平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「竹下村誌稿」を読む 139 質侶庄 26
今川義元生誕500年祭の関連事業で、臨済寺に保存されている古文書の解読が始まったとのニュースが流れた。大学の研究室の学生さん達が集って、古文書を見る様子が写っていた。自分が南部センターで解読する文書もその一部になるのだろう。ただ、学生さんたちの解読力では、かなり誤読が出るのではないかと心配する。
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「竹下村誌稿」の解読を続ける。
小笠郡誌長松院の記事に、
明応中、今川氏親の麾下、河井宗忠、当国松葉の城にあり。敵のために、その居城を攻略され、走りて、当院境内に来たりて自殺す。氏親これを悼み、明応五年九月、采地を当院に寄与して、永く功臣の菩提を弔わしむ。
※ 麾下(きか)- ある人の指揮下にあること。部下。
※ 采地(さいち)- 領地。知行所。
とあり、この時、同院住職一訓和尚は、今川氏親に俗縁(今川範忠の子、五郎氏親の叔父)を有せし故を以って、氏親、河井氏の采地を同院に寄付して、冥霊を弔わせしむと云う。その寄付状は同院に蔵する古文書に、
※ 冥霊(めいれい)- あの世の霊。
遠江国金谷郷内、東深谷、山口郷内、奥野、下西郷内、仏道寺、並び五反田の事。
右、新所として、これを寄進奉る上は、前々の如く執務あるべきの状、くだんの如し。
明応五丙辰九月二十六日 五郎花押
長松院
また宗忠遺孤あり。宗在という。宗忠戦死の際逃れて、三河に匿れ、生長して徳川氏に仕え、親信せられ功を以って、作岡城の代官となり、後、酒井家の老職となると云う。文政中、松崎慊堂の撰(えら)みたる河井氏の碑文、小孝節録に見えたれば、転写して参稽となすべし。
※ 遺孤(いこ)- 両親の死後に残された子供。遺児。
※ 参稽(さんけい)- 参考。
河井氏之系、藤将軍利仁に出ず。後七世、越前守則重と曰う。越前の河井庄に食邑し、子孫、明応の間に至り、氏を遂ぐ。父但馬、諱(いみな)宗忠君、遠江国松葉城主たり。その士、落合久吉は、陰叛し、志戸呂城主、鶴見因幡に附き、門を啓(ひら)き、敵を納(いれ)る。事、不意に出ず。宗忠、見兵を督し、奮撃して克ち、因幡及び久吉を獲える。而して、衆寡、敵ならず、士また殲(ほろ)びん。宗忠、その長子を叱咤し、奥野長松院に入り、自ら屠(さ)きて死す。宗在、なお嬰孩、その下、襁(むつき)を負う。参(州)の岡崎に匿(かく)る。既に長じて、宗忠の遺孤(遺児)を以って、材勇なること、諸豪間に聞こえ、徳川公に仕える。功有りて、作岡城代官となり、後、酒井の家老となると云う。
※ 食邑(しょくゆう)- 知行所。采邑。領地。
※ 陰叛(いんはん)- ひそかに叛く。
※ 衆寡(しゅうか)- 多いことと少ないこと。多数と少数。
※ 嬰孩(えいがい)- 赤ん坊。ちのみご。嬰児。
※ 材(ざい)- もちまえ。性質。
読書:「坂本龍馬殺人事件」 風野真知雄 著
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