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「竹下村誌稿」を読む 131 質侶庄 18

(庭のムラサキカタバミ)

ムラサキカタバミは、抜いても抜いても中々絶えない強い雑草であるが、よく見ると花は中々である。

名古屋のかなくん一家が午後帰って行った。二日に来たから、足掛け五日滞在した。この次、来るのは8月だという。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

(おも)うに、永和の頃(1375~1379)には遠州は今川氏の勢力範囲に属したるべけんも、寺田(じでん)の如きは措(お)いて、問わざりし如くにして、室町の中葉までは、全く円勝寺に属したりしも、応永の末に至り、本庄の半ばを割(さ)きて、清和院の支配に移されたりしことは、古事類苑に、

 応永三十三年(1426)施行状
遠江国質侶庄、領家職半分のこと、去年八月十一日、御判を寄せ奉るの旨を任じ、弥(いよいよ)所務全うさるべくの由、仰せ下さる所なり。仍って執達くだんの如し。
  応永三十三年十一月十八日          沙弥 花押
           清和院長老殿

※ 所務(しょむ)- 所領の管理(検断及び年貢・租税徴収)を行うこと。
※ 執達(しったつ)- 上位の者の意向・命令などを下位の者に伝えること。通達。
※ 沙弥(しゃみ)- 剃髪して僧形にありながら、妻帯して世俗の生活をしている者。


とあり。この沙弥は今川仲秋の晩年薙髪せし後の署名ならんと云う。而して、この清和院は北朝方の寺院なれば、或るは対立当時より因縁する所ありて、ここに至りて領家職半分を施入せられたるにてあらんか、と郡誌は書きたり。
※ 今川仲秋(いまがわなかあき)- 南北朝時代後期から室町時代前期の武将、守護大名。室町幕府侍所頭人、遠江・尾張守護。今川氏の分家・遠江今川氏の第2代当主。
※ 薙髪(ちはつ)- 髪を切ること。髪をそり落とすこと。剃髪。
※ 施入(せにゅう)- 寺や神社に財物を献上すること。


これより本庄は円勝、清和両寺の所領となりて、何れの時代まで継続せられしか、これを知るに由なしといえども、按ずるに、応仁以後、兼併漸く行われ、寺田(じでん)の如きも、往々武人の押領する所となるもの少なからざれば、或るは、本庄も寺家を離れて武人の手に帰したらんも、また知るべからず。後、室町の命令行われず、所謂戦国時代の本庄は、何れに属せしか明らかならずといえども、蓋し今川氏の勢力に属したるものならん。
※ 兼併(けんぺい)- 他人の土地・財産を奪い自分のものとすること。


読書:「夏天の虹 みをつくし料理帖」 高田郁 著
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