リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

ある感想

2012-12-26 21:53:27 | 断片
 こんばんは。世間は年の瀬のようですが、私には不明のまま、今日は家人が親戚の病気の容態を姉から聞いたというので、又聞き。
 家人は戦前の半封建的文化育ちなので、話し言葉にも前段、修飾、その他挿入句が多くて、慣れてるとはいえいらいらすることこの上なく(ま、これはお互いさまというものでしょうが)。
 こちらは、何より先にいち早く近々の将来どうなるかとかが知りたいのに、そこをじっと我慢。 ま、じっとではなく「早くいえ」とか文句いいながらですが、なにしろ気が小さくて(気が弱くて)(繊細で)(ともかく知ってる人の不幸は嫌いです)。

 で、思うに、言葉の少ない、象やイルカやゴリラなんかはこんな苦労ないよな。
 彼らは、直近の寸秒を争う危機を最低限の言葉で仲間に伝達し、行動をとる。
 来週や半月後の話なんかしませんやね。
 したがって、来週の危機の想像など思いもしない。
 思わなければ何もしない。
 かくて、彼らには「眼前の仲間の状態」というストレスしかない。

 人間というものは、幸か不幸か、コトバの発達で「想像」をしてしまう。来週のこと来年のこと、隣の村のこと、隣の国のこと。
 おかげで、こんな現状ではならじと、技術への要求が生まれ、思想が生まれ、それを生きる個人が、歴史の中に種々の事実認知を落としてゆく。その事実認知が、人間の歴史を象の歴史とは違ったものにしてゆく。

 ま、こんなことは、べつに他の人も他の(間違った理論体系下の)言葉でいってますね。
 今日の話題は、では象の国と人間の国はどこが違うか、という。
 
 思うに、「年齢順に死ぬ」、ということではないでしょうかね。
 シンプルには、子どもは親より早く死なない。ということですね。
 もちろん、親子のことを言っているわけではなく、戦争で恋人が死なない、戦火で逃げ出して赤ん坊が飢え死にしない。子どもがライオンに食われない、赤ん坊が寄生虫に倒れない。
 そんなことは今の世ではできないけれど、いつか世界中がそうなるように歴史が動いているというのは、象の世界との大きな違い。同じ時代に生きている哺乳類中での帝国主義的繁栄ですね。
 と思うと他の動物に気が咎めますが、ま、それはいまだ夢の世界。
 
 年齢順だけで人が死ねる社会には、仏教がはびこってもいいですな。そんな社会に宗教は不要でしょうけどね。
 
   いや、「年齢順に死ぬのがいい」なんて話も定番なのは知ってますけど、それを左翼のくせに「言語での想像世界を持ってしまった哺乳類社会の理想形態」と規定したところがちょっとユニックではないかしら?
   
   ま、酔っ払いの断片、断片。

(注:半封建的文化とは、後進資本主義国の政治等上部構造の特色を指す言葉。政治家・官僚・資本家が後進人民を指導するため、事実伝達よりも権威の伝達を主とする手法。無文化人民との差別化を特徴とする。日本においては戦前中産階級者からの伝達方式の学習により、団塊の世代付近を掉尾とする。定義:隈)
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ユーフォロジー | トップ | 「野蛮」と「傲慢」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

断片」カテゴリの最新記事