主は私の羊飼い

 「主は私の羊飼い。
 私は、乏しいことがありません。
 主は私を緑の牧場に伏させ、
 いこいの水のほとりに伴われます。
 主は私のたましいを生き返らせ、
 御名のために、私を義の道に導かれます。
 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
 私はわざわいを恐れません。
 あなたが私とともにおられますから。
 あなたのむちとあなたの杖、
 それが私の慰めです。
 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
 私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。」(詩23:1-5)

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 あまりにも有名な詩篇23篇。

 「頭に油をそそ」ぐ、というのは、多分洗髪する位の意味だと思う。
 的を前にして、神はそいつをやっつけるのではなく、神を信じる者の食事を整え、身の回りのことをして下さる。
 ここは「死の影の谷」だ。
 だが、神はこのように共にいて下さる。

 では、何故死の影の谷を通り敵に対さなくてはならない必要があるのか。
 そのことが、「私を義の道に導かれ」ることだからである。
 神は、導くがための試練を、このようにお与えになる。
 だが、いつも共にいて下さる。
 「主は私の羊飼い」なのだから。

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