死者だった私たち

 「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。
 また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。」(1ペテロ1:3-4)

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 上に引用した1:3(前半)について、1年ほど前、この一文は福音の全てだと記した(こちら)。
 今、目を通しても、その思いは変わらないし、書きたいこともそう変わらない。

 ひとつ付け加えるとすれば、「イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ」たのであるが、「私たち」は新たに生まれたのであって、それ以前は死者だったのだ。
 では、死者だった「私たち」は、いつ新たに生まれるのであろうか。
 よみがえったキリスト、十字架に死に、死者の中から復活されたキリストと出会ったときである。

 「新たに生まれる」とは、元気いっぱいとか、いきいきとか、そういう健康雑誌の見出しやタイトルに登場するような状態とは、全く違う。
 神と和解し罪赦され、その神の方を向いている状態である。
 また逆に、死者とは、神の怒りの下にあって、神から離れている状態である。
 この死から生への切り替えは、復活のキリストとの出会いによってのみ、行われる(回心)。

 そのときに、目には見えない「天にたくわえられている」不朽の資産が、はるか天に見えてくる。

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