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「駿河安蘇備 上」を読む 67

西原の端に日が沈む(16時42分)

午後、金谷宿大学「駿遠の考古学と歴史」講座に出席した。Nさんから金谷の「郷土史研究会」に入らないかと、誘いを受ける。間口を広げるべきかどうか、迷っている。昨日の駿河古文書会でも「自分は歴史の研究よりも、ただ古文書解読を極めることだけに興味がある」などと話し、それが自分の本音だと思っている。あと活動できても10年、それだけの時間が自分に取れるだろうか。

「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。

入島 梅ヶ島 この辺、沢の谷間少しく開けたる所に家居を
作る支村、里戸持、草木、日陰沢、三河内、犬代、藤代の沢、河内、
これら三里の内、谷の間、いささか畑にて田地なし。カラ松、ヒメロ松、
多く、この辺より黄金出ると云うなり。
文徳實録 正五位下、猶原東人、天平勝宝元年、駿河守として、時に
土、黄金を出だし、東人採りこれを献ず。帝、その功を美(ほ)め、曰く、勤かな、臣なり。遂に勤
臣の儀を取り、伊蘇志臣を賜姓す、云々。
續日本紀 称徳天皇御宇、天平勝宝二年三月、猶原東人、庵原郡
多胡浦(田子の浦)において、黄金を獲る。練金一分、沙金一分、同年十二月癸亥、駿河守従五位下
勤臣東人、従五位上を授く。獲金人旡位三使連浄足従六位下、絶二
十疋、綿四十屯、正税二十束を賜う。出金郡免今年田祖郡司主帳己
上進位有差、云々。 部分不明。)
(つづく)
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