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「竹下村誌稿」を読む 154 竹下村 14

(散歩道のアジサイ4)

借りてあった明治32年の掛塚の商家の主人の「日誌」を漸くコピーを取り始めた。今回はコピーに繰り返しで、画像劣化するのを防ぐため、スキャナしてデーターで取り、加工して使うことに、始めてチャレンジした。何とか曲がりなりにも出来ることが試せた。早速、金谷の講座のテキストとして使ってみることにする。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

これに口米と云って、取米(取箇)壱石に付、弐升八合を増し、取米三斗五升を以って一俵に換算し、これに延米と云うて、取米の一割八分六厘(取米一俵に付、六升五合一勺)を加え、四斗一升五合一勺を一俵納めとなす。(元和二年定め)外に石高一石に付、庄屋給壱升、組頭給三合三勺を加納せり。而して、本村の定免は、田方は始め三つ取りなりしが、後増率して三つ七分となり、また四つ三分四厘となる。減免三つ四分七厘あれども、これは水不乗と称する小字四反島、反別一町四反六畝廿七歩の田地に限り適用せしものなり。畑方及び屋敷は始め二つ八分五厘なりしが、後三つ四分一厘となる。
※ 口米(くちまい)- 江戸時代、米納の本租である年貢米のほかに加徴された税米。年貢の減損などを補うためのもの。
※ 延米(のべまい)- 江戸時代、田租に対する付加税の一つ。年貢米運搬の際の目減りをあらかじめ補うもの。
※ 庄屋給(しょうやきゅう)- 江戸時代、庄屋の職務に対する報酬。
※ 組頭給(くみがしらきゅう)- 江戸時代、組頭に支給する給料。
※ 三つ(みっつ)- 三割。


この年貢米は、毎年庄屋に於いて取立て郷蔵に貯え、十二月中、代官の検米を受け、その運搬は居村より五里までは町村の義務とし、代官の指定により、その幾分を川崎または相良まで搬出せしこともありし。またこの検米は頗る厳重にして、若し一個の籾、粉米など検出せらるゝことあれば、米主は青竹にて閉門に処せられ、庄屋は譴責せらる。
※ 郷蔵(ごうぐら)- 江戸時代、農村に設置された公共の貯穀倉庫。
※ 譴責(けんせき)- しかり責めること。不正や過失などを厳しくとがめること。


さて、その後、数回の改めありて、元禄六年(1693)に至り、左の如く定まる。

反別二十四町三反九畝三歩           田畑屋敷共
 高二百五十三石二升
        内  訳
  高百十八石八斗五合    本田 元和七酉年(1621)代官中野七蔵検地
                  寛永六巳年(1629)駿河大納言検地
   内 十八石四斗三升三合    前々志戸呂村高へ組入収納これ有り候分、竹下村地に付、今般検地の節、本村高入れとなる。
  高三十四石四斗七升九合  出高 正保三戌年(1646)代官長谷川藤兵衛検地
  高九十二石二斗三合    出高 寛文十戌年(1670)代官同人検地
   内 高二十一石七斗八升五合  前々志戸呂村高へ組入収納これ有り候分、竹下村地に付、今般検地の節、本村高入れとなる。
  高九斗六升        新開 延宝四辰年(1676)代官長谷川藤兵衛改め
  高一斗一升一合  郷蔵屋敷高入 元禄元辰年(1688)代官同人改め
  高五斗八升四合      新開 元禄五申年(1692)代官野田三郎左衛門改め
  高五石八斗七升七合 屋敷三十三軒分 元禄六酉年(1693)代官同人改め
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