平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「竹下村誌稿」を読む 138 質侶庄 25
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「竹下村誌稿」の解読を続ける。
しかも勝間田氏は常に今川氏に反きたれば、その麾下たる河井氏を讐敵視したるは当然なるべし。この勝間田氏は城東郡の人、横地氏と共に本州の名族なり。応仁以後、何れも斯波氏に党し、今川氏に叛き、文明七年(1475)四月、二氏皆な、今川義忠のために鏖滅せられしことは、今川記その他の記録に存せり。されば、この播磨守はその余類一族などの余喘を保ち、廿二年の後、(明応五年)に於いて勃発せしものなるべし。
※ 麾下(きか)- ある人の指揮下にあること。部下。
※ 讐敵(しゅうてき)- 恨みに思う相手。かたき。
※ 鏖滅(おうめつ)- 皆殺しに滅ぼす。
※ 余類(よるい)- 残った仲間。残党。
※ 余喘を保つ(よぜんをたもつ)- やっと生き長らえている。また、滅びそうなものが、かろうじて続いている。
駿河志料に、文明中(1469~1487)、横地氏の余蘗は甲斐に走り、勝間田氏の族、伊野弾正は一旦富士の根方、印野村に潜伏せりとあり。遠江古跡図会にも、明応中(1492~1501)、伊野弾正と云うもの、河井宗忠の城を攻むとあれば、これらの徒が鶴見氏と相結合して、激動せしものと見えたり。而して宗忠の終焉は明応五年(1496)九月十日にして、松堂録に、
※ 余蘗(よげつ)- ひこばえ。切り株や木の根元から出る若芽。
明応丙辰、秋の十日、菊源氏成信、侍中補安宗忠庵主、戦死す。因野們、贅言一章を述べ、還郷一曲と為す。以って行く餞行と云爾
因縁時節遇冤讐 因縁の時節、冤讐に遇う
剣刃光中皈凱秋 剣刃(けんじん)の光中、凱(やわら)ぐ秋に皈(かえ)る
端的万關透過去 端的に万関、過去を透す
一心忠義徹皇州 一心の忠義、皇州に徹す
※ 明応丙辰 - 明応5年。1496年。
※ 們(もん)- ともがら。
※ 贅言(ぜいげん)- むだなことを言うこと。また、その言葉。
※ 還郷(かんきょう)- 故郷に帰ること。
※ 餞行(せんこう)- 送別のはなむけ。
※ 云爾(うんじ)- しか云う。のみ。「以って送別の餞(はなむけ)とするのみ。」
※ 冤讐(えんしゅう)- あだ。誤って仇とされる。ぬれぎぬ。
※ 端的(たんてき)- 物事の結果が即座に表れるさま。たちどころに。
※ 万関、過去を透す - 過去のことは水に流すの意か。
とあり。この吊詞(弔辞)によりて見るも、宗忠は今川家無二の忠臣なることを知るべし。この松堂録は本郷長福寺住職、松堂和尚が平常自記せし詩文にして、室町中葉に於ける遠州の史、棄徴すべきもの殆んど少なし。この書、多く文明、明応などのことを記す。当時の人にして、当時のことを記せしものなれば、最も信憑すべきものなりと云う。
※ 棄徴(きちょう)- 取捨(?)。
※ 信憑(しんぴょう)- 信用してよりどころとすること。信頼すること。
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