リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

庶民的ふるさと主義者

2013-12-07 13:59:47 | 不定期=中途半端
 こんにちは。先週やら今週やらほんとに家庭の事情というものはいつだってすべてのやる気をそいでしまう。(あと、「親知らず」(歯)の有無やら)
 どうも金の有無より、いわゆる「平凡な」家庭が子供の頃あったということがないと、世の中に敷いてあるレールに乗れない気がしますね。わたしなどさいわいに過去乗れましたので、そう思える、というわけで。まあ、そういう生まれだから「さいわい」なんて思うのでしょうが。
 
 さて、世間様では。日本料理が世界遺産とか。
 まあ、呆れかえって。
 ひとのメシがどうでも余計なお世話じゃないかね。
 カンボジア料理は世界遺産じゃないのか。
 富士山を売り渡し、日本料理を売り渡し。金さえ儲かりゃなんでもいいんだね。
 山なんて、日本のあるいは自分自身の歴史と文化に(最も広い意味でのね)頭の中を満たして、その中でみんながその文化の一員としてふつうに登ってこそ、日本の富士山じゃないのかね。何だね、山のぼんのに金なんぞ取って。いったい何の権利があるんだ。
 すいとんであっても、自分が日本で食ってきたものが日本の料理というものじゃないかね。京都料理がそんなに好きか。好きにしちゃ自分ちじゃ誰もくわんちゅうのはどういうわけだ。
 「あ、ごめん、すいとんも世界で売れるようにするからさあ」って、そんな問題じゃない。あとは何を売りに出す気か。自分の子か。
 日本はどこへいった。ふるさとの山や川は。ったく。アナーキストにいわせんなよ。
 反対のハの字も組織できねえ、なさけねえ右翼共だ。
 
 「いいじゃん、面白いから」って、だからとりあえずわれわれ庶民の問題ではないの。
 宿屋や料理屋や、桶屋で儲かる財務省の問題。だからカネだってさ。
 とはいえ、それは明日にはわれわれの問題だ。「おれらも金もうけしたいし」
 なので庶民全体のもんだいさ。
 で、売れりゃなんでも売り渡していいのか。
 
    こういうのは、突き詰めたところで初めて人間の問題になるんだよ。
    それがいつもいう、プロレタリアートの怨念、というやつになってはじめて拝金主義者を否定する立場に立つことができる。立たなくたっていいのだが、それで、再度いえば、そんなにカネが大事か。
    
 あ、それで秘密法案が成立したって。うちは朝日だからまあたいした記事さ。
 でさ、基本過ぎるけど、庶民の方にお教えすると、何かをしたかったら、「反対」運動はだめね。基本。
 反対、擁護が勝ったためしがない。
 常に攻勢に出なきゃね。何かをしようという運動だけが勝てる。だって、「反対」だけじゃしてるほうだって何してるかわからんでしょ。
 反対運動で勝利するのは、「デモの組織化をする」という運動、という側面ね。あるいはそのための大学自治会選挙で勝つとかさあ。ま、大事なことだけどさ。だから左翼が反対運動するわけだけどさ。
 たとえば、「原発反対」じゃなくて、「原発廃絶」ね。そうスローガンを作って、初めて、勝利が展望できる。なかなか分かり易い例だな。
 秘密法案なら、その前に「秘密法案を画策する自民党議員を落とせ」とかね。選挙で負けたんだからもう遅いけどね。
 世の中というものはそのように動きます。

 p.s.「世界遺産は国家意識発揚の問題だ」とか批判されると困るんで、先に言っておきますと、資本主義国家というのは国家権力と経済権力の(別の2者の)セットですので、それももちろん一面です。
 
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