前回の続きです。
前回の趣旨は、人間が生きるということについて、「生きるとは息をするということだ」以上に認知を持っていない人々の、特徴的な思考方法の現れについてでした。
なんですが、とりあえず、2人の本の著者のただの悪口にしか見えないところでしょうね。
いったってしょうがないことですが、後者については、朝日新聞の書評にも出てこれから買う人も出るかもしれないところで、 あほんだら、といっておかないといけないこともありまして。
で、今回は、少し一般論。
行為の数式的表現について。
なんとも突然。
でもさ、本質はいくつもないの。
数式処理の長所というのもあるわけで、統計処理はほとんどメリットといっていい。けど、社会科学で一番問題なのは、ゲームの理論とそれらに親和性のある数的処理。
ゲームの理論は生産性がないのがばれているんでわざわざいちゃもんをつけるほどのことはないけど、その他数的処理には若い人たちは魅力があるでしょうねえ。
でもだめ。
それら数的処理には式の途中でマイナス項がでる。だけどね、人間の行為にはマイナスは出ないの。
マイナスにするぐらいなら、そこで態度を変えるの。変えなけりゃ心身症で死んでしまうの。
そうでしょ、御同僚。
そこで突然数式の項の定義が、まだ計算式の途中だというのに、変わっちまうんだよ。そうでしょ、数式定立者さん。
計算不能。
とゆうことが、生きていないとわからない。人間が「生きる」ことで、息をしているだけなのは、あなただけなのですよ。
行為のマイナスは量れない。
これは私が言ってんじゃない。数式を作ったあなたが言うはずの言葉です。
前回の趣旨は、人間が生きるということについて、「生きるとは息をするということだ」以上に認知を持っていない人々の、特徴的な思考方法の現れについてでした。
なんですが、とりあえず、2人の本の著者のただの悪口にしか見えないところでしょうね。
いったってしょうがないことですが、後者については、朝日新聞の書評にも出てこれから買う人も出るかもしれないところで、 あほんだら、といっておかないといけないこともありまして。
で、今回は、少し一般論。
行為の数式的表現について。
なんとも突然。
でもさ、本質はいくつもないの。
数式処理の長所というのもあるわけで、統計処理はほとんどメリットといっていい。けど、社会科学で一番問題なのは、ゲームの理論とそれらに親和性のある数的処理。
ゲームの理論は生産性がないのがばれているんでわざわざいちゃもんをつけるほどのことはないけど、その他数的処理には若い人たちは魅力があるでしょうねえ。
でもだめ。
それら数的処理には式の途中でマイナス項がでる。だけどね、人間の行為にはマイナスは出ないの。
マイナスにするぐらいなら、そこで態度を変えるの。変えなけりゃ心身症で死んでしまうの。
そうでしょ、御同僚。
そこで突然数式の項の定義が、まだ計算式の途中だというのに、変わっちまうんだよ。そうでしょ、数式定立者さん。
計算不能。
とゆうことが、生きていないとわからない。人間が「生きる」ことで、息をしているだけなのは、あなただけなのですよ。
行為のマイナスは量れない。
これは私が言ってんじゃない。数式を作ったあなたが言うはずの言葉です。