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「竹下村誌稿」を読む 137 質侶庄 24

(城北公園のアメリカシャクナゲ/昨日撮影)

午後、金谷宿大学の「駿遠の考古学と歴史」講座に出席した。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

そは藩翰譜、安倍氏の伝中に、
※ 藩翰譜(はんかんふ)- 江戸時代の家伝・系譜書。著者は儒者の新井白石。全12巻。

かくて信玄、駿河国を攻め取りて、要害五ヶ所を構えて遠江国をも併(あわ)せんとす。元真父子また御勢八十騎を差し添えられて、彼の要害を悉(ことごと)く攻落す。徳川殿、御感斜めならず、父子に仰せて、遠江国伯耆が塚の要害に帰り、駿河国の境を守らせらる。頓(やが)て、八向山の要害に押し寄せて攻落し、進んで八向山を守る。
※ 元真父子(もとざねふし)- 安倍元真、信勝父子。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。今川氏、徳川氏の家臣。
※ 御感(ぎょかん)- 貴人が感心なさること。おほめ。
※ 斜めならず(ななめならず)- ひととおりでない。いいかげんでない。


とあるものには非ざりしにや。果たして然らば、この砦も一旦武田氏に属せしものならん。

却説、鶴見氏事蹟の対象として河井氏に関する記事を伝うれば、
※ 却説(きゃくせつ)- 話題を改めるために文頭におく言葉。「さて」「そこで」の意。

遠記伝云う、松葉城跡、倉真郷中松葉に在り。川井成信居城なり。郷人曰う、成信は山名郡川井村の客居人なり。松葉城主たるの時、家臣落合九郎左衛門久吉、姦佞してこれを謀り、城飼郡勝間田播磨守、及び榛原郡志戸呂鶴見因幡守某、松葉城を鬩(せ)め数戦、城主川井成信、利あらずして破れる。時に明応五年(1496)秋日、成信、菩提淵に於いて自殺し、、御内淵に死す。二基の墓、奥野長松院に在り、云々。
※ 客居(かっきょ)- 旅ずまい。
※ 姦佞(かんねい)- 心が曲がっていて悪賢く、人にこびへつらうこと。
※ 室(しつ)- 妻。特に、身分の高い人の妻。奥方。


長松院記云う、寛延三年、河井宗忠、当時今川家の幕下にして、倉真村松葉の城主たり。その頃、勝間田播磨守(榛原郡門原村に住せり)、鶴見因幡守(同郡志戸呂村に住せり)と云うものあり。故ありて、相与に謀りて松葉の城を襲う。時に河井氏の家臣、落合九郎左衛門久吉なるもの、内に恨む事ありて、裏切りをなせしかば、宗忠たちまち利を失いて、竟(つい)に戦死するに至る。その妻女、また深淵に溺死す。その所を宗忠淵、御台淵など云う。
※ 寛延三年 - 1750年、江戸時代のことになるため、間違いと思われる。
※ 幕下(ばっか)- 将軍・大将の配下。また、家来。手下。
※ 相与(そうよ)- 相互に。互いに。


と見え、一朝事あれば勝敗を干戈に訴えるは、戦国時代の通弊なりとす。
※ 干戈(かんか)-(「干(たて)」と「戈(ほこ)」の意)武器。また、武力。
※ 通弊(つうへい)- 一般に共通してみられる弊害。


読書:「小屋を燃す」 南木佳士 著
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