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事実証談 神霊部(上) 28~30 山神の祭り日に木を伐り崇った話

(先日、買ってきたエキザカムの花)

事実証談 神霊部(上)第28話から第30話までは、山神の祭り日に木を伐って崇った話である。

第28話
榛原郡小牧村、源蔵という者、同村八幡社の社木を、神主中村日向に乞いて伐取るとて、文化九年十二月七日に、かの社に行きしに、日暮れけれども帰らざりける故、家族怪しみ尋ね行きければ、その木の本に気絶して有るを、見驚き呼び活けて、家に連れ帰り、その故を問うに、かの者言いけるは、初め木を伐らんとする時、後より袂(たもと)を取り引く心地せし故、振り返り見しに、物なければ、又伐らんとするに、なお前の如くなる故、また見れども衣裳(きもの)に障るべき物もなければ、怪しき事に思いつゝ、また伐らんとせしまでは覚え有りしを、何とて気絶せしか、知らずと言いしとなん。それより弥増(いやまし)に悩みて、同月九日死せりと言えり。

第29話
周智郡宇刈郷に、次郎九、与兵衛という者両人、文化四年十一月七日、山神という所の木を伐り初めしに、その日伐り終らず、また翌八日に行きて伐りたりしに、与兵衛その木に押し殺されしと言えり。

第30話
佐野郡原田庄、常五郎という者、文化八年十一月七日、山に入りて木を伐らんとせしに、その斧を己が膝に打ち込みし故、治療して疵口は癒えしかど、かゞまり付きて、漸(ようよう)杖にすがりて歩行(あるく)と言えり。すべて十一月七日、十二月八日は山神の祭りとて、山里にて木を伐る事は、更にも言わず、山に入る事をも忌み憚(はばか)りければ、かゝる事の有りしは、皆山神の崇りなるべし。


日本の現代の山々にはびっしりと針葉樹や照葉樹が生えて、山に入ると、森林限界を越える高さまで登らない限り、ほとんど見晴しはきかない。ところが江戸時代の山は、色々な文書で見る限り、もう少し樹木が少なくて見晴らしがきいたように書かれている。

江戸時代、木は建築の主材料であり、煮炊きや暖房のための燃料であり、生活に欠かせないものであった。人々は山に入り、山から多くの木を頂いて生活を立てていた。現代中国の山々では、気候の温暖な恵まれた地域でも、貧弱な樹木がまばらに生えている状態である。木々は無制限に切られて日々の燃料にされてしまうからである。江戸時代の山もそれと似たような状況であった。

樹木について、様々なタブーがあるのは、樹木の乱伐を防ぐ、往昔の人々の知恵だったのだと思う。山神の祭り日には木を伐らないというのも、そんなタブーの一つだと思う。なお、現在のように、日本の山々に木々が溢れるようになったのは、戦後荒れた山々に挙って植林を進めた結果である。
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