goo

横内川通船一件控え帳 5 - 駿河古文書会

(庭のムクゲ花盛り)

午後、駿河古文書会にて、靜岡へ行く。今回の課題は「横内川通船一件控え帳」で、半年前の2月15日に扱ったものの続きである。御役所へ上げる文書は、その一紙で今までの事情が判るように書くため、内容が少し追加になるだけであっても、始めから事情の説明を行わねばならず、内容がくり返しになることを否めない。今回、御役所に上げた文書も、2月15日に紹介した文書と似ている部分が多い。

   恐れながら書付を以って願い上げ奉り候
池田岩之丞御代官所 松平丹後守領分 有渡郡上足洗村、岡野出羽守知行所 同郡下足洗村、曽我伊予守知行所 同郡沓谷村、右三ヶ村役人ども、申し上げ奉り候

今般、横内川通船の義、仰せ出させられ、川筋通り御見分、御水盛り遊ばさせられ、村々役人ども召し出され、大塚唯一郎様仰せ聞かれ候は、この度横内川
通船路切り開きに相成り候に付ては、右川通り、上土村通りの間、川巾切り広げ、川床も掘り候場所、これ有るべく候間、御田地に差し障らざる様、新規養水路の御思し召し付、御上様には御座候えども、村々役人どもよりも、御田地養水差し障りに相成らざる様、新規養水路存じ付の趣、絵図面に仕立て差し上ぐべき様、仰せ付けられ候に付、村々役人ども申し談じ、よんどころなく、荒増の所、書き上げ奉り候

右絵図面の通り、仰せ付けられ候ても、新規の義に御座候えば、往々難儀覚束なく、殊に新川相立て、古川切広げ相成り候えば、御田地相潰れ、百姓の難義、如何程か積り難く、多分(に)御取箇筋へ拘わり候義に存じ奉り候、かつ私ども村々の義、往古より御堀御流れ横内川のみを以って、御田地相養い、滞りなく御年貢御上納仕り、村々永続致し、有難く存じ奉り候、右養水路の義は、四季ともに掛け干し第一の地情にて、別して冬水不足致し候えば、忽ち地劣りに相成り、御上納米も相減り、百姓ども家業薄く、殊に私ども村々の義は、堀井戸出来仕らず、百姓ども日用の呑み水に差し支え、一同退転仕るべき基いと、歎かわしく存じ奉り候

かつまた、右川通船の義、往古、権現様御時、右川筋舟入りに遊ばさせらるべきと、仰せ出でさせられ候えども、村々難義の段々御訴詔申し上げ奉り候えば、舟入りの義、仰せ付けさせられざる記録も御座候、その後、延宝度、安永度、寛政度も願人これ有り、目論見候えども、村役人相対仕り、御奉行所様へ差し障り書差し上げ奉り候えば、御沙汰止みに相成り来り申し候間、この度の御義も前顕差し障りの廉々聞こし召し訳させられ、格別の御慈悲を以って、これまでの通り御差し置き候様、願い上げ奉りたく存じ奉り候えども、相成らざる義に御座候わば、御田地用水の義は、何方より下し置かれ候とも、一旦御堀へ落ち込み、御堀水落より御分水頂戴仕りたく存じ奉り候、これとても新規の義に御座候えば、往々義、計り難く百姓ども愚意に落ち兼ね候間、それぞれ御地頭所へも申し上げ置き候間、何とぞ莫大の御仁恵を以って、村々百姓永続仕り候様、御憐愍の御意幾重にも願い上げ奉り候、以上
※ 前顕(ぜんけん)- 前に書きしるしたこと。また、前にあきらかにしたこと。

 卯六月            池田岩之丞御代官所
                    松平丹後守領分
                  有渡郡上足洗村
                   名主  久右衛門
                   同   権右衛門
                   組頭百姓代 不残
                 岡野出羽守知行所
                   名主  彦作
                   組頭  清次郎
                   百姓代 与市
                 曽我伊豫守知行所
                   名主  卯兵衛
                   組頭  藤兵衛
                   百姓代 彦八
    通船御用
       御役人中様
             六月七日、清水出役先、差出し申し候

(つづく)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )