罪のきよめ

 「神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。」(ヘブル1:1-3)

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 この終わりの時に神は御子イエスを遣わして下さった。
 そして神は、そのイエスを通して私たちに語られた。
 何を語られたのかというと、「いのち」を与える新しい契約についてである。

 それ以前は、さまざまな預言者を通してさまざまな方法によって、神は旧い契約すなわち文字の契約を私たちに授けられた。

 旧い文字の契約は、人間の罪をあぶりだすためのものだ。
 だから、自分自身を省みることの出来る律法は、尊い。
 一方、御子イエスによる新しい契約は、罪を罪と気付いた人間に「罪のきよめ」を与えるものである。
 この「罪のきよめ」を通って、その人はキリストにある「いのち」を得るのである。

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