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「駿河安蘇備 上」を読む 75

昨日、もう一鉢、衝動買いした
リーガース・ベゴニアの鉢

夜、金谷宿大学教授会。来年度、新しい受講者は2名。

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「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。

風土記 椎田池、美石を出す。和銅元年戊申、三月より五月を経て、地底
鳴ること、昼夜百余度。恰(あたか)も地震るうが如し。五月望夕、一つの里牛池底より出づ
※ 望夕(ぼうせき)➜ 十五夜。
一顆(つぶ)の玉を負う。その玉光り、四辺を照らす。後、その牛を以って、京家に献ず。路程(みちのほど)暑さに堪えず、
※ 京家(きょうけ)➜ 京都に住む公家や貴族。
白須ばかりの渡しに至りて斃死す。その処を号して、牛瀬という。今猶、存せり、云々。
※ 白須(しらす)➜ 白い砂。
※ 斃死(へいし)➜ 行き倒れて死亡したり、野垂れ死をしたりすること。 動物が突然死ぬことを指す事が多い。
里人、斑牛(まだらうし)という。また牛の瀬、何処(いずこ)なるや。

慈悲尾山増善寺 同村 寺領   曹洞宗
白鳳十一年、道照法師草創後、四十二年過ぎて、養老七年、行基菩薩、
駿河国に来たり。足久保法明寺において、七躯の観音の像を
刻み、当山はその第二刻なりという。後、星霜積みて衰廃せし
を、文明十一年、辰應和尚、当る寺を再建す。今川氏親朝臣、明応
年中、伽藍・諸堂これを建て、氏親朝臣、増善寺殿という。その肖像
あり。この寺は今の所より、八丁余奥の谷間にて、塔中十二
坊あり。菩提院と云い伝う。今、礎石存る所あり。

古城跡 同山の頂にあり。羽鳥村との堺なり。福嶋伊賀守居すという。
(つづく)

読書:「先祖探偵」 新川帆立 著
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