くのも、人が歩くのも、あるいは念動や念写等も、等しく、エネルギーの物質形態への転換ということです。ガソリンも走行距離というものに変換されて、眼には見えなくなるようにです。
また、人の意識の進化も、より精妙ではあるものの、大きな意味でのエネルギーが介在しているというのは事実であろうと感じます。我々が抱くイメージ・記憶は、こころでもありありと描けることは誰しも知っています。物理的に手と道具を使って絵を描くのと同じように、内面のイメージでも、同じく、いやそれ以上に自由自在に描けることは極めて重要な意味があります。内面のエネルギーというべきものがあり、それがイメージ作るといえるでしょう。
それは、非物質的エネルギーともいえるものです。物質レベルより遥かに微細であり、実に物質レベルの形態顕現の原因となるエネルギーです。
●外と内に共通するのは「光」:波動
内面で描く絵も、外の世界で描く絵も、我々の認識としては同じものですが、その現われている層が、明らかに違う事に気がつくでしょうか。「モナリザの絵」を思い出して頭の中に描く場合と、絵画展で肉眼で見る場合は、我々の内面に写る絵と言うこと自体は変わらないものの、その現われたフィールドが、我々の「外」か「内」かの違いがあります。言い換えれば、物質レベルで一度外部光に変換されたイメージか、直接の内面の光のイメージかの違いです。
内面での想起やイメージも濃淡や明暗があるでしょう。それは、やはりそこには形態の違う光が射しているということなのです。
全ての全てである「根源」から投射されている無限光を、その鋳型を通して、様々な現象を創造しているのが、・・私たちという「個性ある魂」です。また無限の宇宙に偏在し、それぞれの段階で目覚めている、鉱物・植物・動物などのさまざまな「意識」です。人間はその最も「根源」に近い形態を自己認識しつづける、個別化したいわゆる「神」・「創造者」といっていいのです。
●人間の多層構造・多次元構造
我々の身体は、一番外側といわれる「肉体」層の他に、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体・・などの7つ(または8つ)の層があるようです。古代から伝わる内容や、宗教的なフィルター、地上や汎世界的な(宇宙的な)情報ソースの性格などによって多少呼び方が異なるものの、我々は単に肉体ではなく多層構造の存在形態をもっていることはまさに共通しています。今最も馴染んでいるのが、一番外側にあるといわれる物理層、言い換えれば、いまこの3次元世界の窓口になっている「肉体」です。 この存在形態の一番外側、あるいみフロンティアともいえる肉体をここで維持する為に、様々な苦労や心痛、快楽や過ち、楽しさや苦痛などを経験しているのではないでしょうか。金も仕事も地位も名誉も富も、肉体をいかに安全に維持するかという観点からの行為でもあるのでしょう。
●地球にもある複数の次元の層
地球にも同じく多層構造があるようです。この多重多層の構造はどのような世界、組織にもある仕組みであり、この巨大な地球圏の構造に関しても存在しています。宇宙からの見る地球の映像は、その表層・物理次元の美しさを示していますが、それに重畳している多層世界はそのままでは見えません。なぜなら階層、周波数帯が異なるからです。
多層構造は、波動という仕組みを有効に使う為に、その周波数帯を分けて使うようなものであり、我々の使用している電磁波による情報伝播システムも、まさに同じようなことなのです。CAD等でいえば、多層のレイヤという概念もそれに相当します。平屋だけでなく多層階のビルなどもイメージしやすいでしょうか。それは、地球の多層になったレイヤの内の1つのレイヤ、1つのチャンネルを眺めているようなものです。単に五感の延長の周波数帯による認識のみを見ているともいえるでしょうか。
地球という惑星生命圏にも複数の存在層があり、その複数の層で1つの地球を作っているのが真相のようであり、我々はその物理層といわれ、また三次元といわれる1層のみに意識を集中:フォーカスしているだけに過ぎません。古くから伝わる現実世界や霊界や天上界という世界も、その多層構造を表わしているものでしょう。
●階層: ここにありて同時に各所にある仕組み
このような周波数帯・層の仕組みは「ここにありて、全てにある」という宇宙の「1即多」の極めて合理的?な仕組みでもあり、有限でありながら無限に続く有り様は、根源から顕現までに、どんな距離も時間もないということも表わしているのです。
我々が何気なく意識している周囲の空間と見えるものの中に「無限」が畳み込まれていることを表しています。
●今の宇宙探査は同一次元での知覚拡張作業
