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「壺石文」 上 15 (旧)六月廿八日、廿九日

(裏の畑のオダマキソウ)

午後、「駿遠の考古学と歴史」講座に出席した。S教授に、神座村の慶応四年の御触れ書写より、静岡藩学問所の応募の御触れ書の部分を、コピーして差上げた。学問所の門戸は民百姓にも開かれていたというが、その証拠となる文書だという。もっとも、村から応募があったかどうかはわからない。

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「壺石文 上」の解読を続ける。

この家、あるじは下野房宮住とぞ云えりける。こゝの都の人、桂林堂真盛。江戸人林ノ真輯というも来居て、題を出して、半日五十首の早歌など読む。
※ 下野房宮住 - 下野庵宮住。鉄砲町名主で質屋を営んだ上野久左衛門基房。江戸時代の宇都宮に関する事項を記した「宇都宮史」を発行した。
※ 都の人(とのびと)-(「とじん」とも)みやこの人。
※ 早歌(はやうた)- 神楽(かぐら)歌の一。比較的テンポが速く、滑稽味がある。


唐人の年魚(あゆ)を籠(こ)に入れて、頭に捧げてたどる方に、人の歌乞いければ、書き付けける。片方(かたえ)(うけ)あり。
※ 筌(うけ)-(「うえ」とも)魚をとる道具。竹を筒状または底のない徳利状に編んだもの。

   石川の 鮎を得てこそ 高麗人(こまびと)
        うけ
(筌)良かりける 事を知るらめ

また布袋和尚というものゝ絵に、
※ 布袋和尚(ほていわじょう)- 唐末の明州の伝説的な仏僧。水墨画の画題とされ、大きな袋に太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。日本では七福神の一柱として信仰されている。

   ぬのぶくろ(布袋) 御側(みそば)離たず なれ/\し
        童
(わらわ)遊びの 無きが淋しさ

廿八日、喜連川に到りて宿る。
※ 喜連川(きつれがわ)- 下野国塩谷郡喜連川に喜連川藩があった。栃木県中東部で、現、さくら市喜連川。

廿九日、駅馬使(はゆまづかい)の便りを求めて、宮住がり(許)、消息やるとて、
※ 駅馬使(はゆまづかい)- 駅馬を利用する公用の使い。
※ がり(許)- ‥‥の所へ。(下野房宮住の所へ手紙を送る)


   唐衣 うつの宮路の 草枕 
        旅とも知らで 夜を重ねてき

※ 唐衣(からごろも)-(「着る」「裁つ」「裾」「袖」「紐」など、衣服に関する語や、それらと同音をもつ語にかかる枕詞。「うつ」もその中に入るのか)中国風の衣服。美しい衣服。

真楫へ

   旅衣 とく立ち帰り 草枕
        ともに結びし 夢語りけん
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