義のわざ

 「しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、
 神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。
 神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。
 それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。」(テトス3:4-7)

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 神が私たちを救ってくださるのは、「義のわざによってではな」い。
 それどころか、人間には「義のわざ」などというものは、そもそもできない。
 この「義のわざ」とは、神の律法に照らしてよしとされること、言い換えると、神によしとされることである。

 人間がこの義にほど遠い存在であるにもかかわらず、十字架に架かる御子キリストを世にお送り下さったことこそ、神の慈しみであり、また愛である。
 私たちがただ神の恵みによって復活のキリストに出会ったときに、その信仰によって神が私たちを義と認めてくださり、ここに救われる。
 「義のわざ」など出来ずじまいであっても、義であると認められるのである。

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