ちなみに、昨今の宇宙観測、探査はあくまでもその1つの物理層の中の観測範囲の拡張とも言えるでしょう。どの惑星を探査しても、あくまでも、我々が今フォーカスしている、この三次元認識意識とその観測手段の範囲での探査です。宇宙生命を探査するにしても、我々と同認識レベル、同一周波数帯にある他の生命圏の探査ということになるでしょう。
この物理的な宇宙の層も、確かに無限なのは間違いないものの、それはあたかも平屋をどこまでも拡張するようなものであり、発見するのは今の次元認識に同調するレベルの様々な現象でしかないでしょう。
●共通する世界認識は、集合意識の集団同調による
我々の身近と感じる周囲の空間の中にも、TV、無線、ラジオ、携帯電話、衛星放送・・などの波動が渾然一体となっているものです。その周波数帯(層)に同調することで、その層(周波数帯)の情報のみをリアルに取り出すことが出来ます。単に電波使用に関してだけ言っても、それは「同調」しなければ、眼にも見えず耳にも聞こえません。映像や音声としてリアルに取り出すには、同じ周波数を作り出してそれに同調しなければならないのです。
有態に言えば、今我々の居るこの空間は多層の世界が重畳されているということであり、意識の周波数(こころの働きの内容)によって、非同調・同調を選択しているのです。今我々の多くは、肉体の五感が得意とする「3次元フィールド」に同調しているものです。それが今の我々の一般的な知覚レベルということです。
TVで言えば、皆がみな1つのチャンネルにかじり付いているということです。 我々の多くは、生まれてからこのかた、あなたやわたし達がそうであるように、国・地域の夫々の教育を受け、また周りの大人たちの観念体系・常識などに触れることで、それらの集合意識に同調をしているのであり、今の3次元的な世界認識の集合体、人類意識の集合体を形成しているのです。
●生前・死後の世界も、隣接する異なる存在周波数帯域のこと
我々の生前・死後の世界に関しては、それを解さない社会通念を持ち込むことで、それに気付かないことにしている人々も多いと思います。誰でも一度はその疑問を抱くものですが、世間という外の世界では、明確な情報を得る事が難しいと思える風潮もあり、大体においてそこで忘れる事にするか、あるいは、死後や生前のある部分を説明をしている宗教などに少し触れるなどして、それで良しとすることも多いでしょうか。
誰にでもある生誕や死は、最も身近なテーマであるにも関わらず、それを意識しないで生活をしている事は、まさに不思議この上も無いものであることに気付くでしょうか。ましてやそれを「恐怖」の権化にしてしまい、それを忌み嫌う行為に仕立てているようです。生を立派に生きるためだと称してそれを遺棄することは、それから都合よく眼を背ける行為に等しいとも感じるのです。
立派に「生」を生きるということが、実はある意味で集団的自己欺瞞?であり、「刹那」のみを意識していたい・・という「狭い」観念を示しているのではないでしょうか。それは「今という瞬間」を生きることではなく、知らないことの「恐怖」から、とりあえず眼を逸らし、「逸らしたその先の視野のみを見続けたい」・・という、我々大勢のこころを表わしているかも知れません。
●今という瞬間にはすべてがある
今という瞬間には、かつての生誕があり、死もあるものです。全ては認識すべきものであり、決して忘れてしまうべきものでもないのです。我々がいつの間にかの無意識から偶然に生まれたものであり?また、消滅を感じさせる?死は、まさに理解不能であり、忌み嫌うべきものである・・・という通念の世界は、やはり一つの「信念体系」でしかありません。
まさに、この現実と言っている世界も、多次元世界の1つであり、ある意味では、物質偏重認識を特徴とする霊界の1つと云っても良いものです。
隣接する他の次元、また別次元の世界へ情報は、古代からも、それらの多次元世界からも、またいつでもどこでも綿々と語り継がれていたのですが、表面上の物質現象のみを是とする観念によって感じる恐怖によって打ち消されてきたのでしょう。我々は、この次元に長いこと閉ざされていたようです。様々な無知や恐怖をそのままにしておくことで、我々の意識をそこに固定させ、その刹那を楽しむ行為であるともいえるでしょうか。
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(つづく)
下の写真は、我々の五感の窓からみた地球の一部のイメージです。誰にもわかりやすい共通認識で見ている地球です。我々の意識作用、知覚作用が広がれば、更なる輝きをもった地球圏が観えるものでしょう。
本日も拙い記事をご覧頂きまして、まことに有難うございました。