イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
主は私の羊飼い
「主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。」(詩23:1-5)
---
あまりにも有名な詩篇23篇。
「頭に油をそそ」ぐ、というのは、多分洗髪する位の意味だと思う。
的を前にして、神はそいつをやっつけるのではなく、神を信じる者の食事を整え、身の回りのことをして下さる。
ここは「死の影の谷」だ。
だが、神はこのように共にいて下さる。
では、何故死の影の谷を通り敵に対さなくてはならない必要があるのか。
そのことが、「私を義の道に導かれ」ることだからである。
神は、導くがための試練を、このようにお与えになる。
だが、いつも共にいて下さる。
「主は私の羊飼い」なのだから。
---
よろしければクリック下さい。
ブログランキングへ
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。」(詩23:1-5)
---
あまりにも有名な詩篇23篇。
「頭に油をそそ」ぐ、というのは、多分洗髪する位の意味だと思う。
的を前にして、神はそいつをやっつけるのではなく、神を信じる者の食事を整え、身の回りのことをして下さる。
ここは「死の影の谷」だ。
だが、神はこのように共にいて下さる。
では、何故死の影の谷を通り敵に対さなくてはならない必要があるのか。
そのことが、「私を義の道に導かれ」ることだからである。
神は、導くがための試練を、このようにお与えになる。
だが、いつも共にいて下さる。
「主は私の羊飼い」なのだから。
---
よろしければクリック下さい。
![にほんブログ村 哲学ブログ キリスト教・クリスチャンへ](http://philosophy.blogmura.com/christian/img/christian80_15.gif)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )