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「駿河安蘇備 上」を読む 65

裏の畑のツバキの花

午後、掛川の古文書講座に出席した。課題の古文書は村から御役所へ窮状を訴えた書であるが、表現が難しく、難読の個所が幾つもあり、結果、何ヶ所も意見を述べることが出来て、楽しかった。しかし帰ってきて、ぐったりとし、たいへん疲れた。

「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。 

鯨ヶ池 下村にあり。周回三十余町、水底深しと云う。この池の主、何もの
なるや。一眼を様(よう)したりとて、池の魚、皆一眼なりと云う。
門屋(かどや) 龍爪山に近し。慶長年間、御鹿狩の御本陣屋跡あり。
牛妻村 俚俗の伝。山上に道伯という僧、住みて、弟子粗益と
云うもの、この村なる丹野と云う所の、嬬女に恋慕して、後身、牛と生まれ
※ 嬬女(じゅじょ)➜ 妻女。妻である女。妻。
※ 後身(こうしん)➜ 後世・来世における身。うまれかわり。
きて、道伯に仕えしより、村の名になりしと云う。
牛妻行王 同村 俚傳。この村より一里ほど山へ登れば、岩窟
あり。これ古え、行王と云う仙人の住家なりと云う。穴の口、弐間ばかりにて
深さ二十間ほどあり。人の掘り穿ちたる躰にはあらず。自然の
岩窟なり。四方渓合(たにあい)にて、一峰の山にて、山上に大木の松二本あり。
その倚(よ)りに鉄の丸足駄一足あり。一本歯なり。行王の足駄と云う。
※ 足駄(あしだ)➜ 雨の日などに履く、高い歯の下駄。
その脇に庵室あり。これは安永の頃、ある僧この岩屋に住む。行い済まして
居りける故、所のもの至りて、庵を造りて住まさしめたり。その後何方へ
行きしや、行方知れずとなり。年の頃、二十才ばかりの若僧にて
ありしとなり。その山の南の方、谷を隔て向うに瀧あり。幅四間
ほどある大瀧なり。藤葛(ふじかづら)咲き乱れ、山躑躅の咲く頃は、別けて
見事なりと云う。瀧は見えぬほどなる、四方とも深き渓にて絶景
なる所なり。実に仙人の住家とも云うべき所なり。かの行王が画き
たるとて、大悲者の像をその村にて貴蔵す。
※ 大悲者(だいひしゃ)➜ 「大慈悲」のある諸仏・諸菩薩のこと。特に観世音菩薩をいうことが多い。
(つづく)
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