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「竹下村誌稿」を読む 130 質侶庄 17

(女房の古希の祝いに届いた花籠)

お昼、近くのお寿司屋さんで、女房の古希の祝いを、子供と孫が集って祝ってくれた。インドへ出張中のまーくんパパを除いて、総勢10人である。そのまーくんパパからは、昨日、花籠のお祝いが届いていた。孫たちも年々大きくなって、走り回るようなこともなく、もう幼児からは脱却し始めているように見えた。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

按ずるに本庄は鎌倉の始めは地頭さえ、一時不入の姿なりし如くなれば、賦課法の如きもこれを知るに由なしといえども、承久以後(1219~)には新地頭の補任せられたるものなるべけんも、この時代は、遠州は守護を置かず、鎌倉の直轄なりし如くにして、而も、画一の制度なき庄園の如きは、如何なる賦課法の行われしや、得て知るべからず。
※ 不入(ふにゅう)- 国家権力により荘園領主に与えられた特権で、国衙の検田使や収納使の荘園内への立入りを拒否できる権利。

鎌倉幕府の公認せし、永楽銭を標準としたる庄園の制度も、自家の覆滅に帰するとともに、漸く衰えて、後には強きものは弱きものを併せ、遂に知行制となり、統一を欠きたれば、這次(このつぎ)のこと、また考うべきものを見出さず。
※ 覆滅(ふくめつ)- 完全に滅びること。

建武の中興の業終らず、天下また大いに乱れ、室町幕府の起きるや、国郡を分けて家臣に封じ守護に補し、一時の権勢を頼み、以って小康を致すといえども、民政その宜しきを欠き、田土(田地)の制、また頗る廃弛し、民間漸く武家政事を嫌悪するに至る。太平記に武家役を懸けられ、諸人愈々(いよいよ)憤を含むとあるにても、その一班を窺うべし。この時に当り、本荘は何れに属したりしか、明らかならずといえども、南北朝の末に亘(わた)りて、なお依然として円勝寺に領属したりしものなるべし。東大寺文書に左の記事あり。
※ 小康(しょうこう)- 事態がしばらくの間、収まっていること。
※ 廃弛(はいし)- すたれゆるむこと。行われなくなること。
※ 一班(いっぱん)- 組織をいくつかに分けたときの一つ。


遠江国、三代御起請、三社領の事。
一 三代御起請地 原田庄/宝金剛院 飯田庄/蓮花王院 質侶庄/円勝寺
  曽我庄/長講寺 上西庄/遺迎院 山名庄/熊野山 相良庄/蓮花王院
一 三社領地  比岐庄/上賀茂 加茂庄/下賀茂
 右注文如件
  永和二年(1376)二月七日        左官掌  中原判

※ 三社領(さんしゃりょう)- 伊勢神宮・石清水八幡宮・賀茂神社の荘領の総称。

因って云う。この三代御起請地は白川院、鳥羽院、後白川院の三代院政を行わせらるゝに当たり、諸国の神社仏寺は、当時跋扈せる所在の豪族の押領狼藉を防ぐため、自家の庄園を皇室に献上して、その所領年貢の安堵を期せしのみならず、勅事、院事、国役など課役の免除を永く受けたる特権ある土地を謂う。これに於いて、皇室は本家となり、社寺は領家または預所となりしものにして、起請は後世の願書と云うに同じ。
※ 跋扈(ばっこ)- わがもの顔に振る舞うこと。のさばりはびこること。
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