平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
横内川通船一件控え帳 6 - 駿河古文書会
消毒しないから、アブラムシが着いているが健気に咲いている。)
本日午後、駿河古文書会に出席する。前回に続いて、横内川通船一件控え帳が課題である。
(六月)十八日
土井敷地の義に付、沓谷村へ出会い、相談の上、左の通り書付相認め、内調べ仰せ付けられ候、町組同心、長嶋団右衛門様へ、差し出し置き候
御尋ねに付 恐れながら書付を以って申し上げ奉り候
今般、横内川通り舟路に相成り候に付、川巾土井敷地、これ有るべき筈、御尋ね御座候処、川巾の義は横内町下より沓谷村大橋までの間、弐間弐尺、右大橋より上土村落ち口までの間、弐間壱尺、土井敷地の義は古来書物など穿鑿仕り候えども、相分り申さず、併しながら老人よりの聞き伝えには、村々居宅川端通りに、往古は壱間の細道御座候趣、承り及び候、もっとも田方の義も右に准じ申すべきと存じ奉り候間、右の段、御答え申し上げ奉り候、以上
卯六月
上足洗村
下足洗村
沓谷村
上土新田
下足洗新田
長嶋団右衛門様 川合新田
右村名主連印
廿日 曇天
御普請役様方一同、府中へ御越しに成られ候に付、彦作様と丹平方へ落ち合い、旅宿へ御機嫌伺いに罷り出候、彦作様は長嶋様へも、内々様子伺い奉り候処、何の分り候咄しもこれ無く帰り申し候
廿一日 曇天小雨も降ル
御普請役様より御呼出しにて、御旅宿足名屋まで罷り出候処、先達って水盛致し置き候杭改め、井口の土井木残らずはずし置き候様、仰せ付けられ候に付、帰り掛け横内へもその段申し達し候、もっとも明日御見分成られ候に付、人足弐人用立て仰せ付けられ候
※ 水盛(みずもり)- 細長い材に溝をつけて水を入れ、土台面などにのせて水平かどうかを測定すること。また、その器具。みずばかり。水準(すいじゅん)。
上書、家数人別書き上げ帖
覚え
高九百参拾九石九斗七升
内訳
高四百八石六斗八升七合 池田岩之丞
此反別三拾壱町九反八畝廿四歩 御代官所
家数弐拾四軒
人別百四拾八人 内 八拾弐人 男
六拾六人 女
高五百参拾壱石弐斗八升三合 松平丹後守
此反別四拾壱町五反五畝弐拾歩 領分
家数拾七軒
人別九拾参人 内 五拾弐人 男
四拾壱人 女
外に
高三拾三石壱升九合 明屋敷七番
この反別弐町六反七畝廿六歩 勝右衛門組
右の通り相違御座なく候、以上
天保十四卯六月 村役人
通船御用 残らず連印
御役人中様 帳面差し出し申し候
(明日へ続く)
講師の話では、この横内川通船問題も含めて、巴川流域、浅畑沼治水などの問題は、江戸時代に争われた、駿府における三大訴詔というべき、「茶一件訴詔」「やな一件訴詔」「入会山一件訴詔」と並んで、大きな問題であったという。
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