仕える人

 「しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。
 あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。
 また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただひとり、キリストだからです。
 あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。
 だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。」(マタイ23:8-12)

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 パリサイ人は人から先生と呼ばれたがっている(7節)というのを受けて。

 先生などと呼ばれるな。
 そのような存在は、ただキリストおひとり、皆はキリストを信じる兄弟姉妹達という関係だから。
 父などと呼ばれるな。
 そのような存在は、天地万物をお造りになった唯一の神だけだから。
 師などと呼ばれるな。
 「あなたがたの師はただひとり、キリストだからです」。

 「先生」、「父」、「師」。
 そういう存在になろうとすること自体が、「自分を高くする」ということだ。
 21世紀、社会の多様性は実に広いので、ここには様々なものが入る。
 社長、大臣、CEO……。要するに、「自分を高くする」すべての存在。
 このような人たちは、人に仕えるということができない。
 たとえば社長がコピー取りをするものではない。つまり、仮に仕えたいと思っても、立場上できなくなってしまう。

 イエスが仰るのは、仕えよ、ということ。
 そのためには、「自分を高くする」ことは妨げになってしまう。
 だから人の上に立とうという誘惑それ自体が、わなとなる。
 仕えることは、天の御国で報いが大きい。

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