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事実証談 神霊部(上) 40 本宮山の伐木の崇りと遠州灘方角定めの火

(道端に生えたサルスベリの花、
向いの親木から飛んだ種が芽を出したのだという)

名古屋のかなくん一家が、午後名古屋に帰って行った。半月に及ぶ夏休みで、その間、夜は裏の部屋に押し込められたムサシは、ストレスからか、前足の指間を舐めて、炎症を起こし、昨夕動物病院へ行った。今日はダイニングの定位置で、安心したのか、熟睡しているようだ。しばらく振りで、静かな日常が戻って来た。

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事実証談、神霊部(上)の第40話は、本宮山にある小国神社の元の宮、奥岩戸神社にまつわる話である。

周智郡上郷、小国社の本宮と称して、天宮郷薄場村奥山に奥岩戸大明神という社有り。その社に続きし山林を、その村にては百姓持山なりと言い、本社の神主はかの社の境内なりと言い争いしが、終に百姓の物となりて、その山林を売り払いしに、その山買い取りし者、寛政四年伐り初めしより、手足かゞまり付き、起き臥しさえ、人の助を得てなせり。

またある時、その山に雷落ちて、杣人天宮村徳右衛門、喜代助、ゆゝしき障り有りしと言えり。されどかゝる事を神の崇りとも知らずや有りけん。その山林は伐り終わりて、杉、檜の板を同村清十という者の家に、あまた持ち運び、積み置きしに、雨い多く降りける日、出火して、清十方に積み置きしは、残りなく焼失しは、誠にいみじき御荒びになん有りける。

かくて、かの山林買い取りし者は、そのまゝにて、十六、七年世に有りて、近き年頃、死にたりしを、この記集撰につきて、問い合わする度毎に、かの者難病にて有りけるを以って、これは誠に社木を買い取りし崇りにてあれば、後世の人の為に、この事、集記の片端に記してよと、自罪を悔いての物語りなりき。

(ちなみ)に曰(い)う。遠江灘七十五里は、名にしおう難海にて有けるを、通船夜に入りて方角分き難き時、この本宮山に祈願し、火を乞い奉(まつ)れば、必ず火の現るゝと言い伝えしを、実に然りと見えて、近来度々その礼謝なりとて、尾振りといゝて、魚を奉りし事ありと言えり。


本宮山(海抜511メートル)には、10数年前に、社内ハイキングで登った記憶がある。途中に、葛布の滝(一の滝)があったような気がするが、定かではない。あるいは、葛布の滝を見たのは別の時だったのかもしれない。また山頂にどんな社があったのか、思い出せない。これを機会に一度登ってみようかと思う。

江戸時代、遠州灘を夜間に航行する船にとって、山上にわずかに灯る火が大切な道しるべになったことは、何となく想像できる。ただ現在は山頂も木で覆われて、山頂からは海を見ることすら出来ないかもしれない。
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