リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

次々回作品予定。

2022-11-26 16:00:23 | その他
 こんにちは。東京地方、もう紅葉から落葉、今色づいてない木は常緑樹ですね。
 今日は風呂の日だって。みなさま、おふろある? 温ったかいの欲しいね。東京地方あってもなくても大変。風呂代大人500円だよ。アパートは風呂もシャワーもなくてもせいぜい1万円引でしょ? 20回入れる? いやあ、、、
 
 サッカーまずはおめでとうございます。一瞬の運で負けるとぼろくそというのもかわいそうだし。おかげさまでyahooのトップページから、嫌いなマンガニュースが一掃されたし。
 でも強くなったよね。30年前は日本のストライカーって、ゴロベースのようだったよ。「キャプテン翼」はなんだったのか。うそ? 嘘です、新しすぎて知りません。「くたばれ!!涙くん」ちゅうのね。少年サンデー。
 まとにかく、シュートが地面の上でボールを転がす野球のようで。皆様にはその頃のファンいないよね。正直グマだから。でもサッカー部には自由少年が多くてよかった、とフォローのつもり。
 
 ニュース。
「大阪府の18歳以下全員に米10キロを配布へ 他の食料品も選択可」(朝日)
 おおげさに言って。実質3千円以下じゃないか。そりゃないよりいいが。代わりはカリー屋カレー40食分かな。これもカレー曜日20食のほうがいいなあ、栄養的に。まさか忙しい母子家庭に、中身を作れと?

 さて、今日の本題。
 突然ですが、女性差別、これを資本論で解くことができるでしょうか? いいやできない。では段階論で? 現状分析で? どれもできない。「そら見ろ、それは宇野経済学のせいだ」と。へええ、、反女性差別論者に向かって、女は黙ってろと言い続けたのは、「正統派経済学」の諸君じゃなかったかね?
 「結局、経済学では解けないんだ」?
 それは誰が決めたんでしょうかね。本来、純粋経済学なんてものはなくて、「政治経済学」の姿をしてるはず。政治経済学を主張してたら純粋経済学になっちゃった本を書いた人が悪いんじゃないかい? マルクスのことだけど。
 じゃあ、お前やれよ、と。たしかに、いやしくも資本主義下の女性差別を語るなら、初期資本主義への労働力導入時から述べなければならないところ、1冊の本の1トピックにそんなにページを割けやしない。
 というわけで、次々回作品は、『資本主義の歴史法則ー「労働力商品化の無理」の理路』
 
 なにそれ、って、次々回作品。
 目が見えないんで次回が最後の作品っていったじゃないか、って、他人は今まで誰もやってなくて本ないから見えなくても不都合はないの。アタマがあれば。
 
 労働力商品化の無理、というのは、宇野経済学および資本論のネックというか、ほころび。
 日本では黒田寛一とか梅本 克己とかが敏感に見つけた穴だけれど、その深さに気づきはしても、だれ一人足を踏み入れられなかったわけ。その穴は経済学でも政治学でも哲学でも倫理学でもなかったからね。そこで、目のほとんど見えない私が乗り出そうというわけだ。
 ほんとはそのうち眼のレンズを入れ替えることに期待してんだけど。
 
 専門的な話題にすると、この穴は経済学的には恐慌論の穴になっているわけ。
 つまり、宇野弘蔵においては「商品過剰論」とは存在しないのであって、恐慌は「資本過剰論」から説かれなければならないわけ、それがあっているかどうかは問題ではなくて、それが論理構成というものなの。
 ところがマルクスにおいてもその他の常識的な労働価値論経済学者においても、資本過剰と商品過剰は、ぎったんばっこのように行きつ戻りつ把握しなければ現実の説明にはならない。これも当然ですね。これはどっちが正しいという論議ではありません。いったい何を解明しようとしているのか、という論議。
 
 結局そんな論議はするだけ無駄。どっちが勝とうが素人が納得するものではない。
 人の納得は、(全世界の)人の生活を語ることが経済学になった時点で得られる。
 だからさ、全世界の人の生活を語ろうじゃないか。歴史ある生産関係として。
    わたしゃ、なんでもできるんだけどね。
      が、とりあえずカテゴリー困ったな。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 題の変更「解放行動の原理」 | トップ | 次々回予定の2 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

その他」カテゴリの最新記事