リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

幽霊都市と社会学応用理論

2011-06-26 21:47:44 | 断片
 こんばんは、お暑うございますところで頭も動かず、あと3ヶ月、理屈論議の勉強は、暑さでわやかよ、と一瞬思いましたが、本日はまだしもで。

( さて、すばやい方はご覧になったようにここには電器製品へのある種悪口が500字位あったのですが、その後、現象が変わりましたので、いったん消させていただきます、あしからず。電器製品はよくわかりません。 で、)
 
 なんて話は、一種どうでもよく。
 
 また悪口の記事だから、このカテゴリーは酔言=断片にしておきますが(トップページ変更はしません。最近休むヒマがなくて)
 「飢餓・都市・文化」柏書房、1993。
 という、まあ、よくいって都市社会学の本がありまして
 藤田弘夫という人が3分の1の著者で。
 あと2人の著者はどうでもいいのですが、藤田さんという人はユニークで。 って、中身はとんでも学に近く、都市が幽霊のように自立して歩き出す、びっくりものの話ですが、といっても読者Aさんがそれに気づいたら、まあ、学問の道に入る資格はあります、位の初歩的な話、でも学者も気づかない話ですが。
 問題はそんなことではなくて、この慶応大学教授さん、バカではないので、都市での人民反乱は影響力があるが、農村の人民反乱は影響力がない、みたいなテーゼを繰り出して、はいはい、それはそれでよい指摘です。
 
 地域社会学というのは、基本的には「家族」のような領域社会学なので、やれ農村で何が起こった、都市でははにほれが緊喫の課題である、とかいう話題になるのです。
 しかし、幽霊社会学はそうではなく、基礎理論の一種ですから人間が存在する限り、「都市」は影響しつづける。それはとんでも学ではあれ、資本主義社会では、ある種、実用的な話でもありつづける。
 
 もちろん読者様のようなわたくしの関係者はご存知のように、世の中の現象というものは、「規定性」を表示しない限り、なんら人間のためには役に立たないものでして。規定性とは「定義」ではなく、人間が触れられる、操作可能的な存在要因のことです。
 しかし、幽霊都市に規定性などない。「都市一般」が持つ何かだとおっしゃるしかなくなる。
 
 というわけで、このたびの私の応用理論に、ひとこと付け加えなければいけないんだな、と教えてもらったところです。
 共同性の中身について、消費物資の生産以外に、支配権力者に与える影響をもつ、集合性がある。
 それはわたくしなどはばかに近いから(なんて謙虚なんだろう)、人民の運動一般としてしか捕らえてないけれど、確かに、支配者が消費物資生産共同性ともつ関係と、支配者が消費物資供給生産共同性(商人・産業・金融資本主義者およびその配下、プラス生理的恐喝者である都市民と取り持つ共同性(この事情は相対的に「農村」的下位支配者へも通じる)、とは、現実の影響力からすれば1項、取り立てて論議すべきである、と、教えてもらった気がするところです。
 
 先達はありがたいことです。
 が、決してこの本の幾分でも信じないように。
 (歴史的)支配者(支配システム)を排除した都市なんて歴史的にゼロ(意義)だよ。
 本書ほかの2著者は、そこを取り繕ってくれるんだけれども、それって、悪いけど(謙虚だねえ)批判もしないで取り繕えること自体、取り繕う人の頭や学問の程度も示してるよね。 
